なんでもない日記:ブレーキを踏んだ、タイヤ横の鏡の世界
どこか遠くへ行かなければ、感動には出会えないと思い込んでいた。「非日常」に憧れて、地図のずっと先にある目的地ばかりを見つめていた。
この前、車を走らせていた時もそうだ。
頭の中にあるのは「目的地にいつ着くか」という最短ルートのこと。あるいは「そこで何を撮るか」という予定調和な期待だけ。けれど、その思い込みは呆気なく崩れ去った。
視界の端に、強烈な光が飛び込んできたのだ。思わずブレーキを踏みたくなるような、言葉にするのがもったいないような。それは、なんてことのない道端に広がる、田植えを待つ前の「田んぼ」だった。
足元に広がっていた鏡の世界
その場所は、観光地でもなければ、絶景スポットでもない。ただそこに当たり前のように存在する、ありふれた地方の風景。けれど、その日は天気が味方をしてくれていた。
一点の濁りもない真っ青な青空
ゆっくりと形を変えて流れる白い雲
遠くでどっしりと構える深い緑の山々
それらすべてが、田んぼに張られた水の表面に、寸分の狂いもなく映し出されていた。上下が逆転したような、完璧なシンメトリー。
「近場のウユニだ……」
そんな言葉が、自然と口をついて出た。南米の遠い空にあると思っていた奇跡が、実は自分のすぐそば、タイヤが転がるすぐ横に転がっていた。
「ある」ことに気づく感性
なぜ、今までこの景色を見過ごしてきたのだろう。
価値を外側に求めていた
SNSで「いいね」がつく場所にしか、価値を見出せなくなっていた。「待つ」ことを忘れていた
水が張られ、風が止む。この「一瞬の奇跡」を待つ心の余裕がなかった。「当たり前」を低く見ていた
あまりにも日常に溶け込みすぎて、芸術品になり得るなんて想像もしなかった。
手に入らないものを欲しがるわりに、持っているものの輝きには鈍感だ。「意外と近くでもいい場所はあるじゃん」という気づきは、不器用な生活を肯定することにも繋がっている。
視点を変えれば、日常は書き換わる
水面を眺めていると、自分の心まで透かして見ている気分になる。風が吹けば、水面は波立ち、景色はバラバラに崩れてしまう。けれど、風が止まるのをじっと待てば、また元の美しい世界が戻ってくる。
目的地に着くことだけが全てではない。寄り道や、偶然の発見、予定外の停車。そうした「隙間」にこそ、人生の本当の彩りが隠れている。
「近くにも、いいものはたくさんある」
この確信は、私を少しだけ自由にしてくれた。明日からも同じ道を通るかもしれないが、今の私は少し違う目で見ているはずだ。田んぼの水の深さを、雲の動きを、もっと敏感に感じ取ろうとするだろう。
誰に褒められるわけでもない、自分だけが見つけた秘密の景色。それを心の中のアルバムにそっと仕舞い込んで、またゆっくりと車を走らせる。目的地までの距離は変わらないけれど、心はずっと軽くなっている。
あなたにも、移動中にふと心が動く、「自分だけの景色」はありませんか?
