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短編小説264「今は出来ないだけ」中編

 つまるところ、当時の私は、自分が他者から求められたり、能力を認められたりする機会が極端に少なかったのだ。そしてそれは才能の有無以前に、準備、鍛錬、反復といった地道なプロセスのいずれか、あるいはそのすべてが圧倒的に欠落していたという残酷な事実の証明でもあった。
 中学の英語の授業で、「can't(できない)」と「don't(しない)」という否定形を習った。当時の私は、「どちらも同じだろう」と、そのニュアンスの違いに大して興味を持てなかった。
 しかし、大人になって言葉の成り立ちや意味の深さを知るようになると、この二つの違いが持つ大きさに気づかされる。生きていく上で、物理的・先天的に「can't(絶対にできない事)」は極めて少ない。今は出来なくても、いずれ出来るようになることの方が圧倒的に多いのだ。
 要は、その対象に対して自分が時間と労力を「かけるか」「かけないか」。つまり、自らの意志で「do(する)」か「don't(しない)」かのどちらかに終始しているに過ぎない。
 勿論、精神論や根性論だけで全てが解決できるほど世の中が単純ではないことは分かっている。精神障害を持っているし、性別で出来ない事も存在する。ただ、おおよその物事が「できない」というのはその瞬間の「点」で、時間軸という「線」で見た時には「できる」へと変化していた事例は、私の人生の中にも確かに存在する。
 あの日、原稿用紙に一文字も書けなかった自分が、今はこうして日々文章を綴っている。足が遅く、リレーでごぼう抜きにされた自分が、高校時代には日々の練習によって体力とタイムをある程度縮めることができた。歴史に名を残す文豪や、陸上の記録保持者になれたわけではない。だが、過去の自分と比べれば、少なくとも確実に成長したのだ。
 これは、誰にでも絶対に出来ると無責任に言いたいわけではない。絶望の淵にいる人に希望を差し出せるほどの、劇的で輝かしい成功事例でもない。ただ、私たちが抱える劣等感や自信のなさを埋めるための「可能性」として、時間と反復というアプローチが常に存在しているのではないかと言いたいのだ。
 手っ取り早く何かを手に入れたがる焦燥感や行動心理は私の中にも確かにあるし、それが原因で人間関係が悪化したり、逆に面倒な事態を招いたりした苦い経験もある。
 実際にやってみて身に染みてわかることだが、「言うは易く行うは難し」である。このことわざは、実にシンプルかつ残酷なまでに物事の本質を突いている。その真理に照らし合わせれば、こうして私が長々と書いていることも、ある意味では詮無いことかもしれない。
 なぜなら、「文章を書く」という行為において、長文を書き連ねることは、意外にも書けば書くほどに「簡単」になっていくからだ。言葉の紡ぎ方や構成のひな形には自由度があり、背景や経緯をふわっと広げていけば、書く体力は付くし、中身はどうあれどこまでも書き続けることができる。
後編につづく。

 

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