2026.9.7そばの本質の旅、只今中間地点
9月7日(月)
以前、朝礼で何度か「そばの本質とは何か?」という話をしました。
ラーメンとそばでは、同じ「おいしい」でも、幸せの種類が違うのではないか。ラーメンは一口食べてすぐに「うまい!」というドキドキする幸せ。それに対してそばは、「ああ、なんかいいなあ」と、しみじみ感じる穏やかな幸せではないか。
そんな話をしてきました。
そして今年、私は「そばの本質を探す旅に出る」と言いました。
なぜ、こんなことを考えているのか。
そばを難しく語りたいからではありません。
私自身がそばの将来に対する危機感を感じているからです。
これからは、食の選択肢が増え、嗜好も変わり、そばを取り巻く環境も大きく変わっていきます。その中で、今の流行を追いかけたり、目先の売上だけを考えたりしていて、本当にそばは次の世代に残っていけるのだろうか…そんな思いがあります。
これから私たちは、そば店や製麺所さんを支援して、まだそばの魅力を十分に知らない若い人や海外の人にそばを伝えたり、新しいことにも挑戦していかなければなりません。
そのときに必要なのが、「何を変えてよくて、何を失ってはいけないのか」という軸だと思っています。
そして、鈴木製粉所の経営理念である「蕎麦を通じて、みんなを幸せにする!」を本当に実現していくためにも、そもそも「そばだからこそ届けられる幸せとは何なのか」を知ることは、絶対に必要です。そばが得意な土俵で戦いたいんですね。
その根っこにあるべきものが、「そばの本質」なのだと思います。
そばの本質を探す旅は、まだまだ途中です。
ただ最近、少しだけ輪郭が見えてきました。
今しっくりきている言葉は、
「高揚ではなく、余韻」です。
そばは、強い刺激で一気に満足させる食べ物ではありません。食べ終わった後まで、おだやかな充足が残る。満足させるのに、疲れさせない。刺激の強さではなく、深さで満たしてくれる。
そばは、とてもシンプルな食べ物です。
穀物そのものの味と香りがあり、それを麺にして、つゆと薬味で食べる。すすって香りを鼻に抜き、食感とともに味わう。豪華なものを足して完成させるというより、余計なものを足しすぎず、穀物そのものを味わう食です。
そして、そばは日常に根を持つ食でもあります。
年越しそばや大切な日に食べるハレの側面もありますが、それも、ある意味普通のものを大切な日に食べる文化なのかもしれません。
どんなに高級になっても、その原点には素朴さがあります。
穀物の香り。シンプルな構成。すする、噛むという身体の体験。そして、日常的に何度でも食べられる軽さ。
その先に、しみじみとした充足と余韻があります。
そして食べ終わったあと、少しだけ日常の自分に戻っていく。
まだ答えは出ていません。「そばの本質」を探す旅は続いています。
でも、この問いを考え続けること自体が、これからのそば業界にとっても、鈴木製粉所にとっても、とても大切なことだと思っています。
それでは今週もよろしくお願いいたします。
