ある程度の”自我”がないと、エッセイを書くのって実は難しいんじゃないかと思いはじめた~(「創作大賞2025」応募作の53%が「エッセイ部門」であることについての補足)
こんにちは、ご訪問ありがとうございます。
出版界の片隅で、校正者として20年以上生息している小宮です。
(手がけた出版物等はこんな感じです↓ジャンルは不特定多数)

さて、今回も↓と同じく、エッセイにスポットを当てた記事です。
あくまで個人の意見ですので、「私は違う」と感じてもそこはスルーしてくださいね。
↓の記事に抵抗ある方はここでUターンしてくださいね👋
エッセイを面白くする2つの要素
私が校正を担当していた文芸誌↓にも、エッセイコーナーがありました。
主に作家さんや、書籍を出版した芸能人の方がテーマに沿ったエッセイをリレー形式で書くコーナーです。

エッセイのテーマは「私のちょっと苦手なもの」なんですが、それがなぜ、どの程度苦手かということを読者に伝えるためには、作家としての能力以外のものを求められるなと感じました。
その一つが確固たる自我です。それについては、後から説明します。
この仕事を引退するまで、たぶん、30名くらいのエッセイを校正したと思います。
その中で抜きんでて面白く、編集さんとも意見が一致した方は、作家デビューを果たした芸人さんでした。
もちろん作家さんのエッセイも、物事への洞察力や文章の巧緻性では「さすが」と思わせるものばかりでした。
でも、芸人さんのエッセイはとにかく面白かった。もうそのまま「芸」なんですよね。
持ち時間内で、口述で架空の舞台を作り上げて、起承転結をつけてお客さんを笑わせる……そんな漫才のテクニックがエッセイでも見事に活かされているんです。
そういえば芸人さんのエッセイって、たいてい面白いですよね。観客=読者と置き換えれば、常に観客を意識して話術を磨く彼らのエッセイが面白いのは、しごく当然のことかもしれません。
一方、文章のプロである作家さんの中には「エッセイが苦手」という方もいます。
文章力は一流でも、「自我を出すのが不得手」ということでしょうか。
これはまあ、よくわかります。自我を出すのが嫌すぎて、絶対に顔出ししない作家さんもいますから。
そう考えると、エッセイを書くにはある程度確立された自我があることが必要なんじゃないかと、最近思うようになりました。
それと、芸人さんお得意の「観客(読者)を意識したお話作り」ですね。
この2つがそろえば、エッセイは格段に面白くなる気がします。
エッセイで"自分”を伝えるテクニック
もう一つ、エッセイを書く上で気をつけるべきことがあります。
それは、エッセイは自己紹介にあらず、ということです。
「私はこういう人間です」ということをストレートに書くのは、エッセイではなく自己紹介です。
自分はどんな人間なのか、つまり「自我」をしっかり確立し理解しながら、過去に経験したさまざまなエピソードを上手に加工して、そこから自分の性格や好きなもの、苦手なものを読者に連想させる技術。
自分が見てきたものを、読者も今まさに目にしているかのように、巧みに誘導する技術。
優れたエッセイには、おしなべてそういった特長があるような気がします。
そう考えると、エッセイの世界も実に奥が深いと感じます。
"書く”前に"読む”。盗める技は盗んで磨く
その力をつけるためには、エッセイを1本書く前に、最低でも30人のプロのエッセイを読み込んでみる。
上の文芸誌では毎年「徒然草エッセイ大賞」受賞作の校正もしていたので、かなりの量のエッセイを読むことができました。
一般の方のエッセイも、大賞受賞作は圧巻といえるレベルのものばかり。
(ただしプロデビューはないですよ。だから現実は厳しいと再三申し上げているんです)
一語一句、こだわりぬいた言葉選びが感じられ、なおかつ強い”自我”を感じさせてくれる作品ばかりでした。
機会があれば、ぜひお手に取っていただければと思います。
今回は以上です。
ご精読ありがとうございました!😊
よろしければ、私の応募作(2024年、2025年)にも目を通していただければ幸いです。
(「創作大賞2024」応募作(「ミステリー小説部門」中間審査通過)はこちら↓)
(今年の「創作大賞2025」応募作(「恋愛小説部門」はこちら↓)
