子育てと研究は、未来からの逆算(バックキャスト)はだいたいアカン、現実からの出発(フォアキャスト)が基本
研究の世界で一時期、「バックキャスト」と「フォアキャスト」ってのが流行ったことがある。
バックキャストというのは、あるべき未来から逆算してどんな技術を開発すべきかを考えるアプローチ。フォアキャストは、今ある技術で何ができるかを考え、探すアプローチ。
で、「フォアキャストはダメだ、これからはバックキャストでやらなくては」なんて言われてたんだけど、私はアホ言いなさんなとかなり批判した。
いやもちろん、バックキャストも大事よ?大事なんだけど、研究ってのはできるかどうか分からんのが研究。未来から逆算して何が必要なのか分かったら全部開発出来るか言うたら、出来るわけがない、というのが基本。「できないと決めつけたらそれは頭が固い」と言われるんだけど、ちゃうねん。研究のほとんどはうまくいかんねん。それは現実としてまず弁えなあかんねん。弁えた上でバックキャストやるのならかまへん。でも、未来から逆算したら全部開発できると思うなら、それは研究ちゃう。既存の技術で作り上げるビル建設のような物で、新しさは一つもない。でけへんことをやるのが研究やねん。でけへんことに取り組むんやから、でけへんのがデフォルト。できたらラッキー。それが研究。そやから、未来から逆算するバックキャストやったからって、ろくに成果はでえへん、という現実を弁えた上でバックキャストやるなら私は大賛成。でも、できる前提で計画立てるアホがおったらそれはアホかと私は言わなアカン。バックキャストを言い出した連中、バックキャストやったら全部実現できるつもりで言うてたから私は大いに批判した。
さて、いちおうバックキャストで研究した結果、たまたま不思議な結果が得られることがある。予定した未来には何の役にも立たないことだけは分かるけど、なんか新しい。見たことないものができた。こういうのは、それをなんか活かせないかな、というフォアキャストに向いてる。で、研究ってのは大概、それが何の役に立つのか分からん成果から画期的なものが生まれる。つまり画期的な研究はフォアキャストが多い。
たとえばノーベル賞受賞者の大隅氏は、酵母で要らないタンパク質を自己消化する現象を発見したんだけど、当時は何の役に立つのかわからなかった。酵母だけに起きる奇妙な現象に過ぎないだろう、と思われていたらしい。ところが、ガンやパーキンソン病などの治療にもつながる重要な現象だと次第に明らかになり、ノーベル賞につながった。大隅氏はガンやパーキンソン病を治そうなんて思ってたわけではない。「誰も見向きもしないことに取り組みたい」それだけ。全くバックキャスト性がない。でもノーベル賞。
実は人を育てる際にもこのフォアキャストの考え方が重要だと考えている。子どもは生まれたときから個性を持っている。持ち前の性格というのは、どうやら生涯ついて回るらしい。おとなしい子に活発な子になれ、活発な子に大人しくなれ、というのは、角を矯めて牛を殺すことになりかねない。その子の持ち前の力を生かすしかない。サボテンを沼に植えたら腐ってしまう。蓮を砂漠に植えたら枯れてしまう。でも、サボテンを砂漠に、蓮を沼に植えたら持ち前の力を発揮する。子育ては基本、フォアキャスト。
未来から逆算して子育てしようとすると、「なぜあなたはこれができないの?」と責める気持ちになりやすい。スイカを四角い箱に入れて四角くしようとするようなもの。実は、あの四角いスイカ、成功率がそんなに高くないらしい。だから高く売らないとペイしない。四角いから高く売れるというより、四角くしようとすると単価高くしなければ儲からないから高く売る(幸い、珍しいから売れる)ということらしい。
子育てでバックキャストしようとすると、「四角くしそこねたスイカ」は廃棄せざるを得なくなるように、不適応を起こした子どもを捨てればよいのだろうか?とんでもない。人間は決して使い捨てになど出来るわけがない。なのにバックキャストをすると一定数の子どもたちが「出来損ない」扱いされる。そんなのが教育と言えるだろうか?
教育は、個性豊かな子どもたちのその個性を最大限伸ばすことに力点を置くのが大切だと思う。トマトは、その潜在力を引き出すと一万個のトマトを実らすことができる。トマトの個性を踏まえながら、その力を引き出そうとするからできること。ところが「一万個実らせるトマトを開発しましょう」なんて考えるとうまくいかない。トマトの様子をよくよく観察し、今日は元気がないのか、だとしたら肥料のやりすぎに注意しよう、等のきめ細かい観察とアプローチの調整は、フォアキャストの姿勢(今を大切に考える)からできること。もしバックキャストの考え方でアプローチしてご覧なさい。「一万個のトマトを実らせるなら、これくらい肥料吸ってもらわなきゃね!」なんてことやって、根を腐らせてしまうだろう。今のトマトの現実を無視して、きらびやかな未来ばかり見るからだ。
未来ばかり見て今を観察しないのは、有名大学に入った想像上のわが子ばかり見て、目の前の子の情けなさを嘆く親が子どもをうまく育てられないのと同じ。その子にはその子の素晴らしいものがあるのに、未来から逆算して、自分の想像する未来と比較して今をみすぼらしいと見下すから、今の子どもの心を折り、意欲をくじき、気持ちを腐らせてしまう。
教育も研究も、基本はフォアキャスト。今、現在をよく観察し、なにができるかを考えること。バックキャストをやるとたいがいロクでもないことになる。人間は妄想にとりつかれやすい生き物。きらびやかな未来に見とれて今の目の前の子どもを見下すことを、未来からの逆算ではやってしまいがち。バックキャストはほんのちょっぴりやってもいいけど、基本はフォアキャストの精神で。それを忘れたら子どもも研究も潰してまうよ、というお話。
