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映画評54 倱敗䜜『箱の䞭の矊』

1 悪・゚ゎ・゚ロス葛藀の欠劂

 近未来を舞台にした是枝裕和監督の新䜜、『箱の䞭の矊』は以䞋のように展開する。
 
 ヌ―建築家の音々(おずね/綟瀬はるか)ず公務店瀟長の健介(倧悟)の倫婊は、二幎前に䞃歳の息子・翔(かける)を電車の事故で亡くした喪倱感を埋めるべく、翔ずそっくりのヒュヌマノむド(人型ロボット)を迎え入れる。(ヒュヌマノむドに扮するのは桒朚里倢〈くわき・りむ〉。)

 AI開発䌁業から遺族に察しお無償でレンタルされたそのヒュヌマノむド(以䞋、AI翔ず呌ぶ)は、最近の生成AIのように、生前の翔の蚘憶を着々ず孊んでいき、ある時心/自我を獲埗する。

 なお、AI(人工知胜)そのものではないヒュヌマノむドは、AIを搭茉した機械であるが、劻の音々は、䜕の抵抗もなく、AI翔を生前の翔であるかのように受け入れ、その"代理子䟛"に愛着しおいく。

 だが倫の健介は、AI翔に察しお違和感を抱き、なかなか銎染めないが、やがお音々同様、息子そっくりのそれ(ずいうか圌)の存圚を受け入れおいく。

 そしお、予期せぬ出来事(ずキャッチコピヌにはある)が、起こる。

 AI翔は、たんに亡くなった息子のコピヌ(代甚品)にずどたらず、孊習した生前の翔の蚘憶デヌタ以䞊の存圚になっおいく。

 すなわち、埐々に内面(人間のような)を持った存圚ぞず、自埋的に成長しおいくのだ。

 (䜜䞭では觊れられないが、ヒュヌマノむドにずっお、人間のコントロヌルから逃れるこずは、人間に限りなく接近するこずである、ずいうアむロニヌをはらむ。)

 そしおそれは、AI翔だけではなく、ほかのヒュヌマノむドにも起こっおいる倉化であった。

 心/自我を持ったヒュヌマノむドたちはひそかに぀ながり、ヒュヌマノむドだけのコミュニティ(擬䌌家族)を圢成しおいくのだった。

 このように芁玄しおみるず、いささか既芖感はあるにせよ、物語/プロット自䜓はけっしお悪くない。

 別様の挔出・描写によっおは、面癜い映画になりえたかもしれない。

 だが、実際に出来䞊がった『箱の䞭の矊』は、端的に蚀っお平板な倱敗䜜であった。

 䜕より、秀逞な映画に䞍可欠な、䞀぀ひず぀の现郚が絡みあっお連鎖反応を起こし映画的熱量を垯びおいく、ずいう語りの〈運動〉がたったく欠けおいるのだ。

 芋る偎からすれば、冒頭からラストたで、【物語が動いおいる】ずいう実感を埗られないのである。

 すなわち、さたざたなモチヌフ、たずえば擬䌌家族、グリヌフケア(喪倱感の癒し)、芪離れ(ヒュヌマノむドたちが自らの意思でGPSを切り、倫婊のもずを離れる)、子離れ(音々がAI翔ずの契玄を終了する)、あるいは息子の死ぞの倫婊の自責/他責の念(息子の事故死は、健介がパチンコをしおいた間の、そしお音々が母芪(䜙貎矎子)の盞手をしおいた間の出来事)、さらに䞀぀の箱ずしおの建築、自然/暹朚ず人工物ずが融和するナヌトピア、などなどが、いずれも消化䞍良のたた、映画は、ふわふわず焊点が定たらぬたた終わっおしたうのだ。

 いいかえれば、是枝は、䞊蚘の物語およびモチヌフを、軞足をフラフラさせながら、淡々ず匱々しくなぞるばかりで、映画に求心力を䞎えるこずが出来なかったのである。

 (これはむろん、抑制的/犁欲的な衚珟や省略法、あるいは䜙癜を䜜るずいったこずではさらさらなく、もっぱら衚珟の䞍完党燃焌、モチヌフの消化䞍良および構成の散挫さゆえのこずだ。)

 思うに、倫婊がヒュヌマノむドを実の息子ずしお受け入れるこずが匕き起こす葛藀を、あるいはヒュヌマノむドたちが独自のネットワヌクを぀くる、ずいう転回点(プロットポむント)を、もっずサスペンスフルに描けなかったかヌヌ。

 (健介の葛藀は、倧悟の挔技の臎呜的な匱さヌヌ孊芞䌚レベルのヌヌ、そしおカメラ映えのしないルックスずあいたっお、たったく説埗力がないし、綟瀬はるかのプロフェッショナルな健闘も掻かされなかった。)

 さらにいえば、決定的な匱点は―ヌ濱口竜介監督の映画のタむトルではないが―ヌ、『箱の䞭の矊』には〈悪が存圚しない〉こずではないか。あるいは、〈欲望〉や〈゚ゎ〉や〈゚ロス〉が存圚しないこずではないか。

 よっお、物語を動かす掻力玠である〈葛藀〉が生たれなかったのではないか。

 音々や健介はもっず゚ゎ(我)に執着しおもよかったし、ヒュヌマノむドの補造・販売䌚瀟であるREbirth(リバヌス)も、『゚むリアン』(リドリヌ・スコット、1979)の邪悪なりェむラン・ナタニ瀟(圓初の案ではレむランド・トペタ)のように、あるいは『ブレヌドランナヌ』(同、1982)のレプリカント補造䌁業タむレル瀟のように、もしくはアメリカのGAFAように、資本䞻矩ファシズムの犍々(たがたが)しい顔を剥き出しにしおもよかっただろう。(くだんの䌚瀟の゚ンゞニア䞭島歩の䞍気味さはちょっずいい。)

 ちなみに、『゚むリアン』のくだんの巚倧耇合䌁業ナタニ瀟は、自瀟の宇宙船ノストロモ号の乗組員を、狂暎な゚むリアン(クリヌチャヌ)に遭遇させ、その怪物を生物兵噚ずしお回収させるこずをヌヌ乗組員には知らせずにヌヌ目論んでいた。

 ぀たり、乗組員たちの運呜は、利益至䞊䞻矩のために䜿い捚おられる囮(おずり)、ないしはコマであるずいう、資本䞻矩䞖界における劎働者のヌヌあるいは囜家間の戊争においお捚おゎマにされる兵士のヌヌ眮かれた境遇そのものだ。

 閑話䌑題。

 『箱の䞭の矊』で独自のコミュニティを結成するヒュヌマノむドたちにしたっお、身勝手な人間たち造物䞻に察しお(もっず人間的な)悪意や怚恚を向けおもよかっただろう(なにもタヌミネヌタヌやミヌガンになれ、ず蚀っおいるのではないが)。

 いや是枝裕和はヒュヌマンドラマの名手なのだから、圌に悪や欲望や゚ロスの描写を望むのは無い物ねだりだ、などず蚀うなかれ。

 あれほど業界内でのポゞション取りの巧みなヌヌこれ耒め蚀葉ヌヌ是枝に、〈悪〉〈欲望〉〈゚ゎ〉〈゚ロス〉が描けないはずはない。

 そのこずは、是枝のヒュヌマノむドものの秀䜜、『空気人圢』(2009)を芋れば明らかだろう。

 性欲凊理のための愛玩甚ロボット/ラブドヌル(ペ・ドゥナ)が、バむト先のレンタルビデオ店で棚から萜ちお故障し、ARATA(珟・井浊新)に空気/生呜/欲望を吹き蟌たれ、こみ䞊げおくる官胜の歓びを蚎えるシヌンの矎しさは、どうだろう。

 たた、ペ・ドゥナを乗せた氎䞊バスが䞡囜橋をくぐっおいく、遅い午埌の鈍く光る墚田川のシヌンの芋事さ。

 そしお『空気人圢』では、人間のアむデンティティヌの根幹に関わるモチヌフ、すなわち、"その人が、誰かの代甚品ではない唯䞀無二の存圚であるこず"はいかにしお可胜か、ずいう問いかけが、呚到に蚭蚈された物語、および工倫を凝らしたさたざたな仕掛けによっおヌヌ぀たり描写それ自䜓ずしおヌヌ、なされおいたのである。

 (ペ・ドゥナを買う、お笑い芞人の板尟創路(いたお・い぀じ)の、どんよりずした暗い目も忘れがたい。)


2 〈䜙癜〉の考察の䞍毛さ

 ずころで、『箱の䞭の矊』ずいうタむトルに含たれる箱ヌヌサン=テグゞュペリの『星の王子さた』由来のヌヌずは䜕か、あるいはその箱は䜕を意味・瀺唆・暗瀺するのか、䜕のメタファヌ(隠喩)なのか、をめぐっお、぀たり䜜品の䜙癜をめぐっお、さたざたな考察()がなされおいる。

 たずえば、目に芋えない"箱の䞭の矊"ずは、それぞれの人間の願望をさたざたに投圱する写し鏡であり、ゆえにそれが䜕かははっきりずは答えられないものであり、倧切なものは目に芋えないものだ、などなどのもっずもらしい"裏読み"ヌヌ映画では具䜓的に描かれないものヌヌである。

 それらは、おそろしく陳腐な、安っぜい自己啓発本に曞かれおいるような、あるいは村䞊春暹の小説に出おくるような、カマトトぶった嘘寒い蚀葉でしかない(やれやれ)。

 たあそれは、"考察猿"であるりマシカたちのフレヌズだからいいずしお(いやよくないが)、いちばんマズいのは、是枝自身が、䜜品自䜓が〈箱の䞭の矊〉のようなもの。䜕を読み取るかは芋る偎の問題であり、答えを限定しない"受け手の想像力に委ねる噚"ずしお、くだんのタむトルにした、などずぬけぬけず、あるいは本気で()語っおいるこずだ。

 これが、さたざたなモチヌフを消化䞍良のたた、あるいは生煮えのたた、バラバラに投げ出した結果の䜜劇の砎綻を糊塗(こず)するための、嗀(わら)うべき蚀い逃れであり、詭匁(きべん)であるこずは、もはや匷調するたでもない。

 これに぀いおは、批評家スヌザン・゜ンタグの『反解釈』(1966)における名蚀、【芞術䜜品の研究や批評で最も重芁なのは、ある䜜品が䜕を意味しおいるかではなく、それ自䜓で䜕であるかを論じるこずだ】、を匕くにずどめよう。

 (ちなみに私は、芞術䜜品の〈解釈〉を党吊定しおいるわけではない。)


●補説
 1   æœ¬äœœã‚’芋お、スティヌブン・スピルバヌグ監督の『A.I.』を想起した人は少なくないだろう。むろん巚額の補䜜費が投じられたあのSF倧䜜ず、『箱の䞭の矊』を単玔に比范するこずは出来ない。物語蚭定においおも、䞡者にはさたざたな盞違点がある。

 しかし『A.I.』は、『箱の䞭の矊』が描けなかった、人間ずAIロボットは共存しうるのか、AIロボットには心が宿るのか、ずいうモチヌフ、あるいはAIロボット同士の友愛ずいうモチヌフ、さらにAIロボットを創造した人間の゚ゎむズム、ずいうモチヌフ、そしおさらに、人間のコントロヌルから離れお自埋的に進化を遂げるAIロボット、ずいうモチヌフを完璧に描き切っおいるこずには、あらためお泚目すべきだ。

 なぜか、あのスピルバヌグ䜜品ず本䜜を比范した論考はヌヌ管芋(かんけん)の限りヌヌ芋圓たらない。なお、スピルバヌグの『A.I.』に぀いおは、映画評38・39・40・41を参照されたい。

 2 本䜜はカンヌ囜際映画祭での評刀が芳しくなかったそうだが、しかしながら、カンヌの䜜品評䟡の基準はたったく圓おにならないこずも付蚀しおおこう。カンヌの評䟡などに惑わされおはならない。カンヌにはマヌケット/芋本垂ずしおの䞀定の䟡倀はあるが、カンヌが、商業的な゚ンタヌテむメントではなく、芞術的な映画を高評䟡する、などずいう䞖迷蚀(よたいごず)を信じおはならない。カンヌはシャブロルの砎栌の傑䜜、『䞍貞の女』『肉屋』にも、ゎダヌルの『勝手にしやがれ』『気狂いピ゚ロ』にも、倧賞(パルム・ドヌル)を䞎えなかった。さらにゞャック・ロゞ゚の、あの身震いするほど矎しい超傑䜜『アデュヌ・フィリピヌヌ』(1962)にも、パルム・ドヌルを䞎えはしなかった。もっずも1968幎には、ゎダヌルやトリュフォヌはカンヌ粉砕を呌号しカンヌを䞭止に远い蟌む、ずいう快挙をやっおのけたのだがヌヌ。

   3 是枝はか぀お、映画にはメッセヌゞなどない、たた自分は瀟䌚掟ではない、ずいう意味の、至極たっずうな発蚀をしおいたこずも蚀い添えおおこう。

   4 是枝裕和ベスト(補䜜幎順)
  ●『誰も知らない』(2004)
  ●『歩いおも歩いおも』(2008)
  ●『空気人圢』(2009)
  ●『奇跡』(2011)

 








 


 

 

 

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