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港区~品川区 de ブラspiritwind♪~自然教育園・池田山公園・安樂寺・桐ヶ谷氷川神社 etc

2026.7.8 新宿でマイケル・ジャクソンの映画を観た帰りに、品川方面の遊水地巡りに行ってきました。


国立科学博物館附属 自然教育園

目黒駅で下車して自然教育園へ。ここ目黒区だと思ったら、港区白金台でした。

お隣の「東京都庭園美術館」
国立科学博物館附属 自然教育園

国立科学博物館附属 自然教育園は、東京都港区白金台にある、大都会の中心で豊かな自然景観と独自の生態系を維持している広大な森林緑地(自然保護区・植物園)です。 

一般的な庭園とは異なり、「自然の本来の姿のまま」を残す方針で運営されています。

🌳 主な特徴と魅力都会のオアシス: 目黒駅から徒歩圏内でありながら、約20万平方メートルの広大な敷地に豊かな常緑広葉樹林や湿地が広がっています。
天然記念物・史跡: 1949年に「旧白金御料地」として国の天然記念物および史跡に指定されました。
豊かな生物相: 園内では約1,400種以上の植物、2,100種以上の昆虫、約130種の鳥類が記録されています。
歴史的遺構: 室町時代の豪族の館跡や、江戸時代の松平頼重下屋敷跡の土塁、樹齢300年近い巨樹などが残っています。

🥾 園内の見どころ(3つの教材園)

敷地内には散策路が整備されており、以下のような異なる環境を観察できます。
路傍植物園: 野山や道ばたに自生する草花が茂るエリアです。
武蔵野植物園: かつての武蔵野の面影を残す草原の風景が広がります。
水生植物園: 池や湿地があり、水辺の生きものや植物を間近で観察できます。

by google AIより。
園内からは、紀元前約2,500年(縄文時代中期)の縄文土器や貝塚が発見されています。このことから、約4,500年前にはすでにこの白金台地に人々が定住し、豊かな森と近くの水辺を利用して生活していたことが分かっています。弥生時代の土器や近世の遺物も見つかっています。
一日花です。オオバギボウシ(大葉擬宝珠)
タデ科のミズヒキ(水引)
熨斗(のし)の「水引」: ご祝儀袋にかける紅白の飾り紐「水引」が名前の由来。花が終わると「ひっつき虫」に^^
ハエドクソウ(蠅毒草)
この根っこをすり潰して煮詰めた汁を紙に染み込ませ、ハエ取り紙(殺虫剤)として利用していたことからこの名がつきました。
ヤブミョウガ
サクラソウ科のマンリョウ(万両)
センリョウだった場合は、つぼみや花が葉の上(てっぺん)に向かってピンと立ち上がるようにつきます。
こっちが、センリョウ科のセンリョウ(千両)の花
海外の方も居られましたよ。海外の方は公園のお散歩が好きですね~^^
しかしミドリがスゴイです♪
イラクサ科カラムシ属のヤブマオ(藪苧麻)

館 跡(やかたあと)
自然教育園は、室町時代には「白金長者」の屋敷があった所と伝えられており、史跡に指定されています。園内には、周囲を囲むように土塁が残っており、当時の屋敷の面影をとどめています。
ここの前方・左右には、⋂型の土塁がみられますが、この土塁は周囲を囲む土塁とは趣が異なり、この附近に白金長者の住んだ館があったものと思われます。左の場所は、土塁を切り開いて道がつくられました。ここでは土塁の断面を見ることができます。

by google AI文字起こしより。
水鳥の沼

💧 水鳥の沼の水源のヒミツ
・かつては湧水だった
: 自然教育園がある敷地には3つの浅い谷があり、大昔はそれぞれの谷頭(谷のどん詰まり)から豊かな湧水が出ていました。水鳥の沼はその西側の谷頭を堰き止めて造られたため、もともとは天然の湧水がたまる沼でした。 
現在はポンプで汲み上げた地下水: 周辺の都市開発や地下鉄の開通、そしてすぐ西側を通る首都高速目黒線の建設などの影響により、残念ながら本来の湧水はほぼ涸れてしまっています。そのため現在は、水辺の生態系を維持するために地下水をポンプで汲み上げて(井戸水を補給して)、沼の環境を人工的に守っています。

by google AIより。
ワスレグサ属のヤブカンゾウ(藪萱草)
あちこちで咲いていました。
こっちはワスレグサ属のノカンゾウ(野萱草)
ヤブカンゾウとの違いは、
すっきりとした「一重咲き(いちえざき)」
雄しべと雌しべがバッチリ見える
イラクサ科カラムシ属のカラムシ(苧麻・まお)
このカラムシは数千年前の古代から日本人が最も大切にしてきた植物の一つです。茎の皮からとても強靭で美しい繊維が採れるため、縄文時代から衣服や縄の材料(麻糸)として栽培されてきました。
いもりの池
おとちの松
園の北にある武蔵野植物園
ヤマユリ(山百合)
オカトラノオ属のオカトラノオ(丘虎の尾)
湿地に生える「ヌマトラノオ(沼虎の尾)」という仲間に対して、日当たりの良い山野や丘陵地に生えることから「オカトラノオ」と呼ばれます。
水の流れが少しあります。
「あぶらちゃん」って書かれると、なんか可愛いですね(笑)
アヤメ科クロコスミア属のヒメヒオウギズイセン(姫檜扇水仙)
シソ科シソ属(またはシロネ属)のシロネ(白根)、もしくは非常に近い仲間のヒメシロネ(姫白根)
面白い花の咲き方をしますね~^^
ユキノシタ科チダケサシ属のチダケサシ(乳茸刺)
シソ科ヤマハッカ属のヤマハッカ(山薄荷)
ミツガシワ科アサザ属の水生植物アサザ(浅佐)
水生植物園と湿地のエリアです。
ショウジョウトンボ(猩々蜻蛉)のオス
見事な赤色です!!!!!
アキアカネなどのいわゆる一般的な「赤とんぼ(アカネ属)」は、お腹は赤くても胸や顔は茶色いことが多いです。しかし、このショウジョウトンボはお腹だけでなく、頭、目(複眼)、胸、そして脚の先まで全てが衝撃的なほど真っ赤に染まります。
ミソハギ属のミソハギ(禊萩)、あるいはそのごく近い仲間のエゾミソハギ(蝦夷禊萩)
良い湿地エリアです。
「湿地帯(水生植物園)」なので、オカトラノオではなくイヌヌマトラノオ(犬沼虎の尾)
ひょうたん池
キツネノマゴ科ハグロソウ属のハグロソウ(葉黒草)
👅 まるでペロリと出した「舌」のような形
白金台のおばさまが教育の話をしながら通り過ぎていきました^^
いや~、なかなか盛りだくさんの自然教育園でございました^^

品川区立池田山公園

その後、品川区立池田山公園へ。この辺りは結構アップダウンがあります。
標高図で確認すると・・・

谷戸ですね。
池田山公園・西側入り口
かなり眺めがいいです♪

池田山公園(いけだやまこうえん)
東京都品川区東五反田の池田山北端の斜面にある緑豊かな池泉回遊式庭園
■ 沿革
この地は江戸時代、備前岡山藩主池田家の下屋敷(大崎屋敷)があり、この付近一帯の高台は「池田山」と呼ばれるようになりました。高台にあるこの広大な敷地は 11,642 坪(38,419 ㎡)あり、武蔵野台地の先端の高台からは眼下に目黒川を望む眺望に優れた景勝地であったことがうかがわれます。
明治時代の廃藩置県以降敷地は縮小されて大崎屋敷は池田侯爵の邸宅として使用されていましたが、大正末期以降ここ一帯は宅地化され都内有数の高級住宅地に姿を変えていきました。
池田山公園は池田山の北端部斜面の崖から湧水を利用した大きな池のある庭園があったと見られる一部分で、品川区が庭園を保存すべく土地を取得し、四季折々の樹木、草花の景観を楽しめ、日本庭園を構成する池、滝、石組、灯籠、水鉢等々が配されている池泉回遊式庭園として1985年4月に開園しました。
■ 四季の自然
木々は新緑、深緑、紅葉、冬木立と姿を変え、季節ごとの草花が彩りを添えます。
■ 四阿(あずまや)、見晴らしデッキ
すり鉢状の急斜面の上部に四阿があり、その見晴らしデッキの眼下には瓢箪(ひょうたん)型の池、池を囲むモミジ、急斜面にはサツキ・ツツジの大刈込みを見ることができます。(開花時期:4月から5月)
■ 灯籠
瓢箪型の池に石橋が架り、橋の脇に雪見灯籠があります。その他園内のところどころに灯籠が配置されています。
■ 滝、石組
池奥には巨石が巧妙に組み上げられていて、その上部の滝口から水が流れ出て三段の段瀑となって池に流れ込んでいます。
■ 雪吊り・雪囲い(12月〜2月)
冬を迎える頃、職人の手作業により赤松に雪吊り、ソテツに雪囲いが施されます。
ねむの木の庭
上皇后美智子様のご実家があった正田邸の跡地に2004年に開園した品川区立の公園。

by google AIによる文字起こし
公園に入ると、谷戸そのものです。この谷戸に沿って公園になってるわけですな。
大きな池があります。
この滝から水が流れ出しています。かなりの水量です。

池田山公園の池は、今でも本物の「湧水」を利用しています
現在も地下から自然に湧き出ている水がベースになっています。
💧 池田山公園の湧水のヒミツ崖線(がいせん)からの湧水: この公園は「すり鉢状」の急斜面(崖)になっており、武蔵野台地の端にあたります。その崖の途中や底から、今でも天然の地下水が自然に湧き出しています
現在も流れる滝: 先ほどの看板の文字起こしにもあった「三段の滝」や池の水は、この崖から湧き出る豊富な水をそのまま、あるいは循環・活用して美しい景観を保っています。

✨ 都内屈指の「パワースポット」と呼ばれる理由
池田山公園が「風水的に良い場所」「パワースポット」としてよくメディアで紹介されるのは、この「山の上から湧き出た清らかな水が、すり鉢の底(池)に溜まる地形」そのものが、良いエネルギー(気)を留める理想的な形とされているからです。

滝の水量水量にはちょっとした「現代の工夫」が隠されています。
🌊 滝の水量に隠されたヒミツベースは本物の湧水:
崖から自然にコンコンと湧き出ている本物の湧水がベースになっていることは間違いありません。
ポンプでさらに大迫力に: 自然の湧水だけだと、どうしても日によってチョロチョロと静かに流れる程度になってしまいます。そのため池田山公園では、その貴重な湧水をポンプで汲み上げて上から何度も循環させるシステムを取り入れています。
つまり、「本物の清らかな湧水」を現代の技術で循環・増幅させているからこそ、あのダイナミックで美しい三段の滝 がいつでも維持できているのです。人の手によるおもてなしと、自然の恵みが合わさった贅沢な滝です。

by google AIより。

湧水を回しているとはいえ、これだけの水量を保っているのは凄いな。
いや~、良い場所でございました^^

東側の崖下の公園入口
アヤメ属のヒオウギ(檜扇)

池田山公園から五反田駅方面へ。かなり坂を下ります。

目黒川・上流方向

安樂寺(天台宗)

山門(入口)の左側にあるお狐様(狐像)が祀られた祠は、「稲守陀祇尼尊天」。
本堂

塩掛地蔵の由来
何時のころからか、塩を供えてお願い事をすれば必ず成就すると言い伝えられています。
お塩が供えられていましたよ。

「連理塚」
江戸時代の悲恋の主人公「平井権八(ひらいごんぱち)」と「小紫(こむらさき)」の二人が静かに眠る供養塔(塚)がこの中に祀られています。

お参りして、隣接する神社へ。

桐ヶ谷氷川神社

なかなか絵になる参道です。
拝殿は階段の上。この階段の右側は・・・・・
鉄砲石
幕末明治維新の志士等が品川宿御殿山の料亭「履物楼」の庭内で鉄砲の標的(まと)に使われたと言われる石で弾痕(たまあと)が残る一名「鉄砲石」と言う

氷川の懸泉

階段上部から水が流れています。

「氷川の懸泉(ひかわのけんせん)」は、もともとは本物の天然の湧水でした。 
安樂寺のすぐ隣(裏手)にある「桐ヶ谷(きりがや)氷川神社」の境内にあった、江戸時代から明治・大正期にかけて非常に有名だった滝のことです。 
この滝の水源と、現在のちょっと切ない状況には以下のような歴史があります。
💧 江戸七瀑布の一つだった「氷川の懸泉」かつての大爆布: この地域一帯(武蔵野台地の末端の崖)は非常に湧水が豊富な場所でした。江戸時代の末期にその湧水を利用して整備された滝が「氷川の懸泉(氷川の滝)」です。 
隣の安樂寺へも注がれていた: 約4.5メートルの崖を2筋の滝となって流れ落ちるその水量と美しさは圧倒的で、「江戸七瀑布」の一つに数えられていました。
⚠️ 現在の「氷川の懸泉」はどうなっている?
周辺の都市開発や宅地化が進んだことで地下水脈が変わり、一時期は完全に水が枯れてしまう「枯水状態」になってしまいました。 

しかし、その後の境内の改修工事の際に奇跡的に再び水が湧き出すようになりましたいまの姿: かつてのようにザブザブと豪快に流れ落ちる滝の姿(懸泉)は見られなくなってしまいましたが、今でも崖の巨石の隙間からささやかな天然の湧水がチョロチョロと生き続けて流れています
手水舎にも使用: 現在、桐ヶ谷氷川神社の境内にある手水舎(お参り前に手を清める場所)の水も、この復活した貴重な湧水が使われています。

by google AIより。

枯水状態から奇跡的に復活したのですね!!!!!

参道階段を上ります。目黒川の断崖なのしょうね。
手水舎
「この水は飲めません」となっていますが、残念ながら水は出ていませんでした。
拝殿
いや~、立派な氷川神社です。

桐ヶ谷氷川神社は、品川区西五反田(不動前駅から徒歩約3分)に鎮座する、旧桐ヶ谷村の総鎮守です。

安樂寺、池田山公園、自然教育園と同じく武蔵野台地の末端(崖線)に位置しており、江戸の歴史と豊かな湧水の記憶を今に伝える非常に趣深い神社です。 
⛩️ 桐ヶ谷氷川神社の主な歴史と見どころ
1. 江戸時代からの歴史と「神仏分離」の背景創建: 詳しい創建年代は不詳ですが、江戸時代初期にこの地が開拓されて「桐ヶ谷村」ができた頃には、すでに村の守り神として祀られていたとされています。
安樂寺との深い繋がり: 江戸時代、この氷川神社はすぐ隣にある「安樂寺」が管理する別当寺(一体の施設)として運営されていました。明治時代の「神仏分離令」によって神社とお寺に分かれましたが、今でもお隣同士として緊密に隣接しています。

2. 戦火を免れた「昭和13年建立の木造社殿」境内にある立派な木造の社殿(権現造り)は、昭和13年(1938年)に竣工されたものです。
第二次世界大戦中、周辺の一帯は激しい空襲に遭いましたが、この神社の境内は奇跡的に戦火を免れました。そのため、戦前の美しい檜(ひのき)の白木や細かな彫刻、唐破風(からはふ)の建築美がそのまま現存しています。 

3. 明治期に集結した「村の神様たち」看板(忍田稲荷の由緒)にもあった通り、明治41年(1908年)に、旧桐ヶ谷村の中に点在していた「八幡神社」「諏訪神社」「廣智神社(第六天社)」がこの本殿に合祀されました。
その際、かつて東五反田の袖ヶ崎神社にあった由緒ある「忍田稲荷大明神」も末社としてここに遷され、地域の信仰の中心地となりました。 

4. 今も生きる湧水と「手水舎」以前お話しした、かつて「江戸七瀑布」と称された大滝「氷川の懸泉(氷川の滝)」は、本殿の右側の崖にありました。
一度は開発で枯れてしまったものの、その後に水量が奇跡的に復活し、現在あなたが手を清められた「手水舎(てみずや)」の龍の口から出る水として、今も天然の湧水(地下水)がそのまま使われています。

by google AI文字起こし
神輿庫と本殿
境内社の忍田稲荷大明神

由 緒
忍田稲荷大明神(保食神(うけもちのかみ))
人皇第百五代崇徳天皇保延三年(一一三七年)京都稲荷山より忍田稲荷大神を、美白なる古狐福嶋神社に勧請されたと伝えられる(八五〇年前)。
明治四十一年九月桐ヶ谷村の八幡神社・諏訪神社・當(当)神社の御祭神を氷川神社に合祀さる。その折袖が崎(そでがさき)神社の御祭大神を当神社の末社として勧請し今日に至る。平成三年九月 宮司 山口直比古 記

by google AI文字起こし

お参りをして、「不動駅」へ。


蕎麦や・あざみ AZAMI
月山は美味しゅうございました^^
手打ち蕎麦と看板に書いてあったが・・・・
不動駅
目黒不動尊から結構遠いんだけど・・・?

駅名になっている目黒不動尊(滝泉寺)までは意外と距離があります。「不動前」という駅名なので駅のすぐ目の前にあるように思えますが、実際は駅から徒歩で約10分〜12分(約700〜800メートル)ほど離れており、しかも道中は緩やかな上り坂になっています。
⛩️ なぜ「不動前」という駅名なの?
開業当時の慣習
: この駅(目黒蒲田電鉄)が開業した1923年(大正12年)当時、目黒不動尊は東京周辺で屈指の大人気参拝スポットでした。「お不動さんの前(手前)にある駅」として一番分かりやすかったため、少し離れていてもこの駅名が採用されました。

by google AIより。

梅雨明けのような暑い日でした♪
ずっとマイケル・ジャクソン聴きながら~♪

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