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“なんとなく”で回る職場 | “察して”の組織は、誰かを置いていく。

ある日、食堂でたまたま外国籍の同僚と一緒になった。

雑談の流れで、
彼がぽつりと話してくれた。

「上司が、あまり事業の説明をしてくれない」

「外部から問い合わせが来ても、
背景がわからないから答えられない」

「聞こうとしても、
タイミングが難しい」

「上司は海外出張が多く、
やり取りはメールやチャット中心になる。
ただ、その返信にも感情の波があって、
どうコミュニケーションを取ればいいのかわからない」
と話していた。

私はその話を聞きながら、
最初は
「外国籍だから苦労している部分もあるんだろうな」
と思っていた。

でも、途中で感覚が変わった。

それって、
日本人社員でも感じている苦しさと、
そんなに違わないのではないか。

情報が共有されない。
聞きたいけど聞きづらい。
質問すると、相手の機嫌を気にしてしまう。

そして、
十分な説明がないまま、
“自分で考えて動くこと”
だけが求められる。

もちろん、
どんな組織でも、
すべてを丁寧に説明できるわけではない。

忙しさもあるし、
管理職側にも事情はある。

ただ、
日本の組織には時々、
「言わなくてもわかるよね」
が前提になっている場面がある。

誰かが察して補完することで、
なんとなく仕事が回っていく。

でも、
その“なんとなく”を
共有していない人にとっては、
何が正解で、
どこまで聞いてよくて、
何を求められているのかが見えにくい。

しかも怖いのは、
その状態が続くと、
本人の能力不足のように見えてしまうことだ。

「主体性がない」
「理解力が足りない」
「もっと自分から動いてほしい」

そんな評価に、
少しずつ変わっていく。

でも実際は、
最初から必要な情報に
アクセスできていなかった、
ということもある。

日本人同士だと、
“なんとなく”補完されているものがある。

言葉にしなくても察する。
空気を読む。
前例から動く。

でも、外国籍の同僚が入ることで、
薄々気づいてはいたけれど、
見ないままにしていた組織の曖昧さや、
“なんとなく”で成立していたものが、
急に輪郭を持って見えることがある。

そして、“察して”で回る組織は、
誰かを静かに置いていくのかもしれない。

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