私の譲れないもの
夫に離婚を宣言して2年。
子供がもう少し大きくなるまでと、離婚を踏みとどまる選択をした。
しっかり考えて選んだはずのに、いつになったら自由になれるのかな?とか、
やっぱり今すぐ離れたほうがいいのかも。なんて揺れる日々を過ごしていた。
私は子供が生まれてから、親として子供にとって頼れる場所、安心感を与えれる関係性で在りたいと思っていて、夫と子供の関係もそうあってほしいと思っていた。
現実はなかなか上手くはいかず・・・。
最近になって、夫が積極的に子供に関わるようになった。それに応えるように子供は夫と過ごす時間を増やして、楽しそうにしている。そんな姿を微笑ましく思っていた。
ただ、同時に私はその輪に入る気にはなれず、モヤモヤしていた。
このモヤモヤはどこから来るんだろう。
夫と子供がそういう関係性を育めることを望んでいたはずなのに何故?
夫に子供を取られるような気がしているのかな?そうだとしたらずいぶんと自分勝手な話などとノートに思いを書き出してみたけど、モヤモヤは晴れず、
チャッピーに感情のラベリングを手伝ってもらった。
するとぐちゃぐちゃの気持ちの奥に、夫への想いが隠れていた。
色々な不満、怒り、十年以上も前のことなのに、今でも許せない気持ちが沸いてくる。
それと同時に、そんなことが離婚に値するのか。と、ふたをしようとする考えが現れる。
夫は不器用な人だから本当はわかってくれているけど、行動に現れてこないだけ。
そんなふうにずっと自分に言い聞かせてきた。
でも、そのたびに向き合おうとする姿勢が見えてこない悲しさが積み重なった。
これは私が感じたこと。夫がどう思っていたのかはわからない。
ただ言えるのは、私が大切にしたかったことが軽んじられてるような気がして、
苦しかったということ。
そんなに苦しくなるくらい、
私はパートナーシップにおいて、分かりあえなくても向き合おうとすることを大切にしたいと思っていたんだ。これが私の譲れない価値観なんだ。
そう思えた時、心がふっと軽くなった。
私はこの道を選んでいいんだって自分に許可を出せたから。
夫がわるい人だとか、そんなことではなく、私は夫との関係性でその価値観を満たすことができない。ただそれだけのこと。
夫と子供をみて淋しく思ったのは、
過去の私もそんなふうに夫に向き合って欲しかったから。
私が何を考えて、何を大事にしようとしているのか興味を持って欲しかった。
そんな、満たされなかった自分を重ねていたから湧き上がってきた寂しさだった。
もしかしたら、子供に向き合えるようになったように私にもそうなるかも。
そんな気持ちもよぎるけど、今はそこに喜びや期待はでてこない。
静かに別の道へ進むことに心から許可をだせた。そんな決意が静かに固まった日だった。
向き合おうとすることを大切にしたい。この価値観は、
これからの私が人と関わるときの道しるべになっていく。そんな気がする。
