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「人の為」は、偽り。尊敬する校長先生が教えてくれた、本当のこと。

みなさん、おはようございます😊
現役工業高校教員のシュガー先生です。

「誰かのためになりたい」

教員という仕事を選んだ私にとって、
この言葉は長年、
自分を突き動かす原動力でした。

数年前。

私が尊敬してやまない
校長先生と対話していた際、
その価値観を根底から
揺さぶられる言葉をいただきました。

「先生、『人の為』という字をよく見てごらん」

今日は、私が教壇に立つ上での
座右の銘となった、
ある「漢字」のお話です。

是非、ご覧ください。


「人の為」に潜む、小さな自己満足


私が「もっと生徒たちの為に動きたいんです」
熱く語ったとき、校長先生は穏やかに
こうおっしゃいました。

「先生、『人の為』という漢字を合わせると、

 +  = 『偽(いつわり)』

という字になるんだよ」

その瞬間、背筋が凍るような衝撃が走りました。

もちろん、漢字の本来の成り立ちや
語源は別にあるかもしれません。

しかし、教育の現場を長年支えてきた大先輩が
放つその言葉には、抗いようのない真実
宿っていました。

「人の為」と言いながら、実はどこかで
「感謝されたい」
「役に立っている自分を実感したい」
という、
利己的なエゴが混ざってはいないか。

その言葉が、実は自分を正当化するための
「偽り」になってはいないか。

校長先生は、私の中にある無意識の傲慢さを、
優しく、しかし鋭く指摘してくださいました。


「人の役に立つ」という、静かな覚悟


だから先生。

これからは『人の為』ではなく、
『人の役に立つ』と言い換えてごらん

この二つの言葉は、
似ているようで全く違います。

「人の為」の主語がどこか
「自分(=私が〜してあげる)」
に向いているのに対し、

「人の役に立つ」という言葉は、
徹底して「相手(=相手がどう助かるか)」
に向いています。

そこに自分の感情や見返りは必要ありません。

ただ、目の前の相手が必要としている
パズルのピースを、そっと差し出す。

自分の存在を消してでも、
相手の人生の歯車を回す手助けをする。

これこそが、真の意味での「利他的」
生き方なのだと気づかされました。


偽りのない情熱を、教壇へ


この話を聞いてから、
私は言葉の使い方を変えました。

授業の準備をするときも、
生徒の相談に乗るときも、
自分に問いかけます。

これは私の自己満足(偽り)ではないか?

本当に生徒の役に立っているか?

「人の役に立つ」という言葉を選ぶことで、
私の心からは余計な力みが消え、
より純粋な情熱が
湧いてくるようになりました。


あなたは、誰の「力」になりますか?


私たちは、一人では生きていけません。
必ず誰かと関わり、誰かの影響を
受けて生きています。

もし、今の活動に迷いが生じたり、
人間関係に疲れたりしたときは、
少しだけ言葉を置き換えてみてください。

「誰かの為」ではなく「誰かの役に立つ」

その小さな変化が、あなたの行動をより誠実で、
より力強いものに変えてくれるはずです。

私もまだまだ修行の身です。

「偽り」のない、本物の「役に立つ大人」
目指して、今日も教壇に立ち続けます。


シュガー先生

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