日本人の自信と誇りを取り戻す
日本代表のワールドカップが終わった。
悔しいがブラジルの実力を認めるしかない。
4年後に借りを返して欲しい。
しかし日本代表が素晴らしいプレーと共に残してくれたものがある。
それは「日本人としての自信と誇り」だ。
ピッチ内外を通して、それを感じ取ることができる。
たとえば
・レッドカードをもらわないフェアプレー精神
(1998年初出場以来連続でレッドカードなし)
・失点後の円陣
・勝っても負けても礼に始まり礼で終わる森保監督
・試合後選手とスタッフによるロッカールームの整頓
・丁寧なマスコミ・サポーター対応
・サポーターによる観客席の清掃
・対戦国サポーターや開催国サポーターとも仲良くできる広い心
など。
日本国内を見ても同様だ。
・選手の母校での熱い応援
・勝てば渋谷スクランブルで盛り上がるが、交通ルールや警察の指示にはしっかり従う公共心
・SNSでは戦犯探しよりも健全な批判と労いの声
今や日本代表を見習い、他国チームが試合後ロッカールームを整頓したり、他国サポーターが観客席を清掃したりするのが当たり前になっている。
対戦した相手チームの監督や選手からは日本代表やサポーターの振る舞いを称賛されリスペクトされることも多い。
これだけのことを日本代表はやっている。
礼節、感謝、徳を体現している日本代表の振る舞いをぜひ教科書に載せて欲しいくらいだ。
子供たちへの生き方指導としての教材にして欲しい。


日本は80年前の敗戦から、日本人としての自信と誇りを失ってきた。いや失わされてきた。
これまで戦後復興、高度経済成長、バブル期を経て世界経済のトップクラスに踊り出たこともあった。
“ジャパン アズ ナンバーワン“とも言われた。
しかし所詮は経済の話であり、また経済という文脈の中でバブルと共に崩壊していった。
日本人は一瞬自信を持ちかけたが、それはお金で得た自信で、幻だった。
スポーツ界では、日本のお家芸である柔道、体操、水泳、バレーボールなどで金メダルを量産した。
ここでも日本人は自信を持ちかけた。
しかしそれも幻だった。
勝てば国民こぞって喜んだが、負ければマスコミを筆頭に大叩き。
負けたのは根性がないからだと、監督やコーチによる体罰が当たり前となり、オリンピックレベルだけではなく部活レベル、少年少女スポーツクラブレベルでも体罰や不適切な指導が行われた。
1990年代となると、今度は失われた30年だ。
国が誇れる産業はこの30年と共に失われていった。
かつての花形だった家電、半導体、コンピュータ産業は没落。
今や日本が誇れるのは、自動車とアニメくらいだ。
そして極めつけはコロナ期から急増する心の病気。
未だにマスクが外せない子供、不登校、いじめ、自殺者数の過去最悪更新。
子供に元氣がない。自信がない。誇りもない。
少なくとも僕にはそう見える。
そんな中、ワールドカップでサッカー日本代表が与えてくれたものは大きい。
経済でもない、根性論でもない、技術だけでもない、日本人のDNAとでも言うべき、我々に元々備わっている日本人としての自信と誇り。
もちろんワールドカップは商業主義だという声も承知している。
出場国を増やしたのも給水タイムも、商業主義の一環だと言うのも納得できる。
しかし、それ以上にワールドカップは国民の一体感を共有できる場だ。
そして各国代表が国の威信をかけて戦う場。
その戦いざま、振る舞いを見られるのがワールドカップ。
日本代表の戦いざま、振る舞いを見て、多くの日本人が「日本人としての自信と誇り」を取り戻す機会がワールドカップだと思っている。
海外で暮らしていると、楽しいこともたくさんあるが、それと同じくらい嫌なこと、悔しいこと、理不尽なこともたくさんある。
そんな中、日本代表のピッチ内外での奮闘が僕を勇氣づけてくれる。
そして多くの選手はそれぞれ欧州のクラブチームで活躍している。
しかしそこで受けるネガティブなことは僕の比ではない。想像を絶すると思う。
そんな彼らが日本代表というナショナルチームに戻って「日本人としての自信と誇り」を体現してくれるほど、海外在住者にとって希望となることはない。
日本はまだ大丈夫だ。
ただ時間はない。
一人一人が早く目覚めて「日本人として自信と誇り」を持てば、心の敗戦から抜け出し、日本が本当の意味で世界から称賛される日がやって来ると確信している。
