【第1回】AIを禁止すれば安心なのか? ― 建築設計事務所が向き合うAI利用ルールの課題 ―
生成AIの急速な普及に伴い、IT業界やシステム開発の分野では、発注者から生成AIの利用条件を定めた覚書や契約条項への対応を求められるケースが増えつつあります。
こうした流れは建築設計業界にも少しずつ波及し始めており、設計・監理業務においても「AIをどのように利用し、どのような責任を負うのか」というルールづくりが今後の重要な課題になっていくと考えられます。中には、
AI利用によって第三者の権利を侵害しないこと
AI出力に偏りや誤りが含まれないこと
といった厳しい条件を求める動きも見られます。そのような状況の中で、「それならAIを一切使わないことにすれば安全なのではないか」と考える建築設計事務所もあるかもしれません。
しかし、本当にそれが最善の選択なのでしょうか。
AI利用をめぐる新たな契約ルール
生成AIの利用が広がるにつれ、発注者側では情報漏えい、知的財産権、個人情報保護などへの懸念から、AI利用に関する契約ルールを整備しようとする動きが出てきています。
しかし、これは決して不合理なこととは言い難い面があります。発注者としては、自社の機密情報や成果物を守るため、一定のルールを設けたいと考えるのは自然なことです。
一方で、建築設計事務所側も、AI利用に伴うリスクや責任範囲を十分に理解しないまま契約を締結してしまうと、後々大きな問題につながる可能性があります。
今後は「AIを使うか使わないか」ではなく、「どのような条件で利用するのか」が契約上の重要な論点になっていくと考えています。
AIを使わないことのリスク
AI利用に慎重になるあまり、「AIを一切使用しない」と定めることは、一見すると安全な選択に見えます。しかし現在では、私たちが日常的に利用している業務環境そのものにAIが組み込まれ始めています。
例えば、WindowsのCopilot、Adobe製品、検索サービス、CADやBIMソフトウェアなど、多くの業務ツールでAI機能が標準搭載される流れは加速しています。
このような状況では、設計担当者が意図せずAI機能を利用してしまうことを完全に防ぐことは容易ではありません。
また、もう一つ見逃せないのが競争力の問題です。競合他社がAIを活用して生産性向上や業務効率化を進める中、自社だけがAI利用を全面的に禁止した場合、長期的には業務効率や提案力の面で不利になる可能性があります。
つまり、AI利用を禁止すること自体が、新たな経営リスクになり得る時代が到来しつつあるのです。
「完全保証」は現実的なのか
一方で、AI利用を認めるとしても、「第三者の権利を絶対に侵害しないこと」「AI出力に誤りや偏りが一切含まれないこと」といった絶対的な保証を求められた場合、それを受け入れることも現実的ではありません。
現在の生成AIは、学習データや推論過程の多くがブラックボックス化されています。利用者がその内部を完全に把握することはできません。
そのため、建築設計事務所がコントロールできない領域まで含めて100%の結果保証を求められることには、実務上も法務上も大きな無理があります。
また、完全に管理された専用環境を整備することは理論上可能ですが、多額の投資や専門人材を必要とするため、中小規模の企業である多くの建築設計事務所にとっては、現実的な対応策とは言い難いのが実情です。
工事監理に学ぶAIリスク管理
では、どのような考え方が現実的なのでしょうか。そのヒントは、私たち建築士が日常的に行っている工事監理業務の中にあると考えています。
工事監理では、建物のすべてを全数検査することはできません。そのため、重要な箇所を重点的に確認し、必要に応じて抽出検査を行うなど、合理的な方法によって品質を確保しています。
私たちは建物に欠陥が絶対に存在しないことを保証しているのではなく、専門家として合理的な確認手続きを実施し、品質を担保しているのです。AI利用についても同様です。重要なのは、
適切なツールを選定すること
機密情報の取扱いに注意すること
出力結果を専門家が検証すること
であり、AIを完全に排除することではありません。
AI時代でも責任を負うのは建築士
とは言え、どれだけAIが進化したとしても、現行法制度の下では設計内容の安全性や法適合性について責任を負うのは建築士です。AIが責任主体になることはありません。だからこそ、AIの出力をそのまま採用するのではなく、
判断根拠を確認する
関連法規を検証する
出力内容をレビューする
といったプロセスが重要になります。求められるのは、「AIを使ったかどうか」ではなく、「最終成果物を適切に検証したかどうか」です。
海外ではどう考えられているか
海外の主要な建築団体では、AIを全面的に禁止するのではなく、適切な管理と人間によるレビューを前提とした利用が主流になりつつあります。
英国王立建築家協会(RIBA)の2025年調査では、すでに約60%(大規模事務所では80%超)がAIを導入していると報告されています。彼らはAIを建築家の意思決定を代替するものではなく、能力を補完・拡張するツールとして位置付けています。
また、米国建築家協会(AIA)も、AIが持つバイアスや情報管理上のリスクを指摘しながら、建築士による品質管理と責任ある利用の重要性を強調しています。
海外ではすでに、「AIを禁止するかどうか」ではなく、「どのように管理するか」が議論の中心になっているのです。
建築業界に必要な標準ルール
日本国内でも生成AIに関する議論は進みつつあります。しかし、建築設計事務所の実態を踏まえた実務ガイドラインや、発注者と受注者の双方が利用できる標準的な契約ルールは、まだ十分に整備されているとは言えません。
その結果、発注者側も手探りで契約条件を作成し、受注者側も対応に苦慮する状況が生まれています。
今後は業界団体や関係機関が中心となり、実務に即したAI利用のガイドラインや標準的な契約の雛形の整備を進めていくことが期待されます。
AI禁止ではなく、合理的な管理へ
生成AIの普及によって、設計・監理業務を取り巻く環境は大きく変わり始めています。重要なのは、AIを無条件に受け入れることでも、全面的に排除することでもありません。
求められるのは、AIの利点とリスクを正しく理解し、建築士としての責任を果たしながら合理的に活用していくことです。
これからの建築業界には、「AIを使うか、使わないか」という二項対立ではなく、「どのように管理し、どのように責任を分担するのか」という視点が求められると考えています。
皆さんの事務所では、AI利用ルールの整備や発注者との対話について、どのような課題や工夫がありますか。ぜひ現場の声をお聞かせください。
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