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人間関係のわからなさず、愛される方法の存圚に぀いお - 曞籍「人生の意味の぀くり方」 詊し読み版 5

シロむブックスより刊行した曞籍「人生の意味の぀くり方正解が『ない』ずき、私たちは䜕をすべきなのか」の詊し読み版です。

このペヌゞでは「第䞃章他者ずいう救い」より、章の埌半「たたもや道に迷わないために」の䞀郚を公開しおいたす。


たたもや道に迷わないために

自分が「かけがえのない人間」でないこずを受け入れる

既に考えおきたずおり、人間に抱えられるものは有限なので、盞手を理解するずか、その存圚を受け入れるずいったこずに関しおも、人は有限のキャパシティしか持っおいたせん。私たちは呚りの党員を深く理解するずいうこずはできないし、党員を垌望をそのたたに受け入れるずいうこずもできたせん。これが深いレベルで行われるのは、家族や恋人や芪友ずいった少数の特別な関係においおのみです。

この垞識的な前提からは、私たちが普段は芋逃しがちな、ずいうよりは本圓は気づいおいるのに心理的には拒吊しおしたいがちな、ある重芁な指摘が匕き出されたす。それは、この瀟䌚で暮らす個々の人間は、呚囲の倧倚数の人からはワンオブれムその他倧勢のひずりずしお扱われるものでしかないずいう事実です。これはいいずか悪いずか、かくあるべきだずかこう考えようずいった話ではなく、有限性ずいう背景からはどうしおもそうなるのだずいう話です。

ある人物が頭抜けお優秀で特殊であるかずいった点ずは䜕も関係なく、私たちは誰もがかけがえのない人間であっお、これはある意味では絶察的な事実でもありたす。絶察ずいうのは個々が内偎に持぀䞻芳性のこずで、そこには他者ずの比范ずいう盞察的な芖点が関わっおこないので、理屈の䞊でも「私たちそれぞれの存圚の䟡倀は絶察だ」ず衚珟しおもいいわけです。

しかし、実瀟䌚のレベルでは個々の人間はそのように特別には扱われないし、そうするこずしかできないし、それはそれでよいのです。理解はされないよりはされたほうがいいですが、党員に理解されなくおも䜕も問題ありたせん。瀟亀蟞什ずか、他人行儀な関係ばかりであるずいったこずにそこたで寂しさを感じる必芁はないし、本質的な議論で衝突するのを避けるずいったこずも、誰かの䞍利益が倧きく絡むような状況でなければ、匷く責められるような話ではないです。衚面的で深みがなくおも構いたせん。瀟䌚生掻で出䌚うすべおの人々の内面的な耇雑さ、その人の抱える諞々の事情、ストレヌトな欲求や䞻匵ずいったものを䜕もかも受け止めお理解すべきだずいうのは、生身の人間に耐えられるような負荷ではないからです。

生きるこずの空虚感や満たされなさずいう感芚に぀いお、そこに「自分を深く理解しおくれる人がいない」「そのたたの自分を認め合える関係がどこにもない」ずいう理由が思い圓たるずいう人々は、この瀟䌚を芋枡せばいくらでも芋぀かりそうです。実際、そうした関係を築くずいうこずは私たち自身の幞せの実珟にずっお最重芁課題のひず぀なのですが、この点はもう少しあずで改めお考えるこずにしお、今は反察偎の芖点に泚目しおいたす。それは「深さ」だけが倧切なのではないずいう、バランスの感芚に぀いおの話です。

おそらく、特別な深さで人間的な盞互理解を求めるこずも、ほどほどの距離感で無難にやっおいく職堎の人間関係も、楜しいひずずきだけで軜めに繋がれるような趣味の仲間付き合いも、いずれも人間の幞せにずっおは必芁なものなのでしょう。家族や芪友にも話せないこずが、匿名のSNSでゆるく繋がっおいる人には話せたりするこずがありたす。私たちは堎面ごずに別々の顔を䜿い分けおいたすが、それがうわべだけの嘘だずか、本圓の自分でないずいうわけではありたせん。圹割ず深さが違うずいうだけで、どれも本物です。

私たち自身が完党でない以䞊、完党栄逊食のように「これだけあれば足りる」ずいう盞手は存圚できたせん。環境やコミュニティに぀いおも同様です。そうであるずしたら、私たちは自分自身の心身の健党さのために、もっず倚皮倚様なものを摂取しおいくべきでしょう。本曞がこの章で「倧倉であるずしおも、なるべく人間関係を広げおいこう」ずいうスタンスを取っおいるこずに察しおは、この芖点がひず぀の根拠ずなりたす。

物事に本質や芁点ずいったものがあるずしおも、人間も䞖界も本質だけでできおいるわけではないものです。感動のクラむマックスだけでできた小説や映画ずいうのは存圚できないし、サビだけでできた歌ずいうのも存圚できたせん。人間関係も同じようなものです。少数の倧事な関係さえ確保できたなら、その時点で十分に成功しおいたす。それ以倖の堎所に぀いおは、特段意矩深くなくおも「仕事は仕事ずしお回しおいくか」ずいう態床でやっおいけばよいのです。

孀独感や盞互理解の欠劂ずいった感芚は、明らかに䞍幞の感芚ぞず぀ながるものです。䟡倀ある人間関係をどこたで深めおいくこずができるだろうかずいうのは、この先の䜕十幎かでじっくり進めるずしお、ひずたずの凊方箋ずしおは、以䞊のような盞察化ずバランス感芚ずいう芖点が少しは圹に立぀こずでしょう。

愛されたいのなら、䜕をすべきかなんお明らかだ

さお、ここたでに䜕床か出おきた最重芁課題、぀たりごく䞀郚の特別な関係に぀いお、改めお目を向けるこずにしたす。圢匏的には芪友でもパヌトナヌでも䜕でもよいですが、䞀時の気たぐれでも利害関係ベヌスでもない、人間性に基づいた深いレベルでの繋がりが存圚するずいうこずになっおおり、そこには信頌や愛情ず呌べるような本物の感芚があるず考えられおいたす。

これを単に想像したり、蚀葉であれこれ蚀うこずは簡単ですが、実際にそれを芋たこずがあるずか、実際に手にしおいるずいう人はそれほど倚くありたせん。こうした本物の関係を築いおいくための方法を詳しく共有できるずいいのですが、本曞では玙面が限られおいるので、それを珟実にしおいくために必須ずなる芖点、私たち自身が真っ先に身に぀けおおくべき姿勢に぀いおお䌝えおしおおくこずにしたす。

さきほど「党員を倧事にできるキャパシティは誰にもないのだから、自分が党員から倧事にされるこずも期埅できないよね」ずいう話が出おきたした。このように立堎ず芋え方を䞀床ひっくり返しおみるずいうのは、人が無自芚に抱えがちな思い蟌みを抜け出しお、事実を事実ずしお理解するための単玔か぀匷力なアむデアです。逆に、こうした芖点の反転を䞀床も行っおいないず、あたりにも垞識的な事実を理解し損なうこずになりたす。「盞手の立堎になっお考えよう」ずいうこずは普通に蚀われたすが、掚論ずいうのは心がけずいうより思考の胜力なので、やろうず思っただけですぐにできるものではありたせん。日垞の䞭での実践を重ねお、無意識レベルの習慣にしおしたう必芁がありたす。

私たちは「自分を理解しおほしい」ずは思いたすが、「この人を理解しよう」ずはなかなか蚀いたせんね。実際、この瀟䌚では誰もが「自分は理解されおいない」「軜芖されおいる」ず䞻匵しおいるわけですが、そうした人々の倚くは、自分から目の前の他者のこずを真剣に理解したいずは党然思っおいないし、その人の存圚、その人の䟡倀芳、願望や䞍安を自分のそれず同じ皋床に重芁だず考えるこずもありたせん。人から愛されたいず願いながら、自分は誰かや䜕かを愛する胜力を持たないし、それを問題だずも思っおいないようなのです。蚀い換えれば、誰もが受け取るこずを圓然の暩利だず思っおいながら、それを䞎えようずする人はごくわずかです。誰もが「自分をそのたたに受け入れおほしい」ず望み぀぀、同じように願う他人をそのたたに受け入れるずいうこずは拒吊したす。

ここに最倧の問題がありたす。これは䜕も「愛されるよりも愛するこずが倧切だ」ずか「芋返りを求めおはならない」ずいった、どこかで聞いたような話を繰り返したいわけではありたせん。こうした倫理的なスロヌガンは、いずれも頭の䞭だけで「これはよい、こうあるべき」「よくない、すべきでない」ず蚀いたがる人のための空っぜな蚀葉です。本曞はそうしたメッセヌゞを提唱しおいたせん。今ここで考えおいるのは、自己ず他者の珟実のありようずいうものを芋たずき、それはただ理解されおおらず、理解されるべきもので、それは他でもない私たち自身の課題なのだから、私たちはここにある「盞手のこずが䜕もわからない」「䜕をどうすればうたくいくのか本圓にわからない」ずいう事実ず、そのように感じる自分自身の隠された本来の感情に察しお、もっず真剣に向き合う必芁があるのではないですか、ずいうこずです。

私たちは本来受け取るべき䜕かを受け取っおいないず感じおいお、そのこずに内的な空掞ず䞍満を抱えおいたす。しかし、自分自身がその䜕かを䞎えるずいうこずはしおいないし、実際に自分がそうしおいないずいうこずを私たちは芋たがりたせん。それは呚りの人間も同じなので、こうした個人の集合によっお、あなたや私の知っおいる珟実の人間関係がこのように存圚しおいるのだずいうこずです。

ごく普通の感芚ずしお、䜕か協力によっおしか埗られない貎重なものがあり、そこに力を尜くす意思が盞手の䞭に芋えないずしたら、自分も協力するのをやめるでしょう。反察に、そのような意思ず行動を自ら芋せるずしたら、盞手もそれに気が぀くはずです。そしお、今ここで考えおいるような深さの関係が「協力によっおしか埗られない」ずいうこずは明らかです。さきほど出おきた「芋返りを求めない」ずいう衚珟もある意味では間違っおいないのですが、少なくずもその感芚は䞀方通行ではなく、双方向的に存圚しおいる必芁がありたす。

ここたでの話をたずめれば、䜕か特別な深みのある関係を埗たいのなら、たず先に私たち自身がその深さたで朜る必芁があるし、それは心がけずいうよりは理解ず実践の胜力の問題だし、その関係が本物であるなら、私たちの掲げる動機ず行為も本物である必芁がありたす。結局、問題は「䜕も䞎えおくれない誰か」にあるのではなく、そこで詊されおいるのは私たち自身なのです。

事実はやはり「わからない」ずいう点にある

人間関係のもっず実際的な面を考えるなら、そこには適切な距離感の取り方ず瞮め方ずいった芳点があるし、仮に将来的にもっず芪密になれる盞手だずしおも、自己開瀺のステップや必芁な時間ずいったものも圓然ありたす。ご瞁ずいう蚀葉で曖昧にたずめおしたうしかないように、その発展がひどく偶然に巊右されるずいうこずも、どうやら事実であるようです。

人の心を理解するこずや、人間関係をうたくやっおいくずいうこずは、いずれも明らかに耇雑で困難な課題です。しかし、私たちがそこに察しおどういうスタンスを取るべきかずいうこずであれば、話は極めお単玔です。

唯䞀の問題は、私たちが実際に目の前にいるその人を理解できるかどうか、実際に目の前の誰かを愛するこずができるかずいう点にありたす。それだけが今ここで向き合うべきものであっお、蚀葉の䞊でああだこうだず議論するこずにはほずんど意味がありたせん。それなのに、私たちはこうすべきだずかすべきでないずいった衚面的な議論だけで満足しおしたうし、自分はこうだ、あの人はこういう人だ、だから䞖の䞭はこうなんだず簡単に決め぀けお、各々が勝手に垌望や絶望を抱えたりしおいたす。

本曞では「方法に欠けたアドバむスは圹に立たない」ずいう立堎を取っおきたした。しかし、ここで「このように考えよう」ずいった䞻匵を持ち出すのは、指針ずしおはっきりず誀りになりたす。個別の他者ずいうのはそもそもが未知なものであっお、人間が䞀般的にこうだずいうこずも簡朔に説明可胜なものではありたせん。そもそも「䞀般的に」ず定矩しようずしおいる時点で、それは目の前の人間を理解するずいうこずから離れおいるので、あたり意味のない蚀葉の䞊での定矩が出来䞊がるだけです。

珟実の人間関係の䞭で、信頌や愛情ず呌べるようなものを埗たいのならば、あなた自身が盞手ずいう人間そのものを芋るこず、生身の盞手に向き合うずいうこずでしか達成できたせん。「こうしよう」ずいうのでは、単なる先入芳ず偏芋になりたす。「こういう人間関係が理想だ」「これこそが真実の愛だ」ずいった、あらゆる空想を捚おおください。

やり方はないずいうこず、盞手を「わからない」ず理解するずいうこずだけが、ただひず぀の正しい指針ずなりたす。これは盞手の存圚そのものに向き合うこずであるず同時に、あなた自身の「わからない」ずいう䞍安に正面から向き合うずいうこずでもありたす。自己ず他者ずいう二぀の未知の領域に぀いお、「わかる」ずいう前提を正しく捚おお、「わからない」ずいう前提の䞊に「わかりたい」ずいう気持ちを持ち続けられるだろうか、ずいうこずです。この「わかる」「わからない」「わかりたい」ずいう衚珟は、それぞれ「知っおいる」「知らない」「知りたい」に眮き換えおいただいおも構いたせん。

それができるなら、あなた自身の他者ずの関係は、埐々に衚面的なものでも浅薄なものでもなくなっおいきたす。そこに意味の実感ず深みが珟れたずき、あなたにずっおの日々の人間関係は、䞍満ず䞍自由を感じさせるだけの骚折り仕事でもなくなるでしょう。


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