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老人現人神教団について

かつて日本の稲作共同体において、老人は「生けるデータベース」だった。それは、数十年スパンでしか発生しない大干ばつや水害、複雑怪奇な水利権の調停といった「マニュアル化されていない記憶」を脳内に蓄積した、共同体の生存に不可欠な基幹サーバーだったからだ。その時代、老人の経験則には物理的な価値があった。
しかし、現代の日本で政治的圧力によって異様に厚遇されている老人たちは、その「稲作共同体の長老」ですら歴史上あり得ないレベルで矮小化した、まったく別物の存在である。
彼らの脳内にあるのは、自然と対峙した知恵でも、過酷なサバイバルを生き抜いた経験則でもない。人類史上の極めて例外的なボーナスステージであった「高度経済成長期」にたまたま居合わせ、人口増加の波と右肩上がりの神話に乗っかって、若者の未来を先食いしながら膨張しただけの、ただの「消費の記憶」である。彼らは、自国が自力で回っているのではなく、冷戦構造やアメリカの傘、そして未来の構成員のツケ回しによって一時的な豊かさを享受したに過ぎないという現実を直視しない。自らの実力でその地位を築いたと錯覚したまま、ただ「逃げ切ること」だけを目的に、過去のレガシーにしがみついている。
彼らは「かつて水路を守った長老」のような機能すら持たない、「歴史上最も役に立たない、生きて掟を守ることもできない老人」だ。それにもかかわらず、その数(シルバーデモクラシー)という暴力的な政治圧力によって、社会システムは彼らを最優先で厚遇し続けている。これから社会を支える若者の血肉(税と労働)を極限まで絞り上げ、機能喪失した古い世代の延命へと注ぎ込むこのポートフォリオは、国家規模の自殺行為に他ならない。彼らには「田んぼのシステムそのものを畳む」という概念すら存在せず、若者をタコ部屋に押し込め、自分たちの逃げ切りという「無限責任の延命デスマーチ」に全員を巻き込んで心中しようとしている。
この不条理に付き合う義理は、現役日本人には本来は一ミリもない。

「老人現人神教団」は否定はしないがそれは自費でやれ、公費でやるなクソバカども!

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