見出し画像

【最終回考察】TXQ FICTION『神木隆之介(4)』:顔の消失とデリダ的主体、あるいは私が「カルト」に取り込まれるまで

4週間にわたって繰り広げられた、この悪趣味で極上のゲームがついに幕を下ろした。

『TXQ FICTION 神木隆之介』最終話。放送終了直後から、ネット上では「神木は照喜に憑依されていたのか」「あの上映中の涙の真意は何か」といった熱狂的な議論が渦巻いている。

前半で「水島輝久の物語はすべて私が作った嘘(フェイク)だ」と種明かしをしておきながら、後半でその嘘と全く同じ痕跡(照喜という本物の怪異)がてるちゃんハウスで発見されるという、鮮やかな反転構造。

この結末を受けて、私は前回の記事で展開した自らの考察を一部棄却し、同時に、この作品が我々に仕掛けた「真の罠」について、ひとつの内省的な総括を行いたい。

破壊された中位レイヤーと、攪拌される境界線

前回の記事で私は、占い師イヌイと母親による「魂のスワップ儀式」という仮説を立て、それを子役の搾取構造の暗喩として論じた。

結論から言えば、この物語内部におけるロジック(下位レイヤーの整合性)は、制作陣の手によって見事に梯子を外された。彼らは「悲惨な子役のドラマ」としての緻密な整合性をあえて途中で投げ捨て、最後は「照喜」という理不尽で本物の怪異(異常)を現出させることを優先したのだ。

神木の作った「嘘」が、なぜか「現実」の怪異と一致してしまう。視聴者はその理不尽な恐怖の前に、これまで積み上げてきた細かな伏線考察を無化させられることになった。

しかし、私の考察はすべて的外れだったのだろうか。いや、そうではない。
ここで、各話の配信サムネイルという、外部(メタ)の視覚情報に注目してほしい。

視覚化された「デリダ的主体」のスペクタクル

TVer等で配信されている第1話から第4話のサムネイル画像を並べると、ある一貫した演出に気づく。回を追うごとに、神木隆之介の「顔」が激しくブレていき、最終話では識別不可能なノイズとなって完全に消失しているのだ。

第1話サムネイル
第2話サムネイル
第3話サムネイル
第4話サムネイル

「他者の亡霊によって、自己の顔が揺らぐ」。

驚くべきことに、この視覚的メタファーは、本作のすべての階層(レイヤー)を完全に貫き通している。

  • 下位レイヤーにおいては、輝久と晃久という二人の少年のアイデンティティの混濁として。

  • 中位・上位レイヤーにおいては、神木隆之介という肉体と「照喜」という怪異の境界線が攪拌され、識別不可能に追いやられていく恐怖として。

  • そして私が指摘し続けてきた最上位レイヤー(真の動機)においては、神木隆之介という強固なパブリックイメージの中に異物(ノイズ)を混入させ、自らの虚像を解体・攪乱するという「自己防衛と復讐」のプロセスとして。

哲学者のジャック・デリダは、確固たる「自己」など存在せず、主体とは常に「他者の痕跡(トレース)」によって構成され、揺らぎ続けるものであると説いた。

この『TXQ FICTION 神木隆之介』という企画の真の狙いは、まさにこの「デリダ的な主体像の崩壊」を、神木隆之介という誰もが知るスペクタクルな主体(国民的アイコン)を通じて描き出すことにあったのではないか。

そう考えれば、ラストの神木のあの「涙」すらも、この最上位のストーリーラインに沿った完璧な「演技」として回収される。混ざる主体が輝久から照喜に変わっただけで、「パブリックイメージを破壊する」という最上位レイヤーの企ては、一片の揺るぎもなく完遂されたのである。

考察という名の防壁、あるいは「カルト」への帰依

第1弾の記事の冒頭で、私はこう書いた。
「TXQ FICTIONシリーズの常として、考察勢を煽るだけ煽っておいて、最後は『視聴者を嘲笑うだけの悪意でした』と梯子を外すのが最大のオチである可能性は重々承知している」と。

わかっていたはずなのだ。

にもかかわらず、私は「子役の搾取構造」や「神木隆之介の実生活」といった補助線を引き、超メタ的な構造論を構築することで、この理不尽な悪意から身を守るための「安全な防壁」を築き上げてしまった。

劇中において、ラーメンを啜りながら他者の死をエンタメとして消費していた制作スタッフたちを覚えているだろうか。あの緊張感の欠如こそが、我々自身の姿だったのだ。

私は「考察」という知的な遊戯の皮を被りながら、この悪趣味なゲームを4週間にわたって骨の髄まで楽しんでしまった。「大人の欲望によるアイデンティティの簒奪」を声高に批判しておきながら、私自身もまた、神木隆之介というアイコンを自らの批評の「器」として嬉々として消費していたのである。

見事な敗北である。

自らが築き上げた防壁すらも彼らの手のひらの上であり、あの神木の涙の前にその壁が音を立てて崩れ落ちた時、私はようやく理解した。

私自身がすでに、この「エンタメという名のカルト」に最も深く取り込まれていたのだということに。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集