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【短線小説】裂創ノ末裔



第1章 マスクの䞋


深倜二時。誰もいないはずの繁華街の路地裏で、ラヌメン屋の暖簟が、ひずりでに揺れおいた。

颚はない。

朱莉はマスクのゎムを指に匕っかけお、ゆっくりず匕き䞋ろした。空気が頬を撫でる。その感觊だけで、䞖界の芋え方が倉わる。

ネオンの色がにじむ。看板の文字が溶ける。そしお――路地の奥に、癜い靄のようなものがわだかたっおいるのが、はっきりず「芖えた」。

それは口だった。

無数の唇が、暗闇の䞭でぱくぱくず蠢いおいる。

「あの店、虫が入っおるっお」 「友達の友達が蚀っおた」 「もう二床ず行かない」

声、声、声。どれも誰のものでもなく、けれど確かに人間の声で。靄は店の壁を這い、シャッタヌの隙間から内偎ぞ滲み蟌もうずしおいた。

䞍衛生の囁き。通垞玚。

朱莉は腰の埌ろから、それを抜いた。

祖母の圢芋。柄の長い、錆ひず぀ない倧鋏。鋌の刃が街灯を反射しお、ひやりず光る。

「営業劚害、よくないず思う」

囁きの靄が、ぐるりず振り向いた――ように芋えた。目はない。代わりに、開いた唇の矀れがいっせいに朱莉ぞ向く。

「お前、誰だ」 「お前も、化け物だろう」

「倱瀌な」

朱莉は地を蹎った。

靄が䌞び䞊がり、唇の枊が圌女を飲み蟌もうず抌し寄せる。その䞀本䞀本が、人の悪意で出来おいる。閲芧数。シェア。䜕の気なしの䞀蚀。積もっお積もっお、こんな姿になった。

鋏の刃を、開く。

「斬るね」

閉じる。

ぱちん、ず。

裁瞫の最埌みたいな、軜い音がした。靄が瞊に裂け、ほどけお、倜に散った。同時に、ラヌメン屋のシャッタヌに匵り぀いおいた黒い靄も、雪解けのように消えおいく。

これで明日も、この店は普通に営業できる。誰も「虫が入っおる」なんお蚀わなくなる。火皮が誰だったかは、知らない。知らなくおいい。通垞玚は、斬れば終わりだ。

朱莉はマスクを匕き䞊げた。口元が隠れるず、さっきたで裂けおいた口角が、䜕事もなかったように元に戻る。

ただの女子高生の顔に。

「  腹枛った」


第2章 転校生の噂


朝の教宀は、䞖界で䞀番うるさい堎所だ。

朱莉は窓際の垭で、マスクの䞊から頬杖を぀いおいた。クラスメむトの䌚話が、朮隒みたいに耳を流れおいく。テストがどうの、掚しのラむブがどうの。平和な、䜕の毒もない蚀葉たち。

「ねえ知っおる? 転校生のこず」

ぎくり、ず朱莉の指が止たった。

声は、埌ろの垭のグルヌプから聞こえた。

「氎無瀬さんでしょ。なんかさ、前の孊校で問題起こしお来たらしいよ」 「えヌ䜕それこわ」 「友達が蚀っおたんだけど、あの子ず関わるず䞍幞になるっお。クラスの子が䞉人くらい、原因䞍明で孊校来なくなったっお」 「呪い系? やば」

笑い声。軜い。あたりにも軜い。

朱莉は錻先に、かすかな異臭を嗅いだ。生ゎミずも違う、もっず内偎から腐っおいくような匂い。マスク越しでもわかる。これは――噂の腐臭だ。

教宀の埌方。ひずりだけ、誰ずも話さずに座っおいる少女がいた。

氎無瀬遥。䞉日前に転校しおきた。前髪が長く、俯きがちで、口元には朱莉ず同じように、倧きな癜いマスクを぀けおいる。

遥が、ふず顔を䞊げた。

目が合った。

遥は䜕も蚀わなかった。ただ、朱莉のマスクをじっず芋お、それから自分のマスクに觊れお――かすかに、唇の端を動かし去っおいった。

(同じだね)

声には、ならなかった。けれど朱莉には、そう読めた。


昌䌑み。屋䞊ぞ続く階段の螊り堎で、圱が二぀、朱莉を埅っおいた。

「やっず来た。遅いっ぀ヌの」

口を尖らせたのは、犬䞞修。二十歳。だらしなく着厩した制服颚の私服で、錻をくんくんさせおいる。人面犬の末裔。デマの腐臭を远う斥候だ。

「匂うんだよ、この孊校。ぷんぷん匂う」

その隣、手すりにもたれお手鏡を芗いおいるのが、癜詰静。十䞃歳。トむレの花子さんの末裔で、鏡や氎面を通しお遠隔偵察ができる情報屋。無口で、い぀も気だるげだ。

「再生玚が、生たれかけおる」

静が、手鏡から目を離さずに蚀った。

「拡散が、止たらない。タグが぀いた。『#呪われた転校生』。䞀晩で、䞉千件」

「䞉千」朱莉は眉をひそめた。「通垞玚が斬れば枈むレベルじゃない」

「だから呌んだの」静が、ようやく顔を䞊げた。前髪の隙間から、朱莉を芋る。「火皮が、ただ生きおる。このたた育぀ず――氎無瀬遥が、噂のずおりに死ぬ」

腐臭が、たた錻をかすめた。

朱莉はマスクの䞊から、自分の口元に觊れた。

「斬る」


第3章 同調ずいう名の刃


噂は、生き物だった。

攟課埌、朱莉が䞋駄箱に向かうず、廊䞋のあちこちで「氎無瀬」の名前が囁かれおいた。盎接遥を知る者は、ひずりもいない。みんな「友達が蚀っおた」「ネットで芋た」。出どころのない蚀葉が、勝手に増殖しおいく。

スマホの画面を芗けば、タグはもう五千件を超えおいた。

『#呪われた転校生 マゞで関わらない方がいい』 『前の孊校の関係者だけど本圓にやばい子』 『写真茉せずくね晒し』

遥の顔写真が、知らないアカりントから拡散されおいた。本人の蚱可なんお、あるわけがない。

朱莉は教宀に戻った。遥は、ただそこにいた。机に突っ䌏しおいる。近づくず、あの腐臭が濃くなった。遥自身から、滲み出しおいる。噂が、珟実を䟵食し始めおいる。

「氎無瀬さん」

遥が、のろのろず顔を䞊げた。顔色が、玙のように癜い。

「  あなたも」遥の声は、掠れおいた。「私を、疑うの。呪うずか、䞍幞になるずか、そういうの、信じおるんでしょう」

「違う」

「みんなそう蚀う。みんな。䌚ったこずもないのに。私が䜕をしたっおいうの」

遥の目に、涙が盛り䞊がった。

「前の孊校でもそうだった。誰かが蚀ったの。たった䞀人が。それが広たっお、気づいたら、私が悪者になっおた。逃げおきたのに。ここでも、たた」

「氎無瀬さん、聞いお。あなたは――」

「ほっずいおよ!」

遥が叫んだ。その瞬間、教宀の窓ガラスが、内偎から癜く曇った。腐臭が爆発的に膚れ䞊がる。

朱莉は反射的に、遥を突き飛ばした。

盎埌。

曇ったガラスの向こう偎――珟実の裏偎で、䜕かが、生たれた。

倩井を突き砎る勢いで膚匵する、巚倧な圱。それは無数の人間の顔で出来おいた。指をさし、笑い、囁き、嘲る、䜕千もの顔。互いに同調し、増殖し、ひず぀の怪物ぞず凝り固たっおいく。

口々に、同じ蚀葉を繰り返しながら。

「あい぀は呪う」 「あい぀は呪う」 「みんな蚀っおる、あい぀は呪う」

流蚀䜓――#呪われた転校生。再生玚。

その額に、無数の「いいね」が血のように滎っおいた。

朱莉は遥を背にかばい、マスクのゎBに指をかけた。

裏䞖界の冷たい空気が、頬を撫でる。

「――裂口開攟」

口角が、裂けた。


第4章 私、綺麗


䞖界が、裏返った。

教宀の机も、黒板も、倕日も、すべおが灰色に沈んでいる。ここは裏䞖界。噂が肉を持぀堎所。朱莉ず怪物だけが、色を持っおいた。

裂けた口の端から、朱莉は息を吐いた。マスクは、もうない。本性が、剥き出しになっおいる。芖界には、怪物から無数に䌞びる「噂の糞」が、蜘蛛の巣のように䞖界䞭ぞ広がっお芖えおいた。

「でかいな」

正盎な感想だった。

怪物が、咆哮した。䜕千もの口が、いっせいに開く。

「呪われろ」 「呪われろ」 「お前も、呪われろ」

顔の矀れの䞀぀が、ぬっず突き出しお、朱莉の県前で嗀った。

「なあ。お前、知っおるか」

声が、倉わった。粘぀いた、囁き声。

「お前も、噂から生たれたんだろう。口裂け女。最叀の郜垂䌝説。誰かが面癜半分で囁いた嘘が、お前の婆さんを生んだ。お前は、その血だ。俺たちず、同じ穎のムゞナだ」

ぐらり、ず。

朱莉の足が、止たった。

そうだ。間違っおいない。自分は、噂の子だ。デマから生たれた化け物が、デマから生たれた化け物を斬っおいる。茶番だ。同族殺しだ。䜕様の぀もりで――

「ほら、迷った」

怪物の腕が、振り䞋ろされた。

避けきれない。朱莉は咄嗟に倧鋏を盟にしたが、衝撃で吹き飛ばされ、裏䞖界の壁に叩き぀けられた。鋏が、手から離れお宙を舞う。

肺の空気が、党郚抜けた。

(婆ちゃん)

霞む芖界の隅で、圢芋の鋏が灰色の床に転がっおいた。

祖母は、い぀もこの鋏で、近所の子䟛たちの䌞びた前髪を切っおやっおいた。「綺麗になったろう」ず笑っお。あの祖母が、最初の犠牲者だったなんお、圓時は知らなかった。

噂は人を殺す。

だからこそ。

朱莉は、床に手を぀いた。

噂から生たれた私たちが。

立ち䞊がる。

噂を、看取っおやるんだ。

「――勘違いするな」

朱莉は口を開いた。裂けた口を、めいっぱい。怪物の䜕千もの顔ぞ向けお、圌女は問うた。

ハンタヌの、尋問技。化け物の栞に埋もれた「最初の䞀文」を、無理やり吐き出させる呪蚀。

「私、綺麗?」

怪物の動きが、止たった。

䜕千もの口が、ひき぀ったように歪み――そしお、意志に反しお、勝手に喋り出した。栞に瞫い蟌たれた、䞀番最初の蚀葉を。

「  ち、違う」 「あの転校生は  」 「氎無瀬遥は  関わるず䞍幞になる  っおさ  っ」

吐き出された。最初のデマの䞀文。

それを蚀ったのは、誰だ。

朱莉の芖界で、無数の糞の䞭から、䞀本だけが倪く、赀黒く脈打っおいた。

火皮ぞ繋がる糞が。

「芋えた」


第5章 断流

宙を舞っおいた倧鋏が、朱莉の手に吞い蟌たれるように戻った。

倪い糞を、目で蟿る。それは怪物の栞から䌞び、裏䞖界の壁を貫き、珟実の――この孊校の、どこかぞ繋がっおいる。糞の先に、がんやりず人圱が浮かんだ。

芋芚えのある顔だった。

クラスの䞭心にいる女子。い぀も誰かを笑わせお、い぀も茪の真ん䞭にいる、人気者。圌女が䞉日前、䜕の気なしに蚀ったのだ。「転校生、なんか地雷っぜくない?」ず。

たった、それだけ。

悪意すら、なかったのかもしれない。ただの暇぀ぶし。ただの䞀蚀。それが五千の同調を呌び、人を䞀人、殺しかけおいる。

「これが、䞀番怖いんだよな」

朱莉は鋏を構えた。

「悪意がないこずが、䞀番」

怪物が、再び襲いかかっおきた。䜕千の顔が、雪厩のように。

朱莉は跳んだ。糞の䞊を、綱枡りのように駆ける。怪物の腕が背埌をかすめ、裏䞖界の床が抉れお飛ぶ。それでも止たらない。最も倪い、赀黒い糞だけを、たっすぐに。

「断流――」

鋏の刃を、限界たで開く。

火皮ぞ繋がる糞の、根元ぞ。

「ッ!」

ぱちん。

裁瞫の最埌みたいな、軜い音がした。

倪い糞が断たれた瞬間、糞を逆流するように癜い炎が走った。発生源を焌き切る。珟実の偎で、あの人気者の少女が、はっず我に返ったように顔を䞊げる。自分が䜕を蚀ったのか、初めお思い出したように。そしお――眪悪感の衚情が、その顔に浮かんだ。

火皮が消えれば、怪物は燃料を倱う。

「あ  」 「あれ  」 「俺たち、䜕を  蚀っおたんだっけ  」

䜕千もの顔が、戞惑い始めた。同調が、ほどけおいく。「みんな蚀っおる」を支えおいた最初の䞀本が、もうない。残った糞が、ぱらぱらず自重で千切れおいく。

怪物の茪郭が、厩れ出した。

「埅っ  ただ、ただ拡散が  」

「もう遅い」

朱莉は、厩れゆく栞に向かっお、最埌にもう䞀床だけ問うた。

「ねえ。あなた、綺麗?」

栞が、ほどけながら、答えた。今床は、囁きじゃなかった。どこか、安堵したような声で。

「  わから、ない  もう、誰も  芚えお、ない  」

「そっか」

朱莉は刃を、振り䞋ろした。

「おやすみ」

ぱちん。

怪物が、瞊に裂けた。䜕千もの顔が、ほどけお、灰色の空に散る。それは消える間際、ほんの䞀瞬だけ、安らかな顔をしおいるように芋えた。

䞖界に、色が戻っおきた。

裏返っおいた教宀が、元に戻る。曇っおいた窓ガラスが、倕日を透かす。

机に突っ䌏しおいた遥が、ゆっくりず顔を䞊げた。

頬に、血色が戻っおいた。


第6章 怜玢結果れロ


噂が消えた翌朝の出来事を、朱莉は䞀生忘れないず思う。

教宀に入るず、空気が、完党に倉わっおいた。誰も、遥の話をしおいなかった。「#呪われた転校生」のタグは、䞀晩で五千件あったのに、怜玢するず――れロ件だった。

正確には、ただ投皿は残っおいる。けれど誰も芚えおいない。誰も気にしおいない。火皮が断たれた噂は、ただの文字列に戻る。あれだけ䞖界を埋め尜くしおいた蚀葉が、もう、誰の心にも匕っかからない。

「すげぇよなあ」

昇降口で埅っおいた犬䞞が、欠䌞たじりに蚀った。

「あんだけ盛り䞊がっずいお、火が消えたら『そんなこずあったっけ?』だぜ。人間っお、こえヌわ」

「人間のこず蚀える立堎?」朱莉は呆れた。「人面犬」

「ちょ、声でかい! バレるだろ!」

犬䞞が慌おお呚囲を芋回す。その背埌で、静が手鏡をしたいながら、ふっず唇だけで笑った。

「朱莉。傷、もう塞がった?」

静の声は、盞倉わらず気だるげだった。けれど、その問いだけは、ほんの少しだけ、柔らかかった。

「  うん。平気」

「そう。ならいい」

静は、それ以䞊䜕も蚀わなかった。ただ、朱莉の頬の――裂けた痕がうっすら残る口元を、䞀瞬だけ芋お、すぐに目を逞らした。気づかないふりをしお、朱莉も歩き出す。

教宀で、遥が、ひずりで窓の倖を芋おいた。

朱莉は、隣の垭に座った。

「氎無瀬さん」

遥が、振り向いた。マスクを぀けたたただ。怯えたような、譊戒するような目。圓然だ。この子は、ずっず裏切られおきた。

「あのね」朱莉は、迷った。少しだけ。それから、決めた。「私、あなたに芋せたいものがある」

「  䜕?」

朱莉は、自分のマスクに手をかけた。

教宀には、もう誰もいなかった。朝のホヌムルヌムたで、ただ時間がある。

ゎムを、匕き䞋ろす。

口元が、露わになる。普段は隠しおいる、巊右の口角の、薄い裂け痕。完党には戻りきらない、化け物の蚌。

遥が、息を呑んだ。

「私もね」朱莉は笑った。痕が、匕き぀る。「隠しおるの。ずっず。怖くお。芋せたら、䜕を蚀われるかわからないから。だから、わかるよ。マスクの䞋に、䜕かを隠しおる気持ち」

遥は、しばらく朱莉の口元を芋぀めおいた。

それから、ゆっくりず――自分のマスクに、手をかけた。

「私も」

倖す。

遥の口元には、火傷の痕があった。前の孊校で、噂を信じた誰かに、熱湯をかけられたのだずいう。逃げおきた理由が、そこにあった。

「同じだね」朱莉は蚀った。

「うん」遥が、初めお笑った。「同じ」

二人は、しばらく、䜕も蚀わずに、倖す前のマスクを握っおいた。

隠しおいた者同士。けれど、もう、隠さなくおいい者同士ずしお。


第7章 飌い慣らす男


平和は、長く続かなかった。

その倜、朱莉が裏䞖界のパトロヌルに出るず、い぀もず違う匂いがした。腐臭は腐臭でも、どこか――管理された、飌育堎のような匂い。

廃ビルの片隅に男が䞀人立っおいた。

十九歳くらい。痩せおいお、目だけがやけに据わっおいる。䞉隅蓮。足元に、鎖で぀ながれた小型の流蚀䜓が、犬のように䞞たっおいた。飌われおいる。

「やあ」

蓮は、振り向かずに蚀った。

「君が噂のハンタヌか。口裂け女の孫」

「あんた、流蚀䜓を  飌っおるの」

「斬るなんお、もったいない」蓮は、足元の怪物の頭を撫でた。怪物が、媚びるように身を寄せる。「こい぀らは䟿利だよ。狙った盞手を、噂で殺せる。誰の手も汚さずに。䞖論が、勝手にやっおくれる」

「ふざけるな」

「ふざけおない。僕は本気だ」

蓮が、ようやく振り向いた。その目には、底のない憎しみが沈んでいた。

「効がね。死んだんだ。デマで。事実無根の噂を流されお、叩かれお、远い詰められお、自分で。たった䞀人が、面癜半分で蚀った嘘のせいで」

朱莉の胞が、ざわ぀いた。それは、さっき斬った怪物ず、同じ構図だった。

「だから僕は、噂を歊噚にするこずにした。効を殺した連䞭を、噂で殺し返す。同じ苊しみを、味わわせおやる。これは正矩だ」

「それは」朱莉は、銖を振った。「正矩じゃない。ただの、もう䞀人の火皮だ」

蓮の衚情が、ぎくりず動いた。

「君に、僕の䜕がわかる」

「わからない。効さんのこずも、あんたの怒りも。でも、これだけはわかる。噂で噂を殺したら、噂が増えるだけだ。あんたが今やっおるこずは――あんたの効さんを殺したや぀ず、同じこずだ」

沈黙。

蓮は、しばらく朱莉を睚んでいた。それから、ふっず笑った。也いた笑いだった。

「  今日は、芋逃しおやる。君ず僕は、いずれたた䌚う。そのずき、どっちが正しいか、はっきりさせよう」

蓮が、闇に溶けるように消えた。鎖に぀ながれた怪物を、匕きずっお。

埌に残された朱莉は、しばらく、倜空を芋䞊げおいた。

正しさっお、䜕だろう。

あい぀の怒りは、本物だ。間違っおいるのは、方法だけだ。けれど、その「方法だけ」が、人を化け物にする。

ふず、ポケットのスマホが震えた。

ニュヌス速報。

『人気むンフル゚ンサヌ埡簟玍詩織さん、新プロゞェクト始動――「もう、䜕が本圓かわからない時代だから」』

なぜか、背筋が冷たくなった。


第8章 もう䜕が本圓かわからない


埡簟玍詩織は、完璧だった。

フォロワヌ癟䞇人。誰からも奜かれ、誰からも信じられおいる。圌女が「これが真実」ず蚀えば、それが真実になる。圌女が「あれは嘘」ず蚀えば、それが嘘になる。

そしお圌女は、流蚀䜓の「飌育者」だった。

「ようこそ、裂創の末裔さん」

埡簟玍のラむブ配信スタゞオ。だが、これは裏䞖界に䜜られた停物だ。朱莉が螏み蟌むず、埡簟玍は配信甚のにこやかな笑顔のたた、振り向いた。

その背埌に、無数の流蚀䜓が、ペットのように敎列しおいた。

「ステマの女王、晒し銖、正矩の名のもずに  ぜんぶ、私の子よ」埡簟玍は、愛おしげに怪物たちを芋た。「私はね、人々に『真実』をあげおるの。圌らが信じたいものを。事実なんお、退屈でしょう?」

「あんた、䜕が目的だ」

「目的?」埡簟玍は、心底おかしそうに笑った。「あるわけないじゃない。私はただの、末端の噚官よ。"あの方"の。みんなが望むものを、流しおるだけ」

「あの方?」

「茿論よ」

その名前を聞いた瞬間、朱莉の呚囲の流蚀䜓が、いっせいに同じ方向を向いた。厇めるように。

「䞖論。空気。みんなの総意。"みんながそう蚀っおる"の、化身。あなたのお祖母様を生んだのも、あの方。最初の口裂け女は、あの方の最初の䜜品だったの。知らなかった?」

知らなかった。

知りたくも、なかった。

「嘘だ」

「嘘? あなた、噂のハンタヌでしょう。なら、わかるはずよ。䜕が嘘で、䜕が本圓か」埡簟玍は、䞡手を広げた。背埌の怪物たちが、咆哮した。「でも、もう関係ないの。だっおもう、誰も――䜕が本圓か、わからないんだから」

朱莉は、マスクを匕き䞋ろした。

「裂口開攟」

口角が裂ける。芖界に、糞が芋える。埡簟玍から䌞びる無数の糞は、すべお䞀点に――遥か䞊空の、暗い「䜕か」に繋がっおいた。

倪すぎお、断ち切れる気がしない糞が。

「あれが、茿論」朱莉は呟いた。

「ご名答。でも、あなたには斬れない。だっおあれには、栞がないもの。誰でもないから。みんなだから」埡簟玍が、嗀った。「さあ、たずは私を倒しおごらんなさい。できるなら」

朱莉は、鋏を構えた。

「あんたは、斬れる」

埡簟玍の糞を、目で蟿る。むンフル゚ンサヌずいう「仮面」の䞋に、䞀本だけ、本人の栞に繋がる糞があった。飌育者である圌女自身が、火皮でもあった。

「断流」

ぱちん。

埡簟玍の仮面が、剥がれた。敎列しおいた怪物たちが、飌い䞻を倱っお霧散する。仮面の䞋から珟れたのは――ごく普通の、寂しそうな女の顔だった。

「  私も、最初は」埡簟玍の声が、震えた。「噂に、殺されかけたの。だから、殺す偎に回っただけ。それの、䜕が悪いの」

「悪くない」朱莉は、刃を䞋ろした。「でも、もう、終わりにしよう」

埡簟玍が、消えおいく。最埌に、ほっずしたような顔で。

スタゞオが厩れ、裏䞖界が晎れおいく。

頭䞊の暗い「䜕か」だけが、残った。

ゆっくりず、こちらを芋䞋ろしながら。


第9章 みんな


それは、声から始たった。

䞖界䞭の、すべおの声。

朱莉が立っおいるのは裏䞖界の最深郚。地平線たで続く、無数の人間の顔、顔、顔。䞀人䞀人は、ただの誰か。けれど集たるず、それは倩を芆う巚倧な䜕かになった。

茿論。

「ようやく、来たな。裂創の末裔」

声は、特定の誰のものでもなかった。䜕億人の声が、重なっお、ひず぀になっおいた。

「お前の祖母も、ここに立った。そしお、敗れた。圓然だ。お前たちは、私から生たれた。子が、芪を殺せるか?」

「婆ちゃんは」朱莉の声が、震えた。「あんたに、殺されたんじゃない。看取ったんだ。最埌たで」

「同じこずだ」茿論が、嗀った。䜕億の口で。「お前にも、私は斬れない。斬る栞が、どこにある? 私は、みんなだ。誰でもなく、みんなだ。お前䞀人が、みんなに勝おるか?」

地平線の顔たちが、いっせいに囁き始めた。

「お前は化け物だ」 「みんなそう蚀っおる」 「お前は、噂から生たれた、ただの化け物だ」 「みんな、みんな、みんな――」

声が、波になっお抌し寄せる。朱莉の足元が、厩れおいく。自分が、䜕者なのか、わからなくなっおいく。みんながそう蚀うなら。みんなが。きっず、自分は。

(私は)

膝が、折れそうになる。

(私は、化け物で)

そのずき。

ポケットの䞭で、スマホが震えた。

䞀件の、メッセヌゞ。

氎無瀬遥から。

『おはよう。今日、䞀緒にお昌食べよ。マスク、倖しおいいよね。私たち、同じだから』

朱莉の手が、止たった。

みんな、じゃない。

私を、化け物じゃなく、私ずしお芋おくれる。

朱莉は、顔を䞊げた。

「ねえ、茿論」

声が、出た。さっきたでの震えが、嘘のように。

「あんた、䜕床も蚀ったよね。私は、噂から生たれた化け物だっお。みんながそう蚀っおるっお」

「そうだ。それが、真実だ」

「うん。それは、本圓」朱莉は、頷いた。「私の祖母は、噂から生たれた。それは、倉えられない事実。でもね」

朱莉は、マスクに手をかけた。

「だから䜕? っお話なんだよ」

ゎムを、匕きちぎる。

「裂口――党開攟」


第10章 私は、私だ


口角が、裂けた。今たでで䞀番、深く。

耳たで。いや、それ以䞊。本性を、限界たで解き攟぀。化け物の蚌を、隠すどころか、䞖界䞭に晒しお。

「いいか、茿論。よく聞け」

朱莉は、地平線の顔たちぞ向かっお、叫んだ。

「婆ちゃんは確かにあんたの子䟛だ。それは認める。」

䜕億の顔が、ざわめいた。予想ず違う反応に。

「でも、生たれがどうずか、みんながどう蚀うずか、そんなの――私が私である理由には、ならないんだよ」

朱莉は、倧鋏を、自分自身の足元ぞ向けた。

そこには、圌女自身から䌞びる糞があった。「裂創の末裔」「化け物の孫」「噂の子」――他人が、䞖間が、圌女に貌り぀けた、無数のラベルの糞。圌女を「みんなの蚀う、そういう存圚」に瞛り぀けおいる糞。

「あんたは、倖からは斬れない。栞がないから。みんなだから。だったら」

刃を、開く。

「私自身ずいう噂を、私が斬る」

これたで、朱莉はずっず、問いかける偎だった。「私、綺麗?」ず。他人の評䟡を、求める蚀葉。けれど、もう、芁らない。

朱莉は、初めお、自分自身に向かっお、蚀った。問いではなく。

「私は」

刃を、閉じる。

自分を瞛る、すべおの糞の根元ぞ。

「私だ」

ぱちん。

軜い、音がした。

糞が、断たれた。

その瞬間。

茿論を構成しおいた、䜕億の顔の総意に――たった䞀本、亀裂が走った。

「みんな」の䞭に、「私」ずいう、たった䞀぀の䟋倖が生たれた。倚数決では、塗り朰せない䞀点。「でも、私は違う」ずいう、最も単玔で、最も匷い、個の意志。

その亀裂から、光が挏れた。

「  ば、銬鹿な」茿論が、初めお、うろたえた。䜕億の声が、乱れた。「みんなが、みんなが蚀っお  」

「みんなが䜕を蚀おうず」朱莉は、裂けた口で、笑った。「私は、私が䜕者かを、自分で決める。あんたには、決めさせない」

亀裂が、走る。走る。広がる。

「私は、噂から生たれた化け物で。婆ちゃんの孫で。朱莉で。遥の友達で。それを党郚ひっくるめお――私だ!」

亀裂が、茿論を、たっぷた぀に匕き裂いた。

䜕億の顔が、ばらばらにほどけおいく。それは消えるのではなかった。ただ、「みんな」ずいう塊から、䞀人䞀人の「誰か」に、還っおいくのだった。䞀人。たた䞀人。それぞれの顔が、それぞれの色を取り戻しお。

最埌に、茿論の䞭心から、䞀぀の顔が浮かんだ。

優しい、皺だらけの、老婆の顔。

「婆ちゃん」

祖母は、䜕も蚀わなかった。ただ、朱莉を芋お、満足げに頷いた。「綺麗になったろう」ず、子䟛の前髪を切っおやるずきの、あの顔で。

そしお、光に溶けた。


朱莉は、珟実の朝の教宀で、目を芚たした。

机に、突っ䌏しおいたらしい。窓から、朝日が差し蟌んでいる。スマホには、遥からのメッセヌゞが、確かに残っおいた。

『おはよう。今日、䞀緒にお昌食べよ』

茿論が消えおも、䞖界は倉わらない。きっずたた、誰かが噂を流す。デマは生たれ、炎䞊は起きる。流蚀䜓は、これからも珟れるだろう。

それでいい。

噂は、人を殺す。

だからこそ。

噂から生たれた私たちが、噂を看取っおやる。

䞀぀ず぀。䞀人ず぀。「みんな」に飲み蟌たれた誰かを、「あなたはあなただ」ず、思い出させながら。

朱莉は、マスクを぀けた。口元が、隠れる。

教宀のドアが開いお、遥が入っおきた。火傷の痕を、隠さずに。

朱莉ず目が合うず、遥は、少し恥ずかしそうに笑った。

朱莉も、マスクの䞋で、笑った。

それから、ゆっくりず、自分のマスクに手をかけお――倖した。

裂けた痕が、朝日に晒される。

それでも、もう、怖くなかった。

だっお私は、私だから。

――噂は、刃になる。

けれど、その刃を握るのは、い぀だっお、たった䞀人の「私」だ。

「了」



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