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奇曞ではなく探究の痕だった認知科孊の芖点で読む、倢野久䜜『ドグラ・マグラ』

『ドグラ・マグラ』
倢野久䜜の代衚䜜にしお、日本䞉倧奇曞の䞀぀。
最初に読んだのは確か䞭孊生の頃でした。
実際に読んでみるず、その異名に玍埗の出来だったこずを芚えおいたす。

粟神医孊、心理孊、遺䌝、蚘憶、自我、狂気。
いく぀もの孊説や蚘録が入り乱れ、物語の䞭に別の文章が入り蟌み、その文章の䞭から、たた別の話が立ち䞊がる。
読み進めるうちに、自分が䜕を読んでいるのかさえ怪しくなっおきたす。

では、なぜドグラマグラは、こんなにも難しいのでしょうか。

単に、倢野が難解な䜜品を曞いたから
それずも、扱っおいる題材そのものが理解できないものだったから
僕も長い間、そんな颚に考えおいたした。
ずころが改めお読み返すず、どうも少し違う気がする。

『これ、もしかするず「認知科孊」の話なのではないか』

もちろん倢野の時代に、珟圚のような認知科孊が存圚しおいたわけではありたせん。
ですが、倢野が延々ず栌闘しおいる「問題」を俯瞰しお芋るず、䞍思議なほど芋芚えがありたす。

人間は、本圓に自分で考えおいるのか。
蚘憶ず「私」は、どこたで同じものなのか。
自分が自分であるずいう感芚は、どこたで信甚できるのか。
人間は、自分の心の動きを本圓に理解しおいるのか。

これらは珟圚では認知科孊や心理孊等で、正匏な名前を䞎えられおいる問題です。
だから、もしかするず倢野久䜜ずいう䜜家は、ただ説明するための蚀葉が存圚しおいない珟象を、文孊によっお必死に説明しようずしおいたのかもしれたせん。

「脳髄は物を考える凊に非ず」を、読み盎す

『ドグラ・マグラ』の䞭でも、特に有名な䞀節がありたす。

「 脳髄は物を考える凊に非ず のうずいは、ものをかんがえるずころにあらず」

文字通りに受け取れば、かなり無茶な䞻匵です。
珟代では思考や刀断、蚘憶ずいった働きに脳が深く関わっおいるこずは、ほが疑いようがありたせん。
だから、この䞀文だけを芋お「倢野は脳の働きを吊定しおいた」ず読めば、単なる叀い珍説に芋えおしたいたす。

しかし、抜象床を䞊げお考えるず別の問いが芋えおきたす。
倢野が本圓に疑っおいたのは『人間は、自分が思っおいるほど「考えお」行動しおいるのか』ずいうこずではないでしょうか。

珟代の認知科孊のベヌスずも蚀っおいい、有名な考え方が存圚したす。
心理孊者ダニ゚ル・カヌネマンが広く玹介した「システム1」ず「システム2」です。

システム1は高速で、自動的で、盎感的な思考。

䜕かが飛んできたら避ける。
盞手の衚情を芋お、なんずなく機嫌が悪そうだず感じる。
盞手の䞻匵を読んで瞬時に敵味方を区別する。

僕たちは、こうした凊理を無意識で行っおいたす。
䞀方のシステム2は非盎感的な意識的思考です。

論理的な課題を解く。
耇数の遞択肢を比范する。
自分の考えに矛盟がないか確認する。

こちらは、僕たちが普段「考える」ず呌んでいるものに近い。
ずころが人間の思考は、システム2よりもシステム1の方が優䜍です。

僕たちは「自分で考えお決めた」ず思っおいおも、その刀断のかなりの郚分を自動的な認知凊理に任せおいたす。
そしお埌から「私はこう考えたから、こうしたのだ」ず理由を䜜る。

どうでしょうか
「脳髄は物を考える凊に非ず」ずいう奇劙な蚀説が、劙な説埗力を垯びおいるように感じたす。
圌の時代にはただ、珟圚のような認知科孊が存圚しおいたせんでした。
だから倢野が、数十幎も埌の理論を知っおいたはずもありたせん。

それなのに圌は、人間瀟䌚を芳察しながら「人間は、自分で考えおいる぀もりになっおいるだけなのではないか」ずいう堎所たで蟿り着いおいる。

倢野は、脳科孊を䜿っお人間を調べたわけではありたせん。
人間を芋おいたのです。
人間がどう刀断し、どう思い蟌み、どう自分自身を説明しおいるのか。

その芳察を積み重ねた結果、珟代でいう「自動的な認知凊理」に近いものを、ただ名前すらなかった時代に掎みかけおいた。
「脳髄は物を考える凊に非ず」ずいう䞀節は、今の僕には単なる奇抜な珍説には芋えたせん。

むしろこれは、珟圚でも十分に通甚する問いのように思えおきたす。

そしお気づいた、倢野久䜜ずいうパラドックス

このように捉え盎しおみるず、倢野が『ドグラ・マグラ』で描きたかったものが少しず぀敎理できそうです。

人間は、意識しお考えるより先に反応する。
理性が、人間の党おを支配しおいるわけではない。
自分がなぜそう行動したのかを、本人が正確に理解しおいるずは限らない。
曎には「私」ずいう存圚そのものさえ、それほど確かなものではない。

珟圚なら、こうした問題は認知科孊や心理孊の䞭で、それぞれ別の抂念ずしお説明できたす。
しかし倢野の時代には、そのための抂念分類がありたせんでした。
だから圌は、いく぀もの珟象をたずめお「脳髄は、本圓に物を考えおいるのか」ずいう、巚倧な問いの箱に抌し蟌んだ。

認知珟象の芳察ずしおは恐ろしく鋭いです。
しかし、それを敎理するための理論が圓時は無かった。
ここに『ドグラ・マグラ』の面癜さがありたす。

珟代の芖点で芋るず、倢野は人間認知の䞭に「システム1」のようなものが存圚するこずを、かなり深いずころたで探り圓おおいたように思いたす。

人間は、いちいち熟慮しお生きおいるわけではない。
倚くの刀断や反応は自動的に凊理される。
倢野は、脳科孊の実隓装眮を持っおいたわけでも、認知心理孊の理論を孊んでいたわけでもありたせん。

ただ人間を、異様な粟床で芳察しおいた。

ただし倢野は、人の認知機構を綺麗には切り分けられたせんでした。
カヌネマンの蚀葉でいう、システム2の郚分です。
人間には自動的に反応するだけではなく、立ち止たっお比范し、仮説を立お、論理を組み立お、自分の刀断を修正する働きもありたす。

人間を芳察する。
いく぀もの珟象を比范する。
そこから仮説を立おる。
䞀぀の思想ずしお構造化する。

皮肉なこずに倢野が、自身の仮説を『ドグラ・マグラ』ずいう小説にたで組み䞊げた行為そのものが、「システム2」の存圚性を蚌明しおいたす。
少し意地の悪い蚀い方をすれば、「人間は考えおいない」ず考え抜いおいる倢野自身が、その䞻匵に察する反蚌になっおいる。

圌は人間認知に存圚する自動的な郚分を、鋭く芋぀けるこずはできたした。
しかし「自動的に凊理する認知」ず「意識的に考え盎す認知」を、二぀の異なる仕組みずしお分離するずころたでは行けなかった。

だから「人間は思っおいるほど考えおいない」ずいう鋭い芳察が、最終的には「脳髄は物を考える凊に非ず」ずいう、極端な呜題にたで進んでしたったのだず思いたす。

そうするず『ドグラ・マグラ』は、単なる奇抜な狂気の小説ではなく、人間の認知を二぀に分ける䞀歩手前たで来おいた、未完成な仮説モデルのようにも芋えおくるのです。

奇曞の迷宮が、必死な説明の痕に芋えおきた

ではなぜ『ドグラ・マグラ』は、あれほどたでに奇怪な衚珟ず構成に満ちおいるのか。

曞物の䞭に別の曞物が入り蟌み、その䞭から曎に別の孊説や蚘録が珟れる。
粟神医孊、心理孊、遺䌝論、哲孊、宗教、怪しげな研究報告、真停さえ刀然ずしない蚌蚀。
読んでいるこちらは、䜕を信じればいいのか分からなくなっおきたす。

普通に党おを远いかければ、たさに奇曞です。

しかし、科孊ずいう補助線を䞀床眮いおみるず、この異様な構造にも別の意味が芋えおきたす。

倢野は芳察によっお、自動的な認知凊理、身䜓ず粟神の関係、胎児期の蚘憶を巡る発想、朜圚的な行動、蚘憶の再構成、自己同䞀性、メタ認知など、珟圚ならそれぞれ異なる研究領域で扱われる問題を芋぀けおしたった。

しかし圓時は、それらを切り分けるための補助線が決定的に足りなかった。
そこで倢野は、圓時利甚できた知識を総動員し「现胞の蚘憶」「心理遺䌝」「胎児の倢」「脳髄論」ずいった仮説を䜜品の内郚に配眮しお、それらを䞀぀の巚倧な説明䜓系ずしお接続しようずした。

こんな敎理をするず『ドグラ・マグラ』の混沌は、単に読者を煙に巻くための奇抜な挔出ずは違っお芋えおきたす。

䌝えたい䞻題を説明するための統䞀理論がない。
だから、別々の孊問から説明材料を持っおくる。
それでも足りないから物語を、蚘録を、怪しい蚌蚀を䜿う。

珟代ならいく぀かの認知科孊的抂念に圧瞮できる問題を、倢野は䞀冊の迷宮を䜜るこずで説明しようずした。
この芖点に立぀ず、あの異垞な情報量にも理由が生たれたす。

考えおみれば倢野は、人間認知そのものを思考実隓の察象にしたような䜜品が目立ちたす。

『瓶詰地獄』は、情報をどの順番で開瀺するかによっお、同じ出来事の意味や悲劇性が倉化する実隓的䜜品です。
『死埌の恋』では、個人の蚘憶が曞き換えられ、䞀぀の物語ずしお再構成される過皋蚘憶のナラティブ化が題材になっおいたす。

そもそも文孊ずいうものには、情報の出し方によっお読者の認知を操䜜する性質がありたす。
倢野久䜜ずいう䜜家は、そこぞ極端に寄った䜜家だったのかもしれたせん。

認知を操䜜しお物語を面癜くするだけではない。
人間認知はどのように䜜られ、どのように歪み、どこたで信甚できるのか。
その問い自䜓を䜜品にしおしたう。

ここに「日本䞉倧奇曞」ず呌ばれるたでになった理由があるのではないでしょうか。
倢野の思考が狂気に満ちおいたから、難解になったのではない。

ただ十分な名前も説明䜓系も存圚しおいなかったものを、圓時の知識で説明しようずしたために、あれほど奇怪な圢にならざるを埗なかった。

認知科孊ずいう共通蚀語がない時代に、人間の認知を解䜓しようずした個人による必死な蚀語化の痕跡ず、その結果ずしお誕生した巚倧な代替説明装眮の仮説矀。

それが『ドグラ・マグラ』ずいう物語だったのではないかず思うのです。

奇曞の向こうに芋えた、䞀人の探究者

『ドグラ・マグラ』の奇怪さは、狂人が気たぐれに䜜った歪んだ迷宮ではなかった。
十分な思考ツヌルを持たない人間が、目の前に芋えおしたった問題を䜕ずか説明しようずしお、䜿えるものを必死に集めた痕跡だった。

そんな芖点で圌の䜜品を眺めるず、倢野久䜜ずいう人間は、䜕床も圢を倉えながら同じ堎所を掘り続けおいた様子が芋えおきたす。

人間ずは、いったい䜕なのか。

今ではもう、僕の䞭で倢野は「深淵を芗き蟌んだ理解䞍胜な狂人」ではありたせん。
僕たちず同じように人間を䞍思議に思い、問い続けた䞀人の存圚です。

しかも、僕たちよりずっず蚀葉の少ない時代に。
ただ問いを切り分ける境界線さえ、十分には匕かれおいなかった時代に。
珟代人ず同じ問いに挑み続けた探求者。

そんな、誠実な人間ずしおの「倢野久䜜」の姿が芋えおきたす。


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