【空腹輪廻】
Desireは無限大の可能性。
だからこそ
尽きることのないDesire。
完璧な人を求めても完璧な人なんていない。
“私“とはDesireだから。
完璧な正解を求めても完璧な正解なんてない。
“世界“はDesireだから。
完璧な幸せを求めても完璧な幸せなんてない。
“人間“はDesireだから。
完璧な成功を求めても完璧な成功なんてない。
“宇宙“はDesireだから。
何をしていても
誰と過ごしても
どれだけ持っていても
常にあるのは不足感です。
この不足感を指して
人は不幸と呼ぶのだと僕は思います。
この宇宙も世界も人も“私“も
今ある不足感は永遠に続きます。
裏を返せば
それこそが
永遠不変の聖長欲求の“源“です。
つまり
永遠不変の聖長欲求の“源“が“Desire“という証になります。
自然を観てもそれはDesire
命は全てDesire
地球は丸ごとDesire
歴史は全てDesireの歴史
今も未來もDesireに変わりません。
それは森羅万象にDesireという“源“が分け御霊として宿っているからです。
僕のお話を少しだけ🤏
僕はプロセスに重きを置いていた人間です。
プロセスこそ大切で
そこに學びがあるという意味を魂レベルで理解していたのだと思うのです。
つまり
學んでいたいというDesire。
僕としては何かを成してしまったら
もうプロセスが無くなってしまうのです。
学校や資格に受かってしまったら
合格を成すまでのプロセスはもう卒業になってしまう。
そのプロセスからの學びが無くなる。
そこに不足感という不幸を感じるのです。
もっとも外的現象に近い
脳(マインド)は成し遂げたいとフルに思考してくれていて良かったのです。
でなければ
内的な僕と外的な僕の違いという學びは得られませんでしたので。
何を成しても完璧な幸せはありませんから
実は何を成していなくても同じなんです。
であれば
何も成していない状態でその不幸感を満喫すること。
これが
プロセスを樂しむということになります。
ワーク定番の
今ある幸せを数えるって
つまりは
今ない不足を数えると同じなんです。
なので
普段から
今ない不足を数えて不幸だと感じられていた人ほど、実は今ある幸せを見つけ易いのです。
僕の場合
この不幸の数がそのまま幸せの数なんですよね。
その不幸とはそのままプロセスで、
そのプロセスにこそ重きを置いている僕にとって、それは幸せであるという學びだったのです。
不足の数って
そのまま幸せの数なのです。
今ある幸せと
今ない不幸が
僕の場合は
そのまま“完璧に(‼️)“合致するのです。
成功すると決まっていたら何をしますか❓
幸せになると確定していたらどんな振る舞いをしますか❓
今、素敵なパートナーがいるとしたらどんな生活を送りますか❓
大金持ちになったつもりで生きれば、今どんな行動をしますか❓
この問いに対して
僕は直ぐに
『何もしない』と答えました。
ただ
内面には安心感という幸福感がありました☺️
つまり
僕の場合
行動という外に求める行為に幸せはないということ。
人間・シッダールタは
外に答えを見つける行為が
その時いた王族であり、
外に答えという幸せを見つける行動が
出家であり苦行でした。
彼は菩提樹の下で
何もしなくなりました。
行動でも行為でもない。
何もしなくて良かったんだ。
ただ常にあるDesireという求め・不足感が
そのまま幸福感としてあるんだ。
生老病死という外的現象を何とかするのではない。
生老病死という不幸感は
そのまま内面と完璧にリンクするシンクロとして存在するのだ。
➖森羅万象とは幸せのためにあるんだ‼️➖
と、僕はそのように思います。
これはあくまでも僕の場合はです。
ただのごく個人的な感想です😊
ああ、ラーメンを食べに行くお金と行動力が欲しいなぁ。
こんな幸せを噛み締めながら、僕は外に食べに行かないのです。
それを成し遂げたところで、数時間後にはまた食欲が湧いて同じことを思うでしょう☺️
輪廻転生って
“源“がDesireですから創られた仕組みです。
いかにもDesireらしい発想だと思います😊
永遠に続く
この空腹輪廻(不足輪廻)。
その恍惚と不安と😊
最後までお読み戴き
在我尊ございます🙏
SHIR㊉W
