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僕の名前を呼んで

吾輩は人である、名前はまだ無い。


27歳になる前に、ちゃんと見てみたかった景色を想像した。自分の人生を他人が生きている感覚で過ごしている最近。他人の人生を自分ごとのように捉えている最近。皆がどうか同じ地獄でありますようにと夢見ている最近。どんな毎日でも、どんな私でも、私としてしっかり生きているはずなのだけれど、想像していた未来とは違う。

昔働いていた会社にいた、当時27歳の女性。その時の私は24歳。当時の私はその27歳の彼女を見て、若いなと思った。見た目もだけれど、中身もなんだか若かった。24歳の私が27歳に共感できることが多少なりとあったのは、私が大人だったからなのか、彼女が子どもだったからなのか。

そんなことをその当時は思っていたけれど、いざ自分が27歳という線を跨ぐとなったら、別にあの時の私は大人でもないし、あの時の彼女は子どもでもない。24歳の私と今の私は、そう大差はないように思う。変わったことといえば、人間はそう簡単に変わらないという気持ちと、ほんの少しは落ち着いた、くらいか。

27という数字に対して、子どもでもいられないし、大人にもなりきれない。年下を見れば、「若え〜!」と言うけれど、おばちゃんムーブをかますほど、そんなに世界のことは知らない。未だに支払いとか制度とか、なんだかよく分からない。


27歳になるのは、星野ぱんつさんじゃなくて、小宮山亜実ちゃん。うわ、久しぶりにこの字面見た。私は菊池になったり、桜井になったり、変遷を経て、結果母の苗字の小宮山になったわけだけれど、苗字も名前も何一つしっくりきたことが無い。「小宮山さん!」と呼ばれるのは、病院や役所で呼ばれることがまだあるので反応出来るけれど、「亜実」と呼ばれると非常に反応が鈍い。

自分の名前と同じ人ってなんとなく呼びにくい感覚があるらしいけれど、私の周りに「あみちゃん」が多いから慣れたのか、それとも自分を「あみ」と思っていないからなのか、どうも全然自分とは繋がらない2文字に感じる。


あの頃よりも随分呼ばれなくなった名前。以前、自分の名前を題材に、風音ちゃんのアンソロジーZINE「よい花はあとから」に日記を寄稿したことがある。

「ぱんつ」という名前そのものが私を守る武装だと気付いて、ぱんつで居続けようと決めたのは、この日記を書いた24歳のあの頃。あの時はあまり、自分の名前が好きじゃなかった。というよりも「亜実」という存在そのものが好きじゃなかった。

弱くてすぐ泣く、優しくもなければ、優しくもないから人を守る強さも、自分を守る盾もない。強くもない、何も持っていない。かろうじて持っていたのは、自分と最低限向き合うための特訓用の剣。分かっていたのは、その剣は誰かの剣とぶつけ合うためのものではない、その剣は人を傷つける為には使わない、ということだけ。

いつから亜実じゃなくなったのだろうか。考えたこともないけれど気がつくとぱんつで、そうでなければいけないという勝手な判断で、本当は寂しがりやな筈の亜実ちゃんはどこかに行ってしまった。人生の中で、沢山置いてけぼりになった時があったのに、私すらも僕を置いてけぼりにするんだね。

最近、亜実ちゃんと呼んでほしい時がある。皆が皆に、どんな時にでもそうではない。それがいつかは、誰かは、何かは、正直全く見当が付かない。たまに急に、ハッとそう思う時がある。強くいることを、人を疑うことを、敵かどうか考えながら生きるのを、本当はもうやめたいのかもしれない。純粋に、真っ直ぐに、受けとって、傷ついて、傷付けて、人を私の地獄に巻き込みたい、のかもしれない。

あの時みたいに、子どものままでいたい。何も知らなくて、傷付けて、何も知らなくて、傷付けられて。だから今悲しいけれど、あの時は「亜実」と誰かが抱きしめてくれた。今は、どうだろう。あの時みたいに何度でも、私の名前を呼んで。


僕の名前を、呼んで。



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