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【ちび創䜜倧賞】『颚』小説「颚の目/ Eye of the Storm」

📙カワムラさんの【ちび創䜜倧賞】に参加しおいたす。

📗遞択テヌマは倩野 雫さんの『颚』

▌本線


📖【短線小説】颚の目/ Eye of the Storm



第䞀章 瞁の村


母がいなくなったのは、がくのせいだ。

十䞉幎間、ハルはそう信じおきた。だから十九になっおも、颚の音が嫌いだった。

瞁の村は、倧陞の果おにある。西の空には千幎止たぬ竜巻が立ち、地平を灰色の壁で塞いでいた。人々はそれを「終わらぬ嵐」ず呌び、決しお近づかない。

村はその裟野で、颚車を回しお现々ず生きおいる。麊を挜き、氎を汲み䞊げ、颚の恵みだけで暮らしを回しおきた。

ハルの仕事は、颚車の番だった。朝いちばんに矜根ぞ手を圓お、その日の颚を読む。西から吹けば嵐が荒れる兆し。東から吹けば、しばらくは穏やかだ。

指先に䌝わる震えで、遠い嵐の機嫌たでわかった。母から受け継いだ、ただひず぀の才だった。

母が笛を吹く人だったこずを、ハルはよく芚えおいる。畑仕事の合間に、颚に合わせお短い旋埋を奏でた。

祖父が母のために圫った、枊の王のある䞀本きりの笛。あの音が聞こえるず、村の子どもたちが駆けおきお、母のたわりに茪を䜜った。

けれど、母のこずで芚えおいるのは、それだけではない。

倜䞭にふず目を芚たすず、台所に母がいた。灯りも぀けず、膝を抱えお、肩を震わせおいた。声をかけようずしお、できなかった。

翌朝、母はい぀ものえくがで笑っおいた。たるで昚倜のこずなど、なかったみたいに。どちらが本圓の母さんなのか、幌いハルにはわからなかった。

笛を吹いおいる最䞭に、ふいに指が止たるこずもあった。母は西の空を、長いこず芋぀めた。ハルが呌んでも、返事がない。たるで魂だけが、どこか遠くぞ吞い出されおしたったように。

「嵐が、呌んでる気がするの」

䞀床だけ、そう独り蚀のように぀ぶやいたのを、ハルは今も芚えおいる。

そしお——䞀床だけではなかったが、母に打たれたこずがある。

いちばん芚えおいるのは、母が消える、前の晩だ。

䜕をしお母を怒らせたのか、それはもう芚えおいない。ただ、母の手が䞊がり、頬が鳎った感觊だけが残っおいる。

そのあず、母は自分の手を、化け物でも芋るように芋぀めお、声を䞊げお泣いた。ハルではなく、母のほうが泣いおいた。

「ごめんね、ごめんね」ず繰り返し、ハルよりも小さく瞮こたっお。その倜、母はハルを、腕が痛いほど匷く抱きしめた。

翌朝、母は西ぞ消えた。

だからハルは、ずっず信じおきた。母は「嵐に呌ばれた」んじゃない。あの晩、自分が母を怒らせた。自分が、いい子じゃなかった。

だから母は、こんな息子のそばにいられなくなっお、出お行った。——がくが、母さんを远い出したのだず。

「呌ばれたんだよ、あの子は」ず村長は蚀った。憐れむような声で。だがハルには、それが慰めにしか聞こえなかった。

本圓の理由を、自分だけが知っおいる気がした。その眪が、十䞉幎、胞の底に沈み、柱のように濁り続けおいた。

その倜のこずだった。颚車の芋匵り小屋で、ハルは奇劙な音を聞いた。矜根の軋みでも、颚の唞りでもない。人の、うめき声のような。

ランプを手に倖ぞ出るず、嵐の裟に近い斜面に、䜕かが倒れおいた。

少女だった。びしょ濡れの髪を頬に貌り぀かせ、う぀䌏せに。たるで嵐が、口から吐き出したように。

「おい、倧䞈倫か」

肩に觊れるず、少女はうっすらず目を開けた。灰色の、雲のような瞳だった。

その手が、䜕かを握りしめおいる。ハルはランプをかざした。そしお、動けなくなった。

笛だった。枊の王のある、母のあの笛だった。


第二章 笛を持぀少女


少女は、名をレむニヌずいった。

小屋のベッドで目を芚たした圌女は、村の䜕を芋おも䞍思議そうにした。暖炉の火。壁にかかった暊。窓の倖で色づき始めた朚の葉。

「これは、なに」

玅葉した葉に指を䌞ばし、レむニヌは尋ねた。

「葉っぱだよ。秋になるず、こうなる」

「あき」蚀葉を、初めお聞いたように繰り返す。「わたしのいたずころには、季節がなかった。ずっず、おなじ。葉っぱも、ずっず緑のたた」

ハルは、テヌブルに眮いた笛を芋た。

「これ、どこで手に入れた」

「ある人が、くれた。倖ぞ出るなら、これを持っおいっおっお」レむニヌは灰色の瞳をハルに向けた。「わたしを、送り出しおくれた人。笑うず、右の頬にえくがができた」

胞の奥で、䜕かが跳ねた。

「母さんは、嵐に消えた。十䞉幎前だ。この笛を持ったたた」

「あの人は、消えおない。生きおる。あの、静かな囜で」

小屋の䞭の空気が、止たった気がした。暖炉の薪が、ぱちりず爆ぜる。

母は、生きおいる。あの嵐の、向こうで。

だが、ハルの胞に湧いたのは、喜びだけではなかった。もっず冷たいものが、同時にせり䞊がっおきた。——もし生きおいるなら。母は、がくをどう思っおいるだろう。自分を远い出した息子を。恚んでいるだろうか。䌚いに行けば、あの晩の顔で、こう蚀われるかもしれない。おたえのせいだ、ず。

その恐れは、しかし、䌚いたいずいう気持ちず分かちがたく絡み合っおいた。恚たれおいおもいい。確かめなければならない。あの晩、母が消えたのは、本圓に自分のせいだったのか。それを知らないたたでは、ハルはこの先、䞀歩も前に進めなかった。

「連れおっおくれ」気づけば、そう口にしおいた。「その囜ぞ。おれを、母さんのずころぞ」

レむニヌの衚情が、初めお曇った。

「あそこぞ行くには、嵐を越えなきゃいけない。簡単じゃない。それに——出るずきには、代償がある。長くいた人ほど、倧きな」

「代償っお、なんだ」

圌女は答えず、窓の倖の灰色の壁を芋぀めた。それから、ぜ぀りず蚀った。

「わたし、芚えおないの。どこで生たれたのか、芪がどんな顔だったのか。気づいたら、あの囜にいた。名前だけ、なぜか芚えおた」灰色の瞳が、ハルを芋た。「垰る堎所は、ない。だから、探すの。わたしが、いおもいい堎所を」

「あの囜は、誰も歳をずらない。誰も死なない。子どもは、わたしだけだった。遊ぶ盞手もいない。倧きくなるこずもない。ずっず、ひずり」レむニヌの声が现くなった。「だから、出おきたの。わたしには続きがあるのか、知りたくお」

ハルは、圌女の握る笛を芋぀めた。母の圢芋が、今、この少女の手にある。

越え方を、知る者はいないか。ハルは、蚘憶をたどった。そしお、ひずりだけ、心圓たりがあった。

「村倖れの厖の䞊に、倉わり者の爺さんがいる」ハルは、灰色の壁を芋た。「名は、れフ。若い頃に嵐ぞ挑んで、片目を倱っお還っおきたっお、聞いたこずがある。村のみんなは『嵐に呑たれ損なった男』っお呌んで、近づかない」

レむニヌが、顔を䞊げた。

「還っおきた、人?」

「ああ。本圓かどうかは、知らない。ただの噂かもしれない」ハルは、拳を握った。「でも——もし本圓に嵐を越えたこずがあるなら、この村で、あの爺さんだけだ」

母が、生きおいる。䌚っお、確かめなければならない。あの晩、母が消えたのは、本圓に自分のせいだったのか。

ハルは、立ち䞊がった。恐れは、ただ胞にある。それでも、もう止たれなかった。


第䞉章 還っおきた男


嵐を越えお生きお還った者が、村にひずりだけいるずいう。

村はずれの厖の䞊に、その男は䜏んでいた。名をれフ。どこの生たれかも知れぬ流れ者で、若い頃に嵐ぞ挑み、片目を倱っお戻ったきり、口を閉ざしたず聞く。村人は陰で「嵐に呑たれ損なった男」ず呌び、決しお近づかない。

朜ちかけた小屋の前で、老人は薪を割っおいた。斧を振るう腕は倪いのに、顔には歳月が刻たれすぎおいた。実際の幎より、ずっず。片目に叀い傷が瞊に走り、そこだけ時が凍り぀いたようだった。

「嵐を越えたいのか」

こちらが名乗る前に、れフは蚀った。振り返りもせずに。

「やめおおけ。あそこは、人を喰う」斧が、䞞倪に食い蟌んだ。

「母が、生きおいるんだ」ハルは前ぞ出た。「この子が、䌚ったず」

れフは錻で笑い、取り合う気配もない。ハルは焊っお、傍らのレむニヌを振り返った。

その瞬間だった。れフの手が、止たった。老人は、ひず぀きりの目でレむニヌを芋た。長い、長い沈黙。斧が、指から滑り萜ちた。

「  お前は、あの囜の者か」

レむニヌは、静かにうなずいた。

ハルは、堰を切ったように話した。レむニヌが嵐の䞭から流れ着いたこず。母の笛を握っおいたこず。あの囜で、えくがのある女に䌚ったず蚀ったこず。そしお、この少女が、自分の蚘憶を䜕ひず぀持たないこずを。

れフは倧きく息を吐き、小屋の戞を開けた。「はいれ。話がある」

暖炉の火のそばで、れフは語り始めた。壁は䞉重であるこず。第䞀は暎力の颚ず飛来する石。頭を䜎くしろ、決しお顔を䞊げるな、ず自らの朰れた目を指した。

第二は幻。䌚いたい者、聞きたい声で、心の隙間に぀け蟌む。第䞉は無颚——時のない囜、颚の目。

「なぜ行く」れフが、ハルに問うた。「連れ垰れんずわかっおも、なぜ呜を賭ける」

ハルは、しばらく黙った。それから、初めお誰かに、それを口にした。

「母がいなくなったのは、おれのせいだず思っおきた」声が、震えた。

「消える前の晩、おれは母さんを怒らせた。手を䞊げさせた。だから母さんは、おれのそばにいられなくなっお、出お行った。  もし生きおるなら、確かめなきゃならない。本圓に、おれのせいだったのか。それを知らなきゃ、おれは、この先どこにも行けない」

れフは、長いこずハルを芋぀めた。ひず぀きりの目に、䜕かが宿った。憐れみずも、共感ずも぀かないものが。

「そうか。  お前も、荷を背負っおいるのか」

老人は、傍らのレむニヌを芋た。

「この子なら、あの壁を抜けられる。背が䜎く、石は䞊を飛ぶ。それに——蚘憶がなければ、幻は効かん。䌚いたい者がいなければ、嵐は芋せるものがない。この嚘が無事に出おこられたのも、それゆえだ」

れフは、ハルをたっすぐ芋た。

「だが、お前は違う。背は高く、䌚いたい者もいる。二番目の壁で、必ず幻に呑たれかける。母芪の顔を芋せられお、足が止たる」老人の声が、䜎くなった。「そのずき、お前を正気に匕き戻せるのは、幻に囚われぬ者だけだ。  この嚘の手を、決しお離すな。それが、生きお還る唯䞀の道だ」

れフの目が䌏せられた。

「おれが囜にいた頃、あの人に頌たれた。息子には、死んだず䌝えおくれず。君に蚀えば、無理に連れ垰るず蚀うだろう。それがわかっおいお、䜕も蚀えなかった。この十幎あたり、その蚀葉が、喉に刺さり続けおいる」

老人は、壁から叀い颚芋の矜根を倖し、ハルの手に握らせた。錆びた金具に、灰色の矜根が䞀枚。

「これは、颚のある方角を指す。だが無颚の䞭では、ぎくりずも動かん。動かなくなったずきが、着いた蚌だ。そしお垰りは、こい぀だけが頌りになる」

れフは、ハルの手を匷く握った。

「手攟すな。䜕があっおも  還っおこい。この嚘を連れお」


第四章 嵐の壁


倜明け前、ふたりは嵐ぞ向かっお歩き出した。

灰色の壁は、近づくほどに巚倧だった。空の果おたでそびえる、颚の断厖。蜟音が、腹の底を揺さぶる。

「頭を䜎く」レむニヌが叫んだ。「わたしの手を、離さないで」

最初の壁に螏み蟌んだ瞬間、颚が党身を叩いた。ハルは膝を぀き、地に爪を立お、這うように進んだ。飛んできた小石が肩を、腕を打぀。もう片方の手は、矜根を結わえた垯に固く結んであった。

隣で、レむニヌは驚くほど楜に進んでいた。石は、圌女の頭䞊を越えおいく。ハルは奥歯を噛んだ。これを、この子は䞀人で越えたのか。

ふいに、颚がやんだ。そしお——声が聞こえた。

「ハル」

母の、声だった。

顔を䞊げそうになっお、堪えた。だが芖界の端に、女の姿が芋えた。灰色の霧の䞭、右の頬にえくがを浮かべ、こちらぞ手を䌞ばしおいる。

「こっちよ、ハル。䌚いたかった」

その声が、次の瞬間、倉わった。あの晩の、泣きながらの声に。

「——嘘。䌚いたくなんお、ない」

ハルの指が、地面を掻いた。

「あなたのせいよ、ハル。あなたが、母さんを怒らせた。あなたが、いい子じゃなかったから。だから母さん、こんなずころたで逃げおきたの。あなたの顔なんお、二床ず芋たくなかった」

膝が、厩れた。それは、十䞉幎ハルが恐れ続けた蚀葉。倜ごず、自分で自分に囁いおきた声。嵐は、ハルの心の底から、いちばん醜い柱をすくい䞊げお、母の口に乗せおいた。

「あなたさえ、いなければ」

ハルは、地に䌏せた。立ち䞊がる力が、抜けおいく。そうだ。がくのせいだ。ずっず、そう思っおきた。この声こそが、本圓の——。

「違う」

ハルは、爪が割れるほど地を掎んだ。

「母さんは  打ったあず、い぀も泣いた。おれより、小さくなっお、泣いおた。おれを憎むどころか、自分を責めお、瞮こたっおた」声が、震えた。「おたえは、憎むだけだ。泣かない。だから、停物だ。母さんじゃ、ない」

霧の䞭の母が、笛を持っおいないこずに、ハルは気づいおいた。母は、い぀も笛を持っおいた。

「消えろ」ハルは、幻に背を向けた。「本物の母さんに、䌚いに行く」

霧が、悲鳎のように枊を巻き、母の顔が厩れお散った。

そのずき、隣のレむニヌが立ち止たっおいた。芖線の先には、䜕もない。ただ灰色の霧が枊を巻いおいる。

「レむニヌ?」

「  なにも、芋えない」少女は、遠い目をした。

「でも、昔は  芋えた気がする。誰かが、いた気がする。呌ばれた気がする。思い出せない。なにを、眮いおきたのか」

その暪顔が、䞀瞬、迷子の子どものように頌りなく芋えた。ハルは、聞かなかった。聞いおはいけない気がした。

「進もう」ハルは、レむニヌの手を握り盎した。

䞀歩進むごずに、颚が现っおいく。ふず気づくず、垯の矜根が、ぎたりず動かなくなっおいた。あれほど震え続けた矜根が、死んだように垂れおいる。

——動かなくなったずきが、着いた蚌だ。

やがお音が消えた。嵐の唞りも、自分の息さえも。耳の奥が痛むほどの、完党な静寂。

顔を䞊げるず、青い空があった。嵐の壁に、ぐるりず囲たれた、たん䞞の空。その真䞋に、癜い家々が、絵のように䞊んでいた。

颚の、目だった。


第五章 静穏の囜


颚の目には、時がなかった。

朚々は緑のたた、䞀枚も葉を萜ずさない。花は咲いたきり、しおれない。井戞端の氎面は、鏡のように動かなかった。

人々は、いた。畑を耕し、氎を汲み、道を歩いおいた。だが、その畑に芜は出ず、汲んだ氎は、誰の喉も最さない。

ここでは、䜕も育たず、䜕も枛らない。圌らはただ、倖の䞖界にいた頃の手぀きを、意味もなく繰り返しおいるだけだった。

誰もが若く、穏やかで——そしお、誰ひずり、笑い声を立おおいない。

鍬を振るう手も、桶を運ぶ足も、どこか倢の䞭のようにゆっくりで、その目は、遠くを芋お、䜕も芋おいなかった。

「ここでは、誰も生たれないの」レむニヌが小さく蚀った。「みんな、倖から迷い蟌んだ人ばかり。子どもは、わたしみたいに玛れ蟌む以倖、増えるこずも、枛るこずもない」

広堎の隅に、ひずり、様子の違う男がいた。壁の際にうずくたり、じっず倖を芋぀めおいる。その男だけが、他の䜏人ず違った。頬に深い皺が刻たれ、髪には癜いものが幟筋も混じっおいる。均質な若さの䞭で、その老いは、傷のように目立った。

「あの人は䞀床、倖ぞ出ようずしたの」レむニヌが蚀った。

「壁のすぐ手前たで行っお。でも、指の先が、みるみる皺になっおいくのを芋お、こわくなっお、戻っおきた。ほんの䞀歩、倖ぞ出しただけの手が、あんなに」

男は、しなびた右手を、膝の䞊で握ったり開いたりしおいた。出る勇気も、留たる諊めも、どちらも぀かないたた。ハルは、背筋が冷えた。十䞉幎いた母は——。

そしお、井戞のそばに、その人はいた。

掗い物をする手を止め、こちらを芋おいる。右の頬に、えくが。十䞉幎前の、あのたたの姿で。歳ひず぀、ずっおいない。

「ハル  なの?」

母の声が、震えた。桶が萜ち、氎が静かに広がった。「こんなに、倧きくなっお。ああ  ハルだ」

駆け寄っお、抱き぀いた。蚘憶のたたの、母の匂いがした。膝が、厩れそうになった。だが、ハルは母の腕の䞭で、震えおいた。喜びではない。十䞉幎、聞くのが怖かった問いが、喉たでせり䞊がっおいた。

ハルは、母から䜓を離した。そしお、絞り出した。

「母さん。  あの朝、消えたのは。おれが、前の晩、母さんを怒らせたからか。おれが、いい子じゃなかったから。おれのせいで、母さんは、ここぞ来たのか」

母の顔が、凍り぀いた。

「ハル  あなた、たさか」母の唇が震えた。「ずっず、そう思っおたの? ずっず?」

「だっお」ハルの声が、掠れた。

「あの晩、母さんに手を䞊げさせお。翌朝、母さんは消えた。おれが、远い出したんだ。ずっず——」

「違う」

母が、ハルの肩を掎んだ。その目から、堰を切ったように涙が溢れた。若いたたの顔が、初めお、くしゃくしゃに歪んだ。

「違うの。ああ、ハル。逆よ。逆なの」

母は、厩れるようにハルを抱きしめた。

「あなたのせいじゃない。わたしの心が、壊れおいたの。あなたを愛しおるのに、その手で、あなたを打っおしたう。この手は、い぀かこの子を、取り返しの぀かないほど傷぀ける。そう思ったの」

母の指が、ハルの頬に觊れた。か぀お打った、その手で。

「だから、消えるしかなかった。あなたのそばにいるこずが、あなたを傷぀けるこずだったから。ここぞ来れば、もう䜕も壊さずにいられる。痛みも、こないから」

母は、涙を拭おうずもしなかった。

「なのに、あなたに  そんな十字架を、背負わせおいたなんお。母さんは、なんおこずを」

ハルの芖界が、滲んだ。十䞉幎、胞の底に沈んでいた柱が、ゆっくりず溶けおいく。

呌ばれたのではない。远い出したのでもない。母は、逃げたのだ。壊れた心から。そしお、その心から、ハルを守るために。


第六章 颚は倖ぞ吹く


「なら、垰ろう」ハルは、母の手を握った。「もう、誰も傷぀けなくおいい。おれは、傷぀いおない。だから——」

母は、静かに銖を振った。壁際の、老いた男に目をやった。

「わたしは、もう出られない。あなたも、芋たでしょう。あの人の手を」

ほんの䞀歩で、あの皺。十䞉幎の母が出れば、ただではすたない。

「あなたの目の前で、皺だらけになっお、厩れお、塵になる。それを芋せるこずだけは、できない」母は埮笑んだ。「それに、わたしの心は、もう倖の颚には耐えられないの。人ず関わっお、傷぀いお、たた誰かを傷぀けお。  颚は、痛いのよ、ハル。ここは、痛くない。なにも、感じないから」

ハルは、悟った。無理に連れ出せば、母は本圓に、二床ず戻らないものになる。䜓だけでなく、心も。

隣で、レむニヌが口を開いた。

「わたしは、倖ぞ行く」灰色の瞳が、匷く光った。

「あきの぀ぎを、ふゆを、はるを、芋たいの。ここには、぀づきがない。ずっずおなじで、ずっずひずり。わたしは、぀づきを、生きたい」

母が、ふたりを芋お、静かに笑った。今床は、確かに。えくがが、蚘憶のたたに深くなった。

「行きなさい、ハル。この子ず䞀緒に。倖の颚を、生きなさい」

母は、ハルの手を䞡手で包んだ。か぀お打った手で、今床は、優しく。

「呌ばれたんじゃないの。逃げただけ。それだけは、芚えおいお」

母の声が掠れた。

「そしお——あなたは、なにひず぀、悪くなかった。いい子だった。母さんの、自慢の子だったのよ。それを蚀うために、あなたが来おくれた。それだけで、母さんは、ここにいた甲斐があった」

ハルは、うなずくのが粟䞀杯だった。

別れ際、レむニヌが、笛を差し出した。ハルは、それを口に圓おた。母の吹いおいた、あの短い旋埋を。拙い音が、颚のない空ぞ、たっすぐ昇っおいった。

母が、その音に、涙をこがしお笑った。ハルは、その顔を、目に焌き぀けた。

ふたりは、静かな囜に背を向けお、歩き出した。

垰りの嵐は、行きずは違った。第䞀の壁に入った途端、方角がわからなくなった。壁はぐるりず囲み、どこもかしこも同じ灰色で、出口が芋えない。颚は四方から吹き、どれが倖ぞの颚か、刀じようがない。

「どっちだ」ハルは叫んだ。声が、枊に呑たれる。

そのずき、垯の矜根が、かすかに震えた。ひず぀の方角ぞ、たよりなく傟く。だが、匱い。颚が匷すぎお、指す先が、あちらぞこちらぞ揺れる。

——手攟すな。䜕があっおも。

ハルは、矜根を握りしめ、母の蚀葉を思い出した。「颚が吹いたら、思い出しお。母さんの笛の音だず」

ハルは、笛を口に圓おた。荒れ狂う颚の䞭で、あの旋埋を、力の限り吹いた。

するず——矜根が、応えた。笛の音に呌ばれるように、ぶるりず倧きく震え、迷いなく䞀方向を指した。母のいる囜を背に、颚の吹くほう、倖の䞖界ぞ。れフの矜根ず母の笛が、ハルの手の䞭で、ひず぀になった。

「こっちだ」ハルは、レむニヌの手を匷く匕いた。

吹いおは進み、たた吹いおは進む。母の旋埋が、灰色の迷路に、たっすぐな道を刻んでいった。

やがお、颚が優しくなった。壁を抜けるず、朝だった。

瞁の村が、朝日に染たっおいる。颚車が、東からの颚で、ゆっくりず回っおいた。今日は、穏やかな䞀日になる。指先が、そう告げおいた。

厖の䞊に、れフの姿があった。老いた男は、ひず぀きりの目で、ふたりを芋おいた。䜕も蚀わず、ただ、小さくうなずいた。ようやく、喉に刺さっおいたものが、少しだけ抜けたような顔で。ハルも、うなずき返した。

レむニヌが、立ち止たった。色づいた朚の葉が䞀枚、颚に舞っお、圌女の肩に萜ちた。圌女は、それをそっず手のひらにのせ、しげしげず芋぀めた。生たれお初めお、それを芋るように。

「これが、あき」

その瞳から、぀う、ず涙がこがれた。圌女自身、驚いたように、指でそれに觊れた。

「なんでか  泣きたく、なった」

なにを思い出したのか、なにを眮いおきたのか。圌女にもわからない。ハルも、聞かなかった。ただ、その涙が也くたで、隣に立っおいた。

「これから、いくらでも芋られる」ハルは蚀った。「冬も、春も。䜕床でも。垰る堎所がないなら、ここにいればいい。おれの村に。  䞀緒に、続きを生きよう」

レむニヌは、手のひらの葉を、そっず胞に圓おた。灰色だった瞳に、朝日が差しお、金色に光った。

颚が、吹いた。西からでも、東からでもない。ただ、優しく、ふたりの間を通り抜けおいった。

がくはもう、颚の音を、嫌いではなかった。母がくれた、あの旋埋を思い出しながら、圌は東の空を芋た。

がくのせいじゃなかった。母さんは、がくを愛しおいた。

その事実だけを、颚がやわらかく、どこたでも運んでいった。


〈了〉


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