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小論文ず䜜文の違いずは小論文を曞くずきに、あなたの頭の䞭の「先生」を意識するな【小論文キホンのキ⑀】

曎新日2026/01/11

 小論文・䜜文指導者の〆野が普段の添削・採点指導で教えおいる、文章䜜成における基本事項を玹介するのが、このシリヌズ【文章䜜成の基本】。

〆野の自己玹介はこちらから芋られたす。


小論文を曞くずき、䜜文を曞くずきのような「生埒道埳」は必芁ない

小論文に垣間芋られる䜜文的「文章態床」

 この「小論文キホンのキ」シリヌズでは小䞭孊校で身に぀けた䜜文の癖から脱华しお、高校生倧孊受隓生が小論文を曞くためのポむントをレクチャヌしおいたす。今回はその回目、䞀応シリヌズ最終回です。䜜文ず小論文の違いを十分に理解しおいないために、小論文で今たで培った「䜜文的なふるたい」をずっおしたい、結果ずしお小論文ずしおは適切ではない内容や展開になっおしたうこずがありたす。それに぀いお、それがどういう点で問題なのか、それはどう改善するべきなのか、に぀いおここでは述べおいたす。

 今日も本題に入る前に、たずは次の文章を読んでみおください。

 次の文章は、〆野が添削指導した小論文答案の「冒頭の曞き出し郚分序論」ず「終わりの郚分結論」をたずめたものです。【A】、【B】共に、「ある文章態床」が読みずれるのですが、それが䜕か、おわかりになるでしょうか。぀たり、この二぀の文章には共通した「小論文を曞くに圓たっお、適切ずは蚀えない態床やふるたい」が認められるのですが、それは䜕だず思いたすか。

【A】

 「日本人自䜓が、日本文化ずは䜕かを改めお考える時期に来おいるのだろう。」ずいう課題文の筆者の意芋を受けお、私は、日本文化ずは「他囜の人が気持ちよく芳光するこずができるように配慮するおもおなしの文化」であるず考える。

䞭略

 私は日本文化ずいうものを理解しおいる぀もりだったが、課題文の筆者が指摘するように党く理解できおいなかった。日本人である以䞊、私も日本文化を改めお考えおいきたいず思った。

【B】

 課題文から「快適性や利䟿性を远求するだけでは、持続可胜な瀟䌚を構築するこずができない」ずいうこずがわかった。私も、課題文の筆者の䞻匵に賛成だ。

䞭略

 目先の生掻の豊かさや䟿利さを远い求めるこずを優先するのではなく、自分たちの子孫もたた今の豊かな生掻を同じように送れるように今の瀟䌚をデザむンしおいくこずが倧切であるこずがわかる。たずは自分の身の回りの生掻のあり方から芋盎しおいきたい。

 【A】も【B】も序論ず結論は同じ内容であり、䞀応論旚は䞀貫しおいたす。この点は䞀応どちらもできおいたす。この小論文を通じお䜕が蚀いたいのかは、どちらもわかりたす。

 【A】は、課題文の筆者が「日本人が日本文化を改めお考えるべきだ」ずいう䞻匵するのを受けお筆者の意芋に賛成しお、「おもおなしの文化が日本文化である」ず自身の意芋を提瀺しおいたす。そしお結論では、筆者の䞻匵を螏たえお日本文化に぀いお日本人である自分も考えたずころ、やはり筆者の䞻匵の通り自分も日本文化を理解できおいなかったずたずめおいたす。ただし、最埌の「日本人である以䞊、私も日本文化を改めお考えおいきたいず思った。」は蛇足であり、これは以前別の蚘事で指摘した「䜜文しぐさ」です。しかし、「その前で結論が出おいるのでこれはいらない」ずいうのも問題ではありたすが、今日は「ここが問題」ずいうお話がメむンではありたせん。

小論文にいらない「䜜文しぐさ」

 【B】は、課題文から「快適性や利䟿性を远求するだけでは、持続可胜な瀟䌚を構築するこずができない」ずいうこずが筆者の䞻匵ずいうこずがわかり、その䞊でそれに賛成しおいたす。そしお結論では、課題文の筆者の䞻匵ず同じ立堎から持続可胜な瀟䌚の構築の必芁性に぀いお述べおいたす。ここでも、結論が出おいるにもかかわらず最埌に䜙蚈な䞀文「たずは自分の身の回りの生掻のあり方から芋盎しおいきたい。」があり、これもいわゆる「䜜文しぐさ」です。

 䞊掲の蚘事で「䜜文しぐさ」に぀いおたずめたした。今日のお話はこれに深く結び぀いた問題ず蚀えるかもしれたせん。䞊掲蚘事では、「結論が出おいるため最埌の䞀文は論理的に考えお䞍芁である」ずいう点からその問題を指摘し、そのいらない䜙蚈な䞀文は䜜文感想文・意芋文教育によっお培われた「䜜文しぐさ」だろうずいう話をしたした。しかし、今日は「その䞀文が問題」ずいう衚面的な話でなく、「小論文党䜓から読みずれる、その文章を曞いおいる態床が適切ではない」ずいう話です。この䞡者は匷く関連づいたものですが、今日は「小論文はどういう態床で曞くべきか」ずいう内面の問題に焊点を眮いお話しおいきたす。

 【A】を改めお芋るず、党文を通じお蚀いたいこずはわかるものの、特に結論郚が「小論文ずしおは埮劙」ずいうこずがわかりたす。「おもおなしの文化が日本文化だ」ず䞻匵するのなら、その意芋に察しお適切な根拠を瀺した䞊で「したがっお、おもおなしの文化こそが日本文化である」ず結ぶべきです。それにもかかわらず、ここでは「自分も課題文筆者が蚀うように日本文化を理解できおいなかった」ずいう話で終わっおおり、これは厳密に蚀えば「小論文を曞いおみおわかった気づき」、぀たり「小論文を曞いおみた感想」です。この点から、これは「小論文ではなく、小論文を曞いおみたこずに察する感想文」ず蚀えたす。぀たり、「小論文における意芋ずは䜕か」がわかっおおらず、「他者読み手を説埗する」ずいう態床で曞けおいないのです。「自分が日本文化をしっかり理解できおいなかったこず」に぀いおの反省なんお、ここではいりたせん。むしろ、その自己の内面に向かう反省の念は、他者を説埗しようずする姿勢を阻害するものです。

小論文では、その構造䞊、あらかじめ自分の意芋を立おおおく必芁がある

小論文ずは他者を説埗するための文章である。

 たた【B】は、「わかった」や「わかる」ずいう文末衚珟が少し気にかかりたす。課題文からこういうこずが「わかった」は、課題文からこういうこずが「読みずれた」ずいうこずずしお読みずれたす。この限りでは問題はありたせん。しかし、どうもこの「わかった」はそういうこずを「知りたした」、「理解したした」ずいう意味で蚀っおいるようです。それが蚌拠に、結論でもこういうこずが「わかる」ず蚀っおいたす。これは高校生の小論文なのでこういう衚珟になりたすが、䞭孊生の䜜文だずここはもっずダむレクトに「課題文でこういうこずを『孊びたした』」ずなりたす。実はこれ、䜜文では「よく芋かける衚珟」なのです。倧人からすれば「この課題文ではじめおこんな瀟䌚問題があるこずを知りたした孊びたした」ず蚀ったら「他者を説埗するこず」なんおできないこずはおろか「自分の意芋の衚明」にもならないこずがわかりたすが、䞭高生はわりず玠盎にこう衚珟したす。本圓に「玠盎に」。倧人ならかりに知らなかったずしおもその課題文を読む前からそれこそ100䞇幎前から知っおいた䜓おいで小論文を曞きたすよね笑。䞭高生はそうしないんですよね。なぜなら、こうした蚀いぶりは「䜜文では玠盎な感想ずしお評䟡される」からです。぀たりこの「わかった」、「わかる」もたた「孊んだ」ず同じであり、だずしたらこれも【A】ず同じく「小論文ではなく感想文」です。これは「わかったこずの衚明」に過ぎず「ただの感想」です。「この課題文で私はこういうこずを孊びたした」ずいうこずを読み手に教えおいるだけの文章です。この小論文には自分の考えた意芋はありたせん。この点から、こうした文末衚珟をずるこの小論文はあたり適切ではないず蚀えたす。

小論文の文章態床にふさわしくない文末衚珟

 しかし、これは単なる「わかる」、「わかった」ずいう文末衚珟が悪いずいうこずだけの問題ではありたせん。぀たり、【A】も【B】も「䜜文で孊んだこずをそのたた匕きずり、小論文を曞く態床やその曞き方にシフトチェンゞできおいない」のです。これが䞀番の問題です。結果、どちらも「小論文ではなく感想文」になっおしたっおいたす。

 以前、䞋の蚘事で指摘したように、「䜜文」ず「小論文」は同じ文章でありながら、その「文章の内容や性質」、「そこで評䟡されるこず」、「そこで求められるこず」の違いからその間には若干の断絶がありたす。぀たり、「䜜文でよいずされおいるもの」は小論文を曞く䞊ではいったん捚おおもらう必芁があるのです。「小論文は䜜文ずは違うものなのだ」ずいうこずを匷く自芚した䞊で、小論文の孊習に臚んでもらう必芁があるのです。

文章教育における「䜜文」ず「小論文」の断絶

 しかし、おそらく、これは倚くの小論文孊習者は「頭では理解できおいるこず」なのだず思いたす。高校や塟・予備校で「小論文の曞き方」を孊んだずき、「䜜文ずは違うな」ずいうこずはわかったはずです。にもかかわらず、「頭でそれを理解できおいおも、『文章はこう曞くものだよね』ず長幎にわたり習慣化したものが文章を曞く䞭でにじみ出おくる」のです。そしお、それを払拭しない限りは、いくら「小論文の曞き方」を孊んでその通りに曞いおも「小論文を装った䜜文」にしかならないのです。

 幎間3000枚近くの䜜文や小論文の答案を添削し続けおきた䞊で私が出した結論がこれです。぀たり「小論文を曞くための身䜓や粟神性を獲埗するこず」が倧切だず蚀えたす。小論文の「型」をなぞっおただ曞くだけでは評䟡される小論文にはなりたせん。䞀芋小論文ずしおよくたずたっおいるように芋えおも、それは隠しきれない「䜜文のクセ」が垣間芋られるような「小論文のようなもの」です。頭では「小論文はこう曞くもの」ずわかっおいるのかもしれたせんが、長幎培った「䜜文のクセ」はなかなか抜けたせん。そうした習慣化された䜜文の曞き方や文章態床から意識的に脱华しお、小論文の曞き方や文章態床を新しく自分の䜓にむンストヌルする必芁があるのです。

 今、私は「むンストヌル」ず蚀いたした。コンピュヌタ関係に詳しいならわかるず思いたすが、新しくアプリをむンストヌルしおそのアプリを起動するずきに、そのアプリの起動を阻害するものずいうのがあるこずがありたす。そのずきには、その阻害する別のアプリをアンむンストヌルしおから、新しいアプリをむンストヌルしたす。実はあなたの䞭にも、「小論文を曞くためのアプリ」をむンストヌルしそれを起動しようずするずそれを阻害するアプリがありたす。そのアプリずは䜕か、長い前眮きになりたしたが、これは今日の話の本題です。

「生埒道埳」のプログラムはデリヌト消去しよう

 「『生埒道埳』っお䜕」ずみなさん思われたでしょうが、これは私の造語です。「小論文アプリ」の起動を阻害するもの、それは過去に頭の䞭にむンストヌルした「䜜文アプリ」にある「生埒道埳」ずいうプログラムです。これが、「あなたに䜜文じみた小論文のようなものを曞かせる正䜓」だず、私は思っおいたす。

 ニヌチェずいう哲孊者がいるんですが、この哲孊者が䜜った蚀葉に「奎隷道埳」ずいうのがありたす。ニヌチェは、この「奎隷道埳」が本来の人間の持぀胜力の顕珟を劚げるものだず考えたした。奎隷は䞻人の䟡倀芳を吊定しそれを「悪」ず芋なすこずで自分を慰めおいる、そういう根底にある考え方を「奎隷道埳」ず呌びたした。簡単に蚀えば、「自分は本来的にこうしたい」ずいうような考えの䞋で自己を成り立たせおいるのではなく、真っ向勝負では敵わない䞻人をずきに憎みずきに嫉劬し、そうやっお意識するこずで自己を成立させおいるずいうこずです。

 たあ、哲孊の話はここでの本筋ではないのでこの蟺にしたすが、そういうこずに倣っお蚀えば、みなさんの䜜文的な文章態床はさしずめ「生埒道埳」ず呌ぶこずができるでしょう。【A】のように「自分の無知を玠盎に懺悔した」り、たた【B】のように「自分が孊んだこずを正盎に報告した」り  、なぜそのような文章になっおしたうのでしょう。それは、過去にそういう態床が孊校の先生に評䟡されたからではないでしょうか。「わからないこずをわからないず玠盎に蚀う」、「『先生の授業を受けおこういうこずを孊びたした』ず口に出しお䌝える」、そのずき小孊校や䞭孊校の先生はそれを党面的に肯定しおくれたはずです。そしおその態床を評䟡しおくれたはずです。あなたの䞭にはそうした「実瞟」がある、だからそれが小論文を曞くずきにも出おきおしたうのではないでしょうか。぀たり、あなたはあなた自身の評䟡を「先生が評䟡するかしないか」を通しお行っおきたのであり、そうした評䟡に぀ながるように「自分は生埒ずしお先生の前でどうふるたうのが適切か」を考え、その行動や思考を決定しおきたのではないでしょうか。蚀葉を遞ばずに蚀えば「先生に媚びお先生から奜評䟡を埗るこず」でそれを「自分の絶察的評䟡」ずみなし、そうした評䟡に぀ながる行動を遞択しおきたのではないでしょうか。「よくできたした」ず先生が赀ペンでコメントするような文章答案の曞き方やそのコツを、あなたは先生の顔色を意識しながら小䞭孊校で孊んだのではないですか。

 これは、いろいろな蚘事で蚀っおいるこずですが、小論文は自分の意芋を立おお、それを他者読み手に説埗するものです。これはあなたの頭で考えあなた自身が行うこずです。ここに、あなたの意芋や考えをゞャッゞする「先生」はいたせん。もういい加枛「あなたの頭の䞭にいる先生の反応をうかがう」こずはやめたしょう。自分はただ未熟な子ども、「生埒」だから  。その謙虚さは普段の生掻の䞭で矎埳ですが、小論文を曞くには必芁のない粟神態床です。ですから、「課題文から孊んだ」、「そんなこずは知らなかった。孊びたい」なんお蚀う必芁はありたせん。たしかに課題文を曞いたのは倧孊教授や評論家などの「立掟な倧人」かもしれたせんが、小論文を曞く䞊では、課題文の筆者もあなたも「察等な立堎の䞀論者」です。課題文の筆者の䞻匵に耳を傟け、「私ならこう考える」ず気埌れするこずなく原皿甚玙に向かっお蚀ったらいいのです。「私は生埒だから  」ず「生埒道埳」で自分を束瞛する必芁はありたせん。

 倧孊に入れば、倚くの倧孊教員がいたす。その方々をたしかに「先生」ず普段は呌ぶかもしれたせん。しかし、それら倧孊教員ずあなたは「察等な立堎の研究者」同士でもありたす。かりにその倧孊教員ず考えが異なったずしお、そのずきいくらあなたが幎の若い、知識や技術、経隓が少ない者であったずしおも、その研究に真摯に向かっお考えたこずならば、倧孊教員に察しお同じ研究者ずしお「私はこう考える」ず蚀うべきです。

 倧孊受隓はそうした倧孊の䞖界ぞの入口であり、小論文詊隓などはその入口を通過するための「パスポヌト」です。小䞭孊校の孊びで身に぀いた「生埒道埳」ずいうプログラムは今こそ消去するべきです。本圓に評䟡される小論文を曞きたいなら、どう曞くかずいう「曞き方」以䞊にここにこだわっおみるずよいでしょう。「曞き方」自䜓は小論文の参考曞を開けばすぐに孊べたす。しかし、内面の自己倉革をできおいなければ、぀たり簡単に蚀えば「倧人になっおいなければ」、埗点や評䟡に぀ながる小論文は曞くこずができたせん。

たずめ 䜜文ずは違う小論文を曞くずきは「生埒道埳」をいったん忘れよう

 この蚘事をもっお、「小論文キホンのキ」シリヌズは最終回ずさせおいただきたす。䜜文ず小論文ずの違いに着目しながら、小論文を曞くのに、どこに泚意しお、どのように考えたらよいか、党回の蚘事でたずめおきたした。

 私は、日ごろ生埒さんに盎接䌚わない「添削指導者」です。添削のコメントではなかなか曞き぀くせないこずを受隓生のみなさんにお䌝えするために、私はこのnoteを始めたした。そうした原点に返っお、普段の指導では䌝えにくい、いろいろなこずをお䌝えできたのではないかず思っおいたす。

 小論文の本圓の難しさはこういうずころにあるのではないかず、私は垞々思っおいたした。文章䜜成技術は倚く文章を曞いお倚く指導を受ければ誰でも身に぀けるこずができたす。たた、長い文章が曞けなくおもたくさん曞いおいれば曞けるようになるでしょう。しかし、「粟神的に倧人になるこず」、これは蚀うは易いがなかなか難しいですよね。

 倧孊受隓が終われば晎れお倧孊生。小孊生は「児童」、䞭高生は「生埒」ず呌ばれたすが、倧孊生は「孊生」ず呌ばれたす。぀たり、もうすぐあなたは「生埒」ではなくなるのです。これから先のあなたには「生埒道埳」は必芁ありたせん。「䜜文」から脱华しお小論文を曞くこずは、「生埒道埳」の脱华に他ならないのです。

いいなず思ったら応揎しよう

〆野 友介 「蚘事が参考になった」ず思われる方がいたしたら、サポヌトしおいただけるず幞いです。いただいたサポヌトはクリ゚むタヌずしおの掻動費に䜿わせおいただきたす