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宿便よ、さようなら②

離婚までのおおまかな流れ
2025年
①7月→宿便の不倫白状、家族会議、義両親への報告、別居開始
②8月→日本へ息子と共に一時帰国(その間に離婚準備)
③9月→離婚申請(第1回目は申請のみ、冷静期を1ヶ月挟む)
④10月→離婚申請(第2回目で離婚協議書提出、離婚成立、離婚証発行)
⑤11月→本帰国準備開始
2026年1月初旬本帰国完了✅


前回①7月→宿便の不倫白状、家族会議、義両親への報告、別居開始までを書きました。



今回は②の8月→日本へ息子と共に一時帰国(その間に離婚準備)と第1回目の離婚申請までの経緯を書きたいと思います。


2025年8月日本へ一時帰国する前、7月の時点で宿便を不倫女宅へ追い出し、そのすぐ次の日、国際離婚について朝阳区政务服务中心婚姻登记分中心に聞きに行く事にした。

結婚も離婚も同じ建物で受付
この日は必要書類、必要期間、国際離婚で特別必要なものはあるか確認をした。

私の場合、中国の永住権を取得していた為、特に外国人だからと言って特別に必要な書類は必要なく、中国人と同じように離婚できるとの事。
パスポート、中国绿卡、結婚証の3点。

そして計2回同じ場所に離婚申請しに行かねばならず、1回目は身分証と結婚証と離婚申請書の提出、离婚登记申请受理回执单というものが発行される。
その後1ヶ月の冷静期を挟み、2回目は离婚登记申请受理回执单と準備した离婚协议书にその場でサインし証明写真を提出、やっとこさで離婚証が発行される。

この時、宿便も連れて行ったのだが、自分が離婚したいと騒いでいるくせに、係員の方に一切質問もせず私が全て聞いてメモを取り、ボーっと座っており本当にただの宿便である。不要だった。



日本へ

8月になり、息子と共に日本に一時帰国し、その間に私の両親に離婚する旨を報告、両親は離婚する事に大賛成だった。
帰ってきたら、ちゃんとサポートしてあげるから安心して帰って来なさいと言ってもらえて内心ホッとした。

日本で生活した場合の生活費を割り出して、宿便が理解できるように資料にまとめた。
信頼できる友人に相談し、弁護士さんを紹介してもらい、抜かりなく离婚协议书を作成してもらった。
あっという間に1ヶ月弱の一時帰国が終了。


北京へ

8月末北京に戻った。
1回目の離婚申請に行く前に弁護士さんからの提案で、本来は2回目の離婚申請の際に係員の前でサインする离婚协议书という養育費等の取り決めをした書類を、前もって宿便に見せた上で先にサインを貰いましょうということになった。

中国側だけではなく、私の場合は日本側の離婚届を日本大使館に出さないといけない。
离婚协议书を翻訳したものも提出する為、内容が問題ないか日本大使館の中国人スタッフの方に確認してもらう必要があったからだ。

以前日本大使館に行って、離婚の際に注意すべき点を確認した際、抚养权と监护权の区別をしっかりとしておかないと、あとで揉める事があると教えてくれた。
その旨も弁護士さんに伝え何度も离婚协议书を書き換えてもらった。


ごねる宿便

何度も書き換えた离婚协议书を持って宿便にサインさせに行った。
しっかり読んでわからなければ質問してと前置きして書類を渡し、目を通してすんなりサインした宿便。
ホッとし自宅へ帰ると、何度も着信が。
出てみると「騙された!俺はあんなものに同意していない!おかしい!静は俺を騙してる!」を連呼。
あまりの煩さに録音するのを忘れていた私だが、弁護士さんから、あちらから電話やメールが来たら全て記録するようにと言われていたのを聞いていた息子が隣で自分のスマホで録音してくれていた。

息子が最長大学院まで行った場合の養育費が気に入らなかったようで、とにかく18歳まで!18歳まで!18歳までしか払わない!と馬鹿の一つ覚えのように何回も連呼。
結局ちゃんと読まずにサインして、あとで自分で納得いかないから騒いでいるだけなのに、素直に認めない30分ごねた宿便。
内容変えないなら今から殺しに行く!一緒に死んでやる!家にいるんだろ?と脅して来た。
その後は俺は北京人だから弁護士たくさん知ってるとか、ザイバン(裁判)したらお前は負ける、俺が息子育てる!お前が金よこせ!と言っていたが、根気よく話し最終的に大学院まで養育費を払うという最初の内容で合意。
一体なんだったんだろう…私と息子は再度その録音を聞いて、よく乗り越えたね…と話しています。


長文になってしまいましたが、読んでくださりありがとうございました。

次回は③9月→離婚申請(第1回目は申請のみ、冷静期を1ヶ月挟む)を書きたいと思います。

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