従うな、何も信じるな、お前を救えるのはお前だけだぞ
「ありのままでいい」「そのままのあなたでいい」という言葉の微弱な毒素について。
人間が誰しも「そのままでよい」というのは、確かに間違ったことは言っていないのですが、私はここに「よかねえよ」という感覚も抱きます。その「それでいい」とか「それはよくない」とか判定してくる主体は何だ、そいつに頷いてもらわなければ安心できないとはいったいどういうことだ、おい、しっかりしろよ、おまえの人生なんだぞ、と感じます。
誰の話をしているのかというと、今これを読んでくださっているあなたの話をしています。
あなたをジャッジしようとするそれ、許可証を与えようとするそれ、その認可を隙あらば取り消し処分にしようとするそれは何ですか。すぐに顔の浮かぶ身近な誰かでしょうか。雑誌やネット越しに毎日目に入ってくる、世論や世間と呼ばれるぼんやりとした意見の集合体でしょうか。
それとも、過去何十年かの人生でそのようにして向けられてきた無数の言葉が、あなたの自身の傷と記憶が、自分で自分にそう言わせているのでしょうか。「それなら許す」と言ってもらわなければならないのだ、と。
「そのままのあなたでいい」という言葉を求めているとき、それは実際には自分をなだめ、安心させ、お墨付きを与えてくれる他人の権威を求めているということです。いかにもな感じの教祖様やインターネットビジネス人間に取り込まれてしまう人もいるし、もう少し冷静な人もいますが、いずれにせよ、私たちの多くはそのような保証を、約束を、合否判定を外部に求めています。
それを他人に求めるのなら、あなたは自分の身を進んで牢獄に落とすことになるでしょう。「許されない」は不快な牢獄であり、「許される」はややマシな牢獄に当たります。どちらも囚人には変わりなく、囚人に自由はありません。
自分という存在の承認を他人に委ねている限り、あなたは自由ではないし、また本当の意味での安心ということもあり得ません。あなたは「そのままでいいんだよ」という言葉すらはね除けて、あなた自身の根拠を見つけなければなりません。
まがいものの安心を捨てて、早くそれを見つけてください。他人の気まぐれな甘やかしでは意味がないんです。あなた自身が本気でつかみ取ったものでなければ意味がないんです。
食事もスマホも与えられて、まあまあ快適な檻の中で一生を終えたとき、私たちはその何十年かの地下生活を「生きていた」と呼ぶのでしょうか?
誰かが「それでよい」と言ったとして、あなた自身はそれでよいと考えますか?
関連書籍
「根拠を外部に求めるな」という点については、去年出した書籍「人生の意味のつくり方」にて、「生きることの意味は個人の主観的な感覚としてしか存在できない」という形で詳しく論じています。
関連記事
芸術の定義(あるいは、あなたは何を叫ばなければならないのか) (2025.12.5)
あなたが何にも満足できない理由 (2026.1.17)
確信を持って言えること、いくつ持っていますか? (2026.2.14)
いいなと思ったら応援しよう!
いつも応援ありがとうございます✨ いただいたチップはおやつ代へ…(カロリーを書籍とnote記事に変換しています🍩🍰☕️