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䞖界史×日本史 -゜クラテスの蚀葉は残り、匥生人の蚀葉は土に還った #4

前回第3回の終わりに、私はこう予告したした。「次回は、玀元前500幎から300幎ぞ。䞖界では䞭囜が春秋から戊囜の乱䞖ぞず深たり、ギリシアやむンドで思想がさらに花開くなか、列島では匥生の蟲耕瀟䌚が広がり、ムラが力を持ち始める――その姿を芋おいきたす」ず。

今回は、その続きです。玀元前500幎から、玀元前300幎ぞ。たった二癟幎。これたでの「千幎」を䞀気に語っおきたこのシリヌズからするず、ずいぶん短い区切りです。

なぜ、ここだけ短く切るのか。理由がありたす。この二癟幎は、䞖界の偎で「蚘録」が䞀気に増える時代だからです。それたで断片的だった人類の足跡が、この頃から急に、はっきりずした「蚀葉」で残り始めたす。゜クラテスが䜕を問い、プラトンがそれをどう曞き留め、アテネの垂民が広堎で䜕を議論したか。私たちは、たるでその堎に立ち䌚ったかのように、现郚たで知るこずができたす。

ずころが――同じその二癟幎、日本列島で生きおいた人々の蚀葉を、私たちは䞀぀も知りたせん。圌らが䜕を考え、䜕を語り、誰を愛し、䜕を恐れたのか。名前すら、䞀぀も残っおいない。残っおいるのは、土の䞭から出おくる壺や、地面に掘られた溝の跡だけです。

同じ時間を生きおいたのに、こちらは肉声たで聞こえ、あちらは沈黙しおいる。この奇劙な「解像床の差」は、どこから来たのか。今回は、そこを入り口に、この二癟幎を歩いおみたいず思いたす。

䞖界が「蚀葉」を曞き残し始めた

たず、䞖界の偎です。この二癟幎、地䞭海ず䞭囜ずいう二぀の堎所で、人類は「考えたこず」を文字に曞き留める、ずいうこずを、か぀おない芏暡で始めたした。

地䞭海では、ギリシアが歎史の衚舞台に躍り出たす。きっかけは戊争でした。前500幎から前449幎にかけお、圓時の超倧囜アケメネス朝ペルシアず、小さなポリス郜垂囜家の集たりにすぎないギリシアずが、䞉床にわたっお激突したす。ペルシア戊争です※1。前490幎のマラトンの戊い、前480幎のサラミスの海戊――誰もが倧囜の勝利を疑わなかったこの戊いで、ギリシア偎、ずりわけアテネが、信じがたい勝利を収めたした。

この勝利が、アテネを倉えたす。海戊で掻躍したのは、自前の歊具を買えない貧しい垂民たちでした。圌らが船の挕ぎ手ずしお囜を救った。ならば、圌らにも政治に参加する資栌がある――こうしおアテネでは、成幎男性垂民が盎接政治を動かす「民䞻政」が、前5䞖玀埌半のペリクレスの時代に頂点を迎えたす※1。もっずも、女性も、奎隷も、他囜出身者も、そこから排陀されおいたした。「党員の政治」ではなかったこずは、忘れないでおきたいずころです。

そしお、この自由で掻気に満ちたアテネの広堎から、人類の思考の歎史を倉える人々が珟れたす。゜クラテス前469頃〜前399幎です※2。圌は䜕も曞き残したせんでしたが、「あなたは本圓に知っおいるのか」ず人々に問い続け、その問答のさたを、匟子のプラトン前427〜前347幎が膚倧な察話篇ずしお曞き留めたした※2。さらにプラトンの匟子アリストテレス前384〜前322幎は、政治・倫理・自然・論理――あらゆる領域を䜓系立おお蚘述し、その著䜜はその埌二千幎、西掋の知の土台であり続けたす※2。

ここで立ち止たっお考えたいのは、圌らの思想の䞭身よりも、「それが蚀葉ずしお残った」ずいう事実のほうです。゜クラテスが広堎で亀わした問答が、二千四癟幎埌の極東の島で、こうしお私に読たれおいる。それは、誰かがそれを文字に曞き、その文字が受け継がれたからにほかなりたせん。

アテネの黄金時代は、長くは続きたせんでした。前431幎から前404幎、ギリシアはアテネを䞭心ずする陣営ず、軍事囜家スパルタを䞭心ずする陣営ずに分かれ、27幎に及ぶ内戊――ペロポネ゜ス戊争に突入したす※3。ペリクレスは開戊の翌々幎、疫病であっけなく䞖を去り、アテネは長い消耗の末に敗れたした。茝かしい民䞻政の郜も、戊争の前では脆かったのです。

同じ頃、ナヌラシアの東のはお、䞭囜でも、䌌たこずが起きおいたした。前回芋た春秋の乱䞖は、この時代、さらに激しい「戊囜時代」ぞず深たっおいきたす。その始たりがい぀かに぀いおは、有力な諞䟯だった晋が䞉぀に分裂した前453幎ずする説、その分裂が呚王に正匏に認められた前403幎ずする説など、いく぀かの芋方がありたす※4。いずれにせよ、もはや名ばかりの呚王を誰も顧みず、䞃぀の匷囜が、互いに滅がし合う総力戊の時代に入りたした。

この戊囜の䞖を動かしたのも、やはり「鉄」でした。鉄補の蟲具ず、牛に犂を匕かせる牛耕が普及し、蟲業の生産力が跳ね䞊がりたす※4。豊かになった囜は、より倚くの兵を逊い、より倧きな戊争ができる。生き残りをかけた「富囜匷兵」の競争のなかで、各囜の君䞻は、身分にかかわらず有胜な人材を求めたした。そこに応えたのが、孔子の埌を継ぐ膚倧な思想家たち――孟子、荀子、荘子、韓非子、そしお墚家や法家ずいった、埌に「諞子癟家」ず総称される人々です※4。圌らもたた、自らの思想を文字に曞き蚘したした。『孟子』『荀子』『韓非子』。䞭囜の「蚀葉」もたた、この乱䞖のなかで、措氎のように残されおいったのです。

地䞭海でも、䞭囜でも、瀟䌚が倧きく、耇雑に、争わしくなったたさにそのずき、人々は猛烈な勢いで「蚀葉」を残し始めた。これは、偶然ではないように思いたす。

そしお、䞀人の若者が、䞖界の圢を倉えた

この二癟幎の最埌に、䞖界史を象城する出来事が起きたす。䞀人の若者による、途方もない埁服です。

ギリシアの北方、マケドニアの王アレクサンドロス。圌の家庭教垫は、ほかでもない、あのアリストテレスでした。「蚀葉」の頂点に立぀哲孊者が、やがお「歊」の頂点に立぀埁服者を育おた――これは、考えおみるず、ずいぶん象城的な組み合わせです。

前334幎、二十歳そこそこのアレクサンドロスは、わずかな軍勢を率いお東ぞ向かいたす※5。狙うは、か぀おギリシアを脅かした超倧囜、アケメネス朝ペルシアそのものでした。前333幎のむッ゜スの戊い、前331幎のガりガメラの戊いで、圌はペルシア王ダレむオス3䞖を打ち砎りたす。逃げたダレむオスは郚䞋に裏切られお殺され、前330幎、二癟幎以䞊続いた倧垝囜アケメネス朝は、あっけなく滅びたした※5。

アレクサンドロスはなおも東ぞ進み、䞭倮アゞアからむンダス川流域にたで達したす。圌が前323幎、遠埁の途䞊、バビロンで32歳の若さで急死するず※5、その広倧な垝囜はたちたち郚䞋たちによっお分割されたすが、圌が東西にたき散らしたギリシア文化は、珟地の文化ず溶け合い、「ヘレニズム」ず呌ばれる新しい䞖界を぀くっおいきたした。

その波は、むンドにも届いおいたした。アレクサンドロスが去った盎埌の前317幎頃、ガンゞス川流域のマガダ囜で、チャンドラグプタずいう人物がナンダ朝を倒し、むンド史䞊はじめお北むンドの倧半を統䞀する倧王朝――マりリダ朝を打ち立おたす※6。埌にこの王朝から、仏教を保護したこずで知られるアショヌカ王が珟れるこずになりたす。

玀元前300幎ごろ。地䞭海から、西アゞア、むンドにかけおのナヌラシアは、戊争ず埁服を通じお、か぀おないほど倧きく、密に぀ながり始めおいたした。文字を持぀倧陞の䞖界は、互いを蚘録し、互いに圱響を䞎え合いながら、䞀぀の巚倧な「歎史」の舞台を回し始めおいたのです。

その頃、日本列島では

では、いよいよ日本列島です。

䞖界がこれほど饒舌に自らを語っおいたこの二癟幎、列島では䜕が起きおいたのか。前回、列島はようやく海の向こうから氎田皲䜜を受け取り、匥生ずいう新しい時代の入口に立ったずころでした。この二癟幎は、その皲䜜が、北郚九州から東ぞ、ゆっくりず広がっおいく時代にあたりたす。匥生文化が、列島に根を䞋ろし始めるのです。

人々は、川沿いの䜎地に氎田を開き、その近くに竪穎䜏居を寄せ合っお「ムラ」を䜜りたした。皲䜜は、䞀人ではできたせん。氎路を匕き、田を䜜り、田怍えず皲刈りの時期に倧勢で力を合わせる。人々は、これたでよりずっず密に寄り集たっお暮らすようになりたす。

そしお、この時代の列島には、海の向こうから、もう䞀぀新しいものが䌝わっおいたした。金属です。青銅ず鉄が、朝鮮半島を経お北郚九州にもたらされたす。おもしろいのは、列島ではこの二぀が、はっきり圹割を分けお䜿われたこずです※7。固くお鋭い鉄は、鍬や鎌、斧ずいった、実甚の道具になりたした。䞀方、矎しく茝く青銅は、日垞の道具にはならず、もっぱら「祭り」の道具になりたす。剣や矛の圢をした青銅噚、そしお銅鐞――もずは倧陞で家畜の銖に䞋げた小さな鈎だったものが、列島では倧きく育ち、蟲耕の実りを祈る祭りの堎で打ち鳎らされ、やがお鳎らすこずすらやめお、ただ眺めるための、巚倧な祈りの象城になっおいきたした※7。

ここに、この時代の列島のもう䞀぀の特城が珟れたす。「地域差」です。同じ匥生文化ずいっおも、地域ごずに、ずいぶん衚情が違いたした。青銅の祭噚を芋るず、近畿地方では銅鐞が、北郚九州では銅矛や銅戈が奜たれる※7。死者の匔い方も違いたした。北郚九州では、倧きな甕に遺䜓を玍める甕棺墓が広たり、近畿から東日本にかけおは、四角く溝で囲んだ方圢呚溝墓が䜜られおいきたす。列島は、䞀぀の色で塗り぀ぶされおはいなかった。地域ごずに、それぞれの祈りず、それぞれの匔いの圢を育おおいたのです。

ムラが倧きくなるず、ムラ同士の関わりも生たれたす。䜐賀県の吉野ヶ里遺跡では、この匥生時代の前期にはすでに、集萜の䞀郚を濠で囲い始めた跡が芋぀かっおいたす※8。やがお時代が䞋るず、その濠は䞘陵党䜓をぐるりず囲む倧芏暡なものぞず発達しおいきたす。「環濠集萜」――呚りを濠で囲んで守りを固めたムラの登堎は、裏を返せば、守らなければならない理由、぀たり「ムラずムラの争い」が、この列島にも生たれ始めおいたこずを物語っおいたす。

けれど――ここが肝心なのですが――こうしたこずは、すべお「モノ」から掚枬するしかありたせん。壺の圢、濠の跡、青銅噚の分垃、人骚の傷。圌ら自身が「私たちはこう考えた」ず曞き残した文字は、ただの䞀文字も、存圚しないのです。

「文字のある䞖界」ず、「文字のない列島」

ここで、この回のいちばんの問いに向き合いたいず思いたす。

同じ二癟幎を生きおいたのに、なぜ䞖界の偎はこんなにも饒舌で、列島の偎はこんなにも寡黙なのか。

答えは、はっきりしおいたす。文字の有無です。

考えおみおください。私たちは、サラミスの海戊が「前480幎」に起きたず、幎単䜍で蚀い切るこずができたす。゜クラテスが「前399幎」に死刑になったこずも、アレクサンドロスが「前330幎」にペルシアを滅がしたこずも、知っおいたす。なぜそんなに正確に分かるのか。それは、同時代の人々が、その出来事を文字で曞き蚘したからです。

ずころが、列島はどうでしょう。前回も觊れたずおり、匥生時代がそもそも「い぀始たったのか」をめぐっおさえ、研究者のあいだで数癟幎単䜍の議論が続いおいたす※9。前5䞖玀なのか、それずも前10䞖玀たでさかのがるのか。これほど倧きな出来事の幎代すら、私たちは確定できずにいる。理由は同じです。列島の人々が、文字を持たなかったから。圌らは、自分たちのこずを、䞀行も曞き残さなかったのです。

歎史孊では、文字資料が残っおいる時代を「歎史時代」、文字以前を「先史時代」ず呌んで区別したす。この二癟幎、地䞭海や䞭囜は、ずっくに「歎史時代」に入っおいたした。けれど列島は、ただ「先史時代」のただ䞭にいた。同じ地球の、同じ時代に、「歎史」ず「先史」ずいう、たったく異なる二぀の時間が、䞊んで流れおいたのです。

これは、私たちがその時代を「どれだけ知れるか」を、根本から巊右したす。䞖界の偎は、思想家の肉声たで聞こえる。けれど列島の偎は、出おくるモノから、考叀孊者が知恵を絞っお掚枬するしかない。情報の「量」も「質」も、たるで違うのです。

だからこそ、泚意しなければなりたせん。文字で語られる䞖界は、いかにも「進んでいお」、語られない列島は、いかにも「遅れおいる」ように芋えおしたう。でも、それは本圓に「進歩の差」なのでしょうか。

なぜ、列島は文字を必芁ずしなかったのか

そもそも、文字ずは䜕のために生たれたものなのでしょう。

䞖界最叀の文字は、メ゜ポタミアや゚ゞプトで、神ぞの讃歌や哲孊のためにではなく、もっず散文的な目的のために生たれたした。倉庫にどれだけの穀物があるか。誰がどれだけ皎を玍めたか。王が䜕を呜じたか――぀たり、「蚘録」ず「管理」のためです。

倧勢の人間を、広い土地で、耇雑な仕組みのもずに束ねようずするず、人の蚘憶だけでは远い぀かなくなりたす。誰が䜕を持ち、誰に䜕を呜じたか。それを正確に残し、遠くたで䌝えるために、文字ずいう道具が必芁になった。文字は、瀟䌚がある皋床の「倧きさ」ず「耇雑さ」に達したずき、必芁に迫られお生み出される道具なのです。

そう考えるず、芋え方が倉わっおきたす。この二癟幎、地䞭海や䞭囜は、巚倧な垝囜や、䜕䞇もの兵を動かす戊囜の囜々ずいう、文字なしには回せない芏暡の瀟䌚を、すでに抱えおいたした。だから文字が芁った。䞀方、列島の瀟䌚は、ただムラずムラがゆるやかに結び぀く段階で、人の声ず蚘憶で十分にやっおいける倧きさでした。だから、文字を必芁ずしなかった。

぀たり、列島が文字を持たなかったのは、「文字を生み出す知恵がなかった」からではありたせん。「文字を必芁ずするほど、瀟䌚を肥倧させおいなかった」からです。これは胜力の差ではなく、瀟䌚のかたちの差なのです。前回芋た「海」の地理が、列島をナヌラシアの激しい競争から守り、急いで巚倧化する必芁から免れさせおいた――その同じ理由が、ここでも効いおいたす。

列島がやがお文字を手にするのは、これよりずっず埌、海の向こうの倧きな流れに本栌的に巻き蟌たれ、自分たちも囜家ずいうかたちを䜜らざるを埗なくなっおからのこずです。文字は、列島が「必芁」になっお初めお、倧陞から受け取るものでした。

蟲耕が、ムラに「持぀者」を生んだ

文字はなくずも、土の䞭のモノは、確かに䞀぀のこずを語っおいたす。それは、この列島にも、䞖界ず同じ倉化の芜が、確かに生たれ始めおいたずいうこずです。

氎田皲䜜は、ただ食べ物を増やしただけではありたせんでした。それは、人ず人ずの関係そのものを、静かに䜜り替えおいきたす。

皲は、蓄えられたす。狩りや採集で埗た獲物は、その日のうちに分け合うしかありたせんでした。けれど米は、倉に玍めれば、䜕幎も保぀。蓄えられるずいうこずは、「倚く持぀者」ず「少なく持぀者」が生たれる、ずいうこずです。そしお、良い田ず、豊かな氎を持぀ムラは、さらに豊かになる。富の偏りが、生たれ始めたす。

蓄えがあれば、それを奪おうずする者も珟れたす。良い土地ず氎をめぐっお、ムラずムラが争うようになる。先ほど芋た吉野ヶ里の環濠は、その争いぞの備えでした。この時代の列島の遺跡からは、歊噚で傷぀けられた人骚や、銖のない遺䜓が、目立っお増えおきたす。䞀䞇幎にわたっお、戊争の痕跡をあたり残さずに続いた瞄文の䞖界は、皲䜜ずずもに、争いの時代ぞず姿を倉えおいったのです。

そしお、争いず蓄えがあるずころには、それをたずめ、率いる者――「リヌダヌ」が必芁になりたす。墓を芋るず、それが分かりたす。みなが平等に葬られおいた時代から、䞀郚の墓だけに、立掟な青銅噚や鏡が副葬されるようになっおいく。死しおなお差を぀けられる人々が、珟れ始めたのです。富、争い、そしお人の䞊に立぀者の登堎。これはたさに、䞖界で垝囜や戊囜の君䞻たちを生み出したのず、同じ構図です。

列島は、文字こそ持ちたせんでした。けれど、文字を持たないその瀟䌚のなかでも、䞖界ずよく䌌た歯車が、芏暡は小さいながら、確かに回り始めおいた。それを、圌らは曞き残したせんでした。でも、土が、代わりに語っおくれおいるのです。

個人的には ―― 蚘録されなかった生に぀いお

私がこの二癟幎を䞊べおみお、いちばん長く考えさせられるのは、「蚘録される」ずはどういうこずか、ずいう問いです。

私たちは、぀い、「蚘録に残っおいるこず」を「あった歎史」だず思い蟌みたす。゜クラテスの問答は、確かにあった。プラトンが曞いたから。アレクサンドロスの遠埁は、確かにあった。同時代人が蚘したから。

けれど、その同じ二癟幎、列島では䜕癟䞇ずいう人々が、生たれ、働き、誰かを愛し、子を育お、田を耕し、祭りで銅鐞を打ち鳎らし、そしお死んでいきたした。圌らの人生は、゜クラテスの人生に、少しも劣らず「あった」のです。ただ、曞き残されなかった。だから、私たちの「歎史」の本には、ほずんど登堎しない。

文字を持぀䞖界は、自分のこずを雄匁に語りたす。文字を持たない䞖界は、黙っおいるように芋えたす。でも、沈黙しおいるのは、圌らの「生」ではありたせん。沈黙しおいるのは、「蚘録」のほうなのです。声がなかったのではない。声を残す手段が、なかっただけ。

この非察称は、決しお、二千数癟幎前だけの話ではない気がしたす。今この瞬間も、䞖界には、雄匁に蚘録される声ず、ほずんど蚘録されない声ずがありたす。発信する力を持぀人の蚀葉は残り、持たない人の暮らしは、土の䞭の匥生人のように、静かに過ぎおいく。誰の声が「歎史」になり、誰の声が消えおいくのか。それは、その人の生きた䟡倀ではなく、しばしば、その人が「蚘録される偎」にいたかどうかで決たっおしたう。

だから私は、文字のある䞖界の饒舌さに感心しながらも、同時に、文字のない列島の沈黙に、耳を柄たしおいたいず思うのです。そこには、曞かれなかったずいうだけで、確かに生きられた膚倧な人生が、土の䞋に静かに眠っおいるのですから。

たずめ

玀元前500幎から300幎。䞖界では、ペルシア戊争に勝ったアテネが民䞻政の黄金時代を迎え、゜クラテスやプラトンが思考の歎史を倉える蚀葉を残し、䞭囜では戊囜の乱䞖のなかで諞子癟家が花開きたした。そしお二癟幎の最埌に、アレクサンドロスがペルシアを滅がし、むンドにはマりリダ朝が興っお、ナヌラシアの東西は、か぀おないほど倧きく぀ながり始めたす。それは、文字を持぀䞖界が、互いを蚘録し合いながら、巚倧な「歎史」を回し始めた時代でした。

その同じ二癟幎、日本列島では、匥生の皲䜜が西から東ぞ広がり、ムラが生たれ、金属噚が䌝わり、地域ごずに違う祈りず匔いの圢が育ち、そしお蓄えず争いずずもに、人の䞊に立぀者が珟れ始めおいたした。䞖界ずよく䌌た倉化の歯車が、文字なき瀟䌚のなかで、静かに回り始めおいたのです。

けれど、列島はそれを䞀行も曞き残したせんでした。だから私たちは、䞖界の偎の肉声を聞きながら、列島の偎はモノから掚し量るしかない。同じ時代に、「歎史」ず「先史」ずいう二぀の時間が䞊んで流れおいた――それが、この二癟幎の、いちばんの特城でした。

その差は、進歩の差ではありたせんでした。文字ずは、瀟䌚が必芁に迫られお持぀道具にすぎず、列島はただ、それを必芁ずするほど倧きく耇雑にはなっおいなかった。ただ、それだけのこずだったのです。

最埌に、ひず぀問いを残したす。

私たちは、「蚘録に残ったもの」を、぀い「䟡倀のあったもの」だず思っおしたいたす。でも、蚘録に残らなかったからずいっお、それが「なかった」わけでも、「劣っおいた」わけでもありたせん。あなたの毎日の暮らしの、どれだけが文字に残っおいるでしょうか。それでも、あなたの人生は、確かにここにある。二千数癟幎前、䞀文字も残さずに田を耕し、銅鐞を鳎らした列島の人々は、私たちにそっず、そのこずを思い出させおくれるように思うのです。

次回第5回は、玀元前300幎から玀元前1幎ぞ。䞖界では䞭囜に秊・挢ずいう巚倧垝囜が生たれ、地䞭海ではロヌマが台頭し、ヘレニズムの䞖界が広がりたす。その同じ頃、列島では匥生瀟䌚がさらに成熟し、ムラはやがお「クニ」ぞず育ち、列島は䞭囜の歎史曞のなかに、初めおその姿を珟し始めたす――文字を持぀䞖界に、぀いに「蚘録される偎」ずしお登堎する、その瞬間を芋おいきたす。


泚釈

※1 ペルシア戊争前500〜前449幎、前490幎マラトンの戊い・前480幎サラミスの海戊ず、それを契機ずしたアテネ民䞻政の完成、ペリクレス時代前5䞖玀埌半に぀いお䞖界史の窓「ペルシア戊争」 https://www.y-history.net/appendix/wh0102-062_1.html 、「ペリクレス」 https://www.y-history.net/appendix/wh0102-077.html

※2 ゜クラテス前469頃〜前399幎、プラトン前427〜前347幎、アリストテレス前384〜前322幎、アレクサンドロスの垫の生没幎ず垫匟関係に぀いおWikipedia「プラトン」 https://ja.wikipedia.org/wiki/プラトン 、「アリストテレス」 https://ja.wikipedia.org/wiki/アリストテレス

※3 ペロポネ゜ス戊争前431〜前404幎、アテネを䞭心ずするデロス同盟ずスパルタを䞭心ずするペロポネ゜ス同盟の戊い、ペリクレスの病死に぀いお䞖界史の窓「ペロポネ゜ス戊争」 https://www.y-history.net/appendix/wh0102-085.html

※4 戊囜時代䞭囜の始たりをめぐる諞説前453幎の䞉家分晋、前403幎に呚の嚁烈王が䞉晋を諞䟯ず公認、など、鉄補蟲具・牛耕の普及による蟲業生産力の向䞊、富囜匷兵、諞子癟家孟子・荀子・荘子・韓非子ほかに぀いおWikipedia「戊囜時代 (䞭囜)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/戊囜時代_(䞭囜)

※5 アレクサンドロス倧王の東方遠埁前334幎開始、前333幎むッ゜スの戊い、前331幎ガりガメラの戊い、前330幎のアケメネス朝ペルシア滅亡ダレむオス3䞖の死、前323幎のアレクサンドロス急死ずヘレニズム時代に぀いお䞖界史の窓「アレクサンドロスその東方遠埁」 https://www.y-history.net/appendix/wh0102-095.html

※6 マりリダ朝の成立前317幎頃、チャンドラグプタがマガダ囜のナンダ朝を倒しお建囜、むンド初の広域統䞀に぀いおWikipedia「マりリダ朝」 https://ja.wikipedia.org/wiki/マりリダ朝 、「チャンドラグプタ (マりリダ朝)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/チャンドラグプタ_(マりリダ朝)

※7 匥生時代の金属噚――鉄噚が蟲具・工具などの実甚品に、青銅噚銅剣・銅矛・銅戈・銅鐞・鏡などが䞻に祭祀の道具に甚いられたこず、銅鐞が倧陞の小型の鈎から倧型の祭噚ぞず倉化したこず、青銅祭噚に銅鐞近畿䞭心・銅矛銅戈北郚九州䞭心ずいった地域差があったこずに぀いお「匥生時代の青銅噚ず祭りの関係」 https://www.yayoi-jidai.com/knowledge/post-192 、京郜囜立博物通「匥生時代の青銅噚」 https://www.kyohaku.go.jp/old/jp/theme/floor3_2/f3_2_koremade/kouko_20170617.html

※8 吉野ヶ里遺跡䜐賀県――匥生時代前期に集萜の䞀郚に環濠が出珟し、䞭期には䞘陵党䜓を囲む倧芏暡な環濠集萜・墳䞘墓・甕棺墓矀ぞ発展したこずに぀いおWikipedia「吉野ヶ里遺跡」 https://ja.wikipedia.org/wiki/吉野ヶ里遺跡 、吉野ヶ里歎史公園「吉野ヶ里の歎史」 https://www.yoshinogari.jp/introduction/history/

※9 匥生時代の開始幎代をめぐる議論――文字資料がないため、AMS炭箠14幎代枬定にもずづく前10䞖玀説ず埓来の前5〜4䞖玀説のあいだで数癟幎単䜍の議論が続いおいるこずに぀いおWikipedia「匥生時代開始幎代論」 https://ja.wikipedia.org/wiki/匥生時代開始幎代論

いいなず思ったら応揎しよう