中間管理職とはよく言ったもので⑯~責任を負わせるのは必ずしもネガティブな意味ばかりではなく…
会社専用のケータイとか、そんな要求いまだにありますか?
わたしたちはひとりの従業員にすぎず、かといって会社の歯車でもなく、自立した社会人として、組織の一員として、方針なり社風なりを守りつつ、経営の順調さを保つために、日々精進しなければならないわけです。雇用主はもとより、顧客や関係業者などのために。いわずもがな自分自身の生活の為に。
仕事をしているとかならず”不満”をいだくようになってます、にんげんというやつは。ただし、わたしと同じ”いち従業員”がこぼす愚痴は割り切って聞いてあげてますが、どうしても許せないワードがあります。
「”この会社”って、なんでこうなんですかね?」
この会社!?
自分の勤めている会社の表現の仕方で、最もゲスな言い方だとわたしは思っていて、ぜったいに使いません。”わたしの会社”です。
さっきも書いたように、わたしはいち従業員で雇用主でも経営幹部でもありませんが、わたしにとってはやはり”わたしの(属している)会社”です。
自分の勤める会社にバイト感覚で通ってるのならばともかく、社員としてお給料やボーナスももらい、会社の理念にある程度沿った行動をしてるのに、ひとごとのような表現で自分の会社を揶揄し、自らの責任がぼやけてる若者がいます。
しかたありません。時代です。
仕事中は、会社用のケータイを使いたいですね。自分のケータイを使うのは、いかがなものでしょう。
パソコンは、支給してほしいですね。自分のパソコンを持ってくるのは、避けたいところです。
仕事終わった後に電話がかかってきても、出ませんよ。LINEでお願いします。
お客さんにはケータイの番号は教えてませんよ。だって、会社に電話してもらえればそれでいいじゃないですか。
わたしだって、そうは思っていた時期はちゃんとありましたよ。でも、どうしてもこの仕事の性質上、ケータイは個人のモノの方が合理的だし二度手間にならないし、パソコンだって家で作業するときだってあるんだから、自分のものでもかまやしないです。
それでも、ぜんぶがぜんぶ自己負担というのは、合点がいかないのはわかります。理解できます。じつはそこに仕事に対する本気度が見え隠れするのですが、それはさておき…。
葬儀社という仕事の特性上、仏様をきれいにメイクすることがあります。いわゆる”死に化粧”というものです。その道具はそれぞれ自分で買いそろえました。自分で使うものですし、多少のお金がかかっても、自分への投資だと思えば迷うことはありません。大工さんのような職人さんだって、きっとそうだと思いますが。
それでも、会社で購入した化粧道具しか使わない、というひともいるでしょう。会社で支給したものしか使わないひとも。それはそれでいいのですが、モチベーションを可視化すると、はたしてそれでいいのでしょうか。
わたしの目的は、若者のモチベーションの向上にあります。必要なものをそろえたからモチベーションが高まるのであれば、いくらでも揃えますが、そんなに簡単に行かないのがひとのこころ。それでも、ちょっとだけでもすくい上げたくて、準備したものがあります。
それが、冒頭の『手桶セット』です。これまでは、当社にある3セットを使いまわしで、その日埋葬の手伝いをする人が持ち出すという使用方法でしたが、ちょっと意識を変えたくて。
というのは、一部のひとばかりお墓に行くのもよくないな、と。一部の人だけスキルアップしていってしまうと、社員の足並みがそろわないし、経験値が上がらない面々は”遅れてしまった”感があるかな、と。
そこで、いってみれば”無駄な支度”なのかもしれませんし、”非合理的”なのかもしれませんが、ひとりずつ手桶セットを持ってもらおうかな、と。
わたしの勝手な判断ですが…。

10個ぐらい手桶セットが並んでるのも異様です。
「こんなにいるの?」って、言われても。正直要りませんがね。
それよりも、やはりひとりひとりの意識をちょっとでも変えたくて。
”会社のを拝借”だと、どこか”雇われマスター感”が出ませんか?
やはり、ひとりひとりがじぶんという喫茶店のマスターであってほしい。会社という組織に属してはいるものの、それぞれのコーヒーの味は追求していってほしい。その味にお客さんは付くし、その追求がひととしての成長につながるのだと、わたしは信じてます。
気づけばそれぞれの手桶にテプラで名前を貼りだしました。中に入ってる道具もひとそれぞれです。(ほほえましい!)こういう下準備にそれぞれのモチベーションを感じます。
たいした金額を投資した準備ではないのですが、テプラという責任を負って自己管理させて、互いに切磋琢磨しているという状況の可視化に成功しました。思いのほか、効果はあったようです。
