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落語という芸能の凄さ(誰でも出来るという凄さ)【一部有料】

落語という芸能は本当に凄いと思います。それは

「見た瞬間に、“俺でも出来る!”と思える」

という凄さです。そしてまた、ある程度、

「誰でも出来てしまう!」

という凄さです。そしてまた一方で、落語は、

「出来ることは出来るけど、もっとレベルの高い話においては、やはり難しい」
(目の肥えた人を満足させるのは難しい。ただ結局は好みになるのでレベルではないのかもしれませんが…)

という部分と

「自分の基幹事業として継続させていくという意味では難しい」

という部分があります。しかし、一方で

「自分の基幹事業が別にあったり、資産があるなら、継続するのは容易い」

という部分もあります。

・・・今、これを読んでる人からすると、

お前は一体何を言っているのだ???

と言われそうですが、落語家や落語関係者・落語ファンからすると
「わかるわぁ~」みたいな話だと思いますので、今日はそんな話を書いていきます。つまり、「落語は初見でも楽しめるが、即座に色んな解釈や疑問が生まれる捉えにくい芸能(誤解を生みやすい芸能)」という話です。

落語の凄さというと、
「絵が浮かぶ」とか、「想像が」とか、「ストーリーが」「話術が」、、、とか、そういうことを言い出しがちですが、そういう話ではないです。
落語という芸能の「色んなものを飲み込んでいく凄さ」についてのお話です。

★先に誤解のないようにお伝えしておきますと、
私は有名人が落語をするのはありがたいことだと思っています。
多くの人が落語に触れるキッカケを作ってくれるから
です。

ひたすら論理的に&分析的にいろいろ考察すると、変な誤解を生む可能性があるので、先に書いておきます。私は「あるがまま(感じたまま)」に現状を考察してるだけですので、上記の気持ちを持っているということを踏まえた上でお読みください。


「売れる商品」と「品質」

まず経済学的な話をしますと、「売れる商品」と「品質」は相関関係があったりなかったりします。つまり、「最低限の相関関係はあると思うが、必ずしも品質が高い方が売れるとは限らない」のです。私のnoteを読むような人は当たり前のことですが、SNSとかを見てると、まるで分かってない人が多いです。特に落語を知らないタイプの人が落語世界について攻撃性を持ってコメントをする時にはよく「テレビに出られない落語家は、下手クソだからテレビに出られないのだ!(=品質が良ければ有名なはず)」というような発言をされます。
(にもかかわらず、有名な落語家を非難したい時には「テレビに出てる暇があったら、もっと落語せぇ!」とか、その人が年間どれくらいの高座数をこなしてるかも分からず、発言したりします。・・・どっちやねんですが。)

改めて整理すると、つい「品質が良いものほど売れる」と思いがちですが、現実は「品質がそこそこでもメチャクチャ売れる商品」や「高品質でも、あまり売れない商品」というのが発生します。

例えば、AV女優と風俗嬢は似たような商売だと思いやすいですが、全く違う商売です。本来、AV女優さんは「画面の向こうにいてる人を性的に興奮させる商売」であり、風俗嬢は「対面している人を性的にもてなす商売」です。しかし、有名なAV女優が風俗店で働くようになった場合、AV女優でない超人気風俗嬢よりも売上が高くなりやすいと思います。しかし、超人気風俗嬢はリピート率が高く、接客という意味の品質は人気AV女優よりも恐らく高いと思います(比較可能な顧客満足度やリピート率などで違いは出ると思います)。ただ、新規客の獲得数および「少々値段が高くても1回は会いたいと思う人間の数(母集団の数)」が有名なAV女優の方が圧倒的に多くなるので、売上が高くなるのです。

まず、私が言いたいのは、上記と一緒で、、、
「有名人の落語会は集客ができる」&「ライブで人気の落語家の方が“仮に”品質が高くても、有名人の落語会の方が集客が多い」
(逆に「集客が出来ていないからと言って、品質が悪い訳ではない」「品質を上げても集客が上がるとは限らない」
ということです。

一部の人からすれば、「なぜいきなり性産業の話をしだしたんや?」と思うかもしれませんが、類似の現象を挙げる時にこれが一番近かったので、すいません。落語業界としていきなり具体的に喋ると「ひがんでるだけでは?」とか「●●に失礼やろ」みたいな別の話になると思い、まずは例え話を書きました。ほとんど同じ話になりますが、、、

有名な落語家だからと言って「最高品質の落語を提供する人」とは限らないということです。いわば有名な落語家さん達は、「高品質のグループ」ではなく、「高売上のグループ」です(最高品質の集団ではなく、最高売上の集団ということです)。ただ、高売上を出すには、一定の品質は担保されていることが多いのは確かです。

有名人の落語会には「落語を知らなかったけど、落語を見てみたいと潜在的に思っていた新規の一般客」の来場がたくさん発生します。一方で、ライブで人気の落語家の落語会は「色んな落語家の色んな落語を見て、この人の落語を見たいと思っている落語ファン」が集います。そもそも母集団として、有名人の落語会のお客様の方が圧倒的に多いのです。ライブで人気の落語家の落語会に来るお客様は、どんだけ多くても「落語ファン市場全体の一部」しかいません。ですから集客に差が出やすいと言えます。つまり、そもそもの母集団(市場にいる顧客人数)の桁が2つ・3つ・4つぐらい(それ以上?)違うのです。

そして、有名AV女優が風俗店で働いた場合、超人気風俗嬢よりも仮に接客のクオリティが下がったとしても、最低限の「接客のクオリティ」(お店で表示される最低限の何らかのサービス)はあるので、一定の品質(顧客満足度)は保たれると思います。それと一緒で、落語というのは誰でもできる芸能です。コントや漫才を1から作るのでもなく、台本があり、お手本の映像もあります。ですから、過去の名人の最低限のコピーをすれば、一定の品質(顧客満足度)は保たれるのです・・・。

※落語を知らない人からすれば、「ほな売れてない落語家とか面白ない落語家って、どういう神経で落語をしてるんや?そんな奴、要るんか???」と疑問が出るでしょうが、それはまた後述します。(どういう神経でやってるのかは解説できませんが、そういう人が存在するという話をします)

つまり、ある意味、性的な行為は、そもそも恋人同士や夫婦などにおいて行われる「一般的な営み」であるがゆえに、「営業的な質の高さになると、人によって違いはあるが、一定の質は確保される行為」なのだと思います。それと一緒で、落語は「台本があるので、覚えたら誰でもできる芸能」であるがゆえに(それこそ小学生でも出来るがゆえに)、「一定の質は確保される行為」なのだと思います。それゆえ冒頭に書いたように、落語というのは、「誰でも出来てしまう!」という凄さを持っているのです。

有名人の落語は高品質になりやすい?

まず有名なAV女優さんや有名芸能人の落語家は「メディア業界」において「一流」だった人です。よく「一流の人は何をさせても一流」とはよく言ったもので、一定期間において何かを習得する能力は遥かに高いし、ホスピタリティが高いことが多いです。そうなると、有名AV女優の風俗店でのサービスや有名人の落語は、超人気風俗嬢やライブで人気の落語家には「経験にもとづく何か」の部分は仮に劣っても、一般的な風俗嬢や一般的な落語家よりも品質が結果的に高いことも多いかもしれません。それゆえ顧客満足度も高いです。

また現代は情報化社会なので、客観的な技術は早く習得できます。その意味で「客観的な部分の品質(特に言語で明示しやすい部分の技術)」は高めやすいので、昔以上に「別ジャンルで一流な人」が新規参入した場合、すぐさまハイレベルな品質を提供できるとも言えます。さらには風俗嬢の性的なサービスや、落語家の落語はどこまで行っても「対面での人間の営み(その瞬間に消費されて無くなるもの)」であり、絶対的な品質などなく、どこまでいっても「顧客の主観」が品質=価値を決定します。そうなると、一定レベルの客観的品質(一定の客観的サービス的な作業)を超えた時点で、品質については「お客様の好み」としか言いようもない話になります。そうなると、有名人の落語は顧客満足度が高い(高品質?)ことが多いとも言えます。つまり、落語においては、品質と顧客満足度が非常に近い話になるのです(経済学的には「知覚品質」と呼ばれるそうで、芸術・エンタメにおいては品質とは最終的には顧客の主観にゆだねられるので、顧客満足度と品質が限りなく近い意味になります)。

また売上の話でいうと、「どれだけ品質が良くても、その存在が知られていなければ売上は0ですし、お客様が買える場所にアクセスできなければ売上は0」です。また「顧客は、必ずしも商品の品質を見極めて購入するのではなく、“買ってみたい(試してみたい)”という欲求が発動して購入する」のです。そしてこの“買ってみたい(試してみたい)”という欲求は、「誰がやっているか(誰が作ったか)」「ブランド価値(信用)」「そこで体験したことを誰かに話せるか」「自分との関係性や思い出」などによって発動します。
そうなると、風俗店の有名AV女優や有名人の落語は、品質として一定水準を超えている状況ですし、有名なので認知されやすく、アクセスもしやすいです。そして一般的な風俗嬢や一般的な落語家よりも“買ってみたい(試してみたい)”という欲求が高くなりやすいので、売上が高くなりやすいと言えます。

一般的な落語家が生きている落語ファン市場

一方で、一般的な落語家は個人的知名度はないので、有名人(芸能人)の落語家とはまた別のビジネスモデルで暮らしています。東京や大阪には一般的な落語家を観に行く観客が一定数いる「落語市場(落語ファン市場)」という小さい市場が別に存在します。ですので、一般的な落語家は、そこで何とか暮らしている人もいます(?)。
(ただし、「有名人が集める顧客の市場」よりはビックリするぐらい小さいな市場です。何十分の1とかではなく、何百分の1、何千分の1、何万分の1、何十万分の1、何百万分の1・・・なのかわからんぐらい小さい市場です。)

そこにいる顧客層は、何かのキッカケで「落語」という大枠なジャンルに興味を持った人で、落語会や寄席に通ううちに、多くの落語家や各落語家が演じる演目に出会った人たちです。すると、その人は、だんだん落語ファンに成長し、その落語ファンは他人の価値観に左右されずに、自分の価値観(ストーリーや主観・センス)で落語家を評価します。その場合は、有名人に対するブランド価値を何とも思わなくなるので、有名・無名で選ぶのではなく、自分の好みの落語会を選択するようになります。そういう自分の価値観で選択するような落語ファン(コアファン+ライトファン)が核となる落語ファン市場というのが存在し、そのライトファンのグラデーションがどんどん薄くなったところに「新規の一般客」(今まで落語を見たことがないけど、有名人が落語するらしいので、1度体験してみようという新規客みたいな顧客)が存在し、「大きな落語市場」が形成されているのです。ただ、この「核となる落語ファン市場」と「大きな落語市場」の規模はとてつもなく違うのです。
(私の売上と笑福亭鶴瓶師匠の売上が何倍も違うのと一緒で、それと同じかそれ以上の比率の違いが市場規模として存在します。)

多くの落語家は、この小さな落語ファン市場での仕事と、たまに「大きな落語市場」における仕事や、それと全く無関係に発生する個人的な営業によって落語家業を営んでいます。ですので、知名度がなくても、なんとか売上を立てて暮らしていると言えます。
この「落語ファン市場」において「評価」されることは、ある程度「売上」と相関関係が出ます。落語ファンというのは「落語に関しては情報強者」なので、その落語ファンが評価するというのは、評価する落語家の公演に見に行くのと等しいことです。ですから“他の条件が同じであるとするなら”、落語ファンに人気の噺家は、落語ファンに人気のない噺家よりも落語公演の売上(落語ファンの集客数)は高くなる傾向が出ます。


それとは別に落語は、当たり前ですが、「芸術(アート)」の部分があります。そして、一定レベルの品質に誰でも到達できるという芸能です。
その上での競争社会が発生した場合、「周りよりもレベルを上げる」「過去の自分よりもレベルを上げる」「歴史的な意味において落語の技術や台本に貢献するレベルに達する」「目の肥えた人をさらに満足させる」というのは非常に難しいのです。もちろん終わりもないですから。
ですから冒頭に、(落語は)「出来ることは出来るけど、もっとレベルの高い話においては、やはり難しい」と書いたのは、この意味です。つまり、高度なアート(芸術性)においては非常に難しい芸能であります。

一方で、落語は「芸能」=「人を楽しませてナンボ」であり、プロフェッショナル(ビジネスとして成立するかどうか)が非常に重要です。そうなると、落語ファン市場においては、目の肥えた落語ファンに評価されるという競争社会が発生します。それこそ先ほどの「アート」な部分を評価する落語ファンの鑑賞眼によって売上が変わりますので、落語ファン市場で落語家が生き抜くには「落語ファンの顧客満足度や期待値が非常に高い落語」を提供し続けなければなりません。にもかかわらず、落語ファン市場は非常に小さいマーケットです。ですから落語というビジネスは、冒頭に書いたように「自分の基幹事業として継続させていくという意味では難しい」のです。凄いアーティスティックな芸能で、かつエンタメ性(大衆受け)もある高品質な落語を量産できる一部の人しか、落語ファン市場だけで生計を立てるのが難しいと言えます。

だからこそ、落語は「誰でも出来る」けど、
アート(芸術性)の意味で「もっとレベルの高い話においては、やはり難しい」ので、ビジネスの意味において「自分の基幹事業として継続させていくのは難しい」のです。

・・・ほな、普通の落語家はどうしてるねん?

となると思いますが、以下補足です。

【補足】一般的な落語家のビジネス

落語家のビジネスは、主に以下の3つになります。
①「自分がメインの落語会を行う」(オーナー&プロデュースand/or芸人)
②「発注を受けた公演を取り仕切って出演する」(プロデュースand/or芸人)
③「発注を受けて、芸を披露しに行く」(芸人)

ただし、いわゆる世間と一緒で、「投資」や「副業」もしている人はあるでしょう。いったん、それは置いておきます。

先ほど書いたように「落語ファン市場」のお客様などを起点として、①②③は当然、発生します。しかし、どこの商売でもそうですが、実は「知り合い」や「縁故関係」によって仕事をもらう・お客様として来場してもらうというのが存在します。そうなった時に、落語ファン市場は非常に小さいので、「縁故関係や知り合い」などの別の人間関係によって受注先を沢山持っている噺家の方が、落語ファンに人気の噺家より、①②③の全ての売上において勝ることもあるのです。。。。というか、結構、多いのです。
(ある意味、それぐらい落語ファン市場というのは小さいとも言えます)

東京は大阪よりも市場規模が大きいので、落語ファンにかなり評価されている噺家さんはそれなりの収入があると思いますが、大阪の落語ファン市場はそれの10分の1以下だと思いますので、落語ファンに人気の噺家も別の収入がない限りは非常に細々と暮らしています。
(このようなことを書くので、後輩から「たま兄さんの話は夢がない」と言われます・・・が、その通りなんだから仕方がない。事実を受け入れた先にしか明るい未来は無いのです)

大阪の落語会で落語ファンだけを200人集めるのは至難の業です。なぜなら落語全体の強烈なコアなファンが今は200人ぐらいだからです・・・知らんけど(毎月2回以上、生の落語会に行く人はそれぐらいか、MAX400人ではないか)。そこにもう少しライトなファンを混ぜて400~500人、だいぶライトなファンで1000~2000人ぐらいなんだろうと思います。
そういう小さい市場で、鑑賞眼の高い人を相手に基幹産業としてビジネスをするのは非常に難しいです。
一方で、「落語は普段は聞かないけど、その人が落語をするなら行こう」という人間関係的なお客様や、「落語のことは知らないけど、あの人は落語家さんなので、仕事を頼もう」という人間関係的な発注元を沢山持っている噺家の方が、ビジネスとしては上手くやれます。
また他の芸術と違い、落語家を続けるだけなら、費用はそんなにかからないです。楽器のメンテナンスなどもないからです。それこそ、①の落語公演を自分でする場合は、会場費や人件費などの先払いが結構かかりますが、②③においては初期費用・運転資金はかかりません。自分の生存維持のお金だけあれば「落語家」として存続可能です。①をしなければ赤字も発生しません。それゆえ、投資を含めた副業もしてるとか資産があるならば、ビジネスという意味においては、「自分の基幹事業が別にあったり、資産があるなら、継続するのは容易い」ということになります。
ある意味、金持ちの道楽みたいな話になりますが・・・。

ですから「落語が難しい」と言うときは、
「アートとしての意味で、難しい」と言う時と、
「落語のアート部分だけでビジネスにしようとすると難しい」と言う時
になります。
→この話は、私が入門前に抱いていた
「なぜ、この落語家は、こんなにも面白いのに貧乏そうなのか」
という問いへの答え
です。
逆に「この落語家はどうやって生活しているのだ?」「この落語家は都心部の落語会にあまり出演していないのにどうしてこんなに裕福そうなのだ?」の答えでもあります。

ただ、上記は極端に書いただけであり、多くの落語家の“落語会”に来るお客様は、ほとんど

「落語ファン」+「噺家との人間関係で来場した人」+「別の要因で来た人」

のそれぞれが存在しますし、仕事の発注元も

「芸人仲間」+「落語ファン」+「自分の人間関係」

のそれぞれが存在します。落語家によってメインの比重が変わるだけで、どこかが完全にゼロになることは無いのだと思います。いわば3要素の濃淡が変わるだけで、一般的な落語家は、落語公演の観客層・発注元は上記のようになるという話です。

※なお、小さな落語ファン市場においても、「落語ファン的な知名度」というのがまた発生するので、「知名度と品質に最低限の相関関係はあると思うが、必ずしも品質が高い方が売れるとは限らない」という現象がまた発生してしまうので注意が必要です。それこそ、人間関係で得る仕事が非常に多い落語家で、別の仕事が忙しすぎて、落語ファンが目にする落語会に出演しなさすぎるという現象が発生します。その場合、落語の品質は高いが、落語ファンへの知名度が低いという噺家も発生します。

落語は顧客満足度と品質が近くなりやすい

【落語の凄さ】顧客満足度の高さ

このnoteの記事は「落語の凄さ」というテーマですが、さきほども書きましたが、落語は小学生がやっても面白いという凄い芸能です。つまり、誰がやっても一定の品質は保てるだけに、観客が身内意識さえ持てば、顧客満足度は基本的にかなり高くなる芸能なのです。
私が例えでよく言うのですが、

落語家(口演者)=映写機&発信機
お客様の脳みそ=スクリーン&受信機

なので、落語家とお客様のマッチングが大事です。
この時、お客様が落語をする人間のファンであったり、身内・親族であれば、受信能力を高めます。見知らぬ落語家を見るよりも受信機の性能が良くなるのです。ですから、その場合は、顧客満足度は高くなりやすいです。

そもそも顧客満足度は、その商品を使用・体験した顧客の満足度であり、実は複数の種類の商品を体験した人がその商品群の中で優劣をつけた満足度ではないのです。それゆえ、1つの商品しか体験しなかった人が高い満足度を持つことはありえます。それこそ、落語というのは、非常に顧客満足度が高くなりやすいのです。それは誰でもできるし、大きな市場規模としては、あまり誰も体験していないからです(!)。
顧客は、あくまで「体験する前の期待以上の満足」が得られた場合、顧客満足度が高くなるのです。落語は、あまり体験していない商品であり、なおかつ「見知らぬオッサンが、それなりの技法を使えば、見知らぬオッサンをも満足させてしまう」という凄い品質の芸能なのです。ですから、何も下準備していない状況で、満足度の高い会場で顧客に「聞く気」があるなら、ほぼ100%顧客満足度が高くなるという必殺の商品なのです。


YouTuberのヒカルさんが落語を!

YouTuberのヒカルさんが、立川志らく師匠の客分弟子として落語家デビューするらしく、明治座(1,368席・SS席22,000円)で初高座の独演会が即完売したそうです。(参照>Yahoo!ニュース:ヒカル、落語家デビューのチケットが27分で完売

★まず誤解のないように書いておきますが、私個人はヒカルさんが落語をすることで落語の話題が世間に出たことは非常にありがたいと思っています。また、志らく師匠がプロデュース(?)として、単なる「落語デビュー(落語を初体験)」ではなく、「落語家デビュー」=「立川さぎ志として弟子にする」ということで「ニュースになったことは業界の活性化の1つ」として好意的に感じております。ただ、この件について、落語家がどうしても口がモゴモゴする=公に「良いこと」とSNSで言えない事情もあるのです。それは業界が旧弊だからではなく、各個人の商売のスタイルがあるからです。それについて「ニュースとしては良いこと」と思っていても、公に賛同すると自分が損する理由があるのです。それについては後述します。ただ、少なくとも今回の一件(ニュース)については、心の中では「落語が話題になってありがたい」と思ってる噺家の方が多いと思います。
★もう1つ、おそらく明治座でのヒカルさんの初高座は、大成功になると思います。この大成功とは何か?まず「売上」においては即完売済みなので、すでに大成功と言えます。そして「顧客満足度」においても、非常に高い結果になると思います。ですから、大成功間違いなしです。

このnoteを読むような人は最初からわかっているような気もしますが、なぜ「大成功間違い無し」なのかについて、一応、書いておきます。
そして、一部、ヒカルさんのニュースを見て「きっと大成功するだけに(笑)、モヤモヤする」という落語ファンがいると思うので、その人のモヤモヤの原因を書いておきます(少しでもモヤモヤが解消されればと思って書いておきます)。

まずそもそも、顧客満足度は、あくまで「事前の期待値を超えるかどうか」が基準であり、「他の商品と比べてどうか」という基準は持ち込まれません。つまり、満足するかどうかは、その瞬間の(その瞬間までに蓄積した)各観客の経験から導き出された「期待値」が基準なのです。それゆえ、何も予備知識がない初心者であればあるほど、「環境要因やその他の要素」を無視して、そのシチュエーションにおいて体験した満足度だけで、顧客満足度が決定されます。一方、落語ファンはそれまでの経験を元にした基準で顧客満足度を決定します。だから、ある意味、落語初心者は、「落語世界全体が持つ文脈みたいな品質」と無関係な顧客満足度を発生させうるとも言えます。しかし、落語ファンは必ず他の落語家の落語で得た経験を元に顧客満足度を決定します。それゆえ落語初心者が有名人の落語を見る場合は、最低限の品質さえクリアしている状況なら、品質と無関係に高い顧客満足度が発生するということです。そして、これまで書いたように、落語は、小学生が口演しようと、他の芸能よりも非常に高いクオリティ&満足度を出してしまうという特殊な芸能なので、非常に良いライブ環境で、観客のモチベーションが高いなら、高確率で高い顧客満足度が叩き出されます。しかし、落語ファンは、過去の経験の影響で「目が肥えてしまっている」ので、その瞬間の品質が顧客満足度にも影響を与えると言えます。
おそらくYouTuberのヒカルさんの明治座の公演は即完売なので、落語ファンはほとんど購入せずに、「ヒカルさんのファンかネット情報に明るい人=落語初体験の方々」がチケットを購入したのだと思います。ですから、演者と観客のマッチングはOKです。明治座は非常に良い環境です。ですから顧客満足度は非常に高くなると言えます。

それこそ、自分が落語を生で見たことが無い人=落語初体験だとして以下を想像してください・・・・。
「自分の好きなタレントが満員の綺麗なホールで落語を一生懸命喋ってるのを見る」のと、「よくわからないオッサンの落語家が5~6人しかお客様がいない汚い会議室で落語を喋ってる」のでは満足度が違います。自分が落語初体験だったとして、おそらく、たいていの場合、前者の方が顧客満足度は高いはずです。しかも、たとえ実はその「よくわからないオッサンの落語家」が、後で凄い実力派の師匠だったとわかっても、「面白くないものは面白くない」と、その時の感情は素直であるがゆえに覆らないと思います。つまり、顧客満足度というのは、 お客様の鑑賞眼・環境・心理、 色んな要素で変わるのです。そして、落語というのは「演者が映写機であり、お客様の脳みそがスクリーン」なので、映写機がよく映りやすい環境であり、お客様の脳みそが活発になりやすい環境・状態であること、映写機とスクリーンのマッチング(好みも含め)が結構、重要なのです(それゆえ、今回のヒカルさんと同様、有名人の完売公演の落語会は顧客満足度が高いと言えます)。
また他の絵画やクラシック音楽と違って、落語は「お笑い」です。絵画やクラシック音楽で楽しめなくても、「自分の鑑賞眼が低いのか?」という話になりますので、楽しめなかった後で「実はあの絵は凄い天才画家のものやった(あの音楽は世界最高峰の音楽だった)」と言われたら、「ええ?!またもっぺん見に行こうか?(私はその時はわからなかったけど、凄いのか?)」「そう言うと凄かったようにも思う(いや、凄かった)」などの脳内補正をする人も多いと思います。しかし、笑えなかったというのは身体現象なので、いくら後から「あの知らないオッサンは名人やねんで」と言われても「俺には面白くなかった」という話にしかなりません。ですから非常にシチュエーションというか、もはや「落語とは、縁のもん」としか言いようがないのかもしれません。
しかし、少なくとも、ヒカルさんを見に行ったお客様は「落語を楽しむ」状況にあるので、顧客満足度は高いので、非常にありがたいことです。

おそらく、落語ファンが少し心配というか、モヤモヤするのは、
「そんなヒカルさんの落語を聞いて簡単に満足するなら、なぜ本物のプロの落語家の落語を聞いてくれないのか?!もっと面白いのに!」という気持ちと、「いやいや、でもシチュエーションが悪かったら、その人ら面白い落語家を見ても面白くないって思うよな・・・ヒカルさんの方が面白いって言うんと違うか???」みたいな不安な気持ちがないまぜになって、モヤモヤしてるのではないでしょうか?(笑)

ここまでの私の文章を読んで、もうお分かりのように、そのモヤモヤは諦めてください。
少なくとも「ヒカルさんの落語で、落語に触れる機会を持つ人が増えた」のです。メチャクチャ嬉しいことです。そして落語ファンが思う「プロの落語家の落語を聞いて面白いと思ってほしい」というのは、「縁」のものなので、考える必要はないのです。縁があれば、ヒカルさんの落語会に行った人も、またそのニュースを見た落語未経験の人も、プロの落語家の落語を見るでしょう・・・縁があれば。そして、面白いと思うこともあれば、面白くないと思うこともあるでしょう。全ては「縁」としか言いようがないのです。そして貴方の「プロの落語家の落語を聞いて面白いと思ってほしい」という気持ちは、私も落語家兼落語ファンですから痛いほどよくわかりますが、それはどうにもならないことです。そういうどうにもならない気持ちを持ってモヤモヤするのは「執着」です。「執着」が心の苦しみを生むので、捨てるべきです。。。。気が付けばお釈迦さんの教えになっていますが…。まあ落語の『天災』をご存じでしたら、紅羅坊名丸先生の「あきらめるのです」です。おわかりか。この元ネタがわからない人は、面白い落語なので、またどこかで生で聞いてください。

「修行」は「落語の品質」と無関係!

YouTuberのヒカルさんの件について、
「修行(修業)してない奴がちゃんと落語できるのか!」
と言う人がいますが、残念ながら
意外にちゃんと出来るのです・・・。

先ほどから書いてるように小学生でも出来ます。高齢者でも出来ます。
つまり、誰でも出来るのです。そして不思議なことに、
修行しても落語が下手やったりもするのです。つまり、修行とは、落語の出来栄えを担保するものではないのです。

・・・ほな修行て要るんか?

と言う話ですが、実は究極的な意味では
「落語をすること」自体には修行は必ずしも必要ではありません。
実際、伝統的な修行をしていないが、報酬を得て生計を立てている落語家さん(税務署的なプロ)もいますし、アマチュアの落語家さんも多くの人を楽しませているのが現状です。

では、修行は何のために必要なのか?

それは「伝統的なプロの落語家になるため(正確にはプロの落語家の慣習を覚えるため)」です。
もちろん、修行をしたほうが落語は上手になりやすい&ノウハウを学びやすいのですが、一番大事なことは

伝統的な落語家集団のカルチャー(しきたり・慣習)を覚えるため

です。そして、これを覚えてると、伝統的な落語家同士のコミュニケーションがスムーズになり、落語会運営・寄席運営が可能になるのです。逆に、これを覚えている人=プロの落語家の修行をした人が一定数(できれば過半数)いないと落語会運営・寄席運営の継続は不可能と言えます。
だから、「落語家にとって修行が必要か?というと、必ずしも必要とは言えない」ということになりますが、正確に言うと
「落語"世界"にとって、落語家の修行は必要不可欠」ということなのです。

それこそ、今後、ヒカルさんが活躍して集客要因となれば、
東京の寄席や色んな落語会に出演することもありえるでしょう。
「修行してないけど、ええんか?」という話ですが、「ええかどうか」は別として、出演しても寄席運営・落語会運営はスムーズに行えますし、何も問題ありません。それは寄席や落語会に「マジシャン」や「風間杜夫さん」や色物の人が出演するのと一緒で、寄席や落語会を運営&進行させるのは「修行経験のある噺家」だからです。つまり、ヒカルさんは、ゲスト枠になるので、「いわゆる伝統的なプロの落語家の修行」をしなくても全く問題ないのです。
それこそ、そういう方々がゲスト枠として寄席や落語会に出演してくださることは、落語世界の活性化にとって良いことなのだと私は思います。

【参照】落語家のプロについて
YouTube笑福亭たま「修行の効果(前篇)」
笑福亭たまnote:新作落語の著作権と「落語作家」について【ほぼ無料】

「ヒカルさんの落語家デビュー」に落語家がモゴモゴする理由

先ほどから書いてますが、ヒカルさんが落語をすることは活性化になるので、落語家自体は概ね好意的ですが、オフィシャルに大手を振って「大賛成!やったー!」と叫べないのは、なぜなのか?・・・と思う人もいるかもしれません。また、ご自身が落語に興味を持って普段接していない人からすれば、そこまで落語家や落語ファンがこのニュースをなぜもっとワイワイ盛り上げようとしないのか疑問に思う人もいると思います。それは落語世界が旧弊だからではないのです。その理由は以下です。

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