どこまでが人間の能力と言えるのか?
2026年4月現在、100m走の世界記録はウサイン・ボルトが2009年の世界陸上ベルリン大会で記録した「9秒58」である。
食事管理も、科学的トレーニングも存在せず、クラウチングスタートなどの技術もない、縄文時代や中世ヨーロッパ時代の人間がこの記録を超えるということは、まず考えられない。
となると、恐らく有史以来最も早く100mを走った人間ということで間違いないだろう。
第2位はタイソン・ゲイの「9秒69」でその差は0.11秒である。
0.1秒差は約1m差が開くので、かなり離れてると言っていい距離だ。
実際の決勝グループでは、0.03〜0.05秒くらいの差でゴールすることが多い。
まばたきが0.1秒から0.2秒なので、その半分にも満たない時間である。
その一瞬の差で人の肩幅くらいの差がついてしまうのだ。
100m走のトップグループは「100分の1秒」の世界で勝負をしている。
この記録はいったいどこまで伸びるのだろう。
かつては、人間が100m走で10秒を切ることは不可能と言われていたらしい。
私が子供の頃にベン・ジョンソンが9秒79という驚異的なタイムを叩き出し、その際も今後この記録は当分破られないだろうと言われていた。
しかしその後、ドーピングが発覚しこの記録は無効となり、彼は金メダルを剥奪された。
だが、そのチートを使った記録をボルトは0.21秒も更新したのである。
ホモ・サピエンスという種の物理的な限界を1ミリ、0.01秒ずつ押し広げようと、たった10秒に全てを賭ける。
その「未知の領域への到達」という挑戦は尊敬を禁じ得ない
・・さて、十分に敬意は示したつもりなので、ここからの妄想は多少寛容に受け取ってくれるだろう。
ここで私が注目したいのは、ベン・ジョンソンの出した9秒79という記録である。
彼は筋肉増強剤「スタノゾロール」というステロイドを使用してドーピング違反となり、メダルを剥奪された。
公平性を保つため、アスリートの健康を守るため、スポーツの価値を損なわないためにドーピングが厳しく禁止されているということは当然である。
しかし、例えば誰もが簡単に購入でき、完全に健康的で驚異的にパフォーマンスが上がるサプリメントが開発されたらどうだろう。
やはり、純粋な肉体の勝負からは外れてしまうので使用は禁止されるのだろうか?
一方で一般人は日常的にその薬剤やら食品を摂取するのが当たり前の世界になり、多くの人が100mを10秒台で走れるようになったとしたら。
早く走ることは誰でもできるようになったけど「ナチュラルな身体にこだわる特殊な人たち」という枠組みに括られてはしまわないだろうか?
トレーニングの面で見ると、高地トレーニング(標高が高く、酸素が薄い環境で運動し、酸素摂取能力を高めるトレーニング)を禁止するという競技は今のところないと思う。
しかし、得られる結果としては、赤血球を増やして酸素運搬能力を高めることになり、これは禁止されているエリスロポエチン(EPO)製剤の投与と実質的には同じことである。
低酸素という過酷な環境に身を置き、身体の反応として自ら赤血球を増やすというプロセスをたどったか、外部からただ物質を注入しただけかが判断基準になっているのだろう。
そうでなければ、高地に住んでる人は有利だから、標高何メートル以上に住んでる人は大会への参加を認めないということになってしまう。
個人的には善悪の問題はともかくとして、ドーピング何でも有りという大会があったら見てみたい気もする。
それこそ100mは8秒台、走り幅跳びは10m、野球のピッチングは180kmなんていう化け物みたいな記録が出てしまうかもしれない。
実はこれ、現在進行系の話で、オーストラリアの実業家アーロン・デスーザの提唱でエンハンストゲームズという大会が2026年にラスベガスで開催される予定らしい。
この大会は薬物の使用に関する国際競技連盟のルールを無視して開催され「科学の力で人間の限界を突破する」ことを目的とした、世界初のドーピング容認大会となる。
当然、賛否両論起こっているようだ。
全く別の方向から考えて、人間の体をサイボーグ化していった先にスポーツはどうなってしまうのかという疑問もある。
カーボンナノチューブでできた強力な筋肉や、体内にナノマシンを入れ、修復や酸素供給をおこなったり、そもそも遺伝子を編集して筋肉量や回復力を強化したり・・etc。
これらが日常生活でも自然なレベルで導入され始めたとき、サイボーグ部門と、ナチュラル部門で競技が分かれたりするのだろうか?。
現在でもクレー射撃はコンタクトレンズ不可、裸眼に限る、とはなっておらず、視力という能力をテクノロジーの力で補っている状況だ。
あ、なるほど。
補ってるというのがキーポイントなのか。
マイナス5を0に持ってくのはいいけど、プラス20にしてはダメだよということですか。
つまり、コンタクトレンズにズーム機能がついてたらこれはアウトということだ。
ちなみに現在、義足ランナーの男子陸上100mの世界記録は、ヨハネス・フロアスの10秒54と、すでにボルトとの差は1秒までに縮まってきている。
大前提として競技者の血の滲むような努力で記録が伸びるということは言うまでもない。
そのうえで、タンパク質で作られた人間の足と比べ、義足は「速く走る」ことに最適化することができるので、この差はさらに縮まっていくだろう。
そして、その性能がさらに向上し、世界最速の記録を超えた時「能力を補う」という考え方から「能力を拡張」するという考え方へのパラダイムシフトが起きるのではないだろうか。
スポーツというもの、肉体というものを再定義する時代がそう遠くない未来に訪れるかもしれない。
いや、スポーツに限らず、知能もきっと同じだろう。
攻殻機動隊のように脳に直接データやスキルを送り込むことができるようになれば、学習という概念も大きく変わる。
今の時点でも、スマホの誕生によって、記憶の一部や思考の補助をアウトソースしている状態であり、脳の外部デバイスのような機能を担いつつある。
「よーし、健二の来月の誕生日には数学Aをインストールさせてやるか」という世界になったとき、センター試験は意味を持つのだろうか?
それともやっぱり、生身の脳でなければダメです、ということになるのだろうか?
その世界において、能力=資金力という構図になってしまったら悲しい。
思考力、応用力、創造性といった部分で対抗できる道が残されていてくれればいいのだが。
私に限って言えば、100mを10秒とまでは言わないので、ヘルニアで痔瘻で肺に穴が空きそうで、視力は0.01以下というマイナスのこの体をせめて「0」にもっていて欲しいものである。
