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​【滋賀・坂本城】琵琶湖の水位低下で幻の城が突如出現!!明智光秀の夢の跡

こんにちは、城好きアラタです。

​皆さん、琵琶湖の底に眠る『明智光秀の夢』が、今まさに顔を出しているのをご存知ですか?

今回は滋賀県の琵琶湖から、水不足が引き起こした奇跡とも言える、少し複雑ですが、しかし城ファンとしては心が震えるニュースが届きました。

中日新聞『琵琶湖の水位低下し坂本城跡の石垣出現 船舶の航行や漁業、観光に支障』(2025年12月12日)

​記録的な少雨により琵琶湖の水位が低下。
その影響で、普段は湖の底に眠っている「幻の城」の石垣が、冬の湖岸にその姿を現したのです。

​その城の名は、坂本城(さかもとじょう)

あの大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公であり、戦国史最大のミステリー「本能寺の変」を起こした男、明智光秀が築いた居城です。

​生活への影響も懸念される水位低下ですが、この現象は私たちに「450年前の記憶」を強烈に見せつけてくれています。

今回は、湖底から蘇った石垣の正体と、なぜ坂本城が「幻の名城」と呼ばれるのか。その歴史と知られざる凄さについて、語りたいと思います。

それではさっそく見ていきましょう。

ニュースの概要

​2025年12月12日、滋賀県は琵琶湖の水位低下に関する調査結果を発表しました。

11月下旬から水位がマイナス65センチを下回る状況が続き、船舶の航行や漁業に影響が出ている中で、大津市下阪本にある国史跡・坂本城跡の石垣が湖岸に露出しているのが確認されました。

​普段、この場所は波の下に隠れています。

しかし、渇水によって水が引いた時だけ、ゴツゴツとした石の列が顔を出すのです。

それはまるで、光秀が「俺の城を忘れるな」と訴えかけているかのよう。

地元の方や歴史ファンが、この「幻の光景」を一目見ようと湖岸を訪れています。

​坂本城はなぜ「すごい」のか?

​「明智光秀の城」というだけで有名ですが、城郭としての坂本城は、当時の常識を覆す「革命的な城」でした。その凄さを3つのポイントで解説します。

​① 宣教師も絶賛した「日本第二の城」

​坂本城が築かれたのは、1571年(元亀2年)。

織田信長による、あの凄惨な「比叡山焼き討ち」の直後です。

信長は、比叡山延暦寺の門前町であり、琵琶湖の水運の要衝でもある「坂本」の支配を、最も信頼する部下・明智光秀に任せました。

​完成した城を見たイエズス会の宣教師、ルイス・フロイスは、著書の「日本史」の中で、こう書き残しています。

「坂本城は信長の安土城に次ぐ第二の名城だ」

​要するに「天下人の居城に匹敵するほど豪華絢爛な城」だったのです。

城内には豪壮な天守がそびえ、光秀はここで連歌会を催すなど、優雅な文化人としての側面も見せていました。

​② 水軍基地としての「水城(みずじろ)」

​坂本城の最大の特徴は、その立地にあります。

それまでの城は山の上に築く「山城」が主流でしたが、坂本城は琵琶湖に面した平地に築かれた「平城(ひらじろ)」であり、かつ「水城」でした。

​城の構造は、琵琶湖の水を外堀として利用するだけでなく、城内(内堀)に直接、船が出入りできる仕組みになっていました。

つまり、城自体が巨大な「軍港」であり、ターミナルだったのです。

ここから船を出せば、対岸の長浜や、北の安土へもスムーズに移動できる。

光秀は、信長の掲げる「物流と経済の支配」を理解し、水運を完全にコントロールするための城を設計したのです。この先見性はさすがとしか言いようがありません。

​③ 石垣のプロ「穴太衆(あのうしゅう)」の本拠地

​坂本という土地は、石垣積みのプロフェッショナル集団「穴太衆(あのうしゅう)」の本拠地でもあります。

彼らは、比叡山延暦寺の石垣構築で技術を磨いた職人たちです。

​光秀は、地元である彼らの技術をフル活用しました。

今回、湖底から姿を現した石垣も、自然石を巧みに積み上げた「野面積み(のづらづみ)」という技法が見られます。

450年以上もの間、波に洗われ、水没し続けているにもかかわらず、石垣が崩れずに残っている。

これは穴太衆の技術がどれほど頑丈で、卓越していたかを証明する「生きた証拠」なのです。

​なぜ「幻の城」になってしまったのか?

​これほどの名城が、なぜ今は石垣の一部しか残っていないのでしょうか。

そこには、光秀のあまりにも儚い運命が関係しています。

​1582年、本能寺の変。

光秀が信長を討ち、天下を掌握したかと思われましたが、わずか数日後の「山崎の戦い」で羽柴秀吉(豊臣秀吉)に敗北します。

敗報を聞いた光秀の娘婿・明智秀満(左馬助)は、安土城から坂本城へ急行。

秀吉軍に包囲される中、秀満は城に火を放ち、光秀の妻子らと共に自害しました。

華麗なる名城・坂本城は、築城からわずか11年で炎の中に消えたのです。

​その後、焼け跡に残った石垣や木材は、秀吉の命により、隣の大津に築かれた「大津城」の資材として持ち去られました(リサイクルですね)。

さらにその大津城の資材は、後に「彦根城」へと運ばれました。

​つまり、坂本城の本体はバラバラにされ、地上の痕跡はほとんど消滅してしまったのです。

だからこそ、水位が下がった時にだけ顔を出すこの石垣は、滅亡した明智家の無念と栄華を伝える、数少ない「本物」の遺構なのです。

​「ここを見て!」豆知識

​もし、このニュースを見て現地へ行かれる方がいたら、ぜひ注目してほしいポイントがあります。

「石の黒ずみ」を探せ!

以前の調査で、湖底から引き上げられた瓦や石の一部に、焼けた痕跡(熱による変色)が見つかっています。

今回露出した石垣も、じっくり観察すると、落城時の火災の凄まじさを物語る痕跡が見つかるかもしれません。

​また、坂本城跡公園には明智光秀の像が立っています。

彼は琵琶湖を背にして立っていますが、今回の石垣出現によって、彼が見つめる先に「かつて自分が築いた最強の水城」の幻影が重なって見えるような気がします。

​まとめ:歴史と自然が交差する瞬間に立ち会う

​生活用水や環境への影響を考えると、琵琶湖の水位低下は深刻な問題であり、早く解消されることを願うばかりです。

しかし、その一方で、自然の猛威が歴史の扉をこじ開け、私たちに「忘れられた記憶」を見せてくれることがあります。

​波間に揺らぐ石垣は、光秀の夢の跡。

寒風吹きすさぶ冬の琵琶湖で、450年前の戦国武将たちの息遣いを感じてみてはいかがでしょうか。

​それでは、また次の記事でお会いしましょう。
城好きアラタでした。

皆さんは『幻の城』や『水城』ならどこが好きですか?ぜひコメントで教えてください!

参考ニュース:中日新聞『琵琶湖の水位低下し坂本城跡の石垣出現 船舶の航行や漁業、観光に支障』(2025年12月12日)

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