あの一言が、僕の運命を創っていた。
2002年8月、初めての海外旅行で僕は離陸30分前に空港に着いた。
寝坊した。 前夜、友人と「出発前夜祭だ」と飲みすぎて、目が覚めたら終わっていた。
巨大なバックパックを背負ったまま、スタッフと一緒に空港を激走した。 ため息混じりの顔、険しい顔、それでも走ってくれる人たち。
なんとか乗れた。
席に座った瞬間、心臓がまだ鳴っていた。
隣に座っていたタンクトップの男性が、こちらを見てにやりと笑い、言った。
「すぐ慣れるよ」
その一言が、なぜか泣きそうなくらい嬉しかった。
この旅を決めたのは、居酒屋だった。
「どうせ海外行くなら、少数民族に会って象に乗ろうぜ」
20歳の春、友人とお酒を飲みながら、僕はそう言った。
特別な夢があったわけじゃない。確かな目的があったわけでもない。
ただ、このままでいいのか、という漠然とした焦りだけが、胸の中にあった。
スマートフォンも、翻訳アプリも、もちろんなかった時代。
連絡手段はネットカフェのEメールと、国際テレホンカードだけ。
地図は紙。頼りは中学レベルの英語と、直感だった。
バンコクに着いた瞬間、熱気と湿気とにおいが一気に押し寄せてきた。
タクシーに2回ぼったくられた。
トゥクトゥクに乗って、ウィリーするほどの爆走をした。
深夜特急でチェンマイへ向かい、外国人11人と山奥を2泊3日トレッキングした。
英語が話せず、輪に入れず、孤独だった。
言葉が通じない夜、暗い竹小屋でタバコを吸いながら、 「なんで俺はここにいるんだろう」と本気で思った。
でもある日、滝つぼにバック転で飛び込んだら、外国人から歓声が上がった。
「Ninja Hattori!」
格好つけるのをやめた瞬間、本当の交流が始まった。
そして、象に乗る日が来た。
ジャングルの奥で「パオー!」という声が聞こえた瞬間、 思わず立ち止まった。
僕はこれまでの人生で、目的のためにここまで苦労してきたことがあっただろうか。
ただ乗り場に行ってお金を払って乗っていたなら、この感情は生まれなかった。
寝坊して、ぼったくられて、孤独で、山奥で泥だらけになった。
その全部があって、今この瞬間がある。
まるで冒険映画の主役になったような気持ちで、 この感覚は一生に一度かもしれない、と思った。
その夜、山奥の闇の中でホタルを見た。
人生で初めて見るホタルだった。
弱く、でも力強く、光が舞っていた。
今やらなきゃ、いつやるんだ。
気づいたら、そう思っていた。
タイから帰国して1週間。 僕はもう次の旅を決めていた。
「あ、一緒に行きます?」
バイト中に先輩が「楽しそうだな、俺も今度行こうかな」と言った瞬間、 僕は無意識にそう返していた。
香港行きは一人旅の予定だったのに。
タイの「象に乗ろうぜ」と同じだった。 また、些細な一言が旅を変えた。
香港では、沢木耕太郎の『深夜特急』に出てくる重慶大厦で両替した。
ゲストハウスの深夜、見知らぬ旅人たちと笑い合った。
ピークトラムで百万ドルの夜景が広がった瞬間、乗客全員が同じ声を上げた。
「オオー!」「Oh-!」
国や言語が違っても、感動は同じだった。
その瞬間だけ、世界が一つになった。
その後、旅は続いた。
短大を卒業した後、アルバイトを掛け持ちして資金を貯め、 カナダへワーキングホリデーで渡った。
旅ではなく、生活としての海外。 そこで出会った人たちとは、20年以上経った今も、 家族ぐるみの付き合いが続いている。
旅は思い出になるだけじゃない。
人として、人生に残ることもある。
それをカナダで、体の奥まで刻み込んだ。
その後もアメリカを横断し、ヨーロッパをめぐった。
ユースホステルの4人部屋。
深夜特急での移動。
言葉が通じない駅で夜明けを待ったこともあった。
スペインでガウディの建築に出会ったとき、 自分の中で何かが静かに動いた。
「自分は、何に惹かれる人間なのか」
初めてそんなことを、真剣に考えた。
帰り道、パリからマレーシア経由で日本へ向かった。
マレーシアのマラッカで、夕日を見た。
沢木耕太郎が『深夜特急』に書いていた、あの夕日だ。
でもその頃の僕はもう、旅慣れていた。
帰国後の生活への覚悟と、追いかけたい夢があった。
だから僕は、日本へ帰った。
帰国後、僕は設計事務所に飛び込んだ。
ヨーロッパで見た建築が、忘れられなかったから。
学歴も経験もなかったけれど、「やらせてください」と頼み込んだ。
見習いから働きながら、二級建築士を取得した。
やっと手にした資格だった。
次は実務を積んで、一級建築士を目指す。 そう決めていた。
スキルアップのためにバリアフリーや福祉住環境を学び始めると、 介護施設の設計に興味を持つようになった。
でも現実は、思っていたより厳しかった。
長時間労働。
先の見えないキャリア。
夢を持ち続けることの難しさ。
そんなとき、昔からの友人が突然言った。
「看護師になる。学校に行く」
異業種への転身を、迷いなく決めた友人の一言に、 僕は衝撃を受けた。
そして不思議なことにその数日後、建築士の資格勉強で出会った人から数年ぶりに連絡が入った。
「福祉住環境コーディネーターを求めている法人がある。建築の経験が、ここでは貴重なんです。」
その言葉を聞いた瞬間、 胸の奥で何かが火を吹いた。
今やらなきゃ。
タイの山奥で、ホタルの光の前で感じた、あの感覚が戻ってきた。
やらずに後悔するより、やってみればいい。
逃げじゃない。攻めのチャンスだ。
やっと取った二級建築士への熱量を、そのまま福祉の世界に持ち込んだ。
福祉住環境コーディネーター。
ヘルパー2級。
社会福祉士。
その後、ケアマネジャー。
資格を取るたびに、あの夜のホタルを思い出した。
44歳になった今、思う。
建築と福祉は、全然違う世界に見えた。 でも今はわかる。
どちらも「人が生きる場所」を作る仕事だ、と。
建築は、物理的な「場」を作る。
福祉は、人の心の「場」を作る。
異業種だからこそ見える景色が、確かにある。
異国の地で、言葉が通じなくても伝えようとしたあの経験。
世の中には色々な価値観の人達がいるという実体験。
言葉がうまく届かない方や、周りと異なる世界観で生きづらい思いをしている方と向き合う、相談員としての仕事に生きている。
あの飲み会で「象に乗りたい」と言わなければ、 タイに行かなかった。
タイに行かなければ、 ホタルの夜の「今やらなきゃ」を体で覚えなかった。
バイト中に「あ、一緒に行きます?」と言わなければ、 一緒に香港に行かなかったし、「世界が一つになる瞬間」を知らなかった。
その感覚がなければ、 カナダへ行かなかった。
アメリカを横断しなかった。
ヨーロッパでガウディに出会わなかった。
建築を目指さなかった。
バリアフリーを学ばなかった。
福祉の世界に入らなかった。
社会福祉士にも、ケアマネにもなっていなかった。
そして、大切な人とも出会っていなかったかもしれないし、
パパにもなっていなかったのかもしれない。
すべてがつながっている。
飲み会の、たった一言から。
バイト中の、たった一言から。
転職の決め手になった、たった一言から。
あの時の、たった一言から。
「やらずに後悔するより、今すぐにできることからやってみればいい。」
たった一言が、 人生を思いがけない方向へ連れて行ってくれることがある。
今、僕は当時の日記を引っ張り出して、 noteに書き続けている。
情けなくて、笑えて、でも愛おしい記録。
19歳の日記を読み返しながら、 44歳の今の目線を重ねて。
旅は「もともとあった自分」を引き出してくれるものだと、 今なら思う。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
── マザー・テレサ
あの一言が、行動になった。
そしてその行動が、今の僕の運命を創った。
今日の何気ない一言や行動も、
きっと未来の僕の運命に繋がっているのだろう。
しおこめパパ 社会福祉士・ケアマネ・二級建築士/44歳・2児の父
スマホも翻訳アプリもない時代に飛び出した、 あの頃の旅の記録を書いています。 よかったら、読んでみてください。
noteタイ編(全20話・完結)はこちら
https://note.com/siokomepapa/m/mb05d5a2339ea
note香港編(全16話・完結)はこちら
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