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江頭2:50という朝ドラ(前編)――リベラルな私が黒タイツの男に救われるまで

私は基本的に推し活というものをしない。
芸能人も、スポーツ選手も、アニメキャラクターも、誰かを熱狂的に応援した経験がほとんどない。
そんな私が、唯一「推し」と呼んでもいい存在がいる。江頭2:50である。

今回は、彼がYouTubeとリアルな現場で巻き起こしている現象を、昨今流行りの「サードプレイス(第三の居場所)」という小難しい眼鏡を通して、少し真面目に解剖してみたい。

● 「前世紀の遺物」に私が堕ちるまで

私は比較的、女性が受ける社会的圧力を強く意識して生きてきた人間だ。
そのため、男女平等や多様性を重視する、いわゆるリベラルな思想を持っている。
当然ながら、女性を性的に消費したり搾取したりして「お笑い」に昇華するような、前世紀の遺物のような文化は反吐が出るほど嫌いだ。

だから若い頃の私は、江頭2:50が嫌いだった。
キモい。下品。公共の電波に映していいツラじゃない。
そんな強烈な嫌悪感しか抱いていなかった。

しかし時代は変わり、私もテレビの予定調和に飽き飽きして、YouTubeを見る時間が長くなった。
ある日、偶然おすすめに流れてきた彼の動画を、特に期待もせず再生した。

それは「『情熱大陸』か『プロフェッショナル の流儀』から出演依頼が来ました」というドッキリ企画だった。
画面の中の彼は、即座に、そして冷徹なほどきっぱりと断った。
俺はそういう流儀でやってきてない。芸人があんな格好いい番組に出たら、客に笑われなくなる
私は虚を突かれた。
「あれ? この人、こんなにメタ認知ができていて、自分の役割にストイックな人だったっけ?」

そこから他の動画も貪るように見た。
そこで見えてきたのは、かつてテレビの過激な演出の中で消費されていた「エガちゃん」とは、まったく違う人物像だった。
彼は一貫して、
「俺はキモい」
「俺はモテない」
「俺は失敗する」
「俺は嫌われる」
という、人間の負の側面をすべて一人で引き受けていた。
そして画面の向こうに向かって、
「死にたくなったら俺を見て笑ってくれ」
「背伸びしなくていい、かっこ悪くていい、立ち止まってもいい。でも生きていてほしい」
と、ひたむきに訴えていた。

下ネタもある。
相変わらず過激だ。
しかしその笑いの矛先は、決して他人や弱者には向かない。
誰かを踏み台にして笑いを取るのではなく、徹底的に自分自身を笑いものにする。
自分が一番傷つく側に回る。

気づけば私は、立派な「あたおか」(江頭2:50のファン)になっていた。

● エガフェスという「剥き出しのリアル」

そして2026年、縁あって山梨のコニファーフォレストで開催された
「エガフェス2026」に参戦することになった。
会場には1万3000人もの「あたおか」が集結していた。

そこで私は、ある種の衝撃的な光景を見た。

白髪で禿げ頭のじいさん。
腹の出た、いかにも独身非モテ風の中年男性。
生活感にまみれた中年女性。
出所がいまいちつかめない中年の集団。
奇妙な服を着たばあさん……。
(※これは誇張表現。普通におしゃれで場慣れした人もたくさんいました。)

正確な表現をすると少なくとも
「普段はフェスTを着たり
フェスタオルを首に巻いたり
しない種類の人たち」
だった。
そういう人々が、着慣れないフェスTを誇らしげに着て集まっていたのだ。

お世辞にも、SNSでハッシュタグをつけて
「#推し活最高」なんてキラキラした自撮りをアップするような層
ではない。

むしろ、
普段の社会生活の中ではどちらかといえば「透明人間」でいて、
「キラキラした側」の物語にはあまり登場しない
人たちに近いかもしれない。
そして、間違いなく私もその一人だった。

・・・・かなりシュールで、異様な光景だった。

しかし、その 1万3000人が、まったく同じ方向を見ていた。
江頭を見て腹を抱えて笑い、
同じ歌で拳を突き上げ、
同じ場面でボロボロと涙を流していた。


フェスの最後、江頭は「あたおか」へ向けて手紙を読んだ。
「芸人に憧れて東京に出てきた。
でも周りには天才がたくさんいた。
俺は不器用で頭も悪かった。
だから毎回全力でやるしかなかった。
頑張れば頑張るほど嫌われた。
みんなも毎日つらいことや納得いかないことがあると思う。
背伸びしなくていい、かっこ悪くていい、
でも生きていてほしい。」

会場中が静まり返り、隣の友人は目頭を押さえながら、
「こんなにピュアで、よくあの伏魔殿のような芸能界で生き残れたよね」
と言った。


振り返ってみれば、江頭の人生は驚くほど一貫している。
ひたむきにキモい芸人をやり、
ブレイクし、
日本中から嫌われ、
それでもYouTubeという新天地で「かっこ悪い自分」を晒し続け、
気がつけば1万3000人を熱狂させるカリスマになった。

最初から朝ドラヒロインのように純粋だったのだ。
その純粋さの出力方法が、「黒タイツ」だっただけだ。
歴代のNHKの朝ドラで、こんなに読後感が爽快な物語はなかったと思う。
NHKのプロデューサーが嫉妬するレベルの
美しいビルドゥングスロマン(成長物語)だ。
問題は、ヒロインが黒タイツで、肛門にでんでん太鼓を突き刺していることである。


――さて、一人の不器用な芸人が命がけで紡いだこの「奇妙な朝ドラ」は、なぜこれほどまでに私たちの心を揺さぶるのか。
なぜ、普段フェスタオルを巻くことのない人々が、山梨の山奥で強烈な「仲間意識」で結ばれたのか。

この熱狂の正体を紐解く鍵こそが、現代社会が血眼になって探している「サードプレイス(第三の居場所)」の真実だった。

ーー後編へ続くーー
次回この熱狂がなぜ「サードプレイス」になり得たのかを考えてみたい。
行政や学者が語る「居場所づくり」と比較しながら、その違いを掘り下げていく。

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