掌編小説「チェイサー」※シロクマ文芸部6/11お題「水を飲む」より
水を飲む音が、清潔な布巾でグラスを磨く音のようで、僕の視線は彼女の喉元に釘付けになった。
決して主役になろうとしない控え目なBGMは、辛うじて手元を照らす程度に調整した照明の中で、渡し守の役目を果たしている。
自分を見失わないように、客を導き、少しだけ晴れやかな表情で出ていけるように。
BAR「水の奏」は、今日も夜の街の片隅でひっそりと営業している。
見覚えのある、綺麗な女性がドアベルを鳴らして入ってきたとき、僕の記憶がくすぐられた。
中学のグラウンド。
水飲み場。
たまたま休憩に来た彼女と僕。
逆さにした蛇口から水を飲む彼女の喉元が、やけにセクシーで、見惚れた。
横目に見る彼女の視線が、どこか僕の不純を見透かすようで、逃げてしまった。
そのまま、この街にたどり着いた。
「いらっしゃ」
「ジョニーウォーカーの黒を。ストレートで」
凛とした声が、僕の歓迎文句をぶった斬って飛んでくる。
でも、不快ではなかった。
「チェイサーは?」
「お水をお願い」
気取らない物言いに、少しだけ郷愁を感じて、僕はプロとしてルーティンをこなす。
熟成された樽の深みをはらんだスモーキーな薫り。
上等な琥珀色が、見る者をサンセットビーチに連れて行く。
僕はバーカウンターに注文の一杯をセットする。
このカウンターは結界だ。
彼女と僕の境界を、明確に区切る結界。
バーテンダーと、客。
「どうぞ」
「ありがとう」
カウンターに座った彼女は、僕を見ることはなく、グラスをくゆらせて赤い唇に縁をつける。
妖しく喉元を過ぎていくジョニーウォーカー。
僕は、少しだけシルクハットの紳士に嫉妬を覚えて。
ふと、彼女が僕を見ていることに気付いた。
彼女はチェイサーの水を少しだけ口に含んで、それからゆっくりと飲み込んだ。
水を飲む音が、清潔な布巾でグラスを磨く音のようで、僕の視線は彼女の喉元に釘付けになった。
僕は、無意識に唾を飲み込んでいた。
その音が、やけに耳についた。
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