川端康成 "雪国" 光と音の世界
川端康成 "雪国" を読みました。色、温度による心理の表現、コントラストの使い方が、儚くも美しい作品でした。
しかし、作中の侘び寂びの美意識の中で、私がひときわ衝撃を受けた描写があります。以下です。
「自動車で十分足らずの停車場の燈火は、寒さのためにぴいんぴいんと音を立てて壊れそうに瞬いていた」
なんだこれは…と。
この異様な光景がくっきりと脳に描写されましたが、どうしても違和感があったのです。この違和感は表現方法からなるものはわかっていましたが、紐解いてみようと思いました。
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【物理的条件】 停車場までの距離、外気温
当時の自動車の速度から山道を走るスピードとして25km程度と仮定すると10分足らずの距離: 3〜5kmと推測されます。また、当時の気温は-10℃程度と思われます。
-- 疑問1: 燈火の視認性 --
3〜5km離れた先の燈火が見えるのか?
乾燥された空気であり減衰しにくい/山間部であり周囲は暗い/積雪が光を反射、ということから、わずかに視認出来た可能性はあります。
-- 疑問2: 音が聴こえるか? --
燈火から発生した高周波音、仮に40〜60dBとすると3〜5km離れた地点では距離減衰により聴こえる可能性はほぼ0です。しかも、積雪により吸音がされやすい状況です。気温が低いこと/空気が澄んでいることなど加味しても、聴こえることはないでしょう。
-- 疑問3: 何の音? --
燈火が発生する「ぴいんぴいん」という音、気温による金属やガラスの収縮が引き起こすビスや目地の摩擦音?白熱電球が切れそうな時のフィラメント音?いやどれもこの擬音を直接表すには無理があります。
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つまり、物理的には無理があるのです。しかし、作品の中では場面転換、目線の転換、時間の転換が、時には静かに、時には驚くほど急激に使われています。
よってこの場面も、停車場と宿それぞれの2つの場所からの光景を同時に表現しているのでしょう。
そして、燈火の音も実際の音ではなく情景と心理を合わせた描写なのだと思います。
--では、何を表している? --
停車場というのは、現実と空想または夢などを繋ぐ中継点という位置付けられていると感じます。※クロノトリガーの「時の最果て」のような…ここにも外灯がひとつあります。

そして、物語の登場人物である、島村と駒子、2人の心のすれ違いにより、停車場の燈火が音を立てて壊れそうになっているとも捉えられます。また、2人それぞれの感情により同じ描写ながら違う意味にもなります。
島村は、駒子に対して、壊れそうな儚く脆い美しさを感じている。(空想)
駒子は、島村に対して、情熱的な感情を抱いている。(現実)
しかし2人は結びつくことはないという対比の中間に位置するのが停車場であり燈火なのです。
東京に住む既婚者、腹の出た金持ちの遊び人である島村からすると、駒子は市松人形のようなものなのでしょうか。もしくはあくまでも、空想の世界だけに生きる女性なのでしょうか。
都会である東京←→粗末なバラックが散らばる侘しい停車場←→美しい雪国…とそこにいる駒子
と、停車場は距離的にも情景的にもコントラストになっています。
と、このような野暮な解釈をする過程で、あらためてこのシーンの儚さ、美しさを認識しました。
私は、ハッとしたシーンに付箋を貼っていますが、"雪国" は本当に良い描写がたくさんありますので、また紹介したいと思います。
