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ブッダが説いたこず

マむ仏教本(なんだそれ)、昚幎のむチオシはなんずいっおもパナットヌ垫の「仏法」でしたが、今幎のむチオシはコレです
ずいう本の玹介を、2022幎のいっぜん、にしたいず思いたす♪
昚幎も参加させおいただいたのですが、今幎はこの新しい蚘事を。
ハス぀かさん、今幎も開催しおいただきありがずうございたす😊🙏

ずかっお、今幎読んだのか昚幎だったのかは、定かではないんですけど笑
手にずったのは昚幎だったかもですが、心にきおるのは今幎、ずいうこずで。

ワヌルポラ・ラヌフラ著 今枝由郎蚳
「ブッダが説いたこず」

がっ぀り仏教本です♪
こころにずたった蚀葉を抜き出しおの所感を曞いおいきたす。

たずはこれ

すべおの悪の根源は無知であり、誀解である。
第1章 仏教的な心のあり方

そうたさにこれです♪
無知、無明でなかったら、い぀でもどこでも正芋です。真実の芋方ができる。
貪瞋痎、ずいう煩悩が生じおしたう原因や苊しみは、ここにあるんですね。
私たちはものごずをありのたたに芋るこずができおいないんです。
基本ものごずを理解しおいたせん😂
もし、ありのたたに芋るこずができおいお理解できおいるなら、煩悩は生じず苊しむこずもないんですね〜。
正芋、ここを鍛えおいくず、苊しみが枛っおいきたす。

次はこれ

第䞀の真理 ãƒ‰ã‚¥ãƒƒã‚«ã®æœ¬è³ª
 最初の真理は䞀般的に「ドゥッカの本質」ず蚳されおおり、仏教においおは「人生はドゥッカ(苊しみ)、痛みに他ならない」ず解釈されおいる。しかしこの蚳も、そしおこの解釈も、どちらも極めお䞍十分で、誀解を招くものである。事実、この原語〔ドゥッカ〕の意味を郚分的にしか䌝えない、䞍適切で、安易な蚳語ず、その衚面的解釈が、倚くの人に仏教は厭䞖的だずいう誀ったむメヌゞをもたせるこずになった。

仏教は珟実䞻矩
たず最初にはっきりず蚀えるこずは、仏教は悲芳䞻矩でも楜芳䞻矩でもなく、しいおいえば、生呜を、そしお䞖界をあるがたたに捉える珟実䞻矩である。仏教はものごずを客芳的に眺め、分析し、理解する。仏教は誀っお人びずに人生は楜園であるず思い蟌たせたり、ありずあらゆる想像䞊の䞍安や眪の意識をかき立おお、恐がらせたり苊悶させたりしない。仏教は人間ず䞖界のあるがたたを正確に、客芳的に説き、完党な自由、平安、静逞、幞犏ぞの道を瀺すものである。

人生には苊しみがあるが、幞せも吊定できない
ブッダが、「人生には苊しみがある」ず蚀うずき、圌はけっしお人生における幞せを吊定しおいるわけではない。逆にブッダは、俗人にずっおも僧䟶にずっおもさたざたな粟神的、物質的幞せがあるこずを認めおいる。ブッダの教説をたずめたパヌリ語の五郚経兞の䞀぀である増支郚経兞の䞭には、家族生掻の幞せや隠遁生掻の幞せ、感芚的喜びによる幞せやその攟棄による幞せ、執着による幞せや無執着による幞せずいった、さたざたな肉䜓的、粟神的幞せが列挙されおいる。しかしそれらはすべおドゥッカに含たれる。さらには、高床な瞑想によっお埗られる、普通の意味での苊しみの片鱗すらない、非垞に玔粋な粟神的次元も、たたたぎれもない幞せずされる次元も、心地よさあるいは䞍快さずいった感芚を超越し、玔粋に沈静した意識の次元も、すべおはドゥッカに含たれる。同じく五郚経兞の䞀぀である䞭郚経兞の䞀぀のスッタ〔経〕では、瞑想の粟神的幞せを賞賛したあず、ブッダは、
 「それらは無垞で、ドゥッカで、移ろうものである」
 ず述べおいる。ここで泚意しなければならないのは、こずさらドゥッカずいう甚語が䜿われおいるこずである。普通の意味での苊しみがあるからドゥッカなのではなく、「無垞なるものはすべおドゥッカである」からドゥッカなのである。
第2章 第䞀聖諊 ドゥッカの本質

匕甚長い♪
人生は苊である。の、苊、が、苊しみず蚳されたこずによる誀解。
いわゆるドゥッカ、は、苊しみずいう意味だけではなく、同じ状態を保おないこず、ず、ホヌムさん(仏法の講矩をしおくださった先生です)は説明されおいたず思いたす。
たた、パナットヌ垫の仏教蟞兞には、
苊しみ。耐え難い状態。圧迫し、矛盟し、䞍完党で実䜓ず真の安定に欠け、真の満足を䞎えない状態。
ず、このように曞かれおありたす。

ここは、䞉盞、無垞苊無我の説明にもなっちゃうずころなんですけど、ものごずにはすべおこの䞉぀の盞がみられちゃう。みたいな♪
ものごずは皆、う぀ろいゆく倉化しおいく性質をもち(ç„¡åžž)、その性質は䞍安定で決しお満足できるものではない(苊)。たた、それらはすべお䞀時的に成り立っおいるようにみえるものである(無我)。ここは私の理解ですね。無我は説明もですけど理解が難しいんです〜。
誰も誰かのものず蚀えない、䞻はいない、誰もこのようになれず呜じるこずはできない、ずいうようなこず、ずホヌム先生はおっしゃられおいたず思いたす。

人生楜ありゃ苊もあるさ、は、氎戞黄門。
䞖間諊ですかね〜

3箇所目は、第3章をずばしお笑、第4章から。

ニルノァヌナは今の生で䜓珟するもの
 ほずんどすべおの宗教においおは、最高善は死埌にしか到達できない。しかしニルノァヌナはこの今の生で実珟するこずができ、到達するのに死を埅぀必芁はない。
 真実、ニルノァヌナを䜓珟した人は、䞖界でもっずも幞せな人である。その人は、他の人たちを悩たせおいる、あらゆる煩わしさ、匷迫芳念、心配、問題から解攟される。圌は心的に完党に健康である。過去を悔やたず、未来を思い悩たない。圌は、今ずいうずきを党力で生きる。それゆえに、圌は肩肘匵るこずなく、もっずも玔粋な意味でものごずを味わい、享受する。圌は喜びに溢れ、意気揚々ずし、玔粋な生を楜しみ、五感は心地よく、䞍安がなく、晎朗で安らかである。 ã‚らゆる利己的な欲望、憎しみ、無知、うぬがれ、奢り、汚れから解攟され、玔粋で、やさしく、博愛、慈しみ、正盎さ、同情、理解、寛容に富んでいる。圌は自己ずいう抂念をもっおいないので、他人ぞの奉仕はたさに玔粋である。圌は自己ずいう幻想、生成の枇望から解攟されおいるがゆえに、粟神的なこずも含め、䜕䞀぀埗ないし、集積しない。
 ニルノァヌナは、二元論的、盞察的なこずばを超えたものである。私たちの䞀般的な善悪、 æ­£é‚ªã€å­˜åœšãšéžå­˜åœšãšã„う抂念を超えおいる。 æ¬¡ã®æ–‡è„ˆã§ã¯ãƒ‹ãƒ«ãƒŽã‚¡ãƒŒãƒŠã‚’圢容するのに「幞せ」ずいうこずばが甚いられるが、それは普通の意味ずはたったく異なった意味で甚いられおいる。
 シャヌリプトラが蚀った。「友よ! ãƒ‹ãƒ«ãƒŽã‚¡ãƒŒãƒŠã¯å¹žã›ãªã‚Šã€ãƒ‹ãƒ«ãƒŽã‚¡ãƒŒãƒŠã¯å¹žã›ãªã‚Šã€
 りダヌむが尋ねた。「友シャヌリプトラよ、感芚がないのなら、幞せずはどんなものですか」
 この問いに察するシャヌリプトラの答えは、非垞に哲孊的で、普通の理解領域を超えおいる。
「感芚がないずいうこず自䜓が幞せである」
 ニルノァヌナは論理ず論蚌を超えたものである。ニルノァヌナ、究極真理、実存に関しおどれほど論議を尜くしたずころで、それは時間の浪費で、本圓の理解には達しない。幌皚園の子䟛は、盞察性理論を論議すべきではない。そうせずに、蟛抱匷く熱心に教科を孊習すれば、ある日理解に達するこずができるだろう。ニルノァヌナは「賢者が自らの内に䜓珟すべきものである」。もし私たちが、八正道を根気よく熱心に歩み、自らを修緎し、浄化し、必芁な粟神的発展を遂げれば、高尚な、わけのわからないこずばを操るこずなく、ある日ニルノァヌナを内に䜓珟できるであろう。
それゆえに、次にはニルノァヌナに至る道を芋おみるこずにしよう。
第4章 第䞉聖諊 ドゥッカの消滅

苊の滅のずころで、ニルノァヌナ出おきたした。
涅槃。
蚀葉にできない究極の蚀葉なんじゃないかな〜。

でもここ

「真実、ニルノァヌナを䜓珟した人は、䞖界でもっずも幞せな人である。その人は、他の人たちを悩たせおいる、あらゆる煩わしさ、匷迫芳念、心配、問題から解攟される。圌は心的に完党に健康である。過去を悔やたず、未来を思い悩たない。圌は、今ずいうずきを党力で生きる。それゆえに、圌は肩肘匵るこずなく、もっずも玔粋な意味でものごずを味わい、享受する。圌は喜びに溢れ、意気揚々ずし、玔粋な生を楜しみ、五感は心地よく、䞍安がなく、晎朗で安らかである。 ã‚らゆる利己的な欲望、憎しみ、無知、うぬがれ、奢り、汚れから解攟され、玔粋で、やさしく、博愛、慈しみ、正盎さ、同情、理解、寛容に富んでいる。圌は自己ずいう抂念をもっおいないので、他人ぞの奉仕はたさに玔粋である。圌は自己ずいう幻想、生成の枇望から解攟されおいるがゆえに、粟神的なこずも含め、䜕䞀぀埗ないし、集積しない。」

こうなりたい♪
でもそれ以䞊に、すべおのこずを知りたい理解したい欲求、探究欲の方が倚めではありたすが。

でも少しなら理解できたす。
自分自身のこずでわずらっおいない、感芚。ずおも楜。ちょっず違うかも🀭

、、、次

 以䞊ざっず芋おきたずころからわかるように、八正道ずは、䞀人ひずりが、自らの人生においお、歩み、実践し、開発する道である。それは、身口意の自己芏埋であり自己啓発であり、自己浄化である。それは、信仰、厇拝、儀瀌ずは無関係である。この意味においお、それは䞀般的に「宗教的」ずいわれるものずは無瞁である。それは道埳的、粟神的、知的完成を通じおの、究極の実存、完党な自由、幞せ、平和に至る道である。
 仏教囜においおは、宗教的行事にはシンプルで矎しい慣習や儀匏があるが、それらは本圓の「道」ずは無瞁ずいっおいい。しかしこうした慣習や儀匏にも、修行の初期段階にある人びずのある皮の宗教的感情や芁求を満たし、圌らの道のりを助けるずいう点においお、それなりの意矩は認められる。
第5章 第四聖諊 ドゥッカの消滅に至る道

「八正道ずは、䞀人ひずりが、自らの人生においお、歩み、実践し、開発する道である。それは、身口意の自己芏埋であり自己啓発であり、自己浄化である。それは、信仰、厇拝、儀瀌ずは無関係である。」

ここね、そういうこずですよねっお🙏
これは本圓に最近、実感しおたす。
自分自身の道であるこず。

仏道は、八正道ですが、これは䞀人䞀人が歩む道なんですね。
人が人に呜什しお歩たせる道ではない、ず蚀いたすか。
私の八正道でしかない、ず蚀いたすか。
自己、自ら、自ずず、これっお䞍思議な蚀葉ですが、自分や自己の自、っお、自然の自、なんですよね。自ずずそうなっおいるもの、それが自己ですから、やはり自分は自分のものではないですね。
仏教は、無我を説きたすが、自己ずいうものでその自己を超えおいく道を歩むず蚀いたすか。そんな感じですね。

確固ずした自己はないんです。
自己は、瞁起で䞀時的に成り立っおいるものですね。
心コロコロ。垫匠が教えおくださった蚀葉です。
これが私、ず思いたい心はありたすが、心は䞍安定です。
そんな私の時もあるし、こんな私の時もある。
でもなんずなく、なりたい自分になるこずができるのは、人間だけな気がしたす。
だから、ここは諊めるずころではない。
ですけど、なりたい自分になれるずも限らない。
私たちは結果がほしいですけど、私たちが関わるこずができるのは
原因ず条件をなるべく敎えおいくずころだけで、芁するに過皋の郚分だけで。
結果は結局、䞍確実。
そこを理解しおおくこず、でしょうず思いたす。

でも、どうでしょうか。私たち、い぀も気にしお仕方がないのは、結果ばかりですね。
䜕かを埗たい、埗ようずする心、でしょうず思いたす。
この心を、過皋(原因ず条件)の方ぞ向かわせるこずっお倧事ですね。

だから、戒が土台。
戒はたさに、蟲業でいうず土づくり、土壌づくりだず蚀われたすよね。
悪いこずはしない、善いこずをする。です😊
でも、こればっかりでも芜は出ないし、実もなりたせんね。
定(ゞョり)、心を鍛えおいくこずです。
実際に悪いこずをしない、善いこずをするっお、意倖ず難しいこずです。い぀も自分の心を芋匵っおおく必芁がありたすね。぀いうっかりしおしたう私です。
そしお慧を逊う。智慧を鍛えおいくっおいうのかなあこれは真実の芋方なのかず芋おいく。苊が生じおいるなら、それは真実の芋方をしおいないんだな、ず理解するこずができるず思いたす。

でも誀解のないように、信仰、厇拝、儀瀌ずは無関係ずは蚀えども、それによっお心救われる人や仏教ぞ関心を持぀人もいたすから、それが意味をなさないずいうこずではない、ずいうこずです。著者もそのように曞いおおられたすね。

次は無我のずころです。

人びずは、アヌトマンに関するブッダの教えによっお、圌らが想像しおいた自己が砎壊されるこずになるず思い、神経質になった。ブッダにはそれがわかっおいた。
 あるずき匟子が尋ねた。
「垫よ! å†…なる氞遠のものが芋぀からないずき、人は苛たれるずいうこずがありたすか?」
「匟子よ、それはある。 ã‚る人がこう考えたずしよう。
「宇宙はかのアヌトマンであり、私は死埌、氞遠で、䞍倉で、氞続的で、䞍易なそれずなろう。そしお私は氞遠にそのようにあろう」
 その圌が、ブッダあるいはその匟子が、枇望の消滅を目指しお、たた執着を離れたニルノァヌナを目指しお、〔自分の〕掚枬的な芋解を完党に打砎する教えを説くのを聞いたずしよう。圌は、
「私は無に垰される。私は砎壊される。もはや私は存圚しない」
 ず思うだろう。そしお圌は嘆き、心配し、泣き、胞を叩き、打ちのめされるだろう。こうしお、内なる氞遠のものが芋぀からないず、人は苛たれるこずがある」
 たた他の箇所で、ブッダはこう蚀っおいる。
「匟子たちよ、私は存圚しないかもしれない、私は所有しないかもしれない、ず思うず、䞀般の人は恐怖心に襲われる」
第6章 無我(アナッタ)

ここは匕甚するか迷ったずころですが、でも知っおおいた方がいいずころだず思いたした。

「匟子たちよ、私は存圚しないかもしれない、私は所有しないかもしれない、ず思うず、䞀般の人は恐怖心に襲われる」

そうなのだなず。
私は無我を聞いた時、ずおも気が楜になったし、心の自由床が増した気がしたした。
でもそうじゃない人々が倚いのだず知っおおくこずは倧事なんだなっお教えおいただきたした。
それを聞くこずによっお恐怖が増すずいうこずは、生呜を圧迫するこずにもなるかもしれないなっお、泚意が必芁かなず思いたした。
曞いずいおなんですが。。

これは最近どっかで曞いた気もするんですけど、無我は、自己探究によっお、私ずは䜕なのかずいう探究によっお、知りたいず思う人が知るこずができる、発芋するこずができるのだろうず思いたす。

第7章ぞ〜

䞀般に人は自分が今行うこずに、あるいは珟圚に生きおいない。人は過去あるいは未来に生きおいる。
第7章 心の修逊(ノァヌワナヌ)
今たで述べおきたこず以倖に、䌝統的には四〇に分類されるテヌマに関する瞑想がある。
その内で特筆すべきは、

(1)「母芪が自分の䞀人子を愛する」ように、すべおの生きものに察しおいっさいの区別なく、無限の普遍的愛ず善意を向けるこず
(2) è‹Šã—みや問題を抱え、苛たれおいるすべおの生きものを慈しむこず
(3) ä»–人の成功、安楜、 å¹žã›ã‚’共に喜ぶこず
(4) äººç”Ÿã®æµ®ãæ²ˆã¿ã«å¹³é™ã§ã‚るこず

である。
第7章 心の修逊(ノァヌワナヌ)

今を生きるこずず、慈悲喜捚の瞑想実践だず思いたす。

ほが今を生きおいないんですよね😂
1日でも1時間でもいいので本気で自分が今やっおるこずを芳察しおみるず発芋があるかもしれたせん。
そしお、慈悲喜捚の実践をやっおいくず気づくこずがたくさんあるんです。䞻には自分の我執に倚く気づけるのではず思いたす。

私自身の毎日の修行はこの二぀だず蚀うこずもできたす。自分1人で行うこずは気づき、今ここにいるこずです。そしお人ず接したり関わる時には、慈悲喜捚の実践しかないなあず思っおたりしたす。
なかなか難しいこずですが、孊びのある修行です。

ここの章は、実際に仏道実践しおいる人にずっお圹に立぀ずころだず思いたすので、お勧めの章です。

そしお
第8章〜

ここたで曞いおしたうず読たなくおもいいんじゃないか、ずなっおしたいそうなのですが、、いやいやほんのわずかなこずを玹介しおいるだけなんですけど、長い😂
読んでお飜きちゃっおる人もいるかもですね。
ここは圚家で仏道を歩む方にぜひ読んでいただきたい章だなず思ったずころでした♪

仏教はあたりにも高尚で、厇高な教えで、今日の仕事䞭心の䞖界に生きる普通の男女には実践できず、本圓の仏教埒になるのには、仕事を蟞めお僧院や静かな堎所に隠棲しなければならないず考えおいる人たちがいる。
これは悲しいこずながら、ブッダの教えを本圓に理解しおいない人たちの誀解である。これは、仏教を完党に理解せず、断片的で偏った偎面しか䌝えない人たちから仏教のこずを聎いたり、そういう人たちが著わした仏教に関する著䜜をざっず読んだりしお、早急に導き出された、誀った結論である。
第8章 ブッダの教えず珟代
誰にでも開かれた教え

ブッダの教えは、僧院の僧䟶たちだけでなく、家族ず䞀緒に家庭生掻を営む普通の男女にも向けられたものである。八正道ずいう仏教の生掻芏範は、いっさいの区別なく、すべおの人に向けられたものである。
䞖界の倧半の人は、僧䟶にはなれないし、掞窟や森の隠者にはなれない。仏教がいかに高尚で高貎であっおも、珟代における日垞生掻で実践できないものなら、それは意味がない。しかし仏教の真意を(ただ字面ではなく) æ­£ã—く理解すれば、普通に家族生掻を営む珟代人でも確実に実践できるものである。
第8章 ブッダの教えず珟代

ここが、私たち圚家で仏教を、仏道を歩む者にずっお、出家されおいるお坊様からの励たしのお蚀葉ず蚀いたしょうか。
ありがたいお蚀葉ず蚀いたしょうか。
そのように受け取られたした🙏

このように感じられるのは、実際に、自分自身が仏道を歩むず決めお(だんだんそのようになっおきたのですが)、ここ圚家の身で仏教を実践しおいく䞭で、森に入る必芁はなく、人を避ける必芁もなく、人々ずの生掻の䞭で孊んでいけるものだず、実感があるからだず思いたす。

確かに、日々忙しい仕事ばかりしおいお疲れきった心身では、なかなか難しいずころはあるず思いたす。
ただ、仏道を歩んでいくず倧切なこずが芋えおきたす。そしお戒埋の䞭に、どのように仕事、ずいうものを捉えおいくのか、ずいう項目もありたす。
自分自身が生きる䞊での指針のようなものが仏教であった時、次の遞択がシンプルで善であるこずが増えおいく、そのような感じもあるんですね。
もちろん、間違うこずは倚々ありたすが、そこからたた孊ぶ姿勢も逊われおいくのが、私にずっおは仏教である、ず蚀えおしたいたす。

最埌に、面癜い項目があったので玹介したす。

「囜王の十責」

ここでいう囜王は、珟代の文脈では圓然政府ず理解されるべきもので、「囜王の十責」は、今日の政府銖脳、倧臣、政治指導者、叞法官、行政官に適甚されるべきものである。

(1) æ°—前のよさ、物惜しみのなさ、斜し。支配者は、富ず財産に察する枇望ず執着をも぀べきではなく、人びずの犏利のために富ず財産を斜すべきである。
(2) é«˜ã„道埳性。支配者はいかなる堎合も、呜を傷぀けたり、隙したり、盗んだり、人を搟取したり、䞍倫をしたり、嘘を぀いたり、酒を飲んだりしおはならない。 ã€ãŸã‚Šã€åœšå®¶ä»æ•™åŸ’ずしおの五戒は守らねばならない。
(3) æ°‘衆の犏利のためにすべおを犠牲にするこず。 ã™ã¹ãŠã®å€‹äººçš„快適さ、名声、呜たでも、民衆のために捧げる。
(4) æ­£ç›Žã•ず誠実さ。任務の遂行に圓たっお恐れやえこひいきがなく、決意が固く、民衆を隙さない。
(5) èŠªåˆ‡ã•ã€‚ æ€§æ ŒãŒå„ªã—いこず。
(6) ç”ŸæŽ»ã®åŽ³æ Œã•ã€‚ã‚·ãƒ³ãƒ—ãƒ«ãªç”ŸæŽ»ã‚’å–¶ã¿ã€èŽ…æ²¢ãªç”ŸæŽ»ã«è€œã£ãŠã¯ãªã‚‰ãªã„ã€‚è‡ªåˆ†ã‚’åŸ‹ã—ãªã‘ã‚Œã°ãªã‚‰ãªã„ã€‚
(7) æ†Žã—み、悪意、敵意を抱かない。誰に察しおも恚みを抱いおはならない。
(8) éžæšŽåŠ›ã€‚ãŸã å˜ã«èª°ã‚’ã‚‚å‚·ã€ã‘ãªã„ãšã„ã†ã ã‘ã«ç•™ãŸã‚‰ãšã€ã™ã¹ãŠã®æˆŠäº‰ã€æšŽåŠ›ã€å‘œã®ç Žå£Šã‚’é˜»æ­¢ã—ã€äºˆé˜²ã™ã‚‹ã“ãšã«ã‚ˆã‚Šã€å¹³å’Œã‚’ä¿ƒé€²ã™ã‚‹ã“ãšã€‚
(9) å¿è€ã€èš±ã—、寛容、理解。腹を立おずに困難、詊緎、䞭傷を耐える。
(10) ç„¡åå¯Ÿã€ç„¡åŠšå®³ã€‚ æ°‘衆の意思に反察しない。人民の犏利をもたらすいかなる措眮をも劚害しない。぀たり、民衆ず調和しお統治する。※

ある囜が、こうした資質を具えた人たちによっお統治されたなら、その囜は幞せであるこずは蚀うたでもない。しかしこれはナヌトピアではない。むンドのアショヌカ王のように、この原則に則っお王囜を暹立した王たちもいる。

※  ã‚€ãƒ³ãƒ‰ã®å€–亀方針であるパンチャシヌラ、すなわち平和五原則は、玀元前䞉䞖玀にむンドの偉倧な仏教王アショヌカが垝囜の統治に適甚したものず粟神を同じくする。パンチャシヌラ(五戒、五埳目)ずいうこずば自䜓が仏教甚語である。 
第8章 ブッダの教えず珟代

むンドのパンチャシヌラも勉匷になりたした。
これできる人、政治家にいたすかね
政治家のみならずこのような方は、、皀でしょうね。
特に3番目ず7番目の項目は、難しいんだろうな、ず芋えたす。いや、党郚難しいか😂
䞀蚀で蚀えば賢く優しい人、智慧ず慈悲で政治を行っおほしいですね。理想すぎる〜😂

もし政治にこれから関わろうずいう人がいらっしゃいたしたら、ぜひここを参考にしおほしいですね♪
政治家もですけど、みんな自分自身が眮かれおいるずころでどう生きるのか。ここしかないなあず思いたす。

心に留たったずころを曞き出しお玹介しおみたした。私の所感も曞かれおいたすが、それはさおおき、この本はずおもお勧めですから仏教に興味のある方はぜひ読たれおみおくださいたせ〜😊🙏

今幎もあず2週間くらいですね。
今幎もたくさんの方にお䞖話になりたした。
ありがずうございたした🙏😊

皆様がよいお幎を迎えられたすように

生きずし生けるものが幞せでありたすように

いいなず思ったら応揎しよう