見出し画像

相撲をオリンピック競技にする? 白鵬提案が意味すること

 大相撲の元横綱、白鵬が「相撲をオリンピック競技にする」ことを提案しているという(TBSニュース・デジタル)。勘違い、心違いも甚だしい。
 同氏が主催する「世界梳毛大会なるものができていて、すでに16回を数えるのだそうだ。しかも開催場所がわが江東区に移ってきていたとは。
 記者の目は好意的で、オリンピック種目にするには女子への門戸開放が必要だとして、国技館が土俵への女性の立ち入りを認めないことをオリンピック競技化への障害として批判的に解説している。
 体を組んで力や技を競い合うことは健康にもよいし、女子にも勧める意味はある。そのルールとして、大相撲の決め手を援用するのはかまわない。だが、それに「相撲」という名称をつける必要はないではないか。「日本型レスリング」ではなぜいけないのか。
 
 ご案内のように東京で「大相撲」が行われる建物が”国技館”で行われる。国技が行われる場所だからにほかならない。
 ではなぜ相撲が国技とされるのか。それは相撲の縁起に関わる。古事記や日本書紀にも、神事や宮廷行事と深く結びつくものとして記されている。すなわち国民の文化意識に浸透しているのであり、世界標準のスポーツにする必然性は何もない。
 相撲をオリンピック種目にすれば、柔道同様、しばらくは日本人がメダルを大量獲得できるだろうといった程度の認識であるとすればさもしい。後援
している企業も考え直すべきだろう。

 オリンピックには、国を挙げて応援することで国民の一体意識を高揚させる効果がある。そしてオリンピックの枠を飛び出て、単独の国際スポーツイベントに発展したものも多い。サッカー(ワールドカップ)などでの参加国民の熱狂はすさまじく、これに近年は野球なども加わった(ちょうどWBC大会が開かれている)。
 白鵬関やその取り巻き、後援企業は、相撲をこれと同様にしたいのだろうか。実現すれば、大相撲力士の髷(まげ)やまわしは早晩禁止になるだろう。
 理由は簡単だ。公衆にお尻を見せるのはいかがわしい。特定の髪型の強制は表現の自由に反する(特にイスラム女性にとっては)。
金メダルを特定国民が独占するも好ましくないから、ルールが”公平化”される。国際オリンピック協会がそのためにルール改定をすることになる。あんこ型体形は肥満で健康によくないと、体形測定条件すら加えられそうだ。

 それらの結果、日本相撲協会の出番はなくなり、国技館での大会(いわゆる大相撲)はなくなる。細細と国内予選会として存続しても、優勝者に総理大臣杯を出すなどは国際圧力で禁止になるだろう。
 要するに、大相撲なるものは姿を消すことになるわけだ。
 白鵬関の思惑がどの辺にあるのかは知らない。だが、相撲関係者はオリンピックかがもたらす将来については予測しておいた方がよい。

 ちなみに柔道がどうなったかを目にした剣道協会ではオリンピック化を目指さないと決議したとか聞いたことがある。

2026年3月4日(水)

いいなと思ったら応援しよう!