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教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝|上巻・第九章 トゥールのラ・ピュセル

【アナトール・フランス『ジャンヌ・ダルクの生涯』完訳プロジェクト】1908年発行の名著を、膨大な独自注釈とともに現代日本語で蘇らせる個人翻訳プロジェクトです。継続的な活動維持と出版支援のため、一部を有料公開としています。

▼総合目次・リンク集:なぜ、21世紀に『ジャンヌ伝』を完訳するのか

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【この章のポイント】
- 従軍司祭ジャン・パスケレル修道士との出会い
- 甲冑製作と聖カタリナの剣入手
- ジャンヌ独自の軍旗

9.1 トゥールの街の近況

 トゥール(Tours)で、ジャンヌはラポーと呼ばれる女性の家に滞在していた。[799]
 彼女はエレオノール・ド・ポールという名のアンジュー出身の女性で、マリー・ダンジュー王妃の侍女だった。シチリア女王ヨランド・ダラゴン(マリー・ダンジューの母)の顧問官でラ・ロッシュ=サン=カンタン領主のジャン・デュ・ピュイと結婚してからも、フランス王妃に仕え続けた。[800]

 トゥールの町はヨランド・ダラゴンが所有していた。義理の息子(シャルル七世)がますます貧しくなる一方で、ヨランドはますます裕福になっていった。ヨランドは金銭と土地でシャルル七世を援助していた。

 1424年には、シノン城代領を除き、トゥーレーヌ公領(Touraine)とその従属地はすべてヨランド・ダラゴンの所有地となっていた。[801]

⚠️トゥーレーヌ(Touraine)とトゥール(Tours):パリ盆地の南部に位置する地域で、首府はトゥール。なお、パリ盆地の中央部にはセーヌ川が流れているが、トゥーレーヌはロワール川が流れている。上流(東)にオルレアン、下流(西)にアンジューとブルターニュ、北にパリがある。

 トゥールの市民と庶民は、心から平和を望んでいた。
 その一方で、彼らは武装兵士による略奪から逃れるためにあらゆる努力をした。
 シャルル王もヨランド・ダラゴンも彼らを守ることができなかったため、彼らは自衛しなければならなかった。[802]

 町の番兵が「トゥーレーヌとアンジューを荒らしていた略奪隊のひとりが近づいてきた」と告げると、市民は門を閉ざし、大砲の位置を確認した。
 それから交渉が行われた。略奪隊の隊長は堀の端までやってくると、「自分は王に仕えており、イングランド軍と戦闘中だ」と主張し、「自分と部下のために町で一晩休ませてほしい」と頼んだ。
 市民は、城壁の高みから「ここから立ち去るように」と丁重に求めたが、無理やり侵入しようとしてきた場合は金銭を提供した。[803]

 市民は略奪を恐れて、みずから賄賂を差し出した。

 ジャンヌが来るわずか数日前にも、トゥール近郊を荒らしていたスコットランド人のケネディという男に、ここから立ち去ってもらうための旅費として200リーブルを渡したばかりだった。

 こうして部隊を追い払った後、彼らの次の懸念はイングランド軍に対する防御を固めることだった。

⚠️補足:市民からすれば、兵士がフランス陣営かイングランド陣営かに関係なく、危険で迷惑な存在だった。

 同じく1429年2月29日、トゥールの市民は、当時オルレアンのために最善を尽くしていたラ・イル隊長に100エキュドールを貸した。

 イングランド軍が接近してきたときでさえ、彼らはジャン・ド・ビュエイユ卿の部隊に所属する弓兵40人を受け入れることに同意したが、「①ビュエイユ卿と兵士20人はともに城に宿泊し、②残りの兵士は宿屋に宿泊するが、③代金を支払わなければ何も与えない」という条件付きだった。

 このように、町の対応は状況次第で、良くいえば柔軟で臨機応変、悪くいえば一貫性がなく曖昧だった。ビュエイユ卿はトゥールの町で一服すると、オルレアンを守るために出発した。[804]

⚠️ジャン・ド・ビュエイユ(Jean de Bueil):ジャンヌの戦友の一人。二つ名「イングランドの天罰」と呼ばれた。晩年、百年戦争に従軍した経験をもとに半自叙伝『Le Jouvencel』を執筆。

⚠️トゥール(Tours):ようするに、オルレアンに向かうルートの中継地点。兵士からすればフランス陣営の町で安全に休憩・補給したいが、市民からすれば備蓄を消費する上にイングランドに目をつけられる危険を伴う。

9.2 ジャンヌの従軍司祭、ジャン・パスケレル修道士

 ジャン・デュ・ピュイの家で、ジャンヌはアウグスティノ修道会の修道士ジャン・パスケレルから訪問を受けた。
 彼は、ピュイ=アン=ヴレ(Le Puy-en-Velay)の町から帰ってきたところで、そこで、ジャンヌの母イザベル・ロメと、ジャンヌを国王のもとに案内した人たちに会っていた。[805]

 この町にある「アニスの聖域」には、聖王ルイがエジプトから持ち帰った聖母像が保存されていた。
 これは非常に古いもので、高く崇拝されていた。なぜなら、古代イスラエルの預言者エレミヤが「これから生まれる処女の姿」を幻視して、自らの手でシカモアの木(sycamore)から彫り出した聖母像だったからだ。[806]

⚠️シカモアの木(sycamore):ヨーロッパでは一般的に「セイヨウカエデ」を指すが、聖書の文脈では「エジプトイチジク」を意味する。ここでは後者のイチジクと思われる。

 聖週間(復活祭の前週)になると、フランスだけでなくヨーロッパの各地から、貴族、聖職者、兵士、市民、農民などさまざまな身分の巡礼者が押し寄せた。
 苦行のため、あるいは貧困のために、多くの人が杖を手に持ち、戸口から戸口へとパンを乞いながら徒歩でやってきた。

 巡礼者目当ての商機を期待して、あらゆるジャンルの商人たちも集まってきた。
 そのため、ここは最も人気のある巡礼地であると同時に、世界で最も豊かな市場のひとつでもあった。

 旅人の流れが、町の周囲の道からブドウ畑、牧草地、庭園へとあふれ出ていた。
 1407年の祭りの日には、群衆の中で押しつぶされて200人が亡くなる事故があった。[807]

⚠️聖週間:キリスト教会の暦で復活祭前の1週間のこと。イエスの受難、死、復活が集中している。

 キリストの受胎告知の祝日(3月25日)とキリストの死の祝日(聖金曜日)が重なる年がある。キリスト教最大の「神秘の約束」と、その「約束の成就」が一致する貴重な1日だ。

 すると、聖金曜日(Holy Friday)はさらに神聖なものとなる。
 大いなる金曜日(Great Friday)と呼ばれ、この日にアニスの聖域に入った者は「完全な免罪符(すべての罪が免除される)」を受けられるため、巡礼者の群衆は例年以上に多くなる。

 さて、1429年の3月25日は、聖金曜日と重なる「大いなる金曜日」だった。[808]

 したがって、修道士パスケレルが、この期間中にピュイでジャンヌの家族に会ったことは、何も特別なことではない。

 農民の女性が、雪と霧の季節に、兵士や盗賊がはびこる地域を徒歩で150リーグ(約375マイル/約600キロメートル)も旅したことに驚かされるが、ジャンヌの母の愛称「イザベル・ロメ」の由来を思い出してほしい。

 信心深い彼女にとって、特別な免罪符を得るために遠出することは、日常茶飯事だった。[809] このときの旅路は、ロメにとって初めての巡礼ではなかったのだから。

 善良な修道士パスケレルが、ジャンヌの護衛の誰に会ったかはわからないが、ベルトラン・ド・プーランジーがその中にいたと推測しても差し支えないだろう。
 彼についてはほとんど知られていないが、その話し方から、信心深い人物であったことがうかがえる。[810]

 ジャンヌの仲間たちは、パスケレルと親しくなり「ジャンヌのところへ行こう」と誘った。

「私たちと一緒にジャンヌのところへ行かなければなりません。ジャンヌと会うまで、私たちはあなたを離しませんよ」

 修道士パスケレルは、彼らと一緒に旅をして、ジャンヌが去った後のシノンへ行き、その後、修道院があるトゥールへ向かった。

 アウグスティノ派(アウグスティノ会)はフランシスコ会と並ぶ托鉢修道会で、修道士たちは同じ戒律にしたがい、染色していない灰色の僧衣ローブを着用した。

 前年、国王は、幼い息子の王太子ルイの従軍司祭(Chaplain)をこの修道会から選んだ。

 修道士パスケレルは、この修道院でレクトル(講師・朗読者)の職に就いていた。[811]
 彼は司祭の叙階を受けていた。かなり若く、当時の多くの托鉢修道士のように放浪癖があり、神秘的な奇跡に関心があり、過度に信じやすかった。

 ジャンヌの仲間たちは、トゥールで彼女に再会するとパスケレルを紹介した。

「ジャンヌのために善良な神父を連れてきたよ。彼のことを知れば、きっと気に入るだろう」

「この善良な神父様は、私を喜ばせてくれます。私はすでに彼について話を聞いてますし、明日はこの神父様に告解するつもりです」

 翌日、善良な神父はジャンヌの告解(懺悔)を聞き、ジャンヌの前でミサを唱えた。
 こうして修道士パスケレルは、ジャンヌの従軍司祭となり、決して彼女のそばを離れなかった。[812]

⚠️チャプレン(chaplain):本来の意味は「(教会以外の施設に付属する)礼拝堂で働く司祭」だが、ここでは「(特定の主人に付属する)従軍司祭」の意味合いが強い。

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