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ドビュッシーが書き換えた神話『セイレーンの歌声』:映画「オデュッセイア」に寄せて

世界中の映画ファンが公開を待ち望んでいる、クリストファー・ノーラン監督の最新作『オデュッセイア』の世界公開は7月16日からです。

ずっと楽しみにしていました。

明日7月17日の午後に映画館に行く予定です。

海外在住のため、日本やほかのアジア諸国に先駆けてみることができます。

日本公開は残念ながら9月だそうです。

鑑賞後にまたネタバレにならない感想を書きたいと思っています。


2800年前には原型が完成されていたという叙事詩『オデュッセイア』。

日本の縄文時代。
世界史的には青銅器時代の後期です。

トロイア戦争自体は考古学的に、紀元前13世紀から12世紀ごろに、つまり3200年ほど前、小アジア(現トルコ)で大戦争があったことが確認されています。

その大戦争が数百年にわたって口承で語り継がれます。

それが古代ギリシア文化が花開いた紀元前6世紀から5世紀ごろにホメロスの名前で叙事詩となったらしいです。

古代アテネでは、ホメロスの叙事詩は教養人ならば誰もが知る作品でした。

つまり、日本史で言うところの琵琶法師の『平家物語』がさらに大きなスケールで数百年にわたって語られ、愛されてきた物語がホメロスの叙事詩なのです。

映画はあまり原作からかけ離れていないことを願っています。


『オデュッセイア』は古典の中の古典、古代ギリシアの伝説の叙事詩人ホメロスの不滅の名作に基づいているため、どんな風に物語を解釈して映像化されるかに関心が集まりますね。

もちろんこれまでに何度も映画化されています。

バロック音楽の開祖クラウディオ・モンテヴェルディの名作『ウリッセ( オデュッセウスの帰郷): Il ritorno d'Ulisse in patria』も存在します。

1639-1640年のバロックオペラ(ヴィヴァルディの100年前)。
この動画はオペラのハイライト。
誰も引くことができなかった、オデュッセウス自身の大弓の弦を見事に引いて矢を打つ有名な場面、なかなか素晴らしい!

ウリッセはオデュッセウスのイタリア式の名前。
英語ではユリシーズ。アイルランドのジェームズ・ジョイスの長編小説『ユリシーズ』はホメロスのパロディです。

モンテヴェルディのオペラは、トロイア戦争終結後、ポセイドンの怒りによって10年も故郷に帰ることを許されず、ギリシア各地を放浪した主人公が20年ぶりに家に戻る最後の場面、つまり叙事詩のクライマックスを描いた作品です。

作品はあまりに長大なため、印象的な場面だけを取り上げる手法が舞台化には取り上げられてきましたが、それでもあまりにたくさんの名場面があるのが『オデュッセイア』です。

だからモンテヴェルディが最後の部分だけを音楽ドラマ化したことは素晴らしかった。

けれども、キルケーやナウシカアやポリュペモスは出てこない。
これは残念!(物理的に不可能)

ノーラン監督の映画の魅力は、おそらく、どれだけの場面を濃厚に描き出せるか次第です。

ホメロスの原作を知っているファンをどれだけ新解釈で唸らせることができるかが成功の決め手になると思います。

映像化や舞台化はとても難しい。

あまりにたくさんの名場面があるからです。

好きな場面があっという間に終わってしまうとがっかりします。

すべての場面を映像化できないため、割愛されてしまうと物足りない。

漂着したオデュッセウスを助ける王女ナウシカアのエピソードは超重要。
でも映画には採用されなかったようです。
ナウシカア役の女優の名前は主要出演者リストにはありません。
また、冥界訪問のエピソードも出てこないかも。
アガメムノン役の俳優の名前はあるけれども、アキレウスの名前はありません。

原作は吟遊詩人の回想によって語られますが、原作では物語は時系列的に語られません。

映画はどうなるのでしょうか。
何とも興味深い部分です。
(吟遊詩人の配役があります = トラヴィス・スコットが演じます)。

『オデュッセイア』の重要な場面を個別に視覚化した作品は多々ありますが、連作として、すべての名場面を絵画化したのは、幻想画家マルク・シャガールでした。

シャガールが最晩年に手掛けた『オデュッセウスの生涯』(1970・1980年代)です。

フランスのシャガール美術館に収められている超大作ですが、いまもなお著作権の存在する作品のため、WikiCommonsには画像がありません。

シャガールは1985年に亡くなったため、1951年以降の作品にはいまもなお、作成から75年間有効の著作権が存在しています。
若いころのフランス時代の作品はCCBY(自由に使用可能)です。

だから紹介するという目的のFair Useの精神で、2場面(三枚)だけ、あるサイトの画像を借りてきます。

もっと見たいといわれる方は

Chagall L'odyssee

などのキーワードで探してみてください。
転載はだめでも、見るだけならば無料です。

こちらの公式サイトでは、超巨大作の全貌を拝むことができます(コピー禁止)。

ここでは放浪の旅の原因となる、一つ目巨人(キュプロクス)のポリュペモスの目を潰してしまう場面をどうぞ。

二つの絵は同じ構図ですが、最初の絵は血まみれの赤。

二つ目の連作の絵は全体が牧歌調であるため、おとぎ話のような夢のような物語の一部といった感じですね。

この有名なお話は、主人公の放浪の原因となったエピソードなので、当然ノーラン監督の映画にも含まれています(プレビューで見れます)。

映画はどんな戦闘風景にしてくれるのか楽しみです。

有名なフレスコ画
ローマ第二代皇帝ティベリウスの
スペルロンガの別荘から発掘された彫刻群

ギリシア神話的には、ヘンデルが素晴らしい音楽劇にした『アキスとガラテア』のお話の後日譚です。

ガラテアに振られたポリュペモスは海辺の洞窟に棲んでいる、という設定。

<ポリュペモスの洞窟>

10年も続いたトロイア戦争ののち、オデュッセウスと仲間は故郷イタケへと向かう。その途中、食料を求めて一つの島へ上陸した。

そこには巨大な洞窟があり、山のようなチーズと羊の群れが並んでいた。
彼らは空腹のあまり、チーズを無断で食べてしまう
その後、主人の姿が見えないまま洞窟で待っていたが、 やがて岩の扉を押しのけて現れたのは、一つ目の巨人ポリュペモスだった。

巨人はチーズが食べられてしまったことを怒り、挨拶も聞かず、 オデュッセウスの仲間を二人つかむと、 その場で叩きつけて食べてしまった。
洞窟の入口は巨岩で塞がれ、逃げ道はなかった。

オデュッセウスは恐怖の中で策を練り、 巨人に上等のワインを差し出した。 ポリュペモスは酔いながら名前を尋ねる。 オデュッセウスは答えた。

「私の名は“誰でもない”です。」

巨人が深い眠りに落ちると、 オデュッセウスは仲間と共に、 洞窟にあった巨大な丸太を火で赤く焼き、 その一本の目に突き立てた。

ポリュペモスは絶叫し、 他のキュクロプスたちが洞窟の外から 「誰にやられたのだ」と叫ぶと、 巨人は苦しみながら答えた。

「誰でもない奴にやられた!」

ポリュペモスの兄弟たちは、「誰でもない奴」ならばどうしようもない、と助けてはくれない。

オデュッセウスの仲間たちは岩をどかすことができない。
そこでオデュッセウスはさらに知恵を使い、 翌朝、巨人が盲目のまま羊を外へ出すとき、 自分たちの身体を羊の腹にしがみつかせて洞窟を脱出した。

海へ戻ったオデュッセウスは、 怒り狂う巨人の叫びを背に受けながら船を漕ぎ出した。 そして最後に名を明かし、 ポリュペモスの父である海神ポセイドンの怒りを買うことになる。


ポリュペモスは海神ポセイドンの息子だったのです。

そのため、ポリュペモスのオデュッセウスへの呪詛を聞き入れたポセイドンはオデュッセウスを10年以上も海から海へと放浪させて、故郷に帰れなくなるというのが『オデュッセイア』。

ポセイドンって本当に怖い。

地震に津波に嵐、すべてポセイドンの担当領域です。

おかげで海に出るたびに嵐で船を沈められるため、オデュッセウスは

  • 魔女キルケー

  • 王女ナウシカア

  • 海のニンフ・カリュプソー

などという魅力的な女性たちと出会います。

<王女ナウシカア>

漂着したオデュッセウスを助けるナウシカアを映像化してみると:

王女ナウシカア
原作ではオデュッセウスは
一糸まとわぬ素っ裸です
船を失い、家来も遭難
実写化してみると

嵐に砕かれた筏から海へ投げ出され、二日間も漂ったオデュッセウスは、ようやくパイアキア人の国・スケリアの浜に打ち上げられた。 疲れ果て、裸同然のまま、彼は岸辺の茂みに身を隠して眠り込む。

翌朝、王女ナウシカアが侍女たちと洗濯に訪れる。 仕事を終え、彼女たちが浜で遊んでいたとき、投げたボールが水に落ち、侍女たちの叫び声が響いた。 その音でオデュッセウスは目を覚まし、葉で体を隠しながら姿を現す。

侍女たちは恐れて逃げたが、ナウシカアだけは一歩も退かず、勇気をもって彼を見つめた。 オデュッセウスは丁重に言葉を選び、旅の苦難を語り、助けを乞う。けれどもオデュッセウスは自分の本当の名前を語らない。

ナウシカアは彼に衣服と食べ物を与え、町への道を教え、 「私と一緒に歩くと噂になるから、少し離れて来てください」と慎み深く助言する。

その優しさに導かれ、オデュッセウスはその助言に従って王宮へ向かい、 王アルキノオスと王妃アレテに丁重に身の上を語り、客として迎えられる。

その夜、宴が開かれ、吟遊詩人デーモドコスが竪琴を奏で、 トロイア戦争の物語を歌い始める。 オデュッセウスはその歌に胸を突かれ、 自分が経験した戦いの悲しみと仲間の死が蘇り、 人目を忍んで涙を流す。

王はその様子に気づき、 「あなたは何者なのか」と静かに問いかける。 オデュッセウスはついに隠していた身分を明かし、 自らがトロイアを落とした英雄であり、 長い漂泊の末にここへ辿り着いたことを語る。

その告白に心を動かされたパイアキア人たちは、 彼に故郷イタケへ帰るための船を与えることを決める。

こうして、ナウシカアの勇気ある助けから始まった出会いは、 オデュッセウスの長い旅路を終わらせる決定的な一歩となった。

この続きの物語が
モンテヴェルディが作曲した
故郷へと帰るオデュッセウスのオペラです

オデュッセウスは魅力的な人物との出会い以外にも、いろんな奇想天外な冒険に巻き込まれますが、単発エピソードとして取り分けて有名なのは、不思議な歌声で航海者を海の中へと引きずり込むセイレーン(Seirḗn)です。

セイレーンは古代では半人半鳥のハーピーのような怪物ですが、のちに人魚のような姿で描かれるようになります。

シャガール版では半人半鳥の姿で描かれています。

https://www.artsy.net/artwork/marc-chagall-the-odyssey-the-sirens

<セイレーンの島>

海が静まり返ったころ、オデュッセウスの船は“セイレーンの浜”へ近づいていた。 そこは、歌声だけで人を破滅させる怪物たちが潜む場所。
彼らの歌を聞いた者は、船を捨てて岩礁へ向かい、そこで命を落とすと言われていた。

オデュッセウスは、以前キルケーから忠告を受けていた。

「セイレーンの歌は必ず聞きたくなる。
だが聞けば死ぬ。
仲間には耳をふさがせ、
あなたは柱に縛られなさい。」

そこで彼は仲間に蜜蝋を配り、耳を塞がせた。 自分は船の中央の柱に、決して解けないよう固く縛らせた

やがて、風もないのに歌声が海を渡ってきた。 それは甘く、知恵を授けると約束し、英雄の名誉を讃え、 「こちらへ来なさい、オデュッセウス」と呼びかける声だった。

オデュッセウスは心を奪われ、

「縄を解け!あの歌をもっと近くで聞きたい!」

と叫んだが、仲間は彼の命令を聞かないようにしていた。

彼らはただ黙々と櫂をこぎ、歌声の届かない海域へ船を進めた。

やがて歌は遠ざかり、オデュッセウスは正気を取り戻した。

仲間が縄を解くと、彼は深く息をつき、 「知恵で誘惑を退けた」という静かな勝利を胸に刻んだ。

こうして船は、セイレーンの魔の海を無事に通り抜けた。


大英博物館の紀元前5世紀の壺
縛られているオデュッセウスは
絶叫しているでしょうか
ウィリアム・エティ(1837)

絵の下の部分には犠牲者の遺骸が!

ハーバート・ジェームズ・ドレイパー(1679)
オデュッセウスの必死の形相
「縄を解けェェ!」
バロック絵画らしさがいいですね
セイレーンの肌の白さと
恐ろしい海の黒の対比が素晴らしい
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(1891)
神話に忠実なハーピー型のセイレーン

クロード・ドビュッシーの『セイレーン』

それで音楽ですが、ギリシア神話由来音楽の最高峰とも呼びたくなる名作が存在します。

フランス近代音楽の作曲家クロード・ドビュッシーの管弦楽組曲『ノクチュルヌ』の第三曲『セイレーン』です。

ドビュッシーの『ノクチュルヌ』の歌声、波の音しか聞こえない海上の船でこの不思議な声を聞いたならば、絶対に歌声のほうに向かってしまいます。

そして歌声に導かれるまま、大渦に飲み込まれて難破。

古代人には不思議な歌声はきっと現実だったはずです。
蜃気楼のような幻聴だったのかもしれません。

波の音が変わる。
どこか不思議な歌声にも聞こえる。

それとも、舵を回して、歌声のほうに船を向かわせると、岩礁には

人魚(マナティ?ジュゴン?アザラシ?オットセイ?)

がいて、遠くからはセイレーンにも人魚にも見える。

そして強烈な波の流れに舵は力を失い、方向転換できなくなり、岩礁にぶち当たってしまう。

このあまりにも危険で魅惑的な歌声を音楽化したのは、微妙に変化する音を音楽化することに天才的な能力を持っていたドビュッシーでした。

女声合唱付きなのはもちろん、セイレーンは女性だからです。

船には男たちばかりが乗っているため、彼らが恋焦がれるのは女性の声。
だから海の上での魅惑的な歌声は必ず女声です。

ドビュッシーが見事なのは、『夜想曲:ノクチュルヌ』という管弦楽組曲で、最後の曲にだけ、女声合唱を採用したこと。

静かな夜。
波の揺れる音だけがする月夜。
そこにどこからともなく、美しい女性たちの歌声が聞こえてくる。
まさにセイレーンの世界。
音楽は静かに消えてゆくけれども、きっと歌声を聴いた海の男たちは水の中に飲み込まれていったことでしょう。

ドビュッシーの音楽は『オデュッセイア』の物語をそのまま音楽化したものではありません。

「縄をほどけェェェ!!!」と絶叫するオデュッセウスの姿は出てきませんが、間違いなく、ギリシア神話のセイレーンの音楽です。

初演のプログラムにはこう書かれています。

海と、その無数のリズム。
そして月光に銀色に輝く波間から、
セイレーンたちの神秘的な歌声が聞こえ、
笑いながら通り過ぎていく。

ドビュッシーが書きたかったのは、

  • 海そのもの

  • 波の絶え間ない運動

  • 月光

  • その中から現れる神話上のセイレーン

です。

物語を語っているわけではないのです

ドビュッシーは神話を「題材」ではなく、音のイメージとして扱っています。

そして、これほど見事な神話世界イメージの音楽化は珍しいものです。

ドビュッシーはホメロスの物語を描いてはいません

彼が取り出したのは、

「セイレーンという存在が放つ幻想的な雰囲気」

だけです。

けれども、これこそが現代人がギリシア神話を読むべき最大の理由です。

後期青銅器時代の伝承が叙事詩として伝えられるようになり、神話としてわたしたちはギリシア神話に親しみますが、神話が「事実」であると受け止める人はもはや誰もいません。

けれども、神話には、人間の「真実」があります。

オデュッセウスの冒険譚は、読んで観て聞いて楽しいファンタジーですが、

「知略に富むオデュッセウス」

という枕詞付きで常に語られるオデュッセウスは、ポリュペモスを見事に出し抜いて、最後には名誉心から自分の名を明かさずにはいられない。

そんなバカなことしなければ、と思ってしまう。

あんなにも優秀な知性を持つオデュッセウスなのに、言わずにはいられない彼の人間らしさ😊

また、セイレーンの声を体験してみたいと思って、自分を柱に縛り付けるオデュッセウス。

何とも無茶なことですが、人生、なんだって経験してみないといけません。

セイレーンの魔性の歌声を聞いて生還できたのは、オデュッセウス唯一人!オデュッセウスはやはりすごい英雄なのです😉

セイレーンの歌声は、名前を変えて世界中で海の誘惑と脅威の象徴として語り継がれています。人間世界の真実です。

また放浪して海岸に漂着したオデュッセウスを助けた王女ナウシカアの親切心は現代的に見ても称賛に値する素晴らしい行いでしょう。

正体を明かさぬ、こんな得体のしれない漂流者を助けることはあまりにもリスキーです😟

けれども、王女は衣服を与えた後、一緒に帰らずに、あとで客人として王宮に来るように促します。賢明な王女様です(だからジブリの宮崎駿監督は彼女に惚れ込んで『風の谷のナウシカ』の名前に採用しました)。

本当にそんなことがあったかどうかではなく、そのような行いが語り継がれてきたことが大事。

それが何千年も語り継がれてきたことが意味深く、2026年には新たな映画が古代叙事詩のインスピレーションから作られたのです。

物語そのものである必要はなく、神話が語る真実を映画や舞台や音楽を通じて、現代人の私たちが語り継いでいることが素晴らしい。

人間が生きてゆくうえで大切なエッセンスが込められているからです。

ときにわたしたちは、どんな風に生きてゆけばいいのかわからなくなってしまうことがある。

悲しいことや辛いことがあり、また毎日の営みに疲れてしまう。

そんなとき、神話のオデュッセウスがどう生き抜いたかを知ると、わたしたちの中にもまた、新たな活力が湧いてくるものです。

ドビュッシーがギリシア神話世界から得たインスピレーションには他にも、

  • シランクス(『パンとシリンクス』の神話)

  • 牧神パン(『牧神の午後への前奏曲』:ギリシア神話にインスピレーションを得た詩人マラルメの詩から)

などがあります。

物語そのものを描き出すのではなく、物語から得た霊感(インスピレーション)が音楽へと姿を変えた例です。

神話に影響されるのは、芸術家ばかりではありません。

わたしたちだって、神話を読んで、日々霊感を感じて、毎日を楽しく素晴らしくしてゆくことができるはずです。

物語を読むと、遠く知らない世界の人たちに出会えます。

そしてドビュッシーやラヴェルの音楽を通じて、遠く知らない世界の人たちが感じたであろう霊感を追体験することができます。

それが音楽の力であり、偉大な絵画のすばらしさですね。

『ノクチュルヌ』作曲から10年後の1910年、ラヴェルとラウル・バルダックはこの曲を二大ピアノ用に編曲しています。

オーケストラの複雑な響きを二台ピアノへと移す名編曲です。

のちにラヴェルはローマ時代のギリシア語の恋愛物語『ダフニスとクロエ』をバレエ音楽として作曲しています。

牧神パンとシリンクスの神話が中心的な役割を果たす古代の小説です。
厳密には神話ではありませんが、神話的な物語といえるでしょう。


最新映画『オデュッセイア』の主な配役は以下のようなものです。

  • 主役オデュッセウスはマット・デイモン

  • 20年も夫の帰りを待つ妻ペネロペはアン・ハサウェイ

  • 父を探す息子テレマコスはトム・ホランド

  • 魔女キルケーはサマンサ・モートン

  • カリュプソはシャーリーズ・セロン

  • ヘレナとクリュタイムネストラの姉妹を一人二役で演じるルピタ・ニョンゴ

  • オデュッセウスを助ける知恵の女神アテナはゼンデイヤ

個人的には、知恵の神アテナが人格として登場することが楽しみです。
アテナはオデュッセウスの守護神であると同時に導き手です。
知恵の女神はオデュッセウスの狡猾な知略を愛しているからです。

女神様にどこまで映画で役割を与えられているのでしょうか。
これは楽しみ。

公式映画画像より
オデュッセウスに話しかける女神アテナ
ホメロスの叙事詩では
アテナは変装して
何度もオデュッセウスの前に現れます
オデュッセウスは本名を語らず
正体を隠して他人を騙しますが
そのような知略はアテナの領域
女神とオデュッセウスはよく似ているため
通じ合うのです

『オデュッセイア』があなたにとって、素晴らしい人生への霊感でありますように。映画鑑賞が楽しみです。


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