『五輪書』(ごりんのしょ)は、江戸時代初期の剣豪、宮本武蔵が書いた兵法(武術・戦術)の解説書です。武蔵が晩年に熊本県の霊巌洞(れいがんどう)にこもり、自身の流派である「二天一流」(にてんいちりゅう)の極意をまとめたもので、1645年頃に完成したとされています。
本書は宇宙を構成する5つの要素(地・水・火・風・空)になぞらえて、以下の5巻に分けて構成されています。
『五輪書』の構成
地の巻(ちのまき)
流派の理念や兵法の概要を説明。
まっすぐな道を地面に切り開くような基礎を説く。
大工の棟梁の仕事に例えて組織管理の重要性も示す。
水の巻(みずのまき)
二天一流の具体的な太刀(刀)の使い方や身体の動かし方。
水のように柔軟に、状況に応じて変化する心を説く。
火の巻(ひのまき)
戦いにおける戦術や、勝つための状況判断。
一対一の決闘だけでなく、多人数での合戦にも通じる戦略。
敵の心理を揺さぶり、先手を打つ方法を解説。
風の巻(かぜのまき)
他流派の「特徴」や「弱点」を鋭く批判。
「風」は世風や他流という意味。
自分を知るために、まず他者を知ることの大切さを説く。
空の巻(くうのまき)
兵法の最終的な到達点(極意)。
一切の迷いや執着から離れた「何もない境地(空)」を表現。
自然体で、あるがままに技が出る状態を指す。
なぜ今も読まれているのか?
現代では、単なる武術の教科書としてだけでなく、ビジネスの戦略書や自己啓発の書としても世界中で広く読まれています(海外でも "The Book of Five Rings" として有名です)。「敵の先を読んで主導権を握る」「道具の本質を理解して使いこなす」といった教えが、現代の仕事や経営の競争にもそのまま応用できるためです。
『五輪書』の正確な執筆量(文字数)は、写本によって多少前後しますが、全体で約15,000文字〜18,000文字程度です。現代の原稿用紙(400字詰め)に換算すると、およそ40枚〜45枚分のボリュームになります。
文庫本にすると解説なしで数十ページほどに収まる量であり、一冊の書籍としてはかなり短く、コンパクトにまとめられています。
各巻のボリュームの目安は以下の通りです(「火の巻」が最も多く、「空の巻」が最も短いです)。
各巻のボリューム目安
地の巻:全体の約20%(兵法の概要と基本方針)
水の巻:全体の約25%(具体的な構えや太刀の技術。図解的な説明が多い)
火の巻:全体の約30%(実戦の駆け引き。ここが一番長い)
風の巻:全体の約20%(他流派への批判と分析)
空の巻:全体の約5%(わずか数ページ。極意を短く提示)
武蔵は、無駄な修飾語をいっさい省き、実戦で本当に役立つエッセンスだけを凝縮して執筆したため、このように短い分量になったと言われています。
『五輪書』が短い分量(約15,000〜18,000文字)でありながら、400年近く経った今も世界中で高く評価されているのには、3つの大きな理由があります。
武蔵が意図してこの長さにした背景と、内容の圧倒的な密度について解説します。
1. 徹底的な「実用主義」で無駄を省いたから
武蔵は、当時の学者が好んだ仏教や儒教の難しい格言、過去の軍記物からの引用をいっさい排除しました。
自分の経験だけを書く:60回以上の命がけの決闘から得た「本当に役立つ事実」だけを抽出した。
言葉の装飾を捨てる:弟子が読んですぐに実践できるよう、簡潔で平易な言葉だけを選んで書かれている。
結果としての短さ:無駄な解説や精神論を削ぎ落とした結果、このコンパクトな分量に凝縮された。
2. 単なる剣術ではなく「成果を出す原理原則」だから
本書に書かれているのは「刀の振り方」だけではありません。現代でいうマネジメントや戦略の本質が詰まっています。
主導権の握り方:ビジネスの競争で「敵の先を読んで先手を打つ」ための心理戦。
道具の適材適所:大工の棟梁を例に出し、組織の適材適所や道具(武器)の本質を理解する重要性を説く。
柔軟な心(水):固定観念に囚われず、状況に合わせて変化する柔軟性。
これらが、現代の経営者やメジャーリーガー(松井秀喜氏など)にも愛読される理由です。
3. 「自分で考え、鍛錬せよ」というオープンな姿勢
武蔵は『五輪書』の中で、あえてすべてを細かく説明していません。
多くの章が「このことは、よくよく吟味すべし」「よく工夫すべし」という言葉で締めくくられています。
答えを教えない:マニュアルとしてすべてを書き込むのではなく、読者が自分で考え、体得するための「余白」を残している。
本質へ至る道筋:基礎(地)から始まり、技術(水)、実践(火)、他者の分析(風)を経て、最終的に直感と自然体の境地(空)に至るという美しい構造になっている。
文字数が少ないからこそ、読む人の立場(経営者、スポーツ選手、クリエイターなど)やその時々の課題に合わせて、いくらでも深く解釈できる「密度の高さ」があることが、今なお色褪せない最大の理由です。
それでは、先ほど提案した選択肢の中から、特に現代でも応用が効き、評価が高い「欧米でのビジネスへの応用」と、最も実践的な「火の巻(駆け引きの極意)」の具体例について、要点を絞って解説します。
1. 欧米のビジネスマンが熱狂した理由
1970年代〜1980年代、日本の経済が急成長した際、欧米の経営者たちは「日本人の強さの秘密は何か?」を探り、本書に行き着きました。英語版は『The Book of Five Rings』としてベストセラーになり、現在もハーバード・ビジネス・スクールなどでケーススタディの教材として使われています。
彼らは特に以下の点をビジネスに応用しています。
「主導権(せん)」を握る
武蔵は「戦いでは常に自分が先手を打ち、敵をコントロールせよ」と説きます。
ビジネスへの応用: 競合の後追いをするのではなく、市場のルールを自ら作り出す(ブルーオーシャン戦略やイノベーションの創出)。
「拍子(タイミング)」を知る
武蔵は、あらゆる物事には「拍子」があり、勝つためには敵のテンポを崩すことが重要だと述べました。
ビジネスへの応用: 市場のトレンド(波)を掴むタイミングや、競合が油断している隙を突くスピード感のある製品リ立案。
2. 『火の巻』に見る、現代にも通じる心理戦
『火の巻』は、一対一の決闘や集団の合戦で「いかにして勝つか」という実践的な駆け引きが書かれています。その中から、現代の交渉術やコンペにも使えるテクニックを3つ紹介します。
「景(かげ)を動かす」
武蔵の教え: 敵の様子が分からない時は、まずこちらが小さなアクションを起こして敵を動かし、その出方(作戦や弱点)を見極める。
現代の応用: 提案や交渉の際、あえてテスト的なプランを提示して相手の反応(予算感や本音)を引き出す。
「枕(まくら)をおさえる」
武蔵の教え: 敵が「技を出そう」と頭をもたげた瞬間(兆候)を察知し、技が出る前に上から押さえつけて潰す。
現代の応用: プロジェクトの問題や競合の対抗策が大きくなる前に、初期の小さな兆候の段階でリスクを潰しておく。
「うつる(移る)ということ」
武蔵の教え: 敵が迷ったり、焦ったりしている精神状態は、自分にも伝染しやすい。逆に、自分の落ち着いた状態を敵に伝染させて、敵のペースを乱すこともできる。
現代の応用: トラブル時や重要なプレゼンほど、リーダーが圧倒的な冷静さを保つことで、チームを落ち着かせ、競合にプレッシャーを与える。
武蔵の教えは、400年前の「命のやり取り」から生まれたからこそ、現代の厳しい競争社会でもリアルに役立つ知恵として機能しています。
それでは、先ほどの提案から特に重要で実用的な「観の目・見の目(ものの見方)」と、武蔵が死の直前に遺した究極の生き方訓『独行道(どっこうどう)』について解説します。
1. 「観(かん)の目」と「見(けん)の目」
武蔵が『水の巻』で説いた、現代のビジネスや日常でも最も応用されている「本質を見抜く視点」の教えです。武蔵は、物事を見る目には2種類あると言いました。
観(かん)の目:強く見る目(重要)
相手の「意図、心理、本質、全体の流れ」を洞察する目のことです。目に見えない「背景」を見抜く力を指します。
見(けん)の目:弱く見る目
相手の「刀の動き、表面的な仕草、目の前の現象」だけを追う目のことです。表面に捉われすぎると、敵の罠に引っかかります。
武蔵の言葉: 「観の目つよく、見の目よわくして、遠き所をちかく見、ちかき所を遠く見ること、兵法の専(もっぱら)なり」
現代の応用:
ビジネスや人間関係において、相手の「言葉(見の目)」だけに惑わされず、その裏にある「本当のニーズや本音(観の目)」を捉えること。また、目先の利益(近く)に一喜一憂せず、長期的なトレンド(遠く)を近くのものとして捉える視点が重要だと説いています。
2. 武蔵の最終結論:『独行道(どっこうどう)』
武蔵は『五輪書』を書き終えた後、自分が死ぬ数日前に、自分の生き方のルールを21箇条の短い標語にまとめました。これが『独行道』です。『五輪書』が戦術書なら、こちらは究極の自己規律・メンタルコントロールの書です。
特に現代人の心に刺さる有名な条文をいくつか紹介します。
「世々の道をそむく事なし」
(世間の道理や正義に反する生き方はしない)「身に私(わたくし)のたくみ(巧み)なし」
(自分を良く見せようという、小細工や見栄を張らない)「我事において後悔をせず」
(自分が一度決めて行動したことに対して、絶対に後ろを振り向かない・悔やまない)「仏神を尊びて仏神を頼まず」
(神仏を敬う気持ちは大切にするが、自分の願いを叶えてもらうために神頼みはしない。最後に頼るのは自分の力だけである)
武蔵は生涯独身を通し、常に命がけの境地にいたため、徹底して「自分を律し、他人に依存しない」という強靭なメンタルを持っていました。この『独行道』は、現代のミニマリストや、孤独と戦う経営者、アスリートからも強く支持されています。
『五輪書』を実際に読んでみたい方に向けて、現代語訳で読めるおすすめの文庫本を厳選して紹介します。
『五輪書』は元が短い本なので、文庫本であればどれも1冊で手軽に読み切ることができます。ご自身の好みに合わせて選んでみてください。
おすすめの現代語訳本(文庫)
『決定版 五輪書 現代語訳』(草思社文庫 / 訳:大倉隆二)
特徴:最もおすすめの一冊。最も古い信頼できる写本をベースに、忠実に現代語訳されています。
おすすめな人:武蔵が本当に伝えたかった言葉を、歪めずに正しく理解したい人。
『宮本武蔵「五輪書」 ビギナーズ 日本の思想』(角川ソフィア文庫)
特徴:丁寧な背景解説や、現代のビジネス・日常にどう活かすかという解説が豊富です。
おすすめな人:古典を初めて読む人や、言葉の意味を噛み砕いて教えてほしい人。
『五輪書』(徳間文庫 / 訳:神子侃)
特徴:長く愛されている非常にオーソドックスで読みやすい翻訳です。
おすすめな人:無駄な解説は少なめで、すっきりとテンポよく読み進めたい人。
まずは手軽にAmazonなどの電子書籍(Kindle)の無料試し読みで、翻訳の文章が自分の肌に合うか確認してみるのもおすすめです。
『五輪書』の具体的な中身(各巻の詳しい内容)を、実戦的な視点で分かりやすく解説します。
本書は、武蔵が確立した「二天一流」という剣術の技術論に留まらず、精神論、戦術論、そして組織論までを網羅した構成になっています。
1. 地の巻(ちのまき):兵法の「基礎と理念」
武蔵の兵法に対する基本的なスタンスや、組織を率いるリーダーとしてのあり方が書かれています。
二天一流の命名理由:なぜ「二天一流(二刀流)」なのか。実戦では、持っている武器(太刀と小太刀)をすべて使い切るべきであり、片手で刀を自在に扱えるようになるべきだと説きます。
大工の棟梁(リーダー)の例え:優れたリーダーは、木材の性質(部下の才能)を見抜き、まっすぐな木は柱に、歪んだ木は目立たないが頑丈な場所に配置する。
兵法を学ぶ「9つの規律」:
不正なことを考えない
技の修練を重ねる
あらゆる芸術(技術)に触れる
さまざまな職種の道を知る
世の中の損得を見極める
直感と洞察力を養う
目に見えない本質を察知する
些細なことにも注意を払う
役に立たない無駄なことはしない
2. 水の巻(みずのまき):身体の使い方と「柔軟な心」
具体的な剣術の構えや、視線の持ち方、身体の動かし方が解説されています。
水のような心:水は四角い器にも丸い器にも形を変える。心も常に一定ではなく、状況に応じて柔軟に変化させなければならない。
「観・見」の目:前述の通り、表面的な動き(見の目)に騙されず、相手の心理や本質(観の目)を捉える目の持ち方。
5つの構え(五方の構え):上段、中段、下段、左、右の5つの構えがあるが、これらはすべて「敵を斬る」という一つの目的のための手段に過ぎない。構えにこだわりすぎてはならない(「構えあって構えなし」の教え)。
3. 火の巻(ひのまき):戦いにおける「勝利の戦略」
一対一の決闘や、大人数での合戦で主導権を握り、勝利を収めるための戦術が書かれています。
主導権(先・せん)を取る:戦いは先手を打った方が勝つ。敵に仕掛けさせてそれを逆手に取る方法など、3つの「先」を解説。
敵の立場になる:自分が強い相手と戦うのが怖いように、相手も自分を恐れている。敵の視点を持つことで、冷静に弱点が見えてくる。
崩れを突く:物事にはすべて「崩れる瞬間」がある。家が崩れる、敵の陣形が崩れる、敵の心が焦りで崩れる。その瞬間を絶対に見逃さずに一気に攻め立てる。
4. 風の巻(かぜのまき):他流派の「分析と批判」
当時流行していた他の剣術流派の特徴や、その弱点を厳しく分析しています。
長い刀に頼る流派への批判:刀が長い方が有利だと思い込んでいる流派は、狭い場所や至近距離での戦いに対応できない。道具の長さに依存してはならない。
派手な技(見せる技)への批判:刀を華麗に振り回すような技は、実戦では命取りになる。兵法の目的は「相手を倒して勝つこと」だけであり、美しさは不要である。
「敵を知ることで自分を知る」:他者の間違いや偏りを知ることで、自分の二天一流がいかに合理的で真ん中を歩んでいるかを証明する。
5. 空の巻(くうのまき):達人の「究極の境地」
わずか数ページで書かれた、兵法の最終到達点です。
「空(くう)」とは何か:迷いや執着、先入観が一切ない状態。
自然体に勝るものなし:長年の鍛錬によって、技術を意識することなく、身体が自然と最適な動きをするようになること。
武蔵の結論:兵法の道を極めた先にある「空」の境地には、悪(迷いや邪念)は存在せず、ただ明確な知恵と、まっすぐな正義(道)だけが存在する。
このように『五輪書』は、「基礎を固め(地)」「心身を磨き(水)」「実践で勝ち(火)」「他者を分析し(風)」「無心の境地に至る(空)」という、人間の成長プロセスそのものが体系化された内容になっています。
宮本武蔵(みやもと むさし)は、江戸時代初期に活躍した日本史上最も有名な剣豪の一人です。
生涯で60回以上の決闘を行い、一度も負けなかったと伝えられています。晩年は武術だけでなく、芸術や書物(『五輪書』など)の執筆にも才能を発揮しました。
武蔵の生涯や人物像を、歴史的事実(史実)ベースで簡潔にまとめました。
1. 宮本武蔵の生涯(主な歩み)
生誕(1584年頃)
播磨国(現在の兵庫県)または美作国(現在の岡山県)の出身とされています。
若き日の決闘(13歳〜29歳)
13歳:初めての決闘で新当流の有馬喜兵衛を倒す。
21歳頃:京都の熱門流派「吉岡一門」と戦い、当主らを次々と撃破。
29歳(1612年):有名な「巌流島の決闘」で、天才剣士・佐々木小次郎(史実では津田小次郎とも)を破る。
戦場への参戦
関ヶ原の戦いや、大坂の陣、島原の乱などの戦乱にも参戦した記録が残っています。
晩年と『五輪書』(50代〜最後)
50代後半、熊本藩主・細川忠利に客分として招かれ、絵画や庭園造りに没頭。
死の数年前、熊本の「霊巌洞(れいがんどう)」にこもり、自身の集大成である『五輪書』を執筆。1645年、62歳頃に病没。
2. 知られざる武蔵の「実像」
フィクションのイメージとは異なり、史実の武蔵は非常に論理的で、文化的な教養も高い人物でした。
一刀流から「二刀流」へ
当時は刀を両手で持つのが常識でしたが、武蔵は「片手で刀を自在に扱えれば、もう一本の刀も有効に使える」という極めて合理的な理由から、二刀流(二天一流)を編み出しました。
一流の「芸術家」でもあった
武蔵が描いた水墨画『枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)』や『鵜図』は、現在国の重要文化財に指定されています。刀剣の鍔(つば)の製作や、茶道・連歌の教養も一流でした。
不潔だった?という噂
「風呂に入ると襲われた時に対応できないから生涯入浴しなかった」という有名な逸話(『武公伝』などの記述)がありますが、これは後世の誇張であり、実際は衣服を整え、身だしなみにも気を使っていたとされています。
宮本武蔵の生涯において最大のクライマックスとされる「巌流島(がんりゅうじま)の決闘」について、小説や映画のイメージを覆す「史実(真実)の謎」を解説します。
私たちがよく知る「武蔵がわざと遅刻して、怒った佐々木小次郎を舟の櫂(かい)で作った木刀で打ち倒す」という物語は、実は後世の創作や誇張が多く含まれています。
1. 武蔵は本当に「大遅刻」したのか?
小説のイメージ:
武蔵は約束の時間を2時間以上も遅らせて到着し、小次郎の冷静さを奪う心理戦を仕掛けた。史実の記録:
武蔵の死後まもなく(1654年)建てられた最も古い記録『小倉碑文(こくらひぶん)』には、「両雄同時相会(二人は同時に出会った)」と書かれており、遅刻の記述はいっさいありません。なぜ遅刻のイメージがついた?
武蔵の死から130年近く経ってから書かれた伝記『二天記』に「武蔵が遅刻した」というエピソードが登場し、それを昭和の作家・吉川英治が小説『宮本武蔵』でドラマチックに描いたことで世間に定着しました。
2. ライバル「佐々木小次郎」の正体
小説のイメージ:
前髪を残した若き天才イケメン剣士。史実の記録:
実は小次郎の出生や年齢に関する同時代の正確な記録はありません。いくつかの史料から、決闘当時の小次郎は50代〜70代のベテラン(あるいは老人)剣士であったという説が近年では有力視されています。若き武蔵(当時29歳)が、老境に達した名高き達人に挑んだというのが実際の構図だった可能性があります。「巌流島」という名前の由来:
この島はもともと「舟島(ふなしま)」という無人島でした。しかし、敗れた小次郎の流派(岩流 / 巌流)を称え、地元の人々が彼の死を悼んでいつしか「巌流島」と呼ぶようになりました。
3. 「舟の櫂(かい)の木刀」はなぜ使われた?
小説のイメージ:
現地に向かう小舟の中で、即興で削って作った。史実の合理性:
武蔵が「舟の櫂」をベースにした巨大な木刀を使ったのは事実とされています。これはパフォーマンスではなく、小次郎の持つ「物干し竿」と呼ばれる長刀(約1メートル)に「間合い(リーチ)と重さ」で絶対に競り勝つための、武蔵らしい極めて冷徹な計算によるものでした。実際に再現すると約2.7kgもあり、武蔵の並外れた体格(身長180cm以上の巨漢説あり)があって初めて実戦で振るえた武器でした。
4. 決闘の「不都合な真実」
武蔵を保護していた家系の記録(『沼田家記』など)には、さらにリアルな結末が記されています。
武蔵の一撃で小次郎は一度気絶したものの、武蔵が島を去った後に息を吹き返した。
しかし、島の物陰に潜んでいた武蔵の弟子(または加勢)たちが一斉に小次郎に襲いかかり、最終的に撲殺したという記述が残っています。
これが事実であれば、一対一の綺麗な決闘ではなく、政治的な思惑や「絶対に勝つ」ための集団戦だった可能性があり、武蔵が『五輪書』の中で巌流島の戦いについて一言も触れていない理由とも言われています。
知れば知るほど、武蔵の「勝つためのリアリズム(泥臭さ)」が見えてきますね。
前述の「不都合な真実(弟子たちによる小次郎への追い打ち・撲殺)」について、「なぜ武蔵はそんな泥臭い勝ち方をしたのか」「なぜ『五輪書』にその決闘のことを書かなかったのか」という疑問ですね。
武蔵の行動の背景にある「なぜ」を、彼の徹底したリアリズムから解説します。
1. なぜ綺麗に戦わず、泥臭く勝ったのか?
武蔵の兵法(戦い方)の根底には、「手段を選ばず、何が何でも生き残り、勝つ」という絶対的な現実主義がありました。
当時の決闘はスポーツではない
現代の剣道や格闘技のようなルールの緊縛した試合ではなく、負ければ文字通り「死」を意味する命のやり取りでした。相手の「精神を崩す」ことも技術
もし武蔵が意図的に遅れて行ったのだとすれば、それは卑怯ではなく「戦う前に勝負を決めるための戦術」です。また、相手の長い刀に対して、さらに長い木刀(舟の櫂)を用意したのも「道具の優位性を活かす」という合理的な計算でした。「負けないこと」が最優先
武蔵にとって、美しく戦って死ぬことほど愚かなことはありませんでした。弟子に加勢させた(あるいは周囲がそう動くように仕向けた)としても、それは「確実に敵を仕留めて自分が生き残る」ための冷徹な戦術の延長線上にありました。
2. なぜ『五輪書』に巌流島のことを書かなかったのか?
これほど劇的で、自身の生涯で最も大きな勝利であるはずの巌流島の決闘について、武蔵は『五輪書』で一言も触れていません。その理由は主に3つ考えられています。
政治的な裏事情(暗殺計画)があったから
当時の小倉藩(細川家)の内部では、政治的な権力争いがありました。小次郎はその争いに巻き込まれ、藩の意向によって「巌流島でおびき出されて始末された(武蔵はその刺客として利用された)」という説が有力です。つまり、純粋な武芸の果たし合いではなく「政治的暗殺」の側面が強かったため、後世に残す書物には書けなかったとされています。『五輪書』は自慢話の書ではないから
武蔵は『五輪書』を、自分の強さを誇るためではなく、弟子が勝つための「普遍的な原理原則」を伝えるために書きました。そのため、特定の個人との過去の決闘のディテール(誰をどう倒したか)は、兵法の本質を説明する上で不要であると判断し、いっさい削ぎ落としたのです。武蔵にとっても「苦い記憶」だったから
一対一で正々堂々と戦いたかった武蔵にとって、役人の監視のもと、政治に利用され、最後は集団で相手を撲殺するような終わり方をしたこの決闘は、決して誇れるものではない「嫌な思い出」だったのではないかとも言われています。
武蔵は「無敗の剣豪」という華やかな英雄ではなく、「戦国末期の過酷な現実を、綺麗事なしで生き抜いたリアリスト」だったからこそ、こうした泥臭い選択をし、そして多くを語らなかったのだと言えます。
『五輪書』の執筆期間は、寛永20年(1643年)10月から正保2年(1645年)5月までの、約1年7ヶ月(約2年間)です。
武蔵が還暦(60歳)を迎えた秋に書き始め、病で亡くなる直前の62歳で完成させました。この短い期間のタイムラインには、彼の執筆に懸けた壮絶な背景があります。
執筆期間のタイムライン
1643年10月上旬(執筆開始)
武蔵は熊本藩の愛弟子たちに自らの兵法を遺すため、熊本市近郊の金峰山にある岩穴「霊巌洞(れいがんどう)」にこもって執筆をスタートさせました。
1644年11月頃(病魔による中断)
執筆開始から約1年後、武蔵は重い病(肺がんなどの説あり)に倒れてしまいます。この時期以降は体が動かせず、書きたくても筆を握れない状態が続いたと考えられています。
1645年5月12日(弟子への伝承)
死を察した武蔵は、霊巌洞を出て城下の屋敷に戻り、死のわずか7日前に完成した『五輪書』を筆頭弟子の寺尾孫之丞に授けました。その1週間後の5月19日、武蔵は62歳でこの世を去りました。
実際の執筆は「1年足らず」だった?
約1年7ヶ月という全期間のうち、武蔵が健康に自分の手でガリガリと書くことができたのは、最初の1年(1643年10月〜1644年秋まで)の実質1年足らずであったという説が有力です。
後半の半年以上は、病床に伏しながら文字の修正を加えたり、口頭で弟子に書き取らせたりして、命を削りながら完成へと漕ぎ着けました。
短期間でこれだけ濃密な戦略書を書き上げられたのは、武蔵が50代の頃にすでに『兵法三十五箇条』などのベースとなるメモ(理論の基礎)を頭の中で完成させていたからだと言われています。
五輪書は宮本武蔵の魂。

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