96歳の母に「一番つらかったこと」を聞いたら、言葉が出なかった
今年の5月、96歳になる私の母が、
お世話になっている高齢者施設で心肺停止になりました。
医師から電話をもらったとき、
「とうとうか」
と思いました。
最低限、起こりうることを想定して準備しました。
遠方に住む長男家族も、母に会いに来てくれました。
母は曽孫に会うと、
「お手〜手つないで夜道を行けば〜」
と歌ったそうです。
みんな驚きました。
もう、何がいつ起きてもおかしくない。
そんな覚悟を、家族みんながしていたのだと思います。
ところが母は、容態が落ち着き、また施設に戻ることができました。
退院の日。
私の知人が、こんな母の姿を見ています。
身体を半分起こして、
もうこれ以上は口が開かないだろうと思うほど大きく口を開け、
腹の底から、
「あーーーーーー」
と声を出したそうです。
まるで、
「今度こそ、帰ってきたぞ」
とでも言うように。
知人は、あまりの大声に、
「また意識を失うんじゃないか」
と思ったそうです。
ところが。
母は、そのことをまったく覚えていませんでした。
今は入院前と変わらないような顔色をしていますが、介護度が上がり、車椅子で生活しています。
そんな母に、私は聞いてみました。
「お母ちゃん。
人生で一番きつかったこと、辛かったことって何?」
母が話してくれたのは、戦後のことでした。
⸻
「ロシアからの引き揚げ船に、日赤の看護師として同行したことやな。
私と婦長さんと、あと3人の看護師でな。
日本へ帰る兵隊さんのお世話やな。
薬はほんとに不足しとってな。
風邪薬とか、消毒液とか。
なんもできやんでな。
引き揚げした方々は、栄養失調でな。
生きたような、死んだようなでな。
見とるのが辛かったわ。
そして、日本に着く前に何百体の海葬をしたやろうか。
そりゃ、言葉にならんほど、辛くてな。
しんどかったで」
母はそこまで話すと、黙り込みました。
「もう、ええやろ」
そんなふうにも見えました。
私は、海葬という言葉を初めて知りました。
亡くなった人を海に葬ること。
墓もない。
遺骨も残らない。
家族のもとへ、帰ることもできない。
きっと、帰りたかったんだろうな。
日本に。
故郷に。
家族のもとに。
そして母は、帰してあげたかったんだろう。
なぁ、お母ちゃん。
96年生きてきた母の人生の中で、
「一番つらかったことは?」
と聞いて返ってきた答えが、
私が想像していたものとはまったく違っていました。
私は今まで、
自分の人生で起きたことを、
「なんで私ばかり」
と思ったこともあります。
これから先のことが不安になることもあります。
家族のこと。
仕事のこと。
お金のこと。
身体のこと。
誰にだって、
「もう嫌だ」
と思う日があります。
でも、96歳の母の話を聞いていると、
私たちは、たくさんの人の人生の先に生きているんだなと思います。
勝手にここまで来たわけじゃない。
誰かが生きて、
誰かが守って、
誰かが帰ることのできなかった道の先に、
私たちの今がある。
戦争が終わって何十年経っても、
そのときの記憶を抱えて生きている人がいる。
そして、その記憶を受け取った私たちも、
また次の世代へ命を渡していく。
そう考えると、
今日という一日が、
少し違って見えてきます。
辛い。
寂しい。
明日が見えない。
そんな日があってもいい。
人生には、そういう日もある。
でも、
今ここにいること自体が、
たくさんの命の続きを生きているということなのかもしれません。
母が話してくれたことを、
私は忘れないようにしたいと思います。
そして、こうして母が話せる間に、
もう少し母の人生を聞いてみようと思います。
また、いつか。
お母ちゃんの話を書きます。
シュリー
