政治家のSNSを見て思うこと|市民と政治家は、対等ではないのだろうか
最近、いろんな市議のSNSを見ていて、どうしてもモヤモヤすることがある。
最初は、「まあSNSの発言だし、そこまで権限があるわけでもない。気にしなくていいや」と思っていました。
でも、だんだん見ているうちに、不信感というか、疑問を抱くようになってきました。
私が気になっているのは、自分の意見に賛同する人にはきちんと対応するのに、自分に都合が悪い質問には答えないように見えることです。
賛同してくれる人や支援してくれる人には、ものすごく丁寧に対応する。
その後に、「今日は〇〇支援会へ参加しました」と仕事をした報告を投稿する。
そのギャップを見ていると、「この人たちに市民の生活を任せても大丈夫なのかな」と心配になりました。
市民にはいろんな人がいます。
中には癖のある人もいると思います。
もちろん、忙しかったり、悪意のある絡みにまで全て対応したほうがいいとは思いません。
でも、地元の政治家が、市民を「都合のいい市民」と「面倒な市民」に分けて対応するような姿勢でいいのかな、と私は思ってしまいます。
そして、「私の考え方がおかしいのかな」と不安になりました。
ただ、私がこれまで見てきた範囲では、議会などでは相手には厳しく説明や責任を求めるのに、自分自身がその規範を実践しているようには見えないことがあります。
自分に都合が悪いことを避けるのはみんな一緒なのに、相手には厳しく説明や責任を求めている。
そんなふうに、私の目には映ったのです。
私は別に、公職者に完璧な対応をしてほしいとまでは考えていません。
すべての市民から好かれる必要もないと思っています。
でもこれまでの対応を見ていると、「市議だから市民より偉い立場にいる」と考えているのかな?と感じてしまうことがあります。
選挙前には、あんなに「市民のために頑張ります!」と声を大きく叫んでいたのに、当選後は「政治家ですけど、何か?」と偉そうな態度に見えてしまう。
私は、市民と対等に意見を交わせる人が市議になってほしかった。
こちらの意見を伝えたら、「機嫌が悪くならないかな」と不安になってしまうような人には、政治家になってほしくない。
こういう空気があるから、民間企業の働く現場からは、いつまで経ってもパワハラはなくならないし、きつい仕事の給料だって上がらないんじゃないか。
そんなことまで、私は考えてしまいます。
そして、金持ちや大企業の社長など、政治家と繋がりがある人たちが得をする社会になっているんじゃないか、と感じてしまう。
こんなの民主主義でも、なんでもないじゃん。
そう思うくらい、最近は政治に対して憤りを感じています。
こんなことばかり繰り返していたら、私たちはどうやって政治を信頼したらいいんだろう。
完璧な政治家を求めているわけではありません。
ただ、誠実に向き合ってくれる人に政治を任せたい。
「こんなことを聞いたら怒られるかな」と、市民が萎縮しなくていい。
意見が違っても、対等に話ができる。
私が求めているのは、それだけなのです。
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