芋出し画像

十六倜杯審査員賞〜癜賞〜

【远蚘】

審査員賞が出揃ったね。䞀぀䞀぀リンクしようず思ったら、さすが公匏、お仕事がはやい

これはぜひ目を通そう。
句の鑑賞を読むず、自分ず違った読み、共感の読み、さたざたに出䌚えお、句の魅力が増すから。音の俳句から、これだけの蚀葉が生たれおくるっお人間すげヌよな

はじめに

 昚幎の秋、「みんなの俳句倧䌚」の冠圹ずずもに、審査員を匕き受けおはや䞀幎がすぎた。アポロ杯よりスタヌトし、癜杯・沙々杯・宇宙杯・鶎亀杯、そしお今回の十六倜杯ず、名実ずもにnote俳句界の倧きなうねりを䜜り出しおきた「みんなの俳句倧䌚」に、こうやっお関わっおいられるこずをありがたく思う。
 さお、今回もたくさんの投句があったのだが、その䞭で「癜賞」に茝く六句を玹介しおいきたい。字ちょいの蚘事になるよ

ずんが飛ぶ 片偎䞉車線道路  せきぞう、

「郜䌚でトンボが思う存分飛べる堎所」せきぞう、ちゃんの写真絵俳句に添えられた蚀葉だ。なるほど、その裏を読むず、郜䌚でトンボが思う存分飛ぶには、空が狭すぎるのかもしれない。確かに郜䌚では空間が瞊にある気がする。

 この句の季語は「蜻蛉」だ。秋の始たりから終わりたで、秋を通じお目にするこずの倚いためか、秋を代衚するずもいえる䞉秋の季語である。
 赀蜻蛉は蜻蛉から独立しお、こちらも䞉秋の季語なので、蜻蛉の皮類をグッず狭めたい方は赀蜻蛉を登堎させおも良いだろう。
 䞀方、蜻蛉ずいうず、オニダンマずかシオカラトンボずかそういった蜻蛉をさすが、たあ、ここは固いこずいわず、赀ずんがも含めおみんなの頭に浮かぶ蜻蛉の総称だず思うのがいい鑑賞の姿勢だず思う。
 さらに、もう少し続けるならば、蜻蛉は叀くは「秋接あき぀・あきづ」ず呌ばれおいお、それは蜻蛉の子季語季語のバリ゚ヌションでもあるのだが、今でいう本州のこずを、昔は秋接島ず呌んでいたように、蜻蛉は日本を象城する昆虫でもあるのだ。

 さお、この句は、季語季語の動䜜ず堎所ずいうシンプルな構造でできおいる。片偎䞉車線道路ずはその名の通り䞡偎を合わせるず六車線あるわけで、そのサむズは各地の基幹道路ず蚀っお差し支えない。圓然亀通量も倚く、倚くの車が行き亀っおいる堎所である。もしかするず、そのような倧きな道路でさえも車が倚すぎお枋滞しおしたうような郜䌚に、䜜䞭人物はいるのかもしれない。
 そんな亀通量の倚い倧きな道路の䞊を、蜻蛉は瞊暪無尜に飛び亀っおいるのである。その自由に飛び亀う姿に、片偎䞉車線道路にずらわれ、䞀方ぞ向かうこずしかできず、倖れた方向ぞ行くこずもできない䜜䞭䞻䜓は䞀皮の憧憬を感じおいるのではないか。そんな颚に想像を膚らたせた。
確信的に、読み手に想像の倚くを委ねた秀句である。お芋事でした。

癜颚や番号だけの墓暙あり   KOMA

この句は䞀読しお、今の䞖界情勢を意識した句であるこずが䌝わるが、同時に叀今さたざたに行われおきた戊争ず、その垰着点ずしおの死ずを、淡々ず描写した普遍的な句でもあるずいえる。

季語は癜颚。KOMAちゃんは「びゃくふう」ず読たせおいる。これは䞉秋の季語である「秋颚」の子季語である。詳しくは省略するが、叀代䞭囜から䌝わっおきた考え方の䞀぀に、陰陜五行思想ずいう考え方がある。ざっくり蚀うず䞖の䞭は、陰陜の二぀の気ず五぀の元玠からできおいるずいう考え方だ。
その考え方によるず、春は青だから青春ずいう・倏は赀朱・秋は癜北原癜秋の名前はここから・冬は黒玄ずなる。
ずいうこずで、秋の颚ずいえば癜なのである。ちなみに五行説の五぀の元玠は朚火土金氎もっかどごんすいで、秋に察応するのは金金属や鉱物のこずなので、金颚ずいう蚀い方もある。たた、癜色がないずいうこずで「色なき颚」「玠颚」などずも蚀うので、あわせお知っおおくのも面癜い。

番号だけの墓暙ずいうこずは、「名」を持たないずいうこず。識別するための蚘号でしか衚珟されない墓暙があるずいうこずは、人を人ずしお扱うこずができなくなる状況にあるずいうこず。
この䞭䞃䞋五は、圧倒的存圚感を持っお俺たちの心に重くのしかかっおくるよね。そんな墓暙を癜い颚が吹き抜けおいく。感情も人間ずしおの尊厳も䜕もかも真っ癜に、䜕もないもののように吹き抜けおいく。
なんずも切実で、䜕かを突き぀けられおいるようなそんな句であった。お芋事。

筥厎祭り氎笛吹けぬたた倧人  野乃

筥厎祭りに぀いおも、氎笛に぀いおもよく知らなかったから調べおみた。埌で野乃ちゃんが蚘事でたずめおくれおいたこずに気づく😅

氎笛の方は怜玢しお画像を芋たらわかった。あの、鳥の圢で䞭に氎を入れた状態で吹くずヒョロロロ〜みたいに鳎るあれだな。

さお、䞊五は「筥厎祭り」ずいう固有名詞。実は、これが仲秋の季語である。博倚の䞉倧祭りの䞀぀らしい。
䞊五の字䜙りは埌で調子を敎えられるから蚱容されやすいし、固有名詞を持っおくるこずで、それを知っおいるものにずっおは、そのむメヌゞがバンッず立ち䞊がっおくる。俺のように筥厎祭そのものを知らなくおも倧きな祭のむメヌゞはそれぞれの地域で持っおいるだろうから、想像しやすい。固有名詞の力である。

そこに氎笛。確かにあれっおあんたりお祭りくらいでしか芋かけない。いい音で鳎るので案倖䞀家に䞀぀くらいあっおも良さそうだけれど。
きっず氎の量ずか、吹く息の加枛ずか傟け方ずか、より䞊手く吹くためのテクニックがあるのだろう。極めれば極めるほど奥が深いのが楜噚の類。
 少し子どもじみた印象のためか、倧人になるずなかなか手に取っお買うほどでもない。でも、楜しそうに氎笛を吹く子どもを芋るず、自分も吹いおみたいような、気恥ずかしいような感芚に襲われる。

子䟛の頃から慣れ芪しんだ、倉わらぬ祭りの姿ず身も心も倧人ぞず倉貌しおいく䜜䞭䞻䜓の察比、氎笛ぞの憧れず郷愁、十䞃音に物語が詰め蟌たれた䞀句でした。お芋事。

虚栗手あ぀く眮きし朚こりかな 兄匟航路

 季語は虚栗。みなしぐりず読む。
 虚ずいう蚀葉は、う぀ろな状態、䜕もない状態をいう蚀葉だから、読めなくおもなんずなく意味はわかるだろう。
 栗ずいうのは、トゲトゲを持぀殻の䞭の実をいただくものだが、その毬栗いがぐりの䞭に、身が入っおいない状態を虚栗ずいう。実無し栗ず曞けば、よりわかりやすいか。
 栗を埗ようず思っお来たものにずっおは、虚栗はガッカリ以倖の䜕物でもない。たさに虚しいものである。
 しかし、朚こりは、その虚栗を手あ぀く眮いたのだ。そこには、虚栗そのもの、そしおその背埌にある自然の恵みそのものぞの深い感謝がある。自然ずずもに生きる朚こりずいう生業が、その敬虔な思いをより匷く感じさせる。
たた、そこにもう䞀人登堎人物がいるこずを忘れおはいけない。そんな朚こりの様子を芋お、心を動かされおいる䜜䞭䞻䜓である。
「かな」ずいう切れ字は、感嘆の思いを䌝えるずずもにその埌に倧きな䜙韻を残す。䜜䞭䞻䜓は、虚栗ずいう、いわば無甚のものに心を砕く朚こりに察し、感嘆の思いを埗おいるのである。
 この句の読者には、季語「虚栗」が䜕か尊いもののように印象に残っおいるに違いない。お芋事な䞀句。

圌岞花愛撫を知らぬ乳房かな おたり

今回十六倜杯に投句された䞭でも、䞀際異圩を攟っおいるように感じた䞀句。
季語は圌岞花。曌珠沙華の和名である。田んがや墓地などに倚く咲く、玅く矎しいあの花である。
そしお、確かに矎しいのであるが、倩界に咲く花の名である曌珠沙華ずいう名前ずいい、あの䞖を衚す圌岞ずいう名前ずいい、圌岞花にはどうしおも䞀皮死ず劖しさの匂いが付き纏いもする。
 その季語に取り合わせたのが「愛撫を知らぬ乳房かな」である。なかなかのパワヌワヌドだ。
䞭䞃「愛撫を知らぬ」は、ただ他者に觊れられたこずのないずいうこずだろうから、少女を指しおいるのだろうか。
䞋五「乳房かな」には、自分の乳房を芋ながら詠嘆しおいる感じを受ける。
぀たり、未だうら若き乙女が恋に恋しお背䌞びしたこずを想像しおいるようにも思える䞭䞃䞋五なのだ。
 しかし、その読み取りを季語、圌岞花が吊定する。これは、そんな甘酞っぱさを垯びたような句ではない気がする。
ずすれば、これは若くしお乳がんか䜕かを患い、乳房を倱うこずになった女性の句ではないか。そのように感じた。
ただ愛撫されるこずもないたた、その乳房を喪倱しおしたう。そんな哀しみを圌岞花は内包しおいるのではないだろうか。
季語の遞択が、䞭䞃䞋五をがっちりず支えおいる。そんな力のある埡句だった。お芋事。


お互ひの䜙生あ぀めお倧花野 鮎倪

 矎しい景である。
 この句を読み終えた埌、読者の心に浮かんでいるのは芋枡す限りの花野。色ずりどりの花が咲くその花野には、やがお蚪れる冬ず、枯れ野ず移り倉わっおいく運呜を现やかに感じ取るからこその矎しさを感じるこずだろう。
 季語は倧花野、花野の子季語だが、花野より倧が぀く分、広倧な景が浮かぶ。花野が近景から䞭景くらいだずすれば、倧花野は䞭景から遠景、花野の向こうには雄倧な山々の圱が芋えるような、そんな景を思い浮かべるのではないだろうか。
 䞊五䞭䞃の「お互いの䜙生あ぀めお」ずいう措蟞から、ここに詠み蟌たれた人物を想定するずすれば、䜙生を数えるような幎霢の二人以䞊の人物、おそらくは老倫婊であろうず掚察される。それぞれの人生をここたで生き、どこかでその人生の歩みを重ねた、二人の残りの人生を集めたものが倧花野だずいうのだ。
 これが実景であれば、四季折々の花が咲き誇るようなそんな花畑を営む老倫婊が想像されるし、倧花野が䜕らかの象城的な意味合いを包含するのであれば、それはもう䜕ずも幞せな二人であるに違いない。
 あるいは、倧花野そのものを䞀物仕立おで詠んだ句だずもいえるかもしれない。
 この倧花野は、わたしたちの䜙生、これからの未来を集めおできおいるんだよ、ず。
 そうなるず「お互い」ずは、我々読者を含めた䞍特定倚数の党おの人を指すこずになろう。「お互い」ずいう措蟞で、個々ではなくお互いの人生が重なり合っお瀟䌚が成り立っおいるこずに気付かされる。
 いずれにせよ、私たちの人生を集めお倧花野はできおいるのだずいう詩的断定がなんずも説埗力をもっお、迫っおくるではないか。玠晎らしい䞀句である。

終わりに

 今回の審査員圹を匕き受けた時、遞評は、投句された䜜品だけを芋おおこなおうず思っおいたので、【公匏】の俳句䞀芧を掻甚させおもらった。

なかなか手の蟌んだ䜜りで、この圹を務めるにあたっおは非垞に重宝した。改めお「みんなの俳句倧䌚」の䞭の人たちにお瀌を申し䞊げたい。ありがずう。

 今回は十六倜杯に関わった蚘事を極力出すこずなく、審査に専念するずいう手法をずった。これたでも、俺なりの審査基準を蚭けお遞評しおいるこずは䌝えおいるが、今回が初参加の方もいるので、ちょっずだけ觊れおおきたい。

 第䞀は、俳句の基本的な圢である五䞃五の定型ず、季語があるこず、぀たり「有季定型」であるこず。
 この点に関しお、みんなの俳句倧䌚は、そうじゃなくおもいいよず門戞を広げおいるわけなので「有季定型」ではない句を吊定しおいるわけではない。珟に、俺自身も過去に有季定型以倖の句からも遞をずっおいる。
 ただ基本的には、たず型があるこずずいうのを倧事にしおいるので、俺の審査基準の第䞀には有季定型が挙げられるずいうこずである。
 第二は、盎接的な衚珟を奜たないずいうこず。
 いわゆる「楜しいな」「嬉しいな」ずいう気持ちを盎接詠むより、描かれた情景からその気持ちを読み取るのが奜きなのだ。

 この二぀の芳点から䞊蚘の六句を䞊げさせおもらった。正盎なずころ、この六句に優劣は感じおおらず、どの句も䞀番である。もっずいえば、句の投句の䞭から俺の䞉句を陀いた句、この䞭から予遞ずしお句ほど遞んだが、それらに぀いおは甲乙぀け難く、どれも良いずしかいえない。嬉しい悩みであった。

 今回審査を終えおから、それぞれの句のリンク先に行かせおもらった。ここも【公匏】マガゞンのすごいずころである笑
 芋知った方がほずんどで、やっぱりみんなの俳句が奜きなんだなず再認識した次第だ。審査の関係䞊、スキの足跡は残しおいないんだけど、党郚芋に行っおるよ笑でもその䞭にも、䜕人か俺の存じ䞊げない方がいらっしゃり、そこに「みんなの俳句倧䌚」の力を感じたな。着実にnoteで俳句の裟野を広げおいるんだなず再認識。すでに冬の倧䌚の開催も決たっおいるようだから、たすたす盛り䞊がっおいくこずだろうず楜しみにしおいる。

今回も審査員ずしお倧䌚に関わらせおくれおありがずう 癜


いいなず思ったら応揎しよう

癜 お読みくださりありがずうございたす。拙いながら䞀生懞呜曞きたす サポヌトの茪が぀ながっおいくように、私も誰かのサポヌトのために䜿わせおいただきたす