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なんでもない日記:おろしたての靴と赤く腫れたかかとの教訓

朝、布団から起き上がろうとした瞬間に、下半身が鉛のように重かった。ベッドの端に足をかけたものの、太ももの裏側からお尻にかけて、ずっしりとしただるさが張り付いて離れない。

スマートフォンの万歩計を開くと、そこには「23412歩」という容赦のない数字が刻まれていた。

昨日は特に目的地を決めず、街の空気に誘われるままに歩き回っていた。あっちの路地へ入り、こっちの坂道を上り。しかし、心地よい風の代償は小さくなかった。歩くたびにズキズキと主張してくる両足のかかとが、身体からの明確なアラートを告げている。


馴染まない硬さと、薄皮一枚の痛み

実は昨日、クローゼットから取り出したのは、まだ一度も地面を踏んでいない、おろしたての硬いスニーカーだった。

新しいものを身につける日はそれだけで気分が上がるし、いつもより遠くまで行けるような気がしてしまう。そんな高揚感が、自分の体力を過信させる落とし穴だった。

新しい靴は、まだ私の足の形を覚えていなかった。最初は心地よくフィットしているように思えたクッションが、10000歩を過ぎたあたりから皮膚を圧迫し始める。15000歩を超える頃には、違和感は明確な激痛へと変わっていた。

帰宅して靴下を脱ぐと、かかとの薄皮がめくれ、赤く腫れ上がっているのが目に飛び込んできた。一歩踏み出すたびに、硬いヒールカウンターが傷口をえぐる。

後半の街歩きは、楽しさなど霧散し、「いかに痛みをこらえて家まで帰り着くか」という苦行に変わっていた。


前借りしたエネルギーの精算

今回の痛みを通じて、私は自分の「動」と「静」のバランスについて考えざるを得なかった。靴擦れの兆候を感じたあの時、私は「せっかくここまで来たのだから」と、身体が発した小さなSOSを無視してしまったのだ。痛みを我慢して進むことに、妙な充実感を覚えていたのかもしれない。

しかし、その結果として残ったのは、翌日にまともに歩けなくなっている現実だ。1日で一気にエネルギーを使い果たし、次の日にそのツケを回す。これはあまりスマートな配分とは言えない。

日常を健やかに続けるためには、スタートダッシュで全力疾走するのではなく、次の日の体力を前借りしないコントロールが必要なのだ。

だからこそ、今日は移動距離をベッドからソファ、そしてキッチンまでの数歩に留める。いつもなら休日にダラダラしていると、「何か有意義なことをしなければ」と自分を急かしてしまうけれど、今日ばかりはかかとのキズが「休め」と教えてくれている。


現在地を知るためのデータ

おろしたての靴は痛い教訓をくれたけれど、決して悪い靴ではない。ただ、私の足と出会って間もなかっただけだ。次にはくときは、あらかじめ絆創膏を貼るか、短い距離から少しずつ慣らしていけばいい。

身体の疲労も同じだ。これだけ歩くと翌日にどんな反動が来るのか、身をもって新しいデータが得られたのだから。

じっくりと休めば、皮膚はまた新しく再生してくる。動いた分だけ、同じくらい丁寧に休む。そんな当たり前で見失いがちなことを、真っ赤に腫れたかかとが教えてくれた。

あなたは最近、自分の身体が発する小さなサインに、ちゃんと耳を傾けていますか?

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