江戸さんぽ|徳川のライバル大名が並んだ日比谷を歩く(佐賀藩屋敷跡)
先日、広島で毛利三城を巡ったあと、どうしても気になったことがありました。
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「関ヶ原の後、萩に追いやられた毛利は、江戸ではどこに屋敷を与えられていたのだろう?」
調べると、毛利の上屋敷は今の日比谷公園あたりらしいことが分かりました。
現代風に言えば、
「江戸城の目の前にある、徳川社長指定の社宅兼メインオフィス(予算は自前)」
当時、大名たちは指定の場所に屋敷を建てることが義務付けられていました。
※上屋敷、中屋敷、下屋敷など、複数存在するようです。
▪️ご近所さんもチェック
毛利の近くには、伊達政宗、島津氏、鍋島氏…の屋敷跡
どうやらこのあたりには、巨大な外様大名、
つまり徳川にとってかつてのライバルの屋敷がずらりと並んでいたようです。
なぜこの場所に集められたのか?
その理由を確かめたくて、日比谷を散歩してみることにしました。
銀座からスタート、日比谷公園を散策し、外様大名が使っていたであろう桜田門を目指します。
考えながら歩いたので、普通なら20〜30分の距離が半日かかってしまいました。
▪️銀座数寄屋橋から進軍開始

銀座の交差点に降り立ち、かつての大名屋敷の門や石垣の痕跡を探してみます。
しかし、見えるのは雑踏と、かつてそこに橋があったことを示す案内板のみ。
手がかりを求めて線路沿いを歩くと、高架下で「山下門跡」の看板を発見しました。

ここは佐賀藩・鍋島家の屋敷があった場所で、別名「鍋島御門」とも呼ばれていたそうです。
看板一枚で、見慣れたJRの高架が巨大な門のように見えてきました。
かつての山下門から、江戸城の「内側」へ入ります。
▪️海の瀬戸際に配置された鍋島家
山下門の先は、現在は帝国ホテル、宝塚劇場や日比谷シャンテなどが並ぶ華やかな劇場街になっています。
しかし、カメラのシャッターを切りながら気づいたのは、鍋島家が随分と「海側」に屋敷を与えられていたこと。
かつてこのあたりは「日比谷入江」と呼ばれる海でした。
その入江を埋め立て、屋敷が造られたのです。
長崎の出島を監督していた鍋島家が、この「城の海側の出入り口」を固める最前線に配置されていた。
きらびやかな劇場のビルを見上げながら、その意味を考えてしまいました。

▪️日比谷公園へ向かいます
イベントで賑わう人混みを掻き分け、鍋島家の屋敷跡を後にし、日比谷公園へ向かいます。
公園の入り口付近には伊達政宗の屋敷跡も。
独眼竜政宗が見上げた江戸城とは、どんな景色だったのでしょう。
日比谷公園から桜田門へ。
外様大名の屋敷をめぐる散歩は、まだ続きます。
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