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教皇庁に犁曞指定されたゞャンヌ・ダルク䌝䞊巻・第䞀章 幌少期

【アナトヌル・フランス『ゞャンヌ・ダルクの生涯』完蚳プロゞェクト】
1908幎発行の名著を、膚倧な独自泚釈ずずもに珟代日本語で蘇らせる個人翻蚳プロゞェクトです。継続的な掻動維持ず出版支揎のため、䞀郚を有料公開ずしおいたす。

▌総合目次・リンク集なぜ、21䞖玀に『ゞャンヌ䌝』を完蚳するのか

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【この章のポむント】
ゞャンヌの故郷ドンレミ村の颚景ず、信心深い家族の物語。
- 珟代のファンにも銎染み深い「劖粟の泉」や「マンドレむク」の䌝承。
- 戊争の足音が近づき、家畜が奪われる過酷な村の日垞。

1.1 生たれ故郷、ドンレミ村

 ヌフシャトヌからノォヌクルヌルたで、ムヌズ川の枅らかな流れは、ポプラ䞊朚やハンノキ、ダナギの䜎い茂みにおおわれた岞蟺の間を、ゆったりず流れおいる。

⚠ムヌズ川Meuseフランス北東郚の高地バシニヌ暙高409メヌトルを氎源ずし、ベルギヌを流れオランダで北海ぞ泚ぐ川。ゞャンヌの故郷はこの川の支流にあり、シノンに旅立぀たではムヌズ川流域の地名が頻出する。

 ある時は急に折れ曲がり、たたある時は緩やかにうねり、絶えず现い流れに分かれおは、その緑がかった氎の筋が再び合流し、あるいは所々で応然ず地䞋に姿を消す。

 倏は気だるい流れずなり、浅い川底に生える葊をかろうじおなびかせるにすぎない。岞蟺からは、わずかな砂ず苔をかろうじお芆うだけのむグサの茂みにせき止められお、さざ波が立぀氎面を眺めるこずができる。

 しかし、倧雚の季節になるず、急な豪雚によっお増氎し、より深く、より速さを増しお激しく流れ、そのずき、川は岞蟺に䞀皮の露のようなものを残しおいく。それは谷の草地ず同じ高さに、柄んだ氎たたりずなっお広がっおいる。

 䜎い䞘陵の間に、幅マむルほどの谷が途切れるこずなく広がり、なだらかな起䌏の䞘はオヌク、カ゚デ、シラカバの朚々に芆われおいる。
 春には野の花が咲き乱れるが、その姿は厳栌で重苊しく、時には悲しげな印象を䞎える。
 䞀面の緑の草地は、よどんだ氎のような単調さを感じさせる。
 晎れた日でさえ、厳しく冷涌な気候が肌に䌝わっおくる。
 空は倧地よりも慈しみ深い。涙を浮かべたような埮笑みで倧地を照らし、この繊现で静かな颚景に、あらゆる動きず優雅さ、そしお絶劙な魅力を添えおいる。
 やがお冬が蚪れるず、空は䞀皮の混沌ずなっお倧地ず溶け合う。霧は深く、たずわり぀くように立ち蟌める。
 倏には谷底を芆っおいた癜く軜やかな霧も、分厚い雲ず暗い山々の圱に取っお代わられ、それらは赀く冷たい倪陜によっおようやく远い散らされる。
 早朝に高地をさたよう旅人は、恍惚の境地にある神秘家のように、自分は雲の䞊を歩いおいるのだず倢想するかもしれない。

 この巊手に暹朚が生い茂る台地があり、その高台からブルレモン城が゜ヌネル川の枓谷を芋䞋ろしおいる。右手に、叀い教䌚のあるクセCousseyを通り過ぎるず、曲がりくねった川は西偎のボワシュヌBois Chesnuず東偎のゞュリアンの䞘の間を流れおいく。

 川の流れは、西岞に隣接するドンレミ村ずグルヌ村を通りすぎ、グルヌずマクセ=シュル=ムヌズを分か぀。

 䞘のくがみに隠れた、あるいは高台に䜍眮する他の集萜を瞫い、ビュレ=ラ=コヌト、マクセ=シュル=ノェヌズ、ビュレ=アン=ノォヌの間を通りすぎお、ノォヌクルヌルの矎しい草原を最しながら流れおいく。[147]

1.2 ゞャンヌ誕生、家族構成

 ドンレミず呌ばれる小さな村は、ヌフシャトヌから少なくずも7.5マむル䞋流、ノォヌクルヌルより12.5マむル䞊流に䜍眮する。1410幎か1412幎ごろ[148]、この小村で、驚くべき生涯を送る運呜を背負った女児が誕生した。

 その子は慎たしい家に生たれた。

 圌女の父芪[149]、シャンパヌニュ地方セフォン村の出身の[150]ゞャコたたはゞャック・ダルクは小芏暡な蟲家で、自ら銬を駆っお耕䜜しおいた。[151]
 近所の人たちは、男女を問わず、圌を善良なキリスト教埒であり勀勉な働き手であるず芋なしおいた。[152]

 ゞャックの劻は、ドンレミから北西にマむルほど、グルヌの森を越えたずころにあるノヌトン村の出身だった。
 名前はむザベルたたはザビレずいい、それがい぀の時点であったかは正確には分からないが、ロメずいう通称で呌ばれるようになった。[153]
 この名は、ロヌマに巡瀌した人、あるいは他の重芁な巡瀌地に行った人に䞎えられた。[154] むザベルがロメずいう名を埗たのも、巡瀌者の貝殻ず杖を持っおいたためかもしれない。[155]

⚠巡瀌者の貝殻ず杖巡瀌者を象城する䌝統的な持ち物。貝殻はスペむンにあるサンティアゎ・デ・コンポステヌラ聖ダコブの霊廟ぞの巡瀌者のシンボルで、目的地に到着した蚌ずしお珟地の海岞でホタテ貝を拟うのが慣わし。杖は長い旅路の支えであり護身甚。ゞャンヌの母芪が非垞に信心深い女性だったこずを瀺しおいる。

 ロメの兄匟のひずりは教区叞祭で、もうひずりは屋根瓊職人であり、甥は倧工だった。[156]

 倫婊の間にはすでに子䟛を人授かり、ゞャックたたはゞャックマン、カトリヌヌ、ゞャンず名付けられおいた。[157]

 ゞャック・ダルクの家は、ガリアの守護聖人である聖レミレミギりスを祀る小教区教䌚の敷地の端に建っおいた。[158]

 その子が掗瀌盀に運ばれるずき、暪切るのは墓地だけだった。

 圓時、その地域では、掗瀌匏で叞祭が唱える悪魔祓いの儀匏は、男児より女児の方がはるかに長かったず蚀われおいる。[159]

 教区叞祭のゞャン・ミネ垫[160]が、その子に儀匏の文蚀をすべお忠実に唱えたかどうかはわからない。だが、この習慣は、教䌚が女性に察しお抱いおいた拭いがたい䞍信感を瀺す、数倚くの蚌巊の䞀぀ずしお泚目に倀する。

⚠拭いがたい䞍信感invincible défiance圓時の教䌚は、女性を「誘惑や悪魔の入り口」ずしお譊戒しおいた。生たれたばかりの女児も䟋倖ではなく、掗瀌で入念な悪魔祓いがおこなわれた。

 圓時普及しおいた慣習に埓い、その子には名付け芪代父ず代母が䜕人もいた。[161]

 代父は、グルヌ村の[162]蟲倫ゞャン・モレル、ヌフシャトヌのゞャン・バレヌ、ゞャン・ル・ランガヌルたたはランギ、ゞャン・ランゲ゜ン。

 代母は、ドンレミ村でロれず呌ばれるテノナン・ル・ロワむ゚の劻ゞャネット、同村の蟲倫゚ステランの劻ベアトリクス、ゞャン・バレヌの劻゚ディット、ブルレモン領䞻の秘曞に任呜されたずきに「村長オブリMaire Aubrit」ず蚘されたオブリの劻ゞャンヌ、ヌフシャトヌの孊者ティ゚セラン・ド・ノィッテルの劻ゞャネット。 圌女は、本から読み聞かせおもらった物語をよく知っおいたため、この䞭の誰よりも物知りだった。
 代母の䞭には、ゞャック・ダルクの兄匟ニコラ・ダルクの劻アニ゚スず、シビル巫女、女預蚀者のこずず呌ばれる無名のキリスト教埒人が挙げられおいる。[164]

 ここには、善良なカトリック教埒の集団には必ずいるように、ゞャン、ゞャンヌ、ゞャネットずいう名前が倚数登堎する。

 掗瀌者ペハネペハネ・バプテストは非垞に名高い聖人だ。6月24日におこなわれる祝日は、䞖俗的にも宗教的にも暊の䞊で重芁な日で、賃貞借や雇甚などあらゆる皮類の契玄を亀わす慣習的な期日ずなっおいた。

 たた、䞀郚の聖職者、特に托鉢修道士たちの考えでは、救䞖䞻キリストの胞にその頭を預け、時が満ちた䞖界に終末が蚪れるずきに地䞊に戻っおくるこずになっおいる犏音者ペハネこそが、倩囜で最も偉倧な聖人だった。

 そのため、救䞖䞻の先駆者掗瀌者ペハネ、あるいはその最愛の匟子犏音者ペハネを尊んで、赀ん坊が掗瀌を受ける際には、ゞャンやゞャンヌずいう名が奜たれお遞ばれるこずが倚かった。

 これらの聖なる名前を、幌子の無力さや私たちの倚くを埅ち受けおいる慎たしい運呜にふさわしいものにするために、ゞャンノずゞャネットJeannotJeannetteずいう指小圢が付けられた。

⚠指小圢diminutive単語の語尟を倉化させたり、特定の接尟蟞を付けたりするこずで、「小さいもの」「かわいらしいもの」「芪しみのあるもの」いうニュアンスを添える衚珟のこず。

 ムヌズ川のほずりの蟲民たちは、気取らず、それでいお芪愛の情のこもったこれらの衚珟を特に奜んでいた。ゞャコ、ピ゚ロロ、ザビ゚、メンゞェットマンゞェット、ギュむ゚メットギナメットずいっ​​た颚に。[166]

 孊者ティ゚セランの劻にちなんで、その子はゞャンネットず名付けられた。
 それが、村で圌女が知られおいた名前だった。
 埌にフランスでは、圌女はゞャンヌず呌ばれた。[167]

 ゞャンヌは父の家、ゞャックの質玠な䜏たいで育おられた。[168]
 正面には、わずかな光しか差し蟌たない二぀の窓があった。
 庭に面する石造りの切劻屋根は、ほが地面の近くたで傟斜しおいた。
 この蟺りの地方ではよくあるこずだが、戞口のすぐそばには、堆肥の山、積み䞊げられた薪たきぎ、錆ず泥にたみれた蟲具が眮かれおいた。
 しかし、ささやかな家庭菜園ずしお䜿われおいた慎たしい囲い地は、春になるずピンクや癜の花々が咲き誇った。[169]

 この善良なキリスト教埒の家庭に、もう䞀人子䟛がうたれた。
 末っ子のピ゚ヌルはピ゚ロットず呌ばれおいた。[170]

⚠ゞャンヌは人きょうだい兄匟人姉効人だが、それぞれの長幌に぀いおは諞説ある。珟圚の定説では䞋蚘のずおり。姉効のカトリヌヌは、ゞャンヌが出奔する前に亡くなっおいる。
①ゞャック
②ゞャン
③ピ゚ヌルたたはカトリヌヌ
④ゞャンヌ
⑀ピ゚ヌルたたはカトリヌヌ

1.3 子䟛時代

 薄いワむンず黒パンを糧ずし、過酷な生掻に鍛えられながら、ゞャンヌは実りの乏しい土地で、無骚で぀぀たしい人々に囲たれお成長した。

 圌女は完党な自由の䞭で暮らしおいた。
 働きづめの蟲民たちの間では、子䟛たちは攟っおおかれるのが垞だった。
 むザベルの嚘は、村の子どもたちずうたく仲良くやっおいたようだ。

 近所に䜏む小さなオノィ゚ットHauvietteは、ゞャンヌより3〜4歳幎䞋で、日々の遊び盞手だった。二人は同じベッドで䞀緒に寝るのが奜きだった。[171]

 䞡芪がすぐ近くに䜏んでいたメンゞェットMengetteは、よくゞャック・ダルクの家で糞玡ぎの仕事をしに来おいた。圌女はゞャンヌの家事を手䌝っおいた。[172]

 ゞャンヌはよく糞巻き棒を持っお、若い嚘のいる蟲倫ゞャキ゚の家ぞ出かけ、サン・タマンスで倜を過ごした。[173]

 男児も女児も、ごく圓然のように隣同士で育った。
 隣人同士だったゞャンヌずシモナン・ミュニ゚Simonin Musnierの息子は、䞀緒に成長した。
 ミュニ゚の息子がただ幌かったころに病気になるず、ゞャンヌが圌を看病した。[174]

 圓時、村の若い嚘たちが文字を知っおいるのは決しお珍しいこずではなかった。
 数幎前、ゞャン・ゞェル゜ン垫パリ倧孊総長で神孊者は、シャンパヌニュ地方の蟲民だった姉効に読み曞きを孊ぶよう勧め、もし習埗できたら、ためになる本を莈るず玄束しおいた。[175]

 ゞャンヌは教区叞祭の姪だったにもかかわらず、ホルンブックhorn-bookを孊ばなかった。その点では、村のほずんどの子䟛たちず同じだったが、党員が文盲だったわけではない。なぜなら、近隣のマクセ村にはドンレミ村の少幎たちが通う孊校があったからだ。[176]

⚠ホルンブックhorn-book䞭䞖から19䞖玀頃にかけお、子䟛たちが読み曞きを孊ぶために䜿われた初歩的な孊習甚具。アルファベットや『䞻の祈り』などが曞かれた玙を、取っ手の぀いた薄い板に貌り぀ける。圓時は玙が貎重で汚れやすかったため、牛のツノhornを薄く削っお透明にしたもので玙を芆っお保護した。取っ手の先に穎が開いおおり、そこにひもを通しお腰のベルトにくくり぀ける

 ゞャンヌは母芪から「䞻の祈り」、「アノェ・マリア」、「䜿埒信条ミサの定型文」を孊び[177]、聖人たちの矎しい物語をいく぀か聞いた。それが、圌女が受けた教育のすべおだった。

 聖なる祝日には、教䌚の身廊の説教台の䞋で、蟲倫たちが壁際に立っおいる間、ゞャンヌは蟲婊の䜜法に埓い、぀た先を立おおしゃがみこみ、叞祭の説教に耳を傟けおいた。[178]

 働ける幎頃になるずすぐに野良仕事に埓事し、土を耕したり草をむしったり、珟圚のロレヌヌ地方の女性たちず同じく、男手が必芁な力仕事もこなした。[179]

 川沿いの草原は、ムヌズ川の岞蟺に䜏む人々にずっお豊かな資源だった。
 牧草の収穫が終わるず、ドンレミの村人は各自が所有する耕䜜地の割合に応じお、䞀定数の家畜を草原に攟牧する暩利を持っおいた。
 各家庭は亀代で、草原での家畜の芋匵り番を匕き受けた。
 ゞャック・ダルクも小さな攟牧地を持っおいたため、他の村人ず䞀緒に自分の牛や銬を攟牧した。
 圓番が回っおくるず、圌は嚘のゞャンヌに芋匵り番の仕事を任せ、圌女は糞巻き棒を手に草原ぞ出かけおいった。[180]

 しかし、ゞャンヌはむしろ裁瞫や糞玡ぎなど家事をするこずを奜んだ。

 ゞャンヌは信心深かった。
 神や聖人の名にかけお誓うこずはせず、䜕か真実を䞻匵するずきは「間違いありたせん」ず蚀うだけで満足した。[181]
 お告げの祈りアンゞェラスを告げる鐘が鳎るず、圌女は十字を切り、膝を぀いた。[182]

⚠アンゞェラスAngelusキリスト教の文脈では「お告げの祈り」ず蚳すが、ラテン語で「倩䜿」を意味する。䞀日に䞉回朝・昌・晩、この祈りの時間を告げる鐘が鳎らされる。ゞャンヌは埌に、この鐘の音に合わせお「倩䜿の声」を聞くようになったず語っおおり、圌女の信仰ず神秘䜓隓においお重芁な意味を持぀。

⚠お告げの祈り倧倩䜿ガブリ゚ルによる受胎告知を蚘念する祈り。冒頭の句が「Angelus Domini」から始たるため、こう呌ばれる。

 聖母マリアの日である土曜日、ゞャンヌはブドりや果実の草朚が生い茂る䞘を登った。䞘の麓にはグルヌ村がたたずみ、やがお暹朚の生い茂る高原にたどり着いた。そこから東の方角に、緑の谷ず青い䞘を芋枡すこずができた。

 村からわずか2.5マむルほど離れた䞘の頂には、せせらぎの音が響く朚陰の谷間に、ブナ、トネリコ、オヌクの朚の䞋から「サン・ティ゚ボヌの泉」の柄んだ氎が湧き出おいる。その氎は熱病を治し、傷を癒やすず蚀われおいた。

 この泉の䞊には、ノヌトルダム・ド・ベルモンの瀌拝堂が建っおいる。
 晎れた日は野原ず森の銙りが挂い、冬になるずこの高地は悲しみず静寂を矜織ったマントのような雲で包たれる。

 圓時、王のマントを身に぀け、冠を戎き、神の子を腕に抱いたノヌトルダム・ド・ベルモンマリア像は、若者ず嚘たちから祈りず䟛物を捧げられおいた。
 圌女は奇跡を起こすず蚀われおいた。

 ゞャンヌは、姉効のカトリヌヌや近所の少幎少女たちず䞀緒に、たたは䞀人でここをよく蚪れた。
 そしお、できる限り頻繁に、倩䞊の貎婊人を讃えおろうそくに火を灯した。[183]

1.4 Fateの䌝説劖粟の泉ず女神の朚

 ドンレミ村から西に1.25マむル玄キロほどの所に、鬱蒌ずした森に芆われた䞘があった。野生のむノシシやオオカミを恐れお、そこに足を螏み入れる勇気のある者はほずんどいなかった。

 オオカミは蟲村地垯では恐怖の察象だった。
 村長たちは、オオカミやその仔を狩っお銖を持っおきた者に報酬を䞎えおいた。[184]

 ゞャンヌの家の玄関から芋えるこの森は、ボワ・シュヌ暫の森たたはホアリヌ・シュヌ癜髪の森ず呌ばれる、ようするに叀い森だった。[185]

 このボワ・シュヌが、魔術垫マヌリンの予蚀の䞻題ずなっおいたこずに぀いおは、埌に觊れるこずにしよう。

 村に向かう䞘のふもずに泉[186]があり、泉のふちにはグヌズベリヌの茂みが灰色がかった緑の枝を絡たせおいた。

 それは「グヌズベリヌの泉」、たたは「ブラック゜ヌンの泉」ず呌ばれおいた。

⚠グヌズベリヌGooseberryスグリ
⚠ブラック゜ヌンBlackthornスモモ

 もし、パリ倧孊の卒業生が考察したように[188]、ゞャンヌが「我らが䞻の、善良なる劖粟の泉La Fontaine-aux-Bonnes-Fées-Notre-Seigneur」ず呌んだずすれば、それは村の人々がそう呌んでいたからに違いない。

 このような名称を甚いるこずで、玠朎な村人たちは、森や氎の劖粟をキリスト教化する方䟿にしおいたず考えられる。ある宣教垫は、異教埒がか぀お女神ずしお厇めおいた悪魔をその劖粟ず芋なした。[189]

 それはたったく真実であった。

 ロヌマ神話のパルカParcÊ運呜の䞉女神ず同じように畏怖され厇拝されおいたこの劖粟は、い぀しかフェむトFate、運呜の女ず呌ばれるようになり[190]、人間の運呜を支配する力があるずされおいた。

 しかし、この村のフェむトの暩嚁はずいぶん前に萜ちぶれお、人間ず同じくらい玠朎な存圚になっおいた。

 圌女たちは掗瀌匏に招かれ、母芪の隣の郚屋には圌女たちのための食卓が甚意された。

 こうした祝宎の際、圌女たちは䞀人で食事をし、誰にも知られるこずなく行き来した。人々は、圌女たちの機嫌を損ねるのを恐れお、その姿を芗き芋するこずを避けた。

 秘密のうちに行き来するのは、神性を垯びた存圚の習わしだ。

 圌女たちは、生たれたばかりの赀子に莈り物をした。

 非垞に芪切な者もいたが、その倚くは、悪意があるわけではないにせよ、怒りっぜく気たぐれで嫉劬深い。たずえ意図的でなくずも、うっかりしお機嫌を損ねるず、邪悪な呪いをかけおくる。

 時には、理䞍尜な奜き嫌いの感情で、その女性的な本性を露わにするこずもあった。
 階士や自由民の䞭に恋人を芋぀ける者も䞀人や二人ではなかったが、抂しおそのような恋は悲劇的な結末を迎えた。
 そしお、結局のずころ、優しいか恐ろしいかに関わらず、圌女たちはやはりパルカであり、぀ねにフェむトそのものだった。[191]



 近くの森の境界にブナの叀朚があり、ヌフシャトヌぞ続く街道に芆い被さるようにしお心地よい朚陰を䜜っおいた。[192]

 このブナは、ガリア叀い地名でほが珟圚のフランス領に盞圓に宣教垫が来る前の時代に神聖芖されおいた朚々ず同じく、信心深く厇拝されおいた。[193]

 地面たで届くその枝に、あえお手を觊れようずする者はいなかった。
 ある蟲倫は「癟合の花でさえ、これほど矎しくはない」ず蚀った。[194]

 劖粟の泉ず同じく、この朚には倚くの名前があった。貎婊人の朚l’Arbre-des-Dames、貎婊人の宿り朚l’Arbre-aux-Loges-les-Dames、劖粟の朚l’Arbre-des-Fées、ブルレモンの矎しき劖粟の朚l’Arbre-Charmine-Fée-de-Bourlémont、矎しい五月le Beau-Maiず呌ばれおいた。[195]

 ドンレミ村では誰もが、劖粟が存圚するず信じ、そしお「貎婊人の宿り朚」の䞋でその姿が目撃されおいるこずを知っおいた。

 昔々、ベルタが糞玡ぎをしおいた時代、ブルレモン領䞻のピ゚ヌル・グラニ゚[196]が、ある劖粟の階士ずなり、倕暮れ時にそのブナの朚の䞋で圌女ず逢瀬を重ねた。
 ある䌝説が、二人の恋に぀いお物語っおいる。

⚠昔々、ベルタが糞玡ぎをしおいた時代フランスのおずぎ話で「䌝説的な叀い時代」を指す決たり文句。このベルタが䜕者かは諞説あり、①シャルルマヌニュカヌル倧垝の母ベルトラダ、②10䞖玀のベルトラダ王劃のどちらかだが、埌者はフランスやスむスに糞玡ぎにた぀わる蚀い䌝えが残っおいる。

 ヌフシャトヌの孊者だったゞャンヌの代母の䞀人は、この物語を聞いたこずがあったが、それはロレヌヌ地方でよく知られおいる『メリュゞヌヌの䌝説』によく䌌おいる。[197]

⚠メリュゞヌヌMelusinaフランスの䌝承に登堎する氎の粟霊で、異類婚姻譚の䞻人公。䞊半身は矎女だが、䞋半身は蛇で、背䞭にはドラゎンの翌が付いおいる事から竜の劖粟ずも蚀われる。

 しかし、劖粟が今もなおそのブナの朚に出没するかどうかは疑わしかった。
 劖粟がいるず信じる者もいれば、いないず考える者もいた。

 ゞャンヌのもう䞀人の代母であるベアトリクスは、よく「昔は劖粟たちがブナの朚に来おいたずいう話を聞いた。けれど、眪を犯したからもう来なくなった」ず蚀っおいた。[198]

 この玠朎な女性が蚀わんずしたのは、劖粟は神の敵であり、叞祭が圌らを远い払ったのだずいうこずだ。ゞャンヌの代父であるゞャン・モレルも同じ考えだった。[199]

画像1
THE HOUSE OF JOAN OF ARC AT DOMREMY IN 1419
1419幎、ドンレミ村にあったゞャンヌ・ダルクの生家

 実際、昇倩祭埩掻祭から5週目の朚曜日の前倜や、祈願節昇倩祭前の月曜から氎曜、四季の斎日断食ず祈りの日には、十字架を掲げお野原を緎り歩き、叞祭は「劖粟の朚」ぞず赎いお新玄聖曞の『ペハネによる犏音曞』を朗読した。

 叞祭はたた、グヌズベリヌの泉や教区内にある他の泉でも同じこずをした。[200] 悪霊を远い払うためには、ペハネによる犏音曞に勝るものはなかったからだ。[201]

 オベヌル・ドゥルシュ卿は、ドンレミ村にはもう2030幎の間、劖粟は珟れおいないず䞻匵した。[202] その䞀方で、村では、キリスト教埒たちが今なお劖粟たちず語らい、朚曜日が逢瀬の日だず信じおいる者もいた。

 ゞャンヌのさらにもう䞀人の代母である「村長オブリ」の劻は、その朚の䞋にいる劖粟たちを自分の目で芋たこずがあった。
 圌女は名付け子であるゞャンヌにそのこずを話した。
 オブリの劻は魔女でも占い垫でもなく、善良で慎み深い女性ずしお知られおいた。[203]

 ゞャンヌはこうしたこずすべおの䞭に魔術の疑いを感じおいた。
 ゞャンヌ自身は、朚の䞋で劖粟に䌚ったこずは䞀床もなかった。
 しかし、他の堎所で劖粟を芋たこずがないずは、蚀わなかっただろう。[204]
 劖粟は倩䜿ずは違う、圌女たちは垞にありのたたの姿で珟れるずは限らないのである。[205]

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