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教皇庁に犁曞指定されたゞャンヌ・ダルク䌝䞊巻・第十䞃章 オセヌルずの䌑戊協定修道士リシャヌルトロワ降䌏

【アナトヌル・フランス『ゞャンヌ・ダルクの生涯』完蚳プロゞェクト】1908幎発行の名著を、膚倧な独自泚釈ずずもに珟代日本語で蘇らせる個人翻蚳プロゞェクトです。継続的な掻動維持ず出版支揎のため、䞀郚を有料公開ずしおいたす。

▌総合目次・リンク集なぜ、21䞖玀に『ゞャンヌ䌝』を完蚳するのか

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【この章のポむント】
- ã‚ªã‚»ãƒŒãƒ«ãšãƒˆãƒ­ãƒ¯ã®ã€Œç„¡è¡€é–‹åŸŽã€
- ä¿®é“士リシャヌルの登堎ず圱響
- ãƒˆãƒ­ãƒ¯åž‚民の「巧みな転向」

17.1 オセヌルの町緊急事態

 月27日[1368]、ブサック元垥、ゞル・ド・レ卿、ラ・むル隊長ずザントラむナ隊長に率いられた前衛郚隊が、ゞアンからモンタルゞ方面に向かっお出発した。

 圌らの目的は、サンスに進軍するこずだった。
 サンスは、誀った情報に基づき、王倪子に門を開ける可胜性が高いず思われおいたからだ。

 しかし、町がむングランドずブルゎヌニュぞの忠誠の蚌ずしお「聖アンドレの旗」を掲げたずいう知らせを受けるず、軍は進路を倉えた。力ずくで町を占拠するこずは、圌らの望むずころではなかったからだ。

⚠聖アンドレの旗新玄聖曞に登堎するむ゚スの䜿埒の䞀人。ブルゎヌニュ公フィリップ善良公は、聖アンドレを守護聖人ずする金矊毛階士団を蚭立し、癜地に赀十字の「聖アンデレ十字」を階士団および公囜の旗ずしお甚いた。

 行軍ルヌトは、より奜意的な歓迎が期埅できるオセヌルぞず向けられた。[1369]

 乙女ゞャンヌ・ラ・ピュセルは焊りから囜王を埅たずに、最初に出発した郚隊ずずもに銬に乗った。もし、ゞャンヌが軍隊の指導者だったら、町の倧砲が自分に向けられたずしおも、背を向けお立ち去るこずはしなかっただろう。

 囜王は日埌、血統貎族ず倚くの階士で構成されたいわゆる「本隊」ず呌ばれる䞻力郚隊、そしお遠埁軍を指揮するラ・トレモむナ卿ずずもに出発した。[1370]

 月日、党軍がオセヌルの町に到着した。[1371]

 ぶどう畑ず麊畑に囲たれた䞘の䞭腹に、サンゞェルマン叞教の祝犏された町の城壁、塔、屋根、鐘楌がそびえおいた。

 倏の日差しの䞭、勇敢な階士団の仲間ずずもに、ゞャンヌは矎しい聖モヌリスのように完党歊装しお銬を走らせおいた。
 今しがた向かっおいるその町は、わずかカ月前、薄暗く曇りがちな空の䞋で、銬䞁の少幎のような栌奜をしたゞャンヌが、貧匱な傭兵〜人ずずもに、王倪子シャルルのもずをめざしお、悪路を旅しながら眺めおいた堎所だった。[1372]

⚠聖モヌリスSaint Mauriceロヌマ軍のテバむりス軍団の軍人だったが、キリスト教埒だったために凊刑された殉教者。軍人、兵士、剣士、歩兵たちの守護聖人。



 幎以来、オセヌル䌯領は摂政ベッドフォヌド公から譲枡されお、ブルゎヌニュ公の所有ずなっおいた。ブルゎヌニュ公は、代官Bailieず隊長を通じおオセヌルを統治しおいた。[1373]

 か぀おマンド叞教だったオセヌル叞教ゞャン・ド・コルビヌは、王倪子の支持者だず考えられおいた。[1374] しかし、倧聖堂の参事䌚はブルゎヌニュ掟だった。[1375]

 垂民ずその他の町民によっお遞出された陪審員12人が、オセヌルの行政を担っおいた。

 囜王軍が近づいおくるのを芋お、人々の心が恐怖に支配されたこずは容易に想像できる。兵士たちが癜十字フランス軍兵士のお仕着せを着けおいおも赀十字むングランド軍兵士のお仕着せを着けおいおも、垂民から芋れば恐怖の察象だった。

 オセヌルの䜏民は、暎力ず殺戮を匕き起こす連䞭を、町の門前から远い払うためにもっずも効果的な手段、぀たり財垃の玐を緩めるこずを厭わなかった。

 囜王の䜿者は、オセヌルの䜏民に察しお「シャルル王を圌らの自然で正圓な君䞻ずしお迎え入れるように」ず呌びかけた。

 だが、歊力を背景にした呌びかけは、垂民を非垞に困惑させる立堎に眮いた。
 拒吊しおも同意しおも、善良な人々は倧きな危険にさらされる。
 忠誠を誓う盞手を倉えるのは簡単ではなく、圌らの生呜ず財産がかかっおいた。

 この緊急事態を芋越しお、自分たちの匱みを自芚しおいたオセヌルの䜏民は、シャンパヌニュ地方の諞郜垂ず同盟を結んでいた。
 同盟の目的は兵士を受け入れる負担軜枛ず、敵察する人の䞻君の争いに巻き蟌たれる危険から守るために、加盟郜垂が互いに助け合うこずだった。

 シャルル王の前に、オセヌルの䜏民の䞀郚が珟れお「トロワ、シャロン、ランスなどの郜垂が瀺すのず同じ服埓をする」ず玄束した。[1376]

 これは服埓でも反抗でもなかった。
 亀枉が始たり、䜿節が町から野営地ぞ、野営地から町ぞず行き来した。
 最終的に、知恵に欠けおいなかった同盟者たちは、受け入れ可胜な劥協案を提案した。それは、諞䟯がい぀も盞互に締結しおいたもの、すなわち䌑戊協定だ。

17.2 オセヌルの町䌑戊協定

 オセヌルの町の人々は、囜王に蚀った。

「どうかお通りください。そしお、戊いを控えるこずに同意しおくださるようお願い申し䞊げたす」

 そしお、この芁求を聞き入れおもらえるように、圌らは遠埁軍を指揮するラ・トレモむナ卿に2000゚キュドヌル金貚の賄賂を莈った。䌝えられるずころによるず、ラ・トレモむナ卿はそれを恥じるこずなく受け取ったずいう。

 さらに、オセヌルの䜏民は、代金ず匕き換えに遠埁軍に食料を䟛絊するこずを玄束した。これは怜蚎に倀する申し出だった。遠埁軍の陣営では、早くも食糧䞍足が始たっおいたからだ。[1377]

 しかし、この䌑戊協定は、兵士たちにずっお決しお喜ばしいこずではなかった。
 圌らは、凌蟱や略奪で利益を埗る絶奜の機䌚を倱ったのだ。

 ざわめきが起こり、倚くの領䞻や隊長たちが「町を占拠するのは難しくない。詊しおみるべきだ」ず蚀った。垞に「声」から勝利の玄束を受け取っおいたゞャンヌも、兵士たちに歊噚を取るよう呌びかけるのをやめなかった。[1378]

 王はこれらの隒ぎにたったく動じるこずなく、提案された䌑戊協定を締結した。
 なぜなら、王は、平和的な手段で達成できる以䞊の利益を、歊力で手に入れるこずを望たなかったからだ。

 もし王がオセヌルを攻撃しおいたら、町を占拠しお、慈悲によっお保持できたかもしれない。だが、それは確実に、略奪、殺人、攟火、凌蟱が発生するこずを意味しおいた。王の埌を远っお、今床はブルゎヌニュ兵がやっお来お、たた略奪、攟火、凌蟱、虐殺が繰り返されただろう。

 町の人たちは、赀い垜子ず癜い垜子の䞡方を箱の䞭に隠し持ち、それを亀互にかぶっお情勢をやり過ごした。
 それにもかかわらず、フランス人、むングランド人、ブルゎヌニュ人によっお入れ替わり立ち替わり砎壊され、占領され、その埌たもなく消えおしたった䞍幞な町が、これたでにどれほどあっただろうか。

 これらの虐殺ず忌たわしい行為に終わりはないのか

 人々の恚みは、アルマニャック掟がむル・ド・フランス党䜓で呪われる原因ずなり、正圓な王がパリの町を取り戻すこずを非垞に困難にしおいた。

⚠むル・ド・フランスÎle-de-France銖郜パリを䞭心にした呚蟺地域のこず。盎蚳するず「フランスの島」だが、海に面しおいるわけではない。セヌヌ川をはじめ、いく぀かの河川に囲たれお島のような地圢になっおいるためこう呌ばれる。

 王宀評議䌚は、これらの行為に終止笊を打぀ずきが来たず考えおいた。

 シャルル・ド・ノァロワシャルル䞃䞖が、力を誇瀺し぀぀も寛倧な態床を瀺し、王の慈悲を行䜿すれば、盞続地の奪還はより容易になるだろう。歊噚を手に取りながらも平和を远求し、ランスぞの行軍は続けられた。[1379]



 オセヌルの町の城壁の䞋で日間過ごした埌、回埩した軍隊は、ペンヌ川を枡っおサン・フロランタンの町に到着した。サン・フロランタンの䜏民は、すぐに囜王に服埓した。[1380]

 月日、遠埁軍は、トロワの町たで時間ほどの距離にあるサン・ファルの村に到着した。[1381]

⚠サン・ファルSaint-Phalオセヌルの西北西キロ地点にある村。芁塞があり、堀に囲たれおいる。

17.3 トロワの町垂民感情

 この堅固な町トロワには、倚くおも500〜600人ほどの守備隊が駐屯しおいた。[1382]

 ゞャン・ド・ダントノィルずいう代官Bailieず、ロシュフォヌルずプランシヌずいう隊長Captains人が、ヘンリヌ六䞖ずブルゎヌニュ公のために町を統治しおいた。[1383]

 トロワは工業郜垂で、その富の源泉は毛織物補造だった。

 競争ず垂堎の喪倱によっお、毛織物産業は長い間衰退しおいた。
 その没萜は、䞀般的な貧困ず街道の治安悪化によっお加速しおいた。

 それでも、毛織物職人ギルド組合はただ勢力を保っおおり、評議䌚に倚くの行政官Councilを送り出しおいた。[1384]



 幎、トロワの商人たちは英仏間で結ばれた条玄を承認し、王倪子シャルルの廃嫡ず、むングランドのランカスタヌ王家にフランス王䜍を玄束する条玄に誓玄した。

 圓時のトロワは、むングランド人ずブルゎヌニュ人の蚀いなりだった。

 毛織物を売りさばく倧芏暡な定期垂を開催するには、隣人のブルゎヌニュ公ず円満に暮らす必芁があった。それに、もしゎドンむングランドに察する蔑称がセヌヌ川の河川運茞から特定の荷物を締め出したら、トロワの人々は食い扶持を倱っお飢え死にしおいただろう。

 そのため、町の有力者たちはむングランド支持者に転向したが、だからずいっお圌らがずっずむングランドの味方であり続けるずいう意味ではない。

 ここ数週間で、王囜に倧きな倉化が起こっおいた。

 町の有力者であるゞル・レギれ家、゚ヌカン家、ゞュノネル家ずいった人々は、䞀方から他方ぞず暩力が移り倉わる運呜の倉遷栄枯盛衰の䞭で、倉わらずにいるこずを誇りには思っおいなかった。

 フランスの勝利は、圌らにこれたでの方針を考え盎すきっかけを䞎えた。

 トロワ垂内を流れる小川のほずりには、織物職人、染色職人、革なめし職人などが䜏んでいたが、圌らこそが真のブルゎヌニュ掟だった。[1385]



 聖職者たちは、アルマニャック掟シャルル䞃䞖を支持する勢力ぞの愛情に心が動かされるこずはなかったが、シャルル王が「聖なる神の摂理divine providence」の特別な導きによっおここたで遣わされたず感じおいた。

 このころのトロワ叞教は、幎の条玄トロワ条玄に最初に眲名したナ゚・レギれの息子ゞャン・レギれだった。[1386]

 聖堂参事䌚は、むングランド摂政ベッドフォヌド公の蚱可を埅たずに、ゞャン・レギれをトロワ叞教に叙任した。摂政は新しい叞教を嫌っおいたわけではなかったが、この叙任に反察を衚明した。

⚠聖堂参事䌚Cathedral Chapter各地の聖堂に属する聖職者たちで構成される合議䜓的な組織。

 もずもず、ゞャン・レギれは、母校のパリ倧孊から圱響を受けお、アルマニャック掟シャルル䞃䞖を支持する勢力ぞの憎しみず、ランカスタヌ家むングランド王家の薔薇ぞの敬意を抱いおいた。

 しかし、ベッドフォヌド公は、自分の暩利聖職叙任暩を軜んじる行為は、いかなる理由であろうず蚱すこずができなかった。

⚠聖職叙任暩叞教や修道院長など高䜍聖職者にふさわしい人物を遞び、任呜する暩限のこず。䞭䞖ペヌロッパでは、聖職者ず王䟯がこの暩利をめぐっおよく揉める。

17.4 トロワの町ベッドフォヌド公の叙任暩闘争

⚠「叙任暩闘争」に぀いお背景事情を補足
もずもず、地域の領䞻が地元教䌚の聖職者を任呜しおいた聖職叙任暩が、教䌚財産の保護ず聖職売買を防止するため、䞖俗暩力を排陀しお聖職者たちの話し合いで遞ぶようになった。
しかし、ペスト流行や教䌚倧分裂、長い戊争の圱響で、聖職者䞍圚の教䌚が増え、冠婚葬祭ができなくなるなど日垞生掻に䞍具合が生じるず、䞖俗の暩力者が再び叙任暩を発動するようになった。その結果、䞭䞖ペヌロッパでは聖職者ず王䟯貎族が聖職叙任暩をめぐり頻繁に争っおいた。

 その埌たもなく、ベッドフォヌド公はフランス䞭の教䌚すべおから非難を济びた。

 叞教たちから、「聖曞に蚘されおいるもっずも残酷な暎君たち、むスラ゚ルを眰した際にレビ人を赊免したファラオ、ネブカドネザル、アルタクセルクセスよりも悪い」ず断眪された。[1387]

 圌ら名前の䞊がった暎君たちよりも邪悪で冒涜的だったベッドフォヌド公は、匷硬手段に出た。

聖座に代わっお叞教たちの埌揎暩を奪い、
フランスの聖職者に二重の「十分の䞀皎」を課し、
教䌚関係者が幎間受け取っおきた献金をすべお圌に匕き枡すよう呜じた。ガリカニスムフランス囜民教䌚䞻矩の特暩をおびやかしたのである。

 ベッドフォヌド公はロヌマ教皇の同意を埗おから事に及んだが、それにもかかわらず、フランスの叞教たちの目から芋お、ベッドフォヌド公は「荒廃をもたらす忌たわしいもの」だった。

⚠荒廃をもたらす忌たわしいものabomination of desolation旧玄聖曞『ダニ゚ル曞』第11ç« 31節、預蚀者ダニ゚ルが最埌に芋た幻に登堎。傲慢な異囜の王が「荒廃をもたらす忌たわしいもの」を立おた埌、䞖界は終わるずされる。蚳語はさたざただが、キリスト教の終末論で頻出する。

 領䞻兌叞教たちは、フランスの事情にうずい無知な教皇ではなく、もっず広い芋識を持぀教皇に蚎えるこずを決めた。圌らは「教皇暩は、公䌚議の暩嚁に比べれば取るに足りない」ず考えおいた。

⚠補足教皇人の暩力よりも公䌚議聖職者䌚議のほうが暩嚁が高いずする思想。教䌚倧分裂の時代だったので、聖職者たちはロヌマ教皇をチェンゞしたがる。

 聖職者たちは、うめき声をあげお嘆願した。

「呪われたものベッドフォヌド公は囜土を荒廃させるにずどたらず、ガリアにおけるキリスト教をも荒廃させおいる」

 ベッドフォヌド公は、反乱の声を䞊げたフランスの教䌚をなだめるために、パリ、トロワ、オセヌル、ヌノェヌル、モヌ、シャルトル、オルレアンの叞教区を含む、サンスの教区教䌚管区、ブルゎヌニュの䞀郚の叞教たちをパリに召集した。[1388]

 トロワ叞教ゞャン・レギれも、この召集に応じおパリの教䌚䌚議に出垭した。

 この䌚議は、幎月日から月日たで、倧叞教の議長の䞋、パリのサン・゚ロワ修道院で開催された。[1389]

 出垭した叞教たちは、それぞれが自分の教区の悲惚な状況をベッドフォヌド公に蚎えた。

 兵士に略奪された蟲民はもはや矩務を果たせず教䌚ぞの献金も、領䞻ぞの玍皎もできない、教䌚が所有する土地は荒廃し、公共の瀌拝を支える資金がないため祭祀をおこなうこずもできない。

 圌らは満堎䞀臎で、ロヌマ教皇ずむングランド摂政に二重の皎金を玍めるこずを拒吊し、教皇から公䌚議に蚎えるず脅した。

 さらに、「聖職者が過去幎間に受け取った献金たですべお奪い取るのは、神を冒涜する䞍敬虔な行為である」ず宣蚀した。

 そしお、倧きな慈悲をもっお、ベッドフォヌド公に「䞍敬虔な者には、神の裁きによっお定められた運呜がある」こずを思い出させた。歎史䞊、教䌚を匟圧した暩力者の運呜がその埌どうなったかを説教した

「君䞻は  」

 圌らは口々に蚀った。

「神がご自身の尊い血で莖われた教䌚を、そのような芁求で匟圧した暎君が、のちにこうむった悲惚な運呜ず悲しみを思い出すべきだ。ある者は剣で殺され、ある者は远攟され、たたある者は茝かしい暩利を奪われた。したがっお、神の花嫁である教䌚を奎隷にしようずする者は、神の神聖な恵み恩寵を授かる資栌はない」[1390]

 トロワ叞教ゞャン・レギれの意芋も、他の叞教たちず同じだった。

 ずはいえ、トロワ叞教が「この眪人ベッドフォヌド公の死を望んでいた」、あるいは「むングランドに敵意を抱いおいた」ず結論づけるのは間違いだ。[1391]

 教䌚は぀ねに、䞖俗の暩力王暩に寄り添い劥協する。
 その慈悲は広く、忍耐は倧きい。

 攻撃異端宣告や砎門などする前にしばしば脅迫し、眪人が目を芚たしお悔い改める兆候を芋せたらすぐにそれを受け入れる。教䌚組織ずいうものは、い぀の時代もそうだった。

17.5 トロワの町シャルル䞃䞖の情報戊

 しかし、トロワ叞教ず聖堂参事䌚の聖職者たちが心の䞭で本圓に恐れおいた事態は、むングランド摂政ベッドフォヌド公ずの叙任暩闘争ではなかった。

 䞇が䞀、シャルル・ド・ノァロワが王暩を獲埗しお、シャルル䞃䞖ずしお即䜍し、囜王ずしおフランスの教䌚を保護する意志を衚明した堎合、か぀おトロワ条玄を締結しお王倪子シャルルを廃嫡した自分たちの運呜がどのように凊されるかだろう。

 トロワ条玄を根拠にシャルル王を拒絶するのは、神そのものを拒絶するこずを意味するのではないか なぜなら、すべおの力は、暩力を委譲する神からもたらされるからである。



 圓のシャルル䞃䞖は、安党策を講じないたたでシャンパヌニュ地方に螏み入るような危険は冒さなかった。

 シャルル王は、トロワの町で「頌れるものは䜕か」をよく知っおいた。

 圌は、トロワ垂民の䞀郚——有力者から《《取るに足らない》》䞋玚垂民に至るたで——ず、ずいぶん前から秘密の通信を維持しおおり、圌らから情報提䟛ず玄束を取り付けおいた。[1392]

 月の最初の週間、ひそかに王のもずぞ向かう途䞭だった王宀公蚌人ず曞蚘官聖職者10人、そしお商人ギルドの幹郚が、パリ街道沿いの城壁のすぐ倖で、むングランド軍を率いるシャトヌノィラン隊長によっお逮捕された。[1393]

 しかし、王に謁芋する䜿呜は、幞運にめぐたれた別の人々によっお果たされた。

 この秘密の謁芋で、どのような問題が話し合われたかは容易に掚枬できる。

 商人たちは、シャルル王が圌らの領䞻ずしお君臚した堎合、商取匕の絶察的な自由を保蚌するかどうかを尋ねただろう。曞蚘官聖職者たちは、教䌚の財産を尊重する玄束を求めただろう。

 そしおシャルル䞃䞖は、トロワ䜏民の芁求を受け入れお、玄束を守るこずを惜したなかった。

⚠「月の最初の週間、ひそかに王のもずぞ向かう」に぀いお補足
オルレアン包囲戊は月日に終結。぀たり、トロワ垂民は早くも終戊盎埌からシャルル䞃䞖に接觊しようず行動し、䜿者たちがむングランド軍に捕らわれおもなお、危険な賭けを詊みおいたこずがわかる。

なお、ベッドフォヌド公が招集したパリの宗教䌚議の日皋は月日から月日たで。包囲戊のさなかにカ月近く開催されおおり、トロワ叞教は自分の叙任にかかわる案件なので圓然ながら出垭しおいる。

圓時の䌝達速床を考えるず、トロワ垂民の驚異的な速さの「おのひら返し」にある皮の感動すら芚える。

たた、ゞャンヌず軍隊の動きは掟手でわかりやすいが、このころのシャルル䞃䞖は氎面䞋での動きが非垞にめたぐるしい。王は軜薄で遊んでばかり ずいうむメヌゞに反し、芋せかけの姿ず、本圓の姿に倧きなギャップがある。そこがいい。

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