島移住5年目、生きる意味なんてなかった…
留年をきっかけに島に移住して5年が経ちました。
朝5時から始まる島暮らし。
夜明け前に家を出て、イノシシの罠の見回りに行きます。
仕掛けた場所を、一つずつ順番に回っていきます。
かかっている日もあれば、何もない日もあります。
かかっていれば、捕獲して、肉屋に運ぶ。
そこから、僕の一日が始まります。
……5年前は、こんな朝が来るなんて思ってもいなかったんですけどね。
大学生時代の満員電車
4年前、僕は大学をやめました。
それまでは、大学に行くために毎朝満員電車に乗ってました。
みんな黙って、同じ方向に運ばれていく。
ふと周りを見ると…
スーツを着たサラリーマンが、疲れた顔でつり革を握ってて。
あ、この人たちが、10年後の僕だ。
そう思いました。
(今はみなさん夢や守るものがあって働いていることはわかります。)
大学を出て、就職して、また同じ電車に乗る。
それが、40年続く。
そう思い始めた時から、電車に乗るのがしんどくなり
だんだんと大学に行けなくなりました。
何のために生きてるのか、なんのために働くのか、わからなくなりました。
一年回生で留年確定
行かないでいるうちに、留年が決まりました。
思ったより、落ち込みませんでした。
留年することは自分が一番よくわかってるので。
決まってしまえばもうどうすることもできない
まずは大学を続けるかやめるかの選択
このまま続けることはできない、やめる覚悟もないので休学を選択しました。
ちなみに僕のことを1番よく知る両親に休学を勧められました。
唯一のやりたいこと
休学期間何かしないとという思いで小さい頃からの唯一の夢、漁師になることを叶えてみることにしました。
小さいころから、魚が好きでした。それだけです。
立派な志があったわけじゃないです。
ただ、他にやりたいことが、何もなかった。
どうせ道は断たれたんだから、叶えてみようと思いました。
で、島に、漁師をやっているYouTuberの方がいて。
インスタのDMを送りました。
それだけです。伝手も、紹介もない。
返事が来て、僕は弟子入りすることになりました。こんな何もない僕を受け入れてくださったこと、本当に感謝しています。
そうして大学をやめて、島に渡りました。
一切皆苦の島生活
ここからが、何一つ思い通りにいきませんでした。
まず、技術がない。
船の上での動き方も、道具の扱いも、魚の名前さえ知らない。
方言がキツくて、言葉もわからない。
何を言われてるのか聞き取れません。
そして、相手は自然なので、明日どうなるかなんて、誰にもわからない。
海が荒れれば出られないし、出ても、獲れない日は獲れない。
まったく同じ日が、1日もありません。
ただ深夜1時から、ひたすら魚の選別してる時は過去の後悔や未来の不安など全て忘れて目の前のことだけに集中できました。
僕は同じことをひたすら繰り返す、目の前のことにだけ集中できる作業が好きです。
その時だけは不安から逃れられるからです。
一切皆苦。この世は思い通りにならない、っていう意味だそうです。
茄子から学んだ、茄子なんて存在しない。
島暮らし3年目。畑で、茄子を育てていた時のことです。
ふと、スーパーに並んでる茄子を思い出しました。
あれって、ただ棚に置いてあるように見えると思います。
でも、土がなければ育たない。
水がなければ、空気がなければ、日が当たらなければ、育たない。
種をまく人がいて、育てる人がいて、運ぶ人がいて、売る人がいて、
そして食べる人がいて、
茄子はようやく、店に並ぶ「茄子」になります。
「茄子そのもの」が、どこかに存在してるわけじゃない。
ありとあらゆるものが繋がって、条件が集まっている間だけ、茄子は茄子でいられる。
…じゃあ、僕はどうなんだろう、と思いました。
同じでした。
親がいて、育った町があって、あの日の満員電車があって、
魚が好きだった子供のころがあって、留年があって、
YouTubeがあって、島があって、海があって、
それでようやく、今の僕がいる。
どれか一つ違っていたら、僕は違う僕になってました。
だとしたら、「生きる意味」みたいなものも、
僕の中にあるものではなくて、意味があるとしたら、
それは僕の内側じゃなくて、繋がりの側にあるんじゃないかと思いました。
だから、探しても探しても、見つからなかったんだと思います。
生きる意味なんて、なかった。
今、目に見えているもの。
聞こえている音。
感じていること。
自分の思いさえも。
どれ一つ、それ単体では存在してません。
全部が、ありとあらゆるものの繋がりの中にある。
僕も、その繋がりの中の一つでしかない。
この地球の中の、小さな歯車の一つなんだな、と。
意味のないことを、一生懸命やる
人生に意味がなくても、投げやりに生きるわけではありません。
意味のないことを、一生懸命やって、思い出を作る。
仕事も恋愛も遊びも。
人生にあえて意味をつけるとしたら、僕はそれかなと思います。
今はどんなこともとりあえずは一生懸命頑張るようにしています。
自分探し
よく自分探しに行くという人がいます。
僕がやったことも、たぶんそう見えると思います。
大学をやめて、島に来て、漁師になった。
自分を探しに行った人、に見えるかな?
でも、島に来てわかったのは、逆のことでした。
自分の中を探しても、何も入ってません。
茄子と同じで、「本当の自分」がどこかに一個だけ置いてあるわけじゃない。
場所を変えれば、時間が経てば、なりたい自分は変わり続ける。
ただそれだけで、探して会えるわけじゃなかったです。
「本当の自分」も「なりたい自分」も、時間が経つと変わっていきます。
僕は、漁師になりたくてこの島に来ました。
それが唯一の夢でした。
でも今、僕がメインでやってるのは猟師の仕事です。
サブでは、エアコン取り付けの仕事や、電気工事、DIYの手伝い、YouTube、草刈り、民泊(開始予定)などいろいろです。
やってることは違いますが、繋がりはあります
船の配線→電気工事、エアコン
船の修理→DIY
魚の捕獲→イノシシの捕獲など
今は漁業の経験を生かしていろいろな仕事ができるようになりました。
5年前になりたかった自分と、今の自分は違う。
たぶん5年後も、また違うと思います。
ただ、今の僕があるのは、5年前漁師を目指した僕がいたからです。
人生に無駄なことは一つもないなと感じています。
変わり続けていくものを、「本当の自分」と呼べるんでしょうか。
そう考えていくと、探すべき自分なんてものは、
最初から無かったんじゃないかと思います。
じゃあ、自分はどこにあるのか。
今この瞬間です。
僕が一次産業を好きなのは、たぶんこれなんだと思います。
ひたすら草を刈る。
イノシシと一騎打ち。
ひたすら魚を選別。
やっている間は、それしか考えられません。
悩みも不安も、尽きたわけじゃないです。今もあります。
でも、これをやっている間だけは、今この瞬間しかない。
この瞬間だけは、生きているっていう感覚があります。
自分を探していた時には、何も感じませんでした。
体を動かしている時にだけ、感覚がありました。
今は便利な時代で、自分でやらなくても、なんでも手に入ってしまいます。
その分、過去の後悔とか、未来の不安を考える時間が、いくらでもある気がします。
僕がそうでした。
あの満員電車で僕がつぶれたのは、まだ来てもいない10年後でした。
起きてもいないことのせいで、体が動かなくなってました。
最後に、これからについて
動画だと、どうしてもやったことが中心になります。
山に入った、魚を獲った、飯を作った。それはそれで、いいです。
でも、やっている間に考えていたことは、あまり映らない。
noteには、それを書こうと思います。
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