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アイとマコト あらすじ




迫水アイ、二十歳。地方の女子高を出て上京し、都内の女子大に通うため一人暮らしを始めたばかりの夏だった。実家暮らしの友人たちが「バイトどうする?」と話しているのを尻目に、アイは家から一番近い喫茶店の貼り紙を見て、迷わず飛び込んだ。

面接らしい面接もなく採用が決まった初日、厨房から出てきた先輩バイトを見て、アイは思わず二度見した。

「はじめまして。マコトです」

小さくお辞儀をしたその人は、フリルとレースに包まれ、まるで洋館の人形が動き出したようだった。十九歳だと後で知ったが、見た瞬間のアイの感想は「お姫様がバイトしてる」だった。

ところがアイには、幼稚園から高校まで女子校育ちという環境のせいなのか、本人にも説明のつかない癖がある。可愛いと思った女性が座っていると、条件反射で膝に飛び込んでしまうのだ。

「わっ……!?」

休憩中、丸椅子に腰かけていたマコトの膝に、アイは何の前触れもなくダイブした。トレイに乗った紅茶が宙を舞い、マスターが「アイちゃん、うちの看板娘壊さないで!」と悲鳴を上げる。マコトはといえば、フリルのスカートの上に見知らぬ後輩を乗せたまま、顔を真っ赤にして固まっていた。

「ご、ごめん! つい……」 「つい、じゃないよ……」

そう言いながらも、マコトはアイの頭を邪険に振り払うことはしなかった。この日から二人は「アイちゃん」「マコちゃん」と呼び合う仲になった。

バイト終わり、二人は決まって原宿へ寄り道した。マコトの行きつけは、天井までレースが飾られたお姫様のような店ばかりで、アイは毎回目を回しながらも「マコちゃんが着るとほんとに絵本から出てきたみたい」と手放しで褒めた。褒められるとマコトは「そんなんじゃないから」と耳まで赤くする。

映画の帰り道、アイは決まってマコトの腕に自分の腕を絡めて歩いた。

「アイちゃん、近い」 「いいじゃん、マコちゃんとなら」

律儀に距離を取ろうとするマコトを、アイは女子高時代の癖そのままに、するりと引き寄せる。

ある晩、マコトが「近くまで来たから」とアイのアパートに立ち寄った。せっかくだからと泊まることになり、シャワーを浴びたマコトが下着姿のまま出てきたときも、アイはまったく動じなかった。女子校の合宿はいつもこんな調子だったからだ。

「マコちゃん、こっちおいで」

万年床ひと組きりの部屋で、アイは当然のようにマコトの背中に腕を回し、抱き枕のように引き寄せて眠った。豆電球の下、マコトは石のように固まったまま、朝まで一睡もできなかったらしい。

「顔、死んでるよ?」 「……アイちゃんのせいだから」

理由を聞いても、マコトは「暑かったから」としか答えなかった。

その後もアイは「今度スパ行こうよ」「プールも混浴じゃないんだから平気でしょ」と誘い続けたが、マコトは決まって顔を曇らせ、のらりくらりとかわし続けた。アイは「マコちゃんって意外と恥ずかしがり屋なんだ」としか思っていなかった。

再びマコトがアイの部屋に泊まった夜、事件は起きた。

布団に入ってすぐ、マコトが「アイちゃん、話がある」と天井を見つめたまま切り出した。声がいつもより低く、硬い。

「実はおれ、男なんだ」

一瞬、部屋の中から音という音が消えた。扇風機の首振りだけがぎこちなく続いている。

「……え? え? ちょっと待って、マコちゃんが、マコト……くん?」 「この前、一緒に寝たとき……その、正直、ドキドキした。おれ、アイちゃんに」

言い終える前に耳まで真っ赤になったマコトは、布団から半分顔を出したまま「もう女装はやめる」と、消え入りそうな声で付け加えた。

頭の中で「マコちゃん」と「男」という単語が、洗濯機の中の靴下みたいにぐるぐる回るばかりで、アイは何も言えなかった。

翌日から、喫茶店のシフトはこの世で一番気まずい場所になった。

「アイちゃん、おしぼり……」 「あ、はい! すみません、大丈夫です、平気です!」

なにも大丈夫ではない敬語で応じるアイに、マコトはますます小さくなる。

昼下がり、丸椅子に座ってひと息ついたマコトを見た瞬間、アイの体は考えるより先に動きかけた。ダイブ体勢に入りかけた足を、すんでのところで気合いで止める。

「――っと! だ、大丈夫、いま我慢したから!」 「何のアピールですか、それ……」

カウンターの中で交わされる二人の視線のなさに、マスターは早々に気づいた。

「おい、お前ら喧嘩でもしたのか」 「してません!」 「してないです!」

声だけは見事にハモる二人を前に、マスターは「よし、今日は二人でまかない作れ。キッチン、狭いから」と、下手くそすぎる作戦を強行した。狭い厨房で肩がぶつかるたび飛び上がるアイと、フライパンを取り落とすマコト。仕上がった卵焼きは、二人分まとめて黒焦げだった。

常連の女将さん然としたお客さんまで「あんたたち、痴話喧嘩なら奢ったげるから、そこの席で仲直りしな」とテーブル席を指定席にしてしまう始末。ぎこちなく向かい合って座らされた二人の会話は、「……氷、溶けたね」「……うん」で終わった。

マスターの采配も、常連客のお節介も、ことごとく空振りに終わり、気まずさは夏休みが終わるまで、とうとう解けなかった。

八月最後のシフトの日、レジ締めを終えたマコトが、エプロンを畳みながら言った。

「一ヶ月後、時間ある?」 「……うん」 「ちゃんと考えるから。アイちゃんも、考えといて」

それだけ言うと、マコトは逃げるように店を出て行った。何を、とは互いに言わなかったが、聞かなくてもわかった。

一ヶ月後、九月最後の日曜日。渋谷、ハチ公前。

待ち合わせは十四時のはずだった。マコトは十三時半には着いていた。

十四時。十四時半。十五時。スマホの電池がみるみる減っていく。「今から行く」の一言もない。ハチ公の背中を撫でて、待ち合わせのカップルに何組も追い抜かれ、道玄坂のスクランブル交差点を何百人が通り過ぎるのを、マコトはただ立ち尽くして数えていた。ジーパンに、切りそろえたばかりのボブカット。フリルもレースも、もうどこにもない。

十七時。ようやく人ごみの向こうから、アイが小走りで駆けてきた。

「ごめーん! 昨日サークルの飲み会でさぁ、一次会のつもりが三次会まで……あ、待った? ちょっとだけ?」

三時間半を「ちょっとだけ?」で片付けられたマコトの中で、何かがぷつんと切れた。

「――アイちゃんの、ばかぁ……!」

ハチ公前のど真ん中で、ジーンズ姿の元・お姫様が、子供のように声を上げて泣き出した。周囲の視線がいっせいに集まる。海外からの観光客が「ケンカ? プロポーズ?」と物珍しそうにスマホを構える始末。

「ちょ、え、ちょっと待って、なんで泣くの!? わたしが悪いの!? そこ!? 泣くとこそこ!?」 「アイちゃんが……アイちゃんが三時間も来ないから……! おれ、あんなに緊張して、この格好で来るのだって、勇気、いって……!」 「あー! もう! ごめんって! ごめんなさい! 今度なんでも奢るから! な!? 泣きやんで、目立ってるから!」

半ばパニックになったアイが、道端の自販機で缶コーヒーを二本買ってきて、一本をマコトの手に無理やり握らせる。ぬるいコーンポタージュだった。

「……なにこれ」 「ごめん、ボタン押し間違えた」

その気の抜けたひと言に、マコトは泣きながら、こらえきれずに噴き出した。

「なんだよそれ……アイちゃんらしい……」 「ちょっと、泣いてんの? 笑ってんの? どっちよ!」 「両方だよ、ばか!」

ハチ公前で三十分近くひと悶着した挙句、二人はいつものように、どちらからともなく歩き出した。行き先は、いつもの映画館。

「ねえ、その髪」 「……美容室、行ったの。分かるでしょ」 「ふうん」

それだけ言うと、アイはもう一口、間違えて買ったコーンポタージュを飲んで、盛大にむせた。マコトはその背中をさすりながら、まだ少し洟をすすっている。改札を抜ける二人の足取りは、来たときよりずっと軽かった。


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