新しき道・旧き道



<新しき道・旧き道>@笠ヶ岳山麓原生林
新穂高登山口は北アルプスの裏玄関と呼ぶにふさわしく、さまざまな名峰への入り口となっている。
日本百名山の一つ笠ヶ岳はどこから見ても綺麗な傘の形をした山容で、北アルプスの山に登ったことがある人なら必ず目にしたことがあるはずだ。槍ヶ岳と笠ヶ岳はすぐに目につくので、その名を知らない人は少ない。
今回は笠新道と呼ばれるコースを歩く。名の通り、このコースは近年になって整備された新しき道だ。山岳信仰の薄い北アルプスの奥山では山頂へ直接向かう道はほとんどない。しかし、そのおかげで山麓部分にはブナ・ミズナラの原生林が広がり、次いでヒノキ、ダケカンバ、ツガと続く。
森林限界となる杓子平までの道のりはひたすらスイッチバックを繰り返す。北アルプスの中でもとびきり急斜面を登っていく。その道のりは原生林好きではなければ、飽き飽きするだろう。しかし、私にとってはご褒美のような時空間だ。
とはいえ、私がこのコースをずっと歩くのを躊躇っていた理由はまさにこの急登にある。テント泊の重たいバックパックを担いで、笠ヶ岳直下の野営地までの標高差1700Mの登山。その間に水場はない。真夏は避けたいが、野営地の気温を考えると夏がいい。さらに野営地の水場は7月下旬には枯れる可能性がある。夏にしか北アルプスに来ることができない私にとって、チャンスはそう多くないのだ。
今回、たまたま空いた2日間。さらに天気を見てみると曇りマークが続く。このチャンスを逃せば、次いつになるのかわからないと思ったのだ。そして、その判断はナイスだった。この日は1日ずっと雲の中。太陽光は午前中に少し射した程度で、ほとんど見ることはなかった。稜線に出るまでの間は晴れないでほしいという望みはハイカーたち共通だ。
もちろん樹林帯では汗をたくさんかいたのだが、杓子平に着いた時には完全に雲の中で、ときおり雨が降って、少し寒いくらいだった。笠ヶ岳に着いたら、一気に晴れてくれないかなとありえない展開を望みたくなるのもまたハイカー共通だろう。
杓子平から最後の坂を登り切ると抜戸岳のすぐ横に辿り着く。ここからは稜線をひたすら南下していくだけだ。この道は旧き道だ。かつて明治初期に日本の山々を次々と登頂していったイギリス人宣教師、ウォルター・ウェンストンが歩いた道である。




彼は日本アルプスという名をつけて広めたが、宣教師というイメージよりも登山家や探検家といったイメージの方が強く残っている。彼の名著「日本アルプス 登山と探検」はその後の登山家やハイカーはもちろん歴史研究家や文化人類学者にも色濃く影響を与えたようだ。ぜひとも彼の記録や著作に目を通してもらいたい。
雲の中の道はゴールまでの距離や時間が全くわからない。ときどき現れる看板がなければ、自信を持って歩けないだろう。現代ではGPSマップがあるから安心して歩けるが、数十年前までは地図とコンパスで、それより前はまったく安心感もなく歩いていたことだろう。
やはり山頂についても雲は晴れなかった。山頂を示す看板を信じて、写真を一枚撮る。そして、すぐに野営地へと下山する。私はいつも山頂ではゆっくりすることもなく降りていく。
未知に対する憧れは強く、それを追い求めるような旅にはロマンがある。そして辿り着くと達成感がある。しかし、そこには安心感はない。手に入れるまではあれほど強く望んでいたのに、手に入れた途端に興味がなくなってしまうことを経験したことがある人は多いだろう。
道があるということは歴史があり、文化があることだ。それはヒトが遺した跡であり、刻印した時間の痕である。私には憧れの土地があり、道がある。しかし、どうやら私の憧れは道そのものにあるらしい。道に残る軌跡に、道に宿る情景に強く惹かれるようだ。旅は点を埋めていくスタンプラリーではなく、点と点をつなぐ間に起きる。
早々に野営地に降りてきて、ご褒美のチャイを入れて、お菓子を頬張る。すると目の前にライチョウの親子が姿を見せてくれる。「そうかそうか、この天気ならライチョウが安心して出歩くんだった」とうなづきながら、彼らを観察して時間を過ごす。
ライチョウは氷河期からずっと雲の中を歩いて暮らしている。晴れている日はハイマツの中で休んでいることが多い。彼らにとって雲の中こそが楽園なのだ。
ライチョウがハイマツの低い森の中に入っていってしばらくすると雲が一瞬だけ切れて青い空が見えると、やっと笠ヶ岳山頂が姿を見せる。そしてすぐに雲の中へと戻っていく。
氷河期の頃にヒトはここまで来ていなかった。そこに道はない。ただ山があり、森があり、巨木と巨岩が佇んでいる世界。私が一番強く憧れる土地には道はなく、ヒト以前の光景が見たい。その想いはハイカーではなく、ウェンストンら探検家たちと共通の想いだろう。



