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【京都散策】変わる街、変わらない緑


 平気そうな顔をして毎日を回していた。

 けれど、その実ずっとギリギリだった。

 だから、やめた。無理です。

 「そうだ、京都に行こう」



 6月某日。仕事を1日分前倒して、2日分有給を叩きつけた。

 あばよ、うるせー街。

 そんなこんなでやってきた京都。あてもなく選んだ訳ではなく、行きたい場所と祝いたい人がいた。

 梅雨間のちょうどいい時期だ。8月の京都なんざ歩いてられるか。

 何度もこの街には足を運んでいるので、行ったことのない場所を混ぜながら京都の日常に溶け込むことにした。
 



 初めに足を運んだのは、安井金比羅宮

 こちらは厚く御礼申し上げるために足を運んだ。

 どうしようもない現実があって、力のない私には何も出来なかった。


 心はカラカラで、慣性で辛うじて前に進む歪な形をしていた。その時この場所に赴いて、深く頭を下げたのだった。

 「どうか、私らしくあれる場所で、もう一度だけ頑張らせてください。」

 1年経って結果良い方に進んだ。間違いなくあそこが分岐点だった。

 今回はそのお礼参り。人生で一番大きな額をお賽銭箱に入れて、90度直角に腰を曲げた。


 私は不思議な縁に導かれてここに辿り着いた。

 縁切り・縁結び碑の穴を通して見た世界の先に、神様がそこにいることを感じずにはいられなかった。

 けれどもう、この場所には縁がない方が良い。



 その後は京都の喫茶店に赴いた。半世紀近く営業している老舗。ちょうどカフェインが足りてなかった。

 ガラガラと引き戸を開けて入ったら常連さんとマスターが横で談笑していた。ミスったか?

 常連さんに好きなところ座りなよと教えてもらったので、せっかくなので近くに座って話に混ざる。


 初め、マスターにJapanese?と聞かれた。なんて??

 鏡に映る丸メガネをしたボサボサパーマ。誰がシンガポール人や。

 それぐらい、よく外国人が来るようになったらしい。


 そんな軽口から、話は京都の変化へ移っていった。

 やはりコロナ前後で大きく変わったそうだ。

 呉服や家具(箪笥)屋を始めとした文化が消えて、畳まれた店はインバウンド御用達のホテルになった。

 思えば、通りに妙に綺麗なホテルが多かったなと振り返る。

 10年遡れば、もしかしたらそこは情緒溢れる呉服屋だったのかもしれない。

 外から見ても変わってしまったと思うのだ。

 中からずっと京都を見てきた人は、変わってしまった街を、変わっていく街をどんな心境で眺めていくのだろうか。


 マスターにお礼を言ってお会計を済ませる。コーヒー一杯440円だった。

 安すぎる。2杯飲めば良かった。

 次来るときは2杯頼みますね!!と大声を出して店を出る。

マスターから、すっごい歴史のありそうな良い扇子を貰ってしまった。
残念ながら和歌が読めない。


 日のあるうちは貴船神社を巡り、そのまま出町柳で降りる。

 ずっと気になっていた。鴨川デルタ!

 鴨川沿いに等間隔に並ぶカップルは、友人と見世物気分で眺めたことがあったが、本拠地はここだろう。

 平日夕方にも関わらず、沢山の人がいた。橋の下で練習するラクロス部や河原で寝っ転がる人。飛び石で水遊びをする子供たち。

 川が根付いた生活が少し羨ましくなった。ここは、誰かの放課後であり、誰かの夕涼みであり、誰かの待ち合わせ場所だった。

 これだけの自由と、大きな川のある場所で、私ならどんな風に生活しただろうか。

鴨川デルタ。小学校の社会で習ったきりだったが、めっちゃΔだった。
あと自由。めっちゃ自由。


 そんなこんなで待ち合わせ。大学の友人だ

 本日は内定祝い。少し先に社会の顔になった私が、立派な会社に入れた君に高い肉を奢るという訳だ。

 お金なら任せなさい。なけなしのボーナスが見栄を張らせてくれた。

 予約してくれた肉屋は学生街にあるにはあまりにオシャレで、窓の外に枯山水があった。

 コースを楽しみながら、研究生活に耳を傾ける。京都で楽しくやっているようで嬉しかった。先に関東で待ってるよ。

 ここからがスタートで、もっともっと遠くへ行ってくれ。

良い肉だったのだが、あまりに会話が楽しくて、
何の肉か忘れてしまった。とても美味しかった。


 友人宅に泊まり、モーニングまで案内してもらって解散した。

 あと1か所、回りたい所があった。

 早朝、駆け足でその場所まで向かう。この時間なら人も少ない。

 銀閣慈照寺。私が愛してやまない詫び寂びだ。


 遡ること8年前、別の友人の家が銀閣寺の裏にあって、案内してくれた。

 あの時期も多分5、6月ぐらい。あまりに緑が鮮烈でずっと頭から離れなかったのだ。

 新緑の芽吹く境内は、不思議と力が湧いてくる。

 何より嬉しかったのは、ここから見る景色が、かつて見た鮮やかな緑と変わらないこと。


 庭を歩くと、作業着のおじさんたちとすれ違う。

 京都の街は、店は畳まれ、外からの人に合わせてその時代の形に変わっていくのだと思う。

 それでもこの場所は、この苔と木々の緑を守るために毎朝誰かが手を入れている。

 流れる時代で守りたいもののために、誰かがずっと手を動かし続けている。

銀箔はない方がいい。その方がずっと風情がある。


 同じだけ過ぎる時の中で、私もまた、その時代を生きる形へ変わっていく。それでも大事な根っこはずっと同じだ。

 美しい侘び寂びに満ちたこの街で、この緑が、これからも変わらず息づいていますように。

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