「切り取り方」で、話はまったく違って見える。
1人でも多くの『分かるぅ〜』を目指す、すえ。です。
最近、人と話していて改めて思うことがあります。
同じ出来事でも、誰から聞くかで全然違う話になる。
これ、本当によくあります。
例えば、Aさんと個別で話をする。
「こんなことを言われた。」
「こういう扱いをされた。」
「自分はこう思っている。」
その話だけを聞いていると、
「それは大変やな。」
「相手にも問題あるんちゃう?」
と思う。
ところが後日、Bさんから同じ出来事について話を聞く。
すると、
「あれ?ちょっと話が違うぞ。」
となることがあります。
どちらかが完全な嘘をついているわけでもない。
でも、微妙に違う。
なぜか。
人は出来事を、そのまま記録して話しているわけではありません。
自分が何を言ったのか。
相手が何を言ったのか。
その前に何があったのか。
どういう関係だったのか。
全部を話せば、とんでもなく長くなります。
だから無意識に、
「自分にとって重要だった部分」を切り取って話す。
その切り取り方に、その人の感情や立場が入ります。
例えば、
「突然怒られた。」
という話。
その一言だけなら、
怒った側が理不尽に見えます。
でも、その前に何度も同じ注意を受けていたとしたら、見え方は少し変わる。
逆に、
「何度言っても聞かないから怒った。」
という話だけなら、
怒った側が正しく見える。
でも実際には、説明が曖昧だったり、伝え方に問題があったりするかもしれない。
つまり、
どこから話を始めるかだけでも、印象は変わる。
これはSNSを見ていても感じます。
SNSは基本的に、
その人から見えている景色
が投稿されます。
「こんなことをされた。」
「こんな人がいた。」
「こんな会社だった。」
それを読むと、当然その人側から物語を見ることになります。
しかも文章には、
相手側の事情や、
その出来事に至るまでの経緯が書かれていないことも多い。
すると読んだ側は、
「それはひどい。」
「あなたは悪くない。」
と反応する。
もちろん、本当に理不尽なケースもあります。
ただ、
一つの投稿だけでは分からないことも、かなり多い。
ここでもう一つ、人間の面白いところがあります。
人は悩んでいる時、
必ずしも「正しい答え」を求めているわけではありません。
むしろ、
「自分の気持ちを分かってほしい。」
という時があります。
「それはしんどかったな。」
「分かるよ。」
「あなたの気持ちも分かる。」
そう言ってもらえると安心する。
共感自体は、全然悪いことではありません。
誰だって自分のことを理解してほしい。
私にもあります。
ただ、ここに承認欲求が強く入りすぎると、少しややこしくなる。
自分の考えに共感してくれる人を探す。
共感してくれない人とは距離を取る。
そして、
「やっぱり自分は間違ってなかった。」
と思える場所に居続ける。
こうなると、
答えを探しているようで、実は「自分の答えを肯定してくれる人」を探している。
という状態になることがあります。
これはSNSだと、さらに起こりやすい気がします。
自分の話に、
「分かります。」
「それは相手がおかしい。」
「あなたは悪くない。」
という反応が集まる。
すると、それが多数派の意見に見えてくる。
でも当然、
投稿を見ている人たちは、
投稿された情報の範囲でしか判断できません。
切り取られた話に対して共感が集まり、
その共感によって、
さらに本人の中で物語が強くなっていく。
こういうこともあるんだと思います。
だから私は、人から何かを聞いた時、
できるだけ、
「これは、この人から見た話なんだ。」
と一度置くようにしています。
信じないという意味ではありません。
疑ってかかるという意味でもない。
ただ、
共感することと、事実認定することは別。
ここは分けた方がいいと思っています。
「それはしんどかったですね。」
とは言える。
でも、
「じゃあ相手が100%悪いですね。」
まで一気に進む必要はない。
この少しの余白が結構大事です。
そして最近、もう一つ感じることがあります。
同じ嫌な出来事が起きても、
それが人生のすべてになってしまう人と、
そこまで引きずらない人がいる。
この違いの一つが、
「他に居場所があるかどうか」
なんじゃないかと思っています。
例えば仕事で嫌なことがあった。
でも、
家に帰れば家族がいる。
会社とは関係のない友人がいる。
趣味の仲間がいる。
SNSでも違うつながりがある。
仕事以外にも挑戦していることがある。
そうすると、
会社で起きた出来事は、
「人生の中で起きた一つの出来事」
になります。
でも、その場所しかないと、
そこで起きた出来事が、
「人生そのもの」
に近くなってしまう。
これは結構大きな違いだと思います。
以前から書いている「余白」の話にも少し似ています。
人間関係にも、
余白が必要なのかもしれません。
一つの会社だけ。
一つのコミュニティだけ。
一人の人だけ。
そこに全部を預けてしまうと、
何かあった時の影響が大きくなる。
逆に、いくつか居場所があれば、
「まぁ、こんなこともあるか。」
と少し離れて見られる。
すると感情だけではなく、
「じゃあ自分はどうしよう?」
と考えやすくなる。
人から聞いた話も、
SNSで流れてきた話も、
そして自分自身が感じていることも、
切り取り方によって見え方は変わります。
だから、
一方向から見た景色だけで、
すべてを決めない。
少し離れて見る。
別の人の話も聞いてみる。
自分とは違う意見にも触れてみる。
そして、自分自身にも複数の居場所を作っておく。
「どっちが正しい?」
だけではなく、
「それぞれ、どこを切り取って話しているんだろう?」
と考えてみる。
そうすると、
人間関係の見え方は少し変わります。
そして何より、
一つの出来事や、一人の言葉に、
自分の感情全部を持っていかれにくくなる。
結局、人間関係でも大事なのは、
一方向だけで決めつけないための「余白」なのかもしれません。
今回もまた一つ、
『分かるぅ〜』
につながれば嬉しいです。
