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「THE W」終了という微熱の終わり。私たちはいつまで、テレビの「延命治療」に付き合わされるのか

女性芸人の賞レース「THE W」が、今年から開催されない見通しであることが報じられた。理由は視聴率の低下や、局側が立ち上げる新番組へのリソース移行など、いかにもテレビらしい「コスパと損得勘定」の結果だという。

このニュースを聞いた時、私たちの胸に去来したのは「ついに終わるのか」という絶望ではなく、「ああ、やっぱりね」という妙に冷めた納得感、あるいは「ようやく一つ片付いたか」という安堵ではなかっただろうか。

2017年の立ち上げ当初から、この大会は構造的な無理を抱えていた。「女性芸人」という、今やジェンダー論の観点からも扱いがデリケートな括りで無理やりジャンルを縛り、漫才、コント、ピン芸を同じまな板の上で競わせる。その歪さは最初から露呈していた。

それでも、新たな才能をフックアップした功績は確かにある。しかし、それも「一つの番組が役目を終えた」という綺麗な物語で片付けるには、この終了が透かすテレビの限界はあまりに生々しい。

1. 芸人の「人生」をタダ同然で汲み上げる、最悪のフリーライド

いまや日本のテレビは、「お笑い賞レース」という劇薬に依存しすぎていた。

冬になればM-1、春になればR-1、秋になればキングオブコント。その合間にTHE Wを挟み、さらにベテラン向けの大会まで引っ張り出してきた。なぜテレビ局がここまで賞レースを乱発したのか。理由はシンプルで、「これ以上ないほど安上がりに、数字と話題性が稼げるから」に他ならない。

本来、新しいお笑い番組を作るには、優秀な放送作家を集め、何度も会議を重ね、豪華なセットを組み、リハーサルを繰り返す必要があった。かつてのお笑い黄金期のような「文化としてのコント番組」をイチから作る体力は、今のテレビにはない。

だから彼らはシステムに逃げた。

芸人が人生を賭けて、勝手に磨き上げてきたネタを、審査員席を組んでカメラで抜くだけ。芸人の「生殺与奪の権」を握ることで、その熱量という原油を無尽蔵に、かつタダ同然で汲み上げ、消費し尽くす。

テレビは、他人の人生の切り売りで番組枠を埋める「巨大な中間搾取マシーン」へと成り下がっていたのだ。

しかし、毎年4つも5つも「日本一の芸人」が量産される世界線で、その称号にどれほどの価値が残るというのか。かつて約束されていた「人生一発逆転」のゴールドチケットは、今や「数ヶ月だけ優先的にテレビのひな壇に呼ばれる、短期の派遣労働契約書」程度にまでデフレしている。

2. なぜテレビは「採点」と「お涙頂戴」を諦められないのか

テレビがここまで賞レースという形式に執着した本当の理由は、「視聴者に安全圏からのマウントを取らせるため」だ。

純粋なネタ番組は、視聴者にとって「面白いか、面白くないか」の主観で終わる。しかし、そこに「審査員」と「得点」が加わった瞬間、リビングの視聴者は全員が安価な評論家に変貌する。

「今年の審査員の基準はおかしい」「技術的にはこっちの勝ちだ」――SNSで他者を採点し、叩き合うという現代人の最も卑俗なエンタメ欲求を、テレビは「国民的お祭り」という大義名分で正当化し、燃料を投下し続けた。

さらに言えば、テレビが本当に映したいのは「お笑い」ではなく、芸人が流す「悔し涙」や「楽屋裏のドキュメンタリー」という安易なエモさだ。

お笑いという、本来は「正解のない不条理な芸術」であるはずのものを、無理やりスポーツのような数値(100点満点)に落とし込み、煽りVTRで味付けして大衆に差し出す。これはテレビがYouTubeやTikTokといったネットコンテンツに対抗するために編み出した、最悪の延命措置(ドーピング)だったのではないか。

3. 「全盛時代の終わり」ではない。テレビというメディアの「サレンダー」

今回の「THE W」終了、そして形を変えた新番組への移行。これはお笑い界の転換点というより、テレビというメディアの「ギブアップ宣言」のように見える。

もうテレビ局には、大掛かりな生放送を仕切り、利害関係の調整に四苦八苦し、SNSの炎上に怯えながら審査員を並べる体力も気力も残っていないのだろう。だからこそ、もっと気楽に、もっとカジュアルに、SNSでバズりそうな若手を並べて「コスパ良く消費できるコンテンツ」へ逃げ込もうとしている。

今後は、数ある大会の中から本当に必要なものだけが生き残る時代へ移っていくのかもしれない。だがそれは裏を返せば、テレビが「文化を育てる王者の座」から完全に滑り落ちたことを意味する。

かつてテレビは、新しい笑いを作り出し、時代のカウンターとして機能するメディアだった。しかし今や、賞レースという「芸人のガチの努力」にフリーライドしなければまともな特番すら作れなくなり、それすらも維持できずに店仕舞いを始めている。

「THE W」の幕引きは、お笑いバブルの崩壊ではない。

テレビというシステムが、自ら蒔いた「エモと採点のインフレ」という毒に耐えきれなくなり、静かにフェードアウトしていくプロローグなのだ。私たちはいつまで、この斜陽メディアの延命治療に付き合わされ、液晶画面の前で「審査員ごっこ」を続けさせられるのだろうか。

参考記事

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